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10年03月31日(水)

新安川

八日市橋

安川(新安川)に架かる「八日市橋」は、西岸が祇園一丁目で、東岸が西原一丁目。

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同じ西原一丁目には、国道54号沿いに「西原胡子神社」があり*1、縁起の中で「月ノ八ノ日ヲ市ト定メ」と、胡子が勧請された理由としての市に触れている。

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ひろしま昔探検ネット

内の

雲石街道I(堺町から祇園まで)

にも、八日市や胡子神社が紹介されているが、用いられている地形図中にはまだ八日市橋とその道路はできていない。

*1昭和37年から現在地

10年03月30日(火)

kanototori2010-03-30

帆立第一踏切

「堀立」の地名は中世まで遡れる。

『陰陽路の歴史と風景』の、

HARP: 中世地域経済の発展と広島湾頭 : "祇園"を中心として HARP: 中世地域経済の発展と広島湾頭 :

には、「佐東郡伊福郷堀立江」が載る仁安元年の文書が紹介され、倉敷地として賑わった名残を示す地名が挙がる。

堀立(現、帆立)・坪井は江戸時代には南下安村の小字として見え(『芸藩通志』巻四十三)、旧安川流路を挟んだ東隣、現在の西原一丁目付近には「佐東八日市」の遺名である上・中・下八日市の小字をとどめる(図3参照)。祇園市街地の南に位置するこの辺りこそ、かつて安芸国の地域経済活動の拠点として段賑をきわめた佐東倉敷の所在地であった。


もし「堀立」>「帆立」の前後関係ならば、先行して「ほったて」>「ほたて」の読みの変化があったものか。そうではなく「ほたて」が昔からの語形ならば、「堀立」よりも「帆立」の用字のほうが本来の意味を示すものと解釈される。さらには神武天皇伝承に関連する地名としてふさわしいと見なされることになる。そこまでの意図は無くとも、「昔はこのへんも海だった」「川船が行き来する古くからの町だった」ということを説明するのに便利な用字ではある。

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可部線の帆立第一踏切は歩行者向けの細い道。古そうな「事故多発踏切」の看板が見える。

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北の下祇園方面へはまっすぐだが、東の建物が線路に迫っているので見通しにくいかもしれない。

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南を見ると、50mほど先の坪井川で左に曲る。

10年03月29日(月)

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武田山橋跡

庁舎前橋跡のさらに南、「武田山橋跡」のあたりで河川敷の緑道が終わる。

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案内図の描写もはっきりと青が太くなる。

ここの大字が「南下安*1」なので、『藝藩通志』で南下安村の絵図*2を見てみると、

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今のようにまっすぐな道ではないけれども、安川から山の方へ向かう道が点線で示されているものが近い。南の長束村から延びる「石見路*3」と「新宮*4」門前の「堀立*5」で交差する。

*1:みなみしもやす

*2:巻四十三 沼田郡

*3:雲石道とも

*4熊野神社

*5:帆立とも

10年03月28日(日)

鉄屋橋跡碑

旧安川緑道

同様に、もと橋のあった各所に石碑が据えられ、昔の情景を示す絵や写真が上面に見える。

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土やブロックの遊歩道ではあるけれど、暗渠があるので川のように示されるが、青色の幅は太かったり細かったり。庁舎前橋跡近辺には区役所の出張所があるので、国道の最寄りのバス停は「祇園出張所前」となる。

10年03月27日(土)

kanototori2010-03-27

今津橋跡

安神社正面の道(ちょっと狭い)を東へ進むと、旧安川流路の遊歩道と交わる。

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安川がこちらを流れていた頃、ここに架かっていた「今津橋」の説明つきの石碑がある。

郵便局前を抜けて国道に出ると「今津」バス停が近い。

10年03月26日(金)

kanototori2010-03-26

恵美須神社と凱旋碑

交差点の南東角には、南面する恵美須社と、西面する凱旋碑があり、凱旋碑隣の空間は駐車場。

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境内の「安藝國安佐郡祇園村 安神社境内之圖」での社頭の描写を見ると、「祇園町山陰陽交通道路」(出雲街道)を通る荷馬車の後ろに「恵比須社」があり、現在は無い松?並木の間に「凱旋記念碑」が建っている。鳥居の字では「惠美須神社」。

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凱旋碑は明治二十七八年戦役(日清戦争)のもの。

10年03月25日(木)

安佐南区祇園

交差点の石灯籠

明治の終わりに、出雲街道は県道として整備されて、当時としては幅の広いまっすぐな道が可部の奥の根之谷までのびた。

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安神社の正面では、今より東に反っていた道が境内を貫通したことで、境内社の恵美須社や石碑・老松などが道路向かいに変わった。道路を遮る形になった松は後年取り除かれる。

