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12年08月31日(金)

kanototori2012-08-31

椎尾神社緑地


岩国の火伏地蔵 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20080901/1220286457

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錦帯橋そばの大明小路に「椎尾神社緑地」があり、火伏地蔵あり水準点あり桜の木ありと、いろいろなものが集まる中に幾つかのベンチが置かれている。ベンチには火伏地蔵の保存会の名があったりで、願掛地蔵*1同様、地蔵堂とくつろぐ長椅子はよく見る風景。

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ゴミについての立て札があったりと、緑地の管理は岩国市が行なっているようで、「椎尾神社緑地」の名前の脇に市章がうっすらと見える。

12年08月30日(木)

kanototori2012-08-30

岩国市の市章

市章 : 岩国市議会公式ホームページ 市章 : 岩国市議会公式ホームページ 市章 : 岩国市議会公式ホームページ

五瓣の桜(と五つの反り橋)を図案化した岩国市の市章の場合、蓋の模様に上下左右がないのであれば市章の向きも五種類になって定まらない。(↓の場合は連結部分が上か)

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鵜飼・錦帯橋天守閣岩国城?)・月・雲・水といった題材の中に市章が置かれた場合、それらに従った向きになる。

12年08月29日(水)

和木駅

蓋の中心

そのシンプルな町章は、窓の形のような特殊な場合のほか、他の市町村同様マンホールの蓋などにも見られる。

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なかなかに紋章と気づきにくいくらい地味な中心になっている。周辺のデザインが複雑な形をとるような場合に、町章だけが目立つのかもしれない*1

*1:それはそれで浮いてしまうような要素は入れたくないかもしれない

12年08月28日(火)

kanototori2012-08-28

駅舎と窓

この駅舎は、地域の皆様からの多額な寄付金が充当され、建設されました。 平成20年3月

ということで、自由通路を含めた和木町の施設の部分は「和木駅交流プラザ」という名称。

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通路の突き当りにある丸い窓は、和木町の町章(輪っかと片仮名のキ)をかたどっている。いろんな用途で使いやすそうな図案。

12年08月27日(月)

kanototori2012-08-27

自由通路のエレベータ

和木駅は2本の線路を挟んで西に1番のりば(大竹方面)、東に2番のりば(岩国方面)がある。

それらを跨ぐ自由通路によって東口と西口が通じている。

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ただし、両端に高低差があるため、エレベータの階数表示に補足がついている。(東口下階での表示)

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東側出口が1段低いのでここは構造上2階になります。

連絡通路は3階です。1階はありません。

さらにそのエレベータは「通り抜け型エレベータ」であると図示されている。まっすぐ通り抜けるわけではないけれども。

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12年08月26日(日)

kanototori2012-08-26

和木駅バス停

岩国市との境に近い山陽本線和木駅には東口と西口があり、西口に「和木駅」バス停がある。

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岩国駅からの路線が三種あり、さきの大和橋を経由する循環線のほか、小瀬川をさかのぼって岩国市小瀬へ向かう小川津・上迫行きがある。それらの時刻表の上に小さくJXエネルギー線(海沿いの埋立地へ)はここではなく国道2号の「装束」バス停から乗るようにとの案内もある。

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いわくにバスによるそれらの路線ではカバーしていない地域*1については、一律運賃の和木町コミュニティバスが運行されている。便数でいうとこちらが主力だろうか。

コミュニティバス(あいあいバス)の時刻表【H24.4.1改正】 : 和木町ホームページ コミュニティバス(あいあいバス)の時刻表【H24.4.1改正】 : 和木町ホームページ コミュニティバス(あいあいバス)の時刻表【H24.4.1改正】 : 和木町ホームページ

*1:小瀬川支流をなす二つの谷「関ヶ浜」「瀬田」

12年08月25日(土)

kanototori2012-08-25

大和橋バス停

そんな大和橋南詰の、もよりのバス停は「大和橋」バス停。

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小瀬川沿いではなく民家や小学校などのある側に、「こちら側でお待ちください」とある。車道を挟んで向かいから見えるような大きさの字ということだろうか。

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いわくにバスの運行による岩国市営バスで、和木駅・装束会館を経由する岩国駅発着の路線。

