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12年09月30日(日)

尾関山公園の淺野神社

尾関山公園内に鎮座する浅野神社は平成の初めごろに現状が整えられた。鳥居が平成元年、灯篭と狛犬平成3年、玉垣と社号碑が平成4年。三次浅野会による。

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石も白く、社殿の材も新し目で、扁額や「奉納」の地も白くその中に黒い文字が映える。

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「此の社は 寛永九壬申年 三次藩祖浅野長治公 農本安民を請願 稲荷社を勧進」…と社号碑の裏に由緒が刻まれている。その稲荷社が長治没後すぐの延宝3年に「浅野様」と呼ばれるようになったと続く。

12年09月29日(土)

金網越しの神道碑

その合塔の奥には神道碑を包む廟宇が一軒。三次領初代浅野長治(鳳源院)による浅野長晟(自得院)の神道碑(墓道・参道に建てる頌徳碑)。

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見上げると概要を書いた札が取り付けてあって、「従四位下拾遺補闕兼芸備二州都督 浅野長晟公神道碑」と大きく書かれているので、それが正式な呼称か。堀杏庵による碑文で、長晟の七回忌に建てられたとの説明。

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三次町国郡志』の鳳源寺の項には、「神道碑」の語は無いものの「碑御廟」があるという記述。

浅野但馬守弾正長政公御次男長晟公の御事

自得院様 碑御廟 一宇

  但し碑御銘書写し恐多く奉存略仕候

とあり、碑文そのものは「恐多く」載せていない。「国郡志」*1の資料作成にあたって、寺院であれば鐘の銘など*2古跡や墳墓に残る碑文であるとか、旧家に残る古文書の類とかは残らず書き出して提出するようにと、それぞれの村へ指示されている。

歴代藩主に関わるものだと例外に省略するということか。藩の方で既に知っている資料ということでもあるか。

*1:『芸備国郡志』に代わる領国地誌として『藝藩通志』となる

*2:「鐘銘抔茂見合ニ写シ可指出」『五日市町史 下巻 資料編』

12年09月28日(金)

浅野長照・浅野長経・浅野長寔合塔

林を下り、瑤泉院遺髪塚や浅野長治(鳳源院)による神道碑などの集まる区域。

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神道碑の正面に、西を向いた石塔が立っている。立て札には三名の合塔とある。二代目の騰雲院「浅野長照」、四代目の又六郎「浅野長経」、兄の早世によって断絶したのち再興して五代目となったものの早世した主鈴「浅野長寔」。


御歴代続の事

(略) 騰雲院様元禄巳年迄御時世拾五年、同年より 天柱院様享保三戌年迄御時世三拾年、同三四両年 又六郎様、同五子年 主冷様、同年より広島へ御還府(略)

『三次地方史研究 第3号』p75

文政3年の『三次町国郡志』*1では、歴代当主の呼称はこのようになる。「主冷様」の表記は、同書収載の「享保三戌年下調べ旧記」にも「若殿様 主冷様 御六つ」とある。「ナガザネ」と言われてもピンとこなかったかもしれない。

*1三次市史資料編にも収録

12年09月27日(木)

浅野長澄公菩提塔

階段と坂を何度か曲がりながら奥の五輪塔に至る。

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塀に囲まれた五輪塔があって、外側には石灯籠一対と「浅野長澄公 天柱院霖應熊山大居士 菩提塔」の立て札。石にはそれぞれ「地」「水」「火」「風」「空」の字が見える。

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長澄は広島藩3代綱晟の次男で、三次藩2代長照の養子となって3代藩主となる。三次支藩はその子の代(長経・長寔)で断絶する。

12年09月26日(水)

鳳源寺境内の道しるべ

鳳源寺から比熊山登山道へ向かう道では、途中で三次藩赤穂藩に関わる墓所・供養塔を辿る。山上まで行かずに境内の名所を巡るのが通常の観光ルートかもしれない、と思うくらいに登山道入口の札は目立たない。

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登るにつれてだんだんと札の数が減り、登山道入口から分かれた階段の先が浅野長澄(天柱院)の墓所となる。ひっそりとした林の中。

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12年09月25日(火)

