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09年11月30日(月)

清神社

「歴史の中の動物たち-あきたかた動物百科-」3 想像された動物たち

架空の動物の意匠を目にするのは、主に寺院や神社。

建築部材の彫刻に獏*1がいたり龍*2がいたり。

現代の外の狛犬と異なる、木造狛犬*3や小さな笏谷石製のもの*4も残っていたり。

*1:旧浄円寺部材木鼻

*2:宮崎神社旧建築部材蟇股

*3中世末・清神社木造狛犬

*4:宮崎神社

09年11月29日(日)

吉田歴史民俗資料館

「歴史の中の動物たち-あきたかた動物百科-」2 武家にまつわる動物たち

2部。

中世からの動物、特に武威を示す強い動物たちが武士の身辺にデザインされていて、繋馬の絵馬*1や、肖像画の豹沓*2や、鷹の羽紋をあしらった瓦*3などがある。

縁起のいい動物も什器の意匠にとけこんでいく。鶴や鹿や龍や獅子。中世の磁器が大量に出土したのは、資料館後方の郡山大通院遺跡。元就の火葬塚のある谷。

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現在は大通院谷川一帯の砂防を兼ねた公園に整備されている。

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*1:宮崎神社絵馬

*2毛利元就画像

*3:江戸末期・御本館瓦

09年11月28日(土)

安芸高田市

「歴史の中の動物たち-あきたかた動物百科-」1 発掘された動物たち

吉田歴史民俗資料館で開催中の展示で、12月13日まで。

歴史の中の動物たち〜あきたかた動物百科〜<br>(10月31日〜12月13日) 歴史の中の動物たち〜あきたかた動物百科〜<br>(10月31日〜12月13日)

という具合に、はてなブックマークからの「ブログで紹介」リンクは便利だわ、という前置き。


4部*1構成の最初は、弥生時代古墳時代の出土遺物から、動物をもとにした造形がみられるもの。

例えば土器壺*2の鹿の線刻や、亀形須恵器の平瓶*3など。

鳥が特に心性に訴えるような時代だったのか、鳥形の土器の3点はそれぞれ特徴があって、鳥形では例の少ない土師器*4や、須恵器の口を頭部に見立てて翼と尾の立体感を出したり*5、同じ須恵器でも横長の瓶の表面に羽の形の線刻と底部に三本の脚が付いていたり*6

*1:章?

*2:新迫南遺跡出土

*3:一ツ町古墳出土

*4:新宮遺跡出土

*5:下房後第2号古墳出土

*6:千間塚古墳出土

09年11月27日(金)

kanototori2009-11-27

機械の上の鷺

福山城北の蓮池からの川が流れ流れて福山港へ注ぐ、直前の辺で暗渠になるあたり*1

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高い所の鷺は、川に立っている時よりも間近に見える。

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飛ぶのかと思ったら、向こうの方へ伝って下りていった。

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*1:入船町三丁目

09年11月26日(木)

福山市

内港を横切る

11月23日の中国新聞に、

内港で1月、浄化実験 福山 : 中国新聞 地域ニュース 内港で1月、浄化実験 福山 : 中国新聞 地域ニュース

という記事の載った福山港の、東川口町と南手城町に挟まれた細長い内港。

水の汚れが多少ありながらも、サギとかウとかの類はあちこち飛び回っている様子。

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09年11月25日(水)

太田川

川面をよぎる

橋の上から、少し足が見えるカモの泳ぎ。

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その上を川下から通り抜ける別の鳥。はてなハイクに貼ったものの、なんか微妙だった。

09年11月24日(火)

kanototori2009-11-24

とぶまえのはと

たしか平和記念式典の前日。

モニュメントの周囲にいろいろと設置されていく中、緑色の箱に納まっている鳩。

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見える範囲では、三段あるうちの上の段にしかいない。

google:"ピジョンのビジョン" 「 "ピジョンのビジョン" に一致する日本語のページ 約 4,110 件中 1 - 10 件目 (0.30 秒) 」


まあ、安易か。

09年11月23日(月)

広島城本丸と内堀

とんでくるかも

ちょうどその場所は、堀にむかって餌をやりたがる人がいたりするので、

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この時期ぷかぷか浮いているカモの群も、

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餌の争奪を聞きつけて、離れた場所からでもやってくる。

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09年11月22日(日)