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琴柱灯籠は交差点の角で街灯のような役目を果たしている。

足の部分には「天明貳壬寅季」*1「奉寄進」「常夜燈」という篆書。

参考

祇園町誌』

*1:1782年

10年03月24日(水)

平成21年

上祇園バス停

安神社正面を通るのは県道277号「古市広島線」で、「旧道」であり「出雲街道」にあたる。

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上祇園のバス停が交差点の北にあるけれども、あまり道幅に余裕がない。

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神社正面から東へ向かう道は恵美須社と石灯籠に挟まれている。

10年03月23日(火)

kanototori2010-03-23

上祇園

上祇園停留場は安神社の裏手にあったということで、イオンモールと社叢のあいだの辺りか。

モノを調べるコンピューターの話というサイトの

工作機械を作る-1 工作機械を作る-1

によると、三菱の工場*1への鉄道引込線が戦中に敷設されており、

小学校の北に沿って湾曲した道にその名残がある。

*1:もと東洋機械祇園工場

10年03月22日(月)

kanototori2010-03-22

下祇園駅

島式ホームの西隣に工場、東隣の住宅地に向かって駅舎が向く。

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駅長さんの書いた駅名(広島鉄道管理局)ものがたり (1977年)を見ると*1、最初の下祇園駅はここより南へ100mほどの位置にあったのを、昭和18年に現在地に新築移転。「祇園駅」は安神社の裏*2に設置されていたが、戦時中に廃止となる。

明治42年の祇園までの開通時は軽便鉄道時代なので、短い間隔で停留場が置かれ、下祇園の南には長束停留場(後に安芸山本駅*3)があった。


追加

可部線に昭和20年前後に”上祗園駅”があったかどうか知りたい。 | レファレンス協同データベース 可部線に昭和20年前後に”上祗園駅”があったかどうか知りたい。 | レファレンス協同データベース

*1:または祇園町誌を見るべきか

*2:北へ300mほど

*3:昭和17年廃止

10年03月21日(日)

kanototori2010-03-21

下祇園乗降場

イオンモールの東南隅から踏切に向かう途中にバス停のスペースがある。

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下祇園駅最寄りのここと経済大学を結ぶスクールバスがあり、

スクールバス|広島経済大学のページを見ると、他に「大町駅」「興動館」からも大学と往復するバスがある。

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周辺の案内図のうち、工場だけでなく、高校と短大も以前の状態を示す。それでも大学への道案内にはあまり支障がない。

10年03月20日(土)

建設中のイオンモール

イオン東隣

イオンモールの東隣の道路からは、自動車では入場できない。

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小学校や児童館の真正面なので、速度の出にくいようにジグザグの道になっている。

10年03月19日(金)

kanototori2010-03-19

イオン西隣

一昨年はまだ、三菱の工場跡地にイオンモールが建設中で、

西隣の道路も拡幅工事中で今とは異なる雑多な様子。

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敷地に沿ってまっすぐのびるこの道が祇園5丁目と6丁目の境となる。「祇園中学校入口」と「祇園5丁目」のバス停が置かれていて、武田山の山裾の五丁目に中学校や大学がある。

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10年03月18日(木)

看板(安佐南区山本)

安佐郡の町村合併

昭和28年の町村合併促進法の施行から昭和の大合併が始まり、wikipedia:安佐郡の町村は22から7に減少した。後にすべての町が広島市の一部となり安佐郡は消滅する。

町名合併年月日広島市への編入年
祇園町昭和18年11月3日*1昭和47年
可部町昭和30年3月31日昭和47年
安佐町 同上 昭和46年
高陽町 同上 昭和48年
沼田町昭和30年4月1日昭和46年
安古市町昭和30年7月1日昭和48年
佐東町 同上 昭和48年

県が6ヶ町または5ヶ町に絞る合併案を示したが、必ずしもそれに拘らずに各町村の協議が重ねられた。

このうち祇園町は、北隣の古市町や古市・安・伴との合併案などがあがったが見送りとなる。太田川を跨いで規模を広げた「祇園市」も提唱されたが実現しなかった。西岸の「祇園」「古市・安*2」「伴*3」「緑井・川内・八木*4」と、東岸の「口田*5」「戸坂*6」の町村が市域として構想された。

Wikipediaで「祇園市」を検索するとwikipedia:戸坂村でのみ言及がある。

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参考

『安古市町誌』安古市町,1970

『角川日本地名大辞典34広島県角川書店,1987

*1:昭和13年に祇園村が町制施行した後、長束村・山本村・原村と合併した年

*2:安古市町へ

*3:沼田町の一部へ

*4:佐東町へ

*5:高陽町の一部へ

*6:昭和30年4月1日広島市に編入

10年03月17日(水)

kanototori2010-03-17

安古市(やすふるいち)