吉祥院の背後

そんな林の中を進んでいくと吾妻屋が見えてきて、麓に向かって開けた場所に移る。

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下には吉祥院の墓地が段々を成し、道の上の段には赤い大師堂が展望台となっている。あまり高い位置ではないので、離れた位置の江の川などは目立たない。

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さらに西の道が鳳源寺に通じているので、ここからが登山道の入口とみなされる。

12年09月24日(月)

比熊山登山道の道しるべ

稲荷大明神の手前の坂の下に丸太を加工した案内表示があり、そこから登山道が始まることを示す。

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平たく削り落とした部分に白い板を取り付けて文字を書いているのだけれど、登山道途中には木に直接に字を線刻されているものもあったりで、逆に凝視を誘う。

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12年09月23日(日)

比熊山の満光院稲荷

太歳神社からの比熊山登山道に入ってすぐのところに稲荷の祠が右手に見える。

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石垣や台座や石灯篭の笠はコケに覆われて緑。赤い鳥居の束だけは塗装がなく、「正一位 満光院 稲荷大明神*1の社号が記される。祠本体はどの部材も同じ赤みでのっぺりしている。鳥居何本分かの赤さが固まっているのかもしれない。

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*1:という順序なのか

12年09月22日(土)

松原ふれあい広場

平成19年発行のみよし街並み歴史散歩 (三次・十日市・八次・酒屋編)に「大正町と松原稲荷」という項があり*1、現在「松原稲荷通り」と呼ばれている道の一帯が花街・歓楽街として賑わっていた「大正町」時代のことが書かれている。

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現在の松原稲荷の東隣は「松原ふれあい広場」となっていて、屋根付きのベンチや一本の木があるのみ。

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鳥居の連なる細い道の入口には、昭和初期の手水鉢と平成6年の賽銭箱が、やはりその道幅の範囲内で左右に置かれている。同書に「数年前までは家と家の間の細い路地に鳥居が並んでいたのです」とある。そのことの名残がちぐはぐな地面をつくっている。*2

*1:p27

*2:以上、平成21年の写真

12年09月21日(金)

松原稲荷の赤

三次市三次町の松原稲荷神社

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細い参道に連なる鳥居の鮮やかな紅の新しさ。奥に控える狐の前掛けも濃い赤。鳥居の手前の幟は色褪せたものかかなり白っぽい。

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扁額の字も賽銭箱の字も赤く、テカテカ反射していると読みにくさがあるものの、時間が経つと変わってくるかもしれない。

12年09月20日(木)

前掛けの赤

南方*1の路傍で見かけた地蔵などを例に。*2

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コンクリートの祠に一躯の石仏がおさまっているような場合、薄暗いなかにぼんやり浮かぶ顔と、本体より目立つ赤い前掛け。

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旧南方村役場近くには横一列に四躯。野ざらしなので前掛けは白っぽく褪せている。

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貞丸古墳入口近くには多数の地蔵像が集まっていて、背後の板壁と屋根に覆われている。ひな壇のように配置された地蔵のうち、奥の一群の前掛けは濃く残る。

*1三原市本郷町

*2:いずれも二年前の画像

12年09月19日(水)

kanototori2012-09-19

福山市内の場合

うってかわって市街地の中での八十八ヶ所巡り。

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全体がどう配置されているかは知らないけれど、福山市の野上町の路傍に、コンクリートブロック製の祠が4ブロック連なっている。76番から79番にあたり、向かって左袖に木の札が掛かっている。真言もかいてある。

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12年09月18日(火)

郡山大師堂の道

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清神社の背後の郡山中腹には郡山公園があり、そこから西へ、毛利家墓所などの方面に向けていくつもの道が絡まっていて、山の全体図などでは省略されがちな大師堂が位置する。

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大師堂のある場所から西へと伝う道沿いに、八十八箇所の石仏が連なっている。この場合の所要時間は少なそうだけれど、きちんと巡るとやはり数十分はかかるのか。

12年09月17日(月)

多聞院の霊場巡り

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比治山公園に隣接する多聞院には、「新四国八十八箇所霊場」と「新西国三十三箇所霊場」があって、ここでの線香・ローソクは「総拜所」で供えるよう書かれている。さらには「総拜所以外の札所へのお供は厳禁」と強調される。なので、それぞれの像の前には白い札が重なるのみ。