広島城

そこがちかい

広島城二の丸と本丸を結ぶ土橋。橋の両側は内堀が水を湛える。

土橋のたもと、被爆ユーカリのそばを見ると、ずいぶんと底の浅い部分があって、

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亀が泳げる深さだけれども、水面に顔を出しつつ足が底についているものも。

09年11月21日(土)

平和記念公園

水のあるなし

人工的な池泉なら、水の調節は自在であったりするので、底面の掃除のときなどでよく水の無い状態を目にしたりする。

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中央部のブロックは少し凹んでいるので、雨降りの水溜りは角張っている。

09年11月20日(金)

広島市西区

防災調整池

水を湛えていないのが通常の姿、であるところの調整池。

西区古江西、国道2号バイパスの南に住宅が並ぶ一角に、コンクリートに囲まれた空間。

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防災調整池

昭和60年11月完成

調整池容量 7,280立方メートル

体積土砂量 141立方メートル

施主 広島市古江西土地区画整理組合

施行業者 三井不動産建設株式会社

管理者 広島市

という石碑が立っている。

09年11月19日(木)

神辺町沖湯野

高屋川支流

橋本橋のすぐ下流の所で北から流れてきた川が合流する。

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国土地理院地形図で「かれ川」の記号で表示される。橋本橋上流で合流する堂々川も同様。(電子国土へリンク

『福山志料』*1安那郡川北村の溝渠の項に

天井川 砂川水源中條村ヨリ出高屋川ニ入ル

箱田川 新川トモ云水源天井川ニ同ジ高屋川ニ入ル二川常ニ涸ク

とある。

非常に浅いので、鳥もすたすた歩いている。

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*1:文化期

09年11月18日(水)

kanototori2009-11-18

高屋川

井原市から流れて神辺を過ぎて芦田川に注ぐ高屋川。

昭和62年発行の『角川日本地名大辞典34広島県』の「高屋川」の項目に、

「現在流路に沿い国鉄井原線の工事が進行している」という記述が見える。辞典執筆辞典の最新情報を目にするのも楽し。

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湯野駅南方の橋本橋から、それぞれ上流と下流。

09年11月17日(火)

神辺城跡から

高屋川を渡って湯野へ

芦田川支流の高屋川に架かる鉄橋が神辺駅の北にあり、その先で井原線は東へカーブ。

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高架となって国道486号と並んで湯野駅へ*1

*1:は行ったことがないが

09年11月16日(月)

神辺

新川踏切

なので、神辺駅から北の少しの距離は、福塩線井原線が並行して、ちょっと複線っぽく見えたり。駅からすぐの踏切は「神辺西踏切」。その先が「新川踏切」。

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二つの線路の間は柵が立ち並ぶ。ノーシンの看板も見える。

09年11月15日(日)

神辺駅

神辺駅

東のロータリーからJR福塩線の神辺駅を見る。青と白の駅舎が階段を成して二つのホームを結ぶ。

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井原鉄道の神辺駅はJRとは別の入口で、北から延びる線路が突き当たるホーム。

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JRの福山方面ゆきホームと隣接して乗り換えとなる。

09年11月14日(土)

古城山

神辺駅からの道

駅を出てすぐ、神辺城跡の山を見上げる交差点に道しるべがある。

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歴史民俗資料館は城跡のさらに東にあって、回り込むように1800mの距離。

神辺本陣は旧街道の駅寄りにあって600m、廉塾は旧街道をさらに北へ。

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駅前の案内地図にそれぞれ徒歩30分・10分・15分と示される。時間に余裕があれば神辺城へ、という具合だろうか。それか、まっすぐ山を登って先に城跡を通過するという順序も。

09年11月13日(金)

神辺本陣

説明板諸相・神辺本陣跡

隣の福山藩内では、神辺本陣の建物が現存。平成十五年設置の説明板に、「現在、住宅部及び酒造関係施設の一部が消滅しているが、本陣関係施設の大部分は現存」しているとあり、屋敷の中を案内してもらえる。

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その説明板を見ると、「神辺本陣は代々酒造業を営み、寛文年間*1筑前黒田家の本陣役を勤めたことに始まる。」といったふうに、和暦の隣に西暦を添える形。

この形に比べると、文中に()で挿入するのは読みにくいと気付く。*2

*1:一六六一〜一六六九

*2:だからダイアリーでは脚注に畳む

09年11月12日(木)