やで始まるバス停 : いわくにバス やで始まるバス停 : いわくにバス やで始まるバス停 : いわくにバス

12年08月24日(金)

kanototori2012-08-24

和木町側の道しるべ

大和橋の上流側にある道しるべにも説明板があり、大和橋の説明の続きのようになっている。

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栄橋が開通するまでは大和橋が「一級国道2号線」であり、その前身の「第4号国道線」(明治18年から)に指定されている。

そんな主要道であっても、橋を渡ってから左右の道のどちらが国道なのか迷いやすかったらしく、昭和2年末に道しるべが設置されたという。

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当時は橋の方に向いていたであろう面に左右の矢印がある。f:id:kanototori:20120824233131j:image

12年08月23日(木)

kanototori2012-08-23

大和橋(やまとばし)

現在の大和橋は平成9年に架け替えられたもの。

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和木町側の下手に「大正十五年二月竣功」の時の親柱が保存されている。そこに説明板も設置されていて、四境の役の際に撤去されていた「土橋」に始まり、明治13年ごろ以降「大和橋」の名が付けられたらしいという。大正15年の架け替えから鉄筋コンクリート製となる。

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下流の「栄橋」(国道2号)が昭和17年に架かるまでは大和橋が幹線道路であった。山陽本線の鉄橋より上流側とはいえ、木野村の渡しによる西国街道山陽道)が、より海に近いルートになったという変化でもある。

12年08月22日(水)

大和橋北詰の道しるべ

大竹市本町。その大和橋北詰交差点にある大正3年建立の道しるべ。

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南の大和橋の方向へは「岩國下關道」、東の大竹町(当時)中心部へ向かう道筋*1へは「廣島上方道」、西の小瀬川上流方面*2へは「木野村石州道」*3とそれぞれ刻まれている。

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特に強く浮き彫りにされている山口県方面が強調されているとすると、大竹の商店街を抜けたところで、まっすぐ行かずに左折すべしと促す効果がある。

*1:本町1〜2丁目「旧山陽道に沿って江戸期から開けた町場で、道の両側には古くからの商店街が形成されている」 『角川日本地名大辞典34』p948

*2:国道186号など

*3:隣村の木野村(このむら)は現在の大竹市木野

12年08月21日(火)

橋の手前の矢印

小瀬川に架かる大和橋は、大竹市側が北詰。

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大和橋北詰交差点の北西隅に看板がある。東向き。

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その「左折 3km」の矢印はまず大和橋を渡る案内でありつつ、補足として「橋を渡って右折」するようにと添えてある。橋の先をまっすぐ行ってしまうことがあるのかもしれない。

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かといって小瀬川沿いにずっと進むわけではなく、瀬田八幡宮を過ぎたところで支流の瀬田川を遡るように山林部へ上る。

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12年08月20日(月)

亀居城跡石垣刻印

左折で下りる案内

そういった寺院や陸橋は山の北東の先端近くに位置しているけれど、

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公園を出たらすぐそこというわけでなく、山伝いにゆるい坂道を左へ下りた先にある。(記事の順序がおかしい、ともいう)

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刻印のある城の石垣を横目に公園を出ると、国道(2号)やJR(何駅?)に行くには左であると指示される、「直進はここに戻る」との注意もある。点の位置がどこであれ、国は国。

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12年08月19日(日)

kanototori2012-08-19

城山陸橋の周辺

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亀居公園の東の出口の道からは小方の市街地と厳島が臨める。海に近いとも言えるし埋め立てで遠ざかったとも言えるし。

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山に隣接して寺院や墓地があり、山陽本線を跨ぐ城山陸橋を渡ると児童公園。陸橋の南には小方トンネル、北の山側には四境の役での幕府軍の艦砲射撃で知られる西念寺

12年08月18日(土)

kanototori2012-08-18

小方の城山

亀居公園の東側、市街地方面に通じる道は、反対側の駐車場側とは違い民家の背後の生活道路の雰囲気が強い。

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公共施設名を見ると「城山」とある。『藝藩通志』では「亀居山」。