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さきの摩尼山の霊場では所要時間30分とあり、こちらでは「約四十分」で「五町(約600m)」のみちのり。きっとくねくねして牛腸な感じなのだろう。

関連

おやまめぐり http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20071222/1198344835

12年09月16日(日)

摩尼山霊場巡拝路

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西国寺山の中の山道に置いてある、その赤い札は「摩尼山霊場巡拝路」および「九頭竜権現」道中にある。三重塔のあるあたりで、そこそこ人の行き来があるような所。

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その八十八箇所は金堂の手前あたりから始まり、時計回りに山道をめぐり、大師堂で結願となる。案内図に「火災防止その他のためローソク、線香お賽銭は道中では御遠慮下さい」とあり、山中での火気の使用は避けた上で、最後の大師堂でお勤めするよう勧められている。

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12年09月15日(土)

消防の道

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裏参道入口にもまた駐車禁止の看板があり、そこでは「防火水槽あり、緊急道路につき」と、重要な場所であることが具体的に示される。参道であるとともに、山火事に対応するための車道となっている。

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先の警察署の看板の下に赤い札があり、「緑を守ろう火災から 消防署」とある。「災」の字の上部は「く」の字に曲がらずに点になっている。

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西国寺境内にも同じような赤い札があり、配置からすると「火災から緑を守ろう 消防署」という語順になる。それともどちらも同じ語順なのか。

関連

火焔の強調 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20100711/1278845493

12年09月14日(金)

西国寺裏参道

古寺めぐりのうち、もっとも北へ奥まった所に位置する西国寺。その背後が西国寺山。

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表参道は真っ直ぐの道にある何ヶ所かの階段を登る。裏参道の方は東の麓の道路へ下りる道が舗装されている。

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そこにも「尾道警察署長」による「警告」がある。

北から寺に向かって登ってくる方に向けて*1、「この道路に駐車しますと無余地駐車となり違反となります」と。細い字ながらふっくら構えていて読みやすい。

*1:実際には寺まで行かずに見晴らしの良さげな路上に停めるのであろう車に向かって

12年09月13日(木)

細い坂道

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そこから小学校の脇を通って千光寺公園へ向かうには、「持光寺西谷地区」の細い市道を抜けないといけない。

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曲がり角にある錆びた看板には「警告」とあり、「この付近の道路に車両駐車すると無余地3.5メートル」云々と見える。曲がり角なら少しは余裕があるとばかりに小型車が停まったりしたのだろうか。

12年09月12日(水)

小学校麓の分かれ道

ロープウェイとは反対側の、千光寺山の西の麓は尾道駅が近い。

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土堂小学校の階段下の道から左手に登ると尾道城経由の千光寺山登山道。右手の道からが古寺めぐりルートの発端。

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そこに添えてあるのが、平成19年の児童による観光客向けの手作り看板。描かれているロープウェイに乗るとすると、千光寺山に登ったあとに下りるためか、古寺めぐりの途中で千光寺との昇り降りに使うか。

12年09月11日(火)

ロープウェイのアイコン

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千光寺山の公園内に置かれた道しるべには、とくに「ロープウェイ」とかの字句は無しに、斜めの線と車体の絵だけで示されている。

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この山でそういった乗り物は一種類しかないから、名前を出すまでもなくロープウェイとわかる(「ウェー」かもしれないが)。索道の線が水平に描かれていても通じるかもしれない。

12年09月10日(月)

ロープウェーの途中

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山頂の道しるべにも「千光寺山ロープウェイ」とあるので、その表記で統一されておるのなと思ったら、やはり例外はあるもので、

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「文学のこみち」の途中のところに設備への連絡口のような囲いがあって、「千光寺山ロープウェー」となっている。その文字列を縦書きで見るのも珍しいかもしれない。