海田町上市

熊野神社横の空き地

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境内の木々を見上げる場所は、海田市の御茶屋のあった所。

御茶屋跡(本陣)

所在地 広島県安芸郡海田町上市

 本来は、藩主の公用宿泊施設(御茶屋)であったが、宿駅の整備・拡充に伴い本陣の役割(公家幕府役人・大名などの宿泊所)をはたすようになったものである。

 なお「広島藩御覚書帳」によれば、広島藩内には九カ所(可部・吉田・八木・海田・西条・本郷・吉舎・甲山・尾道)に置かれ、海田の御茶屋は、七七〇坪もの敷地があり、四番目の規模であったことが知られる。

平成一四年三月

海田町教育委員会

との説明板は、旧街道から細い路地に入ってすぐの空き地に立っている。

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ちょうど猫を見かけたものの、すぐに立ち去られた(敬語?)。

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09年11月11日(水)

海田町上市

海田町の慰霊碑

地域によっては、霊廟に祀ったり、平和観音を据えて不特定多数を供養したりして故人を遇するし、一般的には、戦没者であれば慰霊碑の形をとる。

慰霊碑は石に限らず、塔の形に直線曲線を織り交ぜたモニュメントであったりもする。

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海田町の熊野神社*1を麓から見上げると、参道の中腹に見える白い慰霊碑。四隅先端にそれぞれ鳩の像。

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黒い石碑に「海田町 戦没者 原爆死没者 慰霊碑」とある。

*1灘尾弘吉の書など参照

09年11月10日(火)

東広島市

愛郷廟社号碑

境内は手前と奥の二段に分かれていて、下の段には鳥居とベンチと社号碑が。全体に白い場所にあって、文字の黒が目立つ。

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裏面には完成の年次が刻まれているが、ここもまた昭和の上に横書きで1978を配置。

個々の字の配置・大きさが激しいというか奔放というか。

09年11月09日(月)

愛郷廟

愛郷廟の丸

御建神社の北西、愛郷廟*1の由来を記した石碑もまた丸っこい(正円ではないが、日章旗の据わりがいいのかもしれない)。

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御建神社階段横のお知らせにもあるように、愛郷廟の対象は旧西条町(四日市)であり、

そもそも1941昭和十六年に旧西条町出身の殉国犠牲者ならびに旧西条町発展のため貢献された特別功労者の方々の英霊に弔意と敬意とを表するため(石碑裏面)

に創建されようとしたが、

其の後の世情激変のため未完成のまま放置されていたものを1978昭和五十三年秋完成したものである。(石碑裏面)

ことに始まる。西暦の四桁の数字は横書きになっている。

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表側に載せる「殉國犠牲者」多数・「自治功労者」一柱・「教育功労者」四柱・「産業功労者」三柱を祭神とし、以降毎年の大祭で「戦争犠牲者」「原爆犠牲者」が合せ祀られていった*2

*1:あいきょうびょう

*2:名簿は別の石碑に

09年11月08日(日)

記念植樹高野槙

村一円の神社

その階段をあがった所の様子は石になった列を参照のこと。

向かって右手には梅の木や記念植樹*1がなされ、階段近くには円い石碑がある。

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裏面に「明治四十四年十月十三日合併 坪島修一謹書」とあり、表には、合併によってはじまった御建神社内の構成が示される。

上段に「村社」とあり、中段に「西條町字御建 御建*2神社 祭神須佐之雄命*3」、下段に「金崎*4神社 若宮八幡神社 胡子神社 大地面*5神社 各境内社」と並ぶ。

大地面神社は現在地から北東の大地面池付近に、その他は旧西国街道沿い*6に社殿のあったもの。

*1:上の画像など

*2:みたて

*3:その他にも祭神は多いが、御建神社の旧称が祇園社なので主祭神が示される。

*4:かねさき

*5:おおじめん

*6:当時の西條町=旧四日市次郎丸村の範囲内

09年11月07日(土)

東広島市

御建神社階段

社殿に向かう階段は大正6年の寄進で、

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右下の柱に隷書で「石造階段一式」とある。なにやら「段」が書きやすそうな形をしている。

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中央の手すりは昭和63年設置。

09年11月06日(金)

