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13年05月31日(金)

港の鳥と高低

港の奥には砂浜がわずかにあり、道路の高さまで石垣と消波ブロックがそびえる。

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北から突き出た防波堤も消波ブロックの塊で、土台の石は一段分ほど残して緑色。水際でうろうろする鷺。

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南からはコンクリートの防波堤が垂直な壁をつくる。鷺は水際から離れた高さで佇む。

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鳶はさらに上の街灯の上できょろきょろする。

13年05月30日(木)

海越

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海越の集落は西の海に面した港がある。南北に通る県道35号が倉橋中心部と鹿老渡・鹿島方面とを結ぶ。バス停は北から「海越口」「海越」「南海越」という並び。*1

港湾設備のある海越中心部は、南北にある小さな岬で挟まれている。小学校跡地は中心部よりも南にあるので、その間にある山を切り通して県道が通る。昔から海岸伝いではなく峠を越えるような道だとしたら、「かいごし」は「峡越し」か。

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*1呉市営バス→倉橋地区生活バス(倉橋交通)

13年05月29日(水)

跡地と農道の整備

IX 海越地区 農地保全整備事業 IX 海越地区 農地保全整備事業

のページによると、平成元年から15年度の事業として、排水設備(排水路と承水路)を設けてみかん畑の侵食防止とし、「水路兼用農道」(承兼農道)を設けて営農条件の改善が図られた。

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銅像台座奥に小さな碑があり、「2000年3月3日」、「海越1号承兼農道開通記念整備工事」として小学校跡地の整備と植樹、排水路の工事を行った、という目録の形で示されてある。

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門柱跡の前、道路との境にはネットフェンス(40m)が連なり、こちらは同年平成12年の1月寄贈の看板がある。

13年05月28日(火)

跡地の台座

呉市倉橋町の南東部、海越小学校跡地が県道沿いに土の空き地としてある(のを、22年に見かけた)。

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山へ向かう道路の近くの木々に覆われるようにして「二宮尊徳先生幼時之像」の台座がある。足の一部がくっついて残っていた。

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13年05月27日(月)

児童の運動場

その衝立のような塀には「金比羅山公園」とあり、入口脇の壁には「呉市金比羅山 兒童運動場」とある。その他略称で書かれたりもする。

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「児童」を冠するにせよしないにせよ、先に見た注意書きや、木の杭に「遊具は皆んなで(下略)」など、公園内で遊ぶ児童を想定しての表示はあちこちにある。

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二宮金次郎像(白)も立っている。歩きながら本を読む体勢ではなく、立ち止まって目の前を眺めるような角度。

13年05月26日(日)

公園入口の○△□

大歳神社(と金比羅神社)への参道の途中に金比羅山公園がある。地蔵堂が目印になる。

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入口を見上げてすぐ立ちはだかるは、飛び出し防止の大きな塀。意匠として○△□の穴がある。

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はてなハイクのお題に「○→△→□を繰り返す」があるけれども*1、模様の一部に三角があるときには丸も四角もセットになっていることが多い。

*1:自分で始めておいて人ごとみたいに振る舞う

13年05月25日(土)

金比羅山公園の子規句碑

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明治28年に子規が呉港を詠んだ句が一行。黒地に白い字。

  呉港

大船や波あたヽかに鴎浮く

        子規

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斜面の方が背面で、昭和43年に呉みなと郷土会が生誕百年記念に建立した旨書いてある。「春雨にけむる川原石に来航」という点でゆかりの場所に近いことが示される。((同じ句碑は入船山記念館内にもある))

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麓にも同じ文面が説明板の形で設置してある。石柱には「明治百年記念」ともあり、「史蹟 有崎城址」の標示も兼ねる。f:id:kanototori:20130526041632j:image

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13年05月24日(金)

城山の金比羅山公園

「有崎城址からの眺め」*1は呉港の北西に位置する城山の先端。

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大歳神社を上段部とすると、中段部には「金比羅山児童公園」があり、真下に呉市海岸1丁目を眺める位置に子規句碑がある。

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急傾斜地なのでフェンスと鉄線で囲まれていて、下のような注意書きもある。

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おねがい

この公園から石や物をなげた人がおり、下の家のガラスをわりました。

ガラスが下の家の人につきささったらたいへんです。

ぜったいに石や物をなげないでください。

処罰されます 呉市役所

括弧が赤く強調されている。字を赤くしていたら消えてしまうところ。


関連

地下道とスロープ http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20110423/1303574449

13年05月23日(木)

赤崎神社の位置

休山の西斜面に位置する室瀬町は、西に宮原と呉港を見下ろす高さにあり、頌徳碑は斜面を背にして立つ。

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碑の傍らには「一斉の汽笛港の去年今年 房子」との句碑もある。