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地域の各種団体名としては「お城山」の名が見える。となると読みは「じょうやま」ではなく「しろやま」らしいという見当になる。

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山陽本線を跨ぐ陸橋は「しろやまりっきょう」。

12年08月17日(金)

kanototori2012-08-17

「亀居」城跡

昭和60年に亀居城跡は大竹市史跡に指定されている。駐車場に上がる道の入口に碑がある。

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園内には城跡としての説明板がある。詳細はさておき、

なお、この城が亀居城と称されたのは城地が亀の伏した形に似ていたことに由来します

という語源についても触れられている。なので漢字表記は「亀居」。

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「井戸」の「井」の場合は間違いということになる。そう言ってしまうと、たいがいの「亀井」は「当て字」ということになりそうで、そういう他の「亀井」も本来の語源に近い「亀居」に立ち返るべきかというと、そうではなく。結局はこれまで書かれてきた表記の履歴が重視されないといけない。*1

*1:所によっては、井戸にまつわる伝承があとから発生することによって「亀井」の表記が定着するなんてこともあるだろう。それらの個別の出来事の積み重なりが固有名詞であることを補助する。

12年08月16日(木)

kanototori2012-08-16

亀居公園のルール歴

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大竹市東部の亀居城跡は「亀居公園」として遊歩道や並木が整備されている。城跡の要素が薄まって、眺めのいい公園という特徴が前面に出されているのは、尾関山城跡や神辺城跡や鞆城跡に共通する*1

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南側の出入り口近くに、錆びついた注意書きがある。北側駐車場にある注意書きが新しめのようなので、古い方の事項には無効なものもあるのだろう。

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筆頭に「一、自転車・オートバイ等を絶対に乗り入れないこと。」とあるのが当時の強い拒否感を伝える*2。実際にいつ頃かはともかく、いわゆる珍走が普通にいたような古代の話だろうか。

次いで犬の散歩が禁じられている。「ニ、犬をつれてこないこと。」。新しい方では、「5.園内で犬等に排泄をさせないでください」となっているので立ち入りは認められているかに見えるが、広い園内を散歩するには無茶な条件なので大差ない。

*1三原城も似たようなものか

*2:物理的に乗り入れできないようにすることで、大抵の場合は明文化されなくなる

12年08月15日(水)

kanototori2012-08-15

石の街角

小瀬川の川向うは大竹市

大竹市本町のとある交差点は、角の三角形の土地が石と砂のモニュメントになっている。

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その中に立っている細長い看板には、

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愛犬のフンは飼い主が始末し、愛犬が掘り起した砂利は元に戻しておいて下さい 大竹市暴力監視追放協議会

とある。ここでは犬の立ち入り自体は拒んでいない。

平成24年度市民活動助成対象事業を決定 平成24年度市民活動助成対象事業を決定 平成24年度市民活動助成対象事業を決定

その敷地が該協議会による「ストーンアート」の作品のある場所であるため、ということとあわせて、

第11回県政知事懇談「湯崎英彦の宝さがし」(大竹市) - 広島県ホームページ 第11回県政知事懇談「湯崎英彦の宝さがし」(大竹市) - 広島県ホームページ 第11回県政知事懇談「湯崎英彦の宝さがし」(大竹市) - 広島県ホームページ

のページに、

暴力団排除ということだけではなく,もっと原点まで返って活動されたらすごく効果があったということで,まさに根っこのところから一緒に活動されることがいかに大事かというのをすごく感じる。

という、県知事のコメントにもあるような、協議会全体の活動範囲の広さが反映された情景、ということか。

12年08月14日(火)

kanototori2012-08-14

願掛地蔵の緑地

広島と山口の県境をなす小瀬川。和木町側の県道に役場方面からの道が交差する所に地蔵堂がある。

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台座の宝暦十二年にまで遡れるという「願掛け地蔵」は、川の淵の怪異にまつわるものという。「暦」の字に修正の跡が見えるのは、おそらく「歴」を直したものか。*1すぐ上流側に瀬田八幡宮がある。

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地蔵堂正面には長椅子があり、芝生の敷地に石と木を巡らした緑地となっている。