明治22年に安川中流域の六ヶ村*1合併して「安村」ができ、昭和30年に東隣の古市町*2と合併して「安古市町」となった。

国道54号にある「古市小学校前(安古市町)」は小学校*3の目の前にあり、安古市町役場のあった所にも近い。

昭和45年発行の『安古市町誌』に、

「安古市町」の名称については、別に由来も縁起もない。合併前の安村と古市町の名称をそのまま付けただけである

(略)

余談にわたるが、本町名はなかなか難読で一五年を経過した今日においても誤読する地方人が多いのに驚く。「アンコシ」、「アコイチ」、「ヤスコシ」…等々、東京や鹿児島でも実際に経験した誤読である。

とある。

何の変哲もない二つの地名が合わさることで、他地域では難読となって受け取られた。見慣れない文字列は音読みでまず読んでみることになる。

昭和48年の広島市との合併後はますます難読になったろうか*4

*1:上安・高取・長楽寺・相田・中須・大町

*2:中筋・古市・東野の三大字をもつ三川村が町制施行

*3昭和38年に古市小学校と大須小学校が合併して「新和小学校」となり、昭和62年に古市小学校に改名

*4:難易度をどう比べたものか

10年03月16日(火)

安川歩道橋

安川の歩道橋

安川には幅の狭い歩行者・自転車用の橋が多く、安大橋から上流に向かって「小瀬歩道橋」「大町駅東歩道橋」、可部線の線路を挟んで「安川歩道橋」がある。

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安川歩道橋の隣には緑井大町橋(県道)があり、「安川橋」はさらに上流になる。

10年03月15日(月)

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安大橋の下のへん

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車道部分の下を見ると、平成6年に塗装されている。もちろんそれ以前から橋は架かっていて、

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橋の西の端にある看板に

注意

この橋には特別重要な電話ケーブルが添架されております。もし、橋の下で焚火をしますと鋼管の中のケーブルが熔けて多数の重要な通信が止まります。

この附近では絶対に焚火をしない様にして下さい。

日本電々公社

といった昭和の名残が見える。

10年03月14日(日)

kanototori2010-03-14

安川を渡る国道

そこから南西に3.3kmで国道183号が安川を渡る。もと54号。

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橋の南北にそれぞれ信号があり「安川大橋北(南)詰」となる。

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車道脇の橋名板を見ると「安大橋」とあり、両脇についている歩道橋は「安歩道橋(やすほどうきょう)」

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10年03月13日(土)

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第二古川起点

太田川高瀬堰を少し過ぎた西岸から水を取り入れ、せせらぎ公園が始まる。

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第一古川の方には「大禹謨」の碑*1があり、こちらには昭和59年建立の「せせらぎ河川公園」の碑がある。

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道しるべには「安川大橋3.3km」「安佐大橋1.0km」が示されている。堤防上から下流を見ると山陽自動車道の隣に安佐大橋。

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10年03月12日(金)

第一古川

古川の距離標

第一と第二の合流点が第二の起点となるので、公園内に「0k0」の標示がある。

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第一古川の取水口近くでは距離標が6Kmを示す。

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八木梅林橋下手で5.8Kmとなる。両者の形は同じだけれども、「古川」と「国土交通省」の間にスペースがないとちょっと印象が変わる。

10年03月11日(木)

第一古川橋

第一古川と国道

第一古川は、国道54号と可部線の間を流れつつ湾曲し、また国道の東に移ったところで第二古川と合流する。

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なので、54号には南の「第一古川橋」と北の「第二古川橋」がある。

10年03月10日(水)

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八木梅林橋

欄干に梅模様と児童の絵画*1が飾られている「八木梅林橋」は、第一古川の方に架かっていて、北にまっすぐ進むと梅林駅に至る位置。

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橋の南詰下流側には八木第一公園があり、広場の隣に紅白の梅。

*1広島市のサイトの「緑井ルートの概要」に「現在の八木梅林橋には、平成7年(1995年)に佐東地区内の小学校の児童が描いた12枚の陶板画が設置してあります。」とある。

10年03月09日(火)

kanototori2010-03-09

堤防沿いの景観

前項の案内図に、「このランニングコースは、ゲンジボタルが棲むような清らかな水と緑豊かなせせらぎ公園内を周回します。」とあったり、

蛍の棲めるようにきれいにしようと呼びかける看板があったりして、水の奇麗さの分かりやすい目安が示される。

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比原橋北には「八木梅林公園」とその名のバス停がある。付近の堤防にも梅の木が立ち並ぶ。f:id:kanototori:20100309232256j:image