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神社のすぐ下の段には児童公園がある。白い柱に「市内展望NO.1」「ボールなげはやめましょう」との語句が立地条件の長短を物語る。

13年05月22日(水)

池田勇人の「碑」

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「池田勇人書」での「碑」の字は、「石」の一画目と二画目が連続して鋭い払いになる。*1

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呉港を見下ろす高台の、呉市室瀬にある赤崎神社。その境内に立つのが「高橋兼吉翁之頌徳碑」(昭和33年)。

呉製砥所(昭和40年からクレトイシ)の初代社長。

クレトイシの歴史|企業情報│各種研削砥石、関連製品、建材はクレトイシ クレトイシの歴史|企業情報│各種研削砥石、関連製品、建材はクレトイシ クレトイシの歴史|企業情報│各種研削砥石、関連製品、建材はクレトイシ このエントリーをはてなブックマークに追加

*1:他、「水害復旧河川改修竣工記念碑」http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20101013/1286986564 など

13年05月21日(火)

天野雨石の「石」

呉市天応の田中八幡神社参道入口近くにある「道路改修記念碑」(昭和12年)。題字の脇に「正五位天野雨石題」とある。

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安芸区中野の「水害記念碑」*1の場合、題字が篆書なので、楷書で書かれた本人の名前の字とは当然形が違う。

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この道路改修記念碑の場合は「雨石」の「石」の字が「碑」の部首として同じ形であらわれる。墨が垂れていて読みにくいものの*2。一画目の「一」の左端で二画目の払いが始まる。

13年05月20日(月)

「賞」の字の書かれ方

同じく呉市内、堺川沿いの道にも「手づくり郷土賞」のプレートがあり、こちらは「街灯のある街角三十選」の一つ。

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建設大臣 綿貫民輔書」とあるように、当時の大臣の揮毫がここでは上二行に及ぶ。近年でも政治家の字の巧拙の話題で目にした覚えのある筆跡。

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さきに挙げた「野坂弘賢書」と同じく、「賞」の字の中の「貝」が揮毫者の名前にも含まれているので、本人の名前の字での書き慣れた形が「賞」の字でもあらわれる。

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13年05月19日(日)

道の賞

美術館通り 美術館通り 美術館通り このエントリーをはてなブックマークに追加

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美術館入口近くに「美術館通り」と刻まれた幅広の石碑がある。命名と同年に受賞した「手づくり郷土賞(ふれあいの並木道)」と「日本の道100選」のプレートが石碑の上部に納まっている。受賞の記念となるモニュメントの置き場所次第では、余計な物と思われるくらい目立ってしまったり、あるいは植え込みの陰に隠れて埋没してしまったり。表彰状を長押に飾る、くらいが丁度いい具合だとすれば、何かの碑の余白に納まるのも丁度いいか。

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記念館や美術館の南も入船山公園の一部で、もと練兵場のグラウンドが広がる。その脇の藤棚の道にも「手づくり郷土賞」のプレートがある。こちらは平成6年の「ふるさとを紹介する道」。上三行が「建設大臣 野坂弘賢書」。

13年05月18日(土)

美術館通り

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亀山神社の故地は現在の入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)。

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敷地内の南辺には呉市立美術館があるので、それと別館の間にある坂道は「美術館通り」。広い歩道には街路樹と並木と、点々と置かれた彫刻が出迎える。おおむね歩行者の方を向きつつ。

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13年05月17日(金)

参道が坂道

亀山神社の階段の下はさらに坂道が続く。坂道の入口には浅野長勲揮毫の注連柱*1

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強い傾斜の坂道。周りは民家で道の脇に所々並木が仕切りになる。

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白い道を横切る白い猫。尾も白い。

関連

横切る猫 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20101226/1293384280

13年05月16日(木)

階段の下の一対

呉市の亀山神社の場合、狛犬はいくつかの対が適度な距離で配置されている。

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階段の上の参道脇では、積み重ねた台座の上である程度の高さで見下ろす。

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階段の下、広い坂道の終わりで迎える狛犬は、小さな台座の上で小振りな体を正面に向けている。隣の社号碑の高さが狛犬の小ささを強調する。

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13年05月15日(水)

顔の高い姿勢

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福山市の福山八幡宮では広い階段の外側に狛犬がいる。

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前脚にも後脚にももたれかかる玉などは無いので、まっすぐに前脚を伸ばした姿勢でこちらを見下ろす。

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すぐ近くの艮神社でも同じような姿勢で腕を伸ばす。参道の幅が狭い部分なので、太めの体と顔がより大きく感じる。前脚が垂直に近くて前のめり気味。f:id:kanototori:20130516023818j:image

13年05月14日(火)

二対の玉

それをよく見ると、手前に綱の垂れている形と、玉を縁取る鈴のような形。

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賽銭箱近くのそれらとは別に、鳥居と注連柱の近くにももう一対の狛犬。台座に大正の「御大典紀念」や「還暦紀念」と見える。