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愛犬家の皆さんへ ここに犬を入れないで下さい お地蔵様世話人会」とあるように、立ち止まるにせよ通り過ぎるにせよ、犬の散歩の経路になりやすい曲がり角らしい。

*1:たいていは放置されがちな誤字

12年08月13日(月)

kanototori2012-08-13

奥が墓苑

公園なり、神社仏閣なり、犬猫の散歩に対して注文がある場合は、フンの始末をお願いする文言であったり、そもそもの敷地通過を遠慮願う文言であったりする。

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四年前に見かけた、根の谷川東岸(可部町中島)の根の谷川墓苑。

そこにたどり着く道は、「丸田橋」を渡ってゴミ焼却場前を横切る一本道。その道が墓苑に入る手前のところで看板が二つ置かれている。

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「聖地に付 犬猫の入苑はご遠慮ください」

とある。もし、なんらかのマナーの悪い散歩例があったのだとしたら、フンの始末を云々といった注文をつけること自体がその場に相応しくないとみなされるのかもしれない。あくまで想像。

12年08月12日(日)

kanototori2012-08-12

専用の場所では

高速道路の小谷サービスエリアかどこかの一画に、フェンスで囲まれた広場がある。背後が山林なので多少高低差もある。

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ドッグランとして無料開放されている場所なので、入口での注意書きやエチケットの表示は詳細にわたる。公道の場合と同じくフンの始末について言及されつつ、より強調されるのは出入りの安全の確保・トラブルの防止。

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12年08月11日(土)

kanototori2012-08-11

道なき散歩道

犬の散歩がよくあるような状況で、それぞれの場合によって警告の具体的な内容は違ってくる。

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「犬を植樹帯に立ち入らせないで下さい 防府市

とあるのは、鉄道の高架の脇にある植樹帯の中。

幅の広い歩道の高架側にある、それほど大きくない木々であるから、わずかな隙間にも犬は分け入りやすいのかもしれず、次第に広がった場所が通り抜けの道になるなんてこともあるのかもしれない。

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12年08月10日(金)

kanototori2012-08-10

犬と人の道

河川敷の道端には犬の飼い主に向けた立て札もある。

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フンを放置するとかリードを放すとか、そういう実例があるようで、単に立て札を道路に向けるだけでなく、板を地面に下ろしたり縁取りを目立たせたりして極力歩行者の目につきやすように置いてある。

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「いつも犬のフンを始末してもらってありがとうございます」という立て札もある。公衆トイレなどとおなじく公道や公共施設での文言はやわらかなものにならざるを得ず、私有地の場合は対照的に感情を露わにしたような貼紙が目についたりする。

12年08月09日(木)

kanototori2012-08-09

札が立つほどに

東原町内会による立て札が、「ネコを正しく飼っていますか!」「無責任な飼育は近所迷惑」との掲示がなされている。

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そういう対応があるほどに、高松橋近辺などの根の谷川沿いをうろつくネコが不自然に目立つようになっている。

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連想

元宇品の山中 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20110830/1314730522

12年08月08日(水)

kanototori2012-08-08

可部高校グラウンド跡

寺山から北へ、根の谷川を見下ろすと、可部と可部東を結ぶ高松橋が見える。

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その橋の東詰から北へ逸れると、さらに「新建」方面と「東原地区」方面へと分かれる。

もとグラウンドのあった原っぱを挟むように道路が北へ伸びる。

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グラウンドのフェンスがあった頃は、「高松城跡登山道」*1への道しるべが付けられていた。(下の2点は平成18年)

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12年08月07日(火)

kanototori2012-08-07

台川の端

台川は、全長2kmもない小川ながら、上流部は上原村の「臺」などに、根の谷川に合流する下流部は下町屋村の「東原」などに分かれる。前者が現在の可部東六丁目で、後者が可部東五丁目にあたる。*1

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下流部では寺山の山裾に沿うように南へ曲がりつつ根谷川に合流する。直前で河川敷の道路が横切り、寺山の上からは階段が通じていて、駐輪場が近い。