御建神社

御建神社石垣

明治44年に西条町の神社が合併*1して、それ以降、現在の境内の構えが形成されることに。

特に目立つのが石段の左右に広がる石垣。

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その石垣のところどころが石板になっていて、「神社合併移轉ノ記」という文と、「西条町神社合併移轉委員」の名簿と、

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石工の名がそれぞれ刻まれている。

「寺西*2村」は、明治22年に寺家*3村と西条東*4村の合併によってできた村。現在の西条の市街地から西部および北部一帯。御建神社のある四日市次郎丸村は明治23年に西条町になっている。

*1松尾神社の手前参照

*2:てらにし

*3:じけ

*4:さいじょうひがし

09年11月05日(木)

八幡橋横の陸橋から南を望む

弘化三年の石柱

その、たもとに衣紋掛けが*1置かれていない方の標柱、つまり南側。

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裏面に「弘化三年歳在丙午三月」とあって、

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側面には「石工 尾路*2 鳥居勘十郎」とある。

広島県の標柱』の「揮毫者・寄進者・関係者・その他」によると、県内の標柱の中で石工の名が刻まれているものとしては最も古い年代であり、それに次いで「尾道市長江の艮神社」(嘉永4年)・「豊田郡東野町古江の古江八幡神社」(嘉永6年)・「豊田郡豊町大長字宮脇の宇津神社」(嘉永6年)があるとのこと。

*1:前項一点目画像参照

*2:おのみち「尾道

09年11月04日(水)

kanototori2009-11-04

八幡橋前の標柱

弘化三年丙午*1、「本邑竹鶴伴造尚雅立」、というしめばしら。

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右には「於穆神聖上下蒙福」、左には「長享利貞永世無極」。『広島県の標柱』に拠って読み下すと、「ああ穆たる神聖、上下福を蒙り」「長く利貞を享けて永世に極り無し」。

「於穆」の語は『毛詩』周頌の「清廟」と「維天之命」にあるとのこと。どちらも周の文王を祀る詩とされる。王室にとっての始祖。

「穆」の字は他に、大雅の「假楽篇」第二章に「千祿百福 子孫千億 穆穆皇皇 宜君宜王 不愆不忘 率由舊章」という、多くの幸福や子孫繁栄をもたらしてくれる祖霊を称える言葉として使われる。

字義については『字通』に「卜文・金文の字形は、禾穂の実がはじけるほど熟している形で、全体象形とみるべき字、内に充実して、外にあらわれようとするさまで、それを徳性の上に及ぼして穆実の意とする」という。


転じて、子孫からの助け舟に冠して「穆ドラえもん」と言うとか言わないとか。


参考

『広島県の標柱』広島県神社庁,2004

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*1:1846年

09年11月03日(火)

礒宮参道

八幡橋と陸橋

竹原市田ノ浦の礒宮八幡は、西麓の本川の方を向いている。*1

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参道の始まりとなる八幡橋が本川に架かっており、渡ってすぐに国道になるので、陸橋に上がることに。この陸橋も広い意味で参道か。

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標識にある「246」は県道246号竹原港線のことで、川の手前の道路を右折すると竹原港。

*1:地図は竹原の東西を参照

09年11月02日(月)

稲荷神社から東方

参道の稲荷橋

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福山市草戸町の草戸稲荷は、赤い高楼が遠くからも目立つ。

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正面に流れる瀬戸川*1に赤い橋「稲荷橋」が架かっており、堤防の道路からの参道となる。

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足下は階段になっている。若干傾斜はあるけれど、すべり止めはしっかりとある。

*1:芦田川支流

09年11月01日(日)

団地から石内を見下ろす

参道の陸橋

佐伯区石内南のライセンスパークは、石内川の東の丘陵に造成された団地。

北東に広い街区があって、南西部の小さめの街区との間に谷が入り込んでくびれている。

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そこから団地の大通りを跨いで山奥へ向かう陸橋がある。「たきのかんのんさんどうきょう*1」と。

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階段が無く、どの部分も坂になっているので、確かに「歩道橋」に限らない。

その目的地として、観音よりも目立つのは、山林の中に造成された「石内中央墓苑」。

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広島 -陽のあたらない所-  石内下墓苑 広島市佐伯区石内には、団地の南西部にある同様の墓苑と移転した稲荷が紹介されている。

*1:漢字表記を確認していない

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