江戸時代後期には「米溪園」と名付けられて文人墨客の憩う地となり、近代には広島からの身近な行楽地として著名であったものの、昭和に入って観光客が減り、樹勢の衰えや洪水の被害が加わった。昭和55年発行の『佐東町史』は、そのような「八木梅林」の経緯を辿ったのち、「古川改修に当たって、環境浄化とリクリエーション地帯として、清流*1公園が整備されているこの機会に、八木梅林の昔の風情を復活させる「てだて」はないものだろうか。」と述べている。


参考

斎宗六「参考編 佐東春秋」『佐東町史』広島市役所.1980

*1:「せせらぎ」のルビ

10年03月08日(月)

第二古川

堤防上の周回

せせらぎ橋と温井橋間を回るランニングコースが示されていて、

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距離は1km。それ以上の距離を走るとなると車道を横断するようになる。

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ウォーキングの行事の掲示を見ると、第二古川起点付近から広島インターチェンジ付近に及ぶ5kmのコースが示される。

10年03月07日(日)

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古川土地区画整理事業完成記念碑

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温井橋の南に広がる第一公園に、平成11年*19月建立の記念碑がある。

表の左側に施行範囲を示した地図がある。第一古川と第二古川の周辺と、合流後はインターチェンジ付近までが対象。

名称 広島圏都市計画事業(広島平和記念都市建設事業)古川土地区画整理事業

施行区域 広島市安佐南区八木一丁目 八木二丁目 川内五丁目 川内六丁目 緑井一丁目 緑井五丁目及び緑井六丁目の各一部

施行面積 約84.1ヘクタール

事業着手 昭和62年12月3日

換地処分の公告 平成11年9月10日

総事業費 約123億1600万円

施工者 広島市

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道路のうち、茶色で示されているのが国道54号佐東バイパスと一部の市道。道路路線情報検索サービスによると、比原橋と温井橋は「緑井八木線」、せせらぎ橋は「川の内線」、合流後の昭和大橋は「温井松原線」となる。

*1:西暦1999年

10年03月06日(土)

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第二古川の三橋

川の上流・中流・下流にそれぞれ車道が横切っており、高水敷を通ってくぐれる高さがある。

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上流には「比原橋」、

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中流には「せせらぎ橋」、

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下流には「温井橋」が架かっており、橋名板の河川名「古川」「ふるかわ」のプレートは同じ形。

10年03月05日(金)

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公園内の横断

そういった小橋が加わりつつ、

せせらぎ公園(第二古川)にすでにある橋としては、円筒を抱えた堤防間の橋であったり、

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階段と坂から渡れる低い橋もあったり、

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飛び石を配置してあって人が渡れるところもあったりする。

10年03月04日(木)

川内・緑井

散策道工事

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第一古川(西)と第二古川(東)が合流するあたりがせせらぎ公園の第一公園。

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3月一杯まで工事をしているようで、「散策道をつくっています」とのこと。

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河川敷に架かった真新しい橋が、両端をフェンスに挟まれて「みんなで渡ろう 3月末完成予定」とのこと。東岸が川内で西岸が緑井

10年03月03日(水)

安佐南区

橋梁の高低

古川をさらに北へ。山陽自動車道の広島インターチェンジを東岸に見つつ、川の上をカーブしながら九州方面への高架を見上げる。

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山陽道の本線は「古川橋」で、高く幅広。

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それに並行する一般道は「吉ノ口橋」で、「桁下注意2.3m」が目に入る。

10年03月02日(火)

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水量の多少

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その神田橋あたりの、普段の少なめの水量だと、広い中州や生い茂る木々が目立つ。

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増水時には、堤防まで川面が迫り、木の上部だけ見える。

文政2年の「国郡志御用につき下調べ書出帳 中筋古市村」*1の地形の変遷を述べた項*2で、昔は古川の流路に太田川が流れていたことと、「東大川」への流路変更後は樋門を設けて古川筋への流水を調整していることを説明する。

「最格外ノ出水ノ節ハ比原*3一円ニ水越古川筋エ茂多分水通リ申候」

それでも大水の時は古川筋へ押し寄せることがあるという。

*1:『文政二年高宮郡 国郡志御用につき下調べ書出帳』可部郷土史研究会.1994

*2:「村内土地古今変改之事」

*3:古川の起点

10年03月01日(月)

奥にフタバ図書MEGA

神田橋

安川が古川と合流するのが「神田橋の下」。

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橋の上にはアストラムライン。西に古市駅、南東に中筋駅。

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橋名を飾る白い*1モニュメント安佐南区のシンボルマークのペン先

*1:一部剥落あり