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『藝藩通志』下町屋村の絵図では合流点近くに「勝円寺跡」「正善(喜?)院跡」と書かれている。『書出帳』下町屋村ではそういった地名のみを残す古寺跡が「勝円寺」「正喜院」など12ヶ所挙がっている。熊谷氏の菩提所観音寺の脇寺かという*2*3

右古寺跡ト申伝候得共地名斗残リ居申候退転ノ年号等相知不申候

『国郡志御用につき下調べ書出帳』下町屋村

*1:『藝藩通志』絵図には、同郡大林村に「臺」、桐原村に「臺ヶ原」が川沿いの地名として見える

*2:『日本歴史地名大系35』

*3:寺山の曼陀羅寺の末寺十二坊にも「勝円寺」の地名が残る、と上原村の方に書かれている

12年08月06日(月)

kanototori2012-08-06

三方が山

東ハ大谷山高ク朝日遅ク西ハ当村ノ内寺山低ク入日遅ク隠レ北ハ高松古城山東山ニ続キ北風ヲ防キ(略)

『文政二年高宮郡 国郡志御用につき下調べ書出帳』可部郷土史研究会.1994 p138

というふうに、上原村の地勢が説明されている。

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現在は住宅団地が裾野に広がる東側の山林部。御鷹山・沼田ヶ原山・新建山などが、鬼ヶ城山・白木山の山系の一部を成している。

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それら東方の奥深い山々に比べると西部の寺山は低い。春の午後六時になる頃に、麓近くの棚田に影が差すといった具合。

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北には高松山などがそびえていて、寺山と高松山の間には「台川」が流れる。寺山の東側の谷は、その「台」の集落へ通じるちょっとした峠の道。車道が整備されることでさらに高低差は小さくなっている。

12年08月05日(日)

kanototori2012-08-05

上原と可部東

根の谷川下流の東岸部、寺山周辺とその東部一帯が旧上原*1村で*2、のちに中原村大字上原→可部町大字上原→広島市可部町大字上原と所属が変わる。

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そのうちの市街地部分が「可部東」1〜6丁目に編成され、寺山の中から可部高校と寺山公園が造成されたことで可部東四丁目に加わっている。

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*1:うえばら

*2:寺山は下町屋村と論山

12年08月04日(土)

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東の麓の道

寺山公園に入る市道は東の麓に入口がある。公園や高校の工事のために早くから作られた太い道路。

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5年前に通りかかった時には、入口交差点の舗装はあらかた出来ていて、さらに寺山の北へ回りこんで高松橋へと通じる幅広の道が作られようとしていた。

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将来的には、寺山全体を取り巻く道の両端が国道に繋がるのだろう、駅や病院への接続が国道に偏らずに済む。(看板の画像は四年前)

12年08月03日(金)

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市道を跨ぐ歩道橋

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によると、寺山公園に東から西へ入る市道は「安佐北3区892号線」とある。しばらく見ない間に「URLリンク」*1など、機能が増えたり使いやすくなっていたりする。

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公園の山林部分ができる前の地図だと、市道の上を通る歩道橋はまだ表示されていない。山林からは階段を降りた高さへ、広場と同じ高さに歩道橋が架かっている。下の車道に下りる階段もある。

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12年08月02日(木)

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川の東のアオギリ

寺山の北半分は造成された公園広場と高校敷地。*1

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こちらでも若い木が大事に囲いで守られているのを目にする。「被爆アオギリ」の二世が植樹されている。

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西に根の谷川と可部の町を見渡す位置にある。落下傘の見える位置、でもあるか。

12年08月01日(水)

クヌギ

囲いの道

山頂広場と西側の展望ベンチとの間の道には「ヤママユの森」が作られている。ウバメガシ・アラカシ・クヌギといったヤママユガの餌になる樹木が道の両側に連なっている。

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広島市/あさきたこぼれ話 第28話 広島市/あさきたこぼれ話 第28話 広島市/あさきたこぼれ話 第28話

「寺山公園の山地部分がオープン(可部)」という、オープン時の記事に「カシの木をネットで囲んでいるのは、鹿などの食害を防ぐためのものです。」とあるように、実際に鹿の被害を受けて上部のネットが外されている区画もある。元から居たかもしれない鹿にまったく食われずにいるのは難しいのかもしれない。

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