12年09月09日(日)

kanototori2012-09-09

艮神社の上

尾道市の千光寺山に登るロープウェイは、南東の麓(東土堂町)と山頂を結ぶ。ここでの表記は「ウェイ」

各課・施設 - 千光寺山ロープウェイ | 尾道市 各課・施設 - 千光寺山ロープウェイ | 尾道市 各課・施設 - 千光寺山ロープウェイ | 尾道市

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麓駅を出てすぐの索道下には艮神社境内が広がっているので、参道の上に網が渡されている。唐門から階段下まで。鳥がとまったりもするのだろうか。

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12年09月08日(土)

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紅葉谷の乗り場への道

宮島弥山を登る「宮島ロープウエー」は「エ」が小さくない。

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紅葉谷公園に入る手前の所に「ロープウエー紅葉谷駅行」の無料送迎バス停がある。そこに添えられている地図には、バスの通る車道と御手洗川沿いの紅葉谷公園とに分かれている。

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その紅葉谷公園のほうの道を「ゆっくり歩いて10分」で駅につくそうで、「ときどき走って7分」でもあるそうな。全力で走ってドキドキした状態で駅に着いていてはいけないのかもしれない。

12年09月07日(金)

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索道の下

白蛇観覧所から山の方へ。岩国美術館の手前にロープウェーの乗り場があり、展望台のある山上へと通じている。乗ったことはないけれども。

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美術館の隣の空地に車がとまっていて、手前にある立て札には、

お願い

ここは索道の敷地です。ロープウェーの油が落下するおそれがありますので、一般の方の駐車は御遠慮下さい。

岩国市観光課

との注意がある。ロープの下が山林ばかりでなく、なまじ駐車場になりそうな平地があったりすると、その管理というか監視の手間がかかるのか。

12年09月06日(木)

赤い矢印白い文字

公園周囲の道から園内各方向へと案内する道しるべ。赤い矢印がとても目立ち、道の高低差によっては矢印の角度もいろいろ。

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その方向にあるものが一括で書かれるため、「佐々木小次郎銅像」「白ヘビ」「ロープウェイ」といった、関連性の薄い組み合わせという趣が生じる。下向きの矢印が地面を指しているかのようでもある。

12年09月05日(水)

黒い地に白い字

そういった公園内の道しるべは、黒っぽい木であったり苔むしていたりで濃い色なので明るい白い字が見やすい。「シロヘビ」の字も当然白い。

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黒い石に刻まれた「白蛇観覧所」はさらに白さが強調される。「蛇」の字の尾も跳ね上がる勢い。

12年09月04日(火)

縁取りの線

吉香公園内を見ると、高々と聳える「義濟堂」の石灯籠のように遠目にも刻字がくっきり見えるものもあれば、

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吉香神社参道の注連柱のように、近づいてみてようやく字が大きく刻まれていると気付くくらいの白っぽさ。

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字の内側を掘りくぼめるでなく、浮き上がらせるでもなく、ただ輪郭の線が筆跡をかたどっている。

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ふと道しるべの文字を見ると、内側の色が抜けて白抜き文字、じゃなくて縁取り文字へと進行している。

12年09月03日(月)

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刻字の色

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その先の、階段上にある鳥居の場合、石の額に「椎尾八幡宮」と刻んである(「幡」は一画少ない字体)。墨が入っているのでこれもまたくっきり見える。

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その手前の注連柱では、深く刻まれた字の内側に朱が入っている。黒い墨と違って流れ落ちても目立たないのかもしれない。

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拝殿前にある注連柱の場合、滑らかに浮き出た刻字部分は赤みが濃い。階段途中の角ばった陰刻とは対照的。

12年09月02日(日)

岩国市

黒地に金

その椎尾山の麓に参道入口があり、提灯狛犬鳥居などが並んでいる。

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鳥居に掛かる「椎尾八幡宮」の額は黒地に金色で読みやすい。周囲のハート型はカタバミか何かか。

12年09月01日(土)

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椎尾八幡宮の紋

吉香公園とその周辺では、市章よりも吉川氏の九曜紋を多く目にする*1レンコンの穴でおなじみ。

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吉川広正*2により勧請されたされた椎尾*3八幡*4も九曜紋のバリエーションをなす。中心の星は八幡宮の三つ巴が置かれているので八曜か、いや三つ巴を囲んでいる丸があるからやっぱり九曜か。

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