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後ろ足を何かに乗せるでもないけれど、同じように腰を高く上げて顔を表に向ける。開いているほうの口から見える丸い玉。口を閉じているほうも玉をくわえているのかいないのか。

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頭も目玉もころころと丸い。

13年05月13日(月)

雪の残り

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石畳参道のが拝殿前まであり、参道両脇には石燈籠と狛犬が置かれている。狛犬は後ろ足を玉に載せているタイプ。

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賽銭箱脇の柱に「雪ずり注意」とあるように、軒先に落ちた雪が溜まっている。参道に落ちたぶんもかき集めた後だろうか*1。左側が杉の木の陰のせいか塊が大きい。

*1:写真は平成20年1月

13年05月12日(日)

知波夜比古神社

広島県三次市 文化財 広島県三次市 文化財 広島県三次市 文化財 このエントリーをはてなブックマークに追加

のページに指定文化財の一覧表がある。同じ三次市高杉町383番地他にあるということで、高杉城址と知波夜比古神社はおなじマスにある。国とか県とか市町村とか、指定種別に分けられたりすると探しにくかったり読みにくかったりするし。

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市の重文であるところの神社建物は境内中央に北を背にして建っている。背後と東側に土塁の跡。

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落城後の再建が弘治2年で、それ以降の棟札もいくつか掲示されているのが見える。近年の改修については昭和55年の記念碑がある。黒い石の落ち着き。

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13年05月11日(土)

高杉城跡の説明板

知波夜比古神社参道脇に「県史跡 高杉城跡」の説明板がある。県史跡への指定は昭和59年で、広島県教委と三次市教委によるこの説明板は昭和63年3月。傍らに立つ石柱も同じく昭和63年。

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城郭の遺構についての説明のほか、毛利氏との合戦後に再建された神社(市重文)や、さきに見た祝氏墳墓についても触れられている。*1

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参道入口脇にある白い説明板は三次市と三次市教委によるもので比較的新しい。「毛利ゆかりの史跡」と題するように、記述は毛利氏により祝*2氏が滅亡した合戦*3に絞られる。墓地については「この時討ち死にした城主祝氏を供養した宝篋印塔があります」との説明。

*1:「祝治部、甲斐、宮内の墓と伝えられる宝篋印塔や自然石からなる墓地」

*2:はふり

*3:前者の説明板では「天文21年」、こちらでは「天文22年」

13年05月10日(金)

高杉城から500m

みよし風土記の丘の新北口近く(浄楽寺古墳群)、舗装された道に突き出た部分に宝篋印塔が立っている。細い水路を挟んだ向かいに5基の石塔もある。

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塔に上がる階段が南側にあり、そこから見える石碑の面には「高杉城主祝甲斐守墳墓」とある。

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真下の道路から見上げると「県史跡高杉城跡 北東五百米」とあり、道しるべの役目も果たす。

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水田の向こうに見える知波夜比古神社の社叢が「高杉城跡」。

13年05月09日(木)

高架の奥の千人塚

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廿日市市大野の市街地から大頭神社へ向かう道の途中、赤い鳥居の先で交差する広島岩国道路

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その先の畑の奥に石塔四基と土盛りが石で区切られている。石碑には「長州戦争史跡 千人塚」。場所の名をとって「滝ノ下千人塚」。大野村では慶応2年の6月19日と25日に戦闘があった。

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大野浦駅前の絵地図では石塔三基で表される。周辺に大頭神社や大野インターなどがあって余白が少ない。

13年05月08日(水)

積石塚と遊歩道

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塀に囲まれた吉川氏墓所の隣に海応寺跡とされる区域があり、さらに川寄りの林中に盛土による古墓がある。木々の間を縫うようにこれらの遺跡を巡る遊歩道。吉川元春館跡の遺構が木陰と無縁なのとは対照的。

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新しいほうの立て札には「古墓」とあり、盛土を囲む石積みには「積石塚」と書かれた古い札がもたれかかっている。

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「海応寺跡」のほうにも立て札の新旧がある。

13年05月07日(火)

吉川元春と元長の墓

吉川元春館跡(海応寺跡*1)に接する山林の中に吉川元春と元長の親子の墓所がある。両者とも九州で亡くなった後ここに葬られた。

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もう一基の墓を説明板では元春の四男のもの「と言われているがさだかでない」とする。『芸藩通志』では「吉川氏三碑」の項目名で「一は知れず」とする。海応寺村絵図では樹木の絵が三つ並ぶ。

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この説明板の文章は「昭和六十年二月一日」とし、先頭の「史跡 吉川氏城館跡」は「昭和六十一年八月二十八日指定」となっている。

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吉川氏の岩国移封後の状態については、文政10年の修復で玉垣石燈が加わり、明治四十一年の進賞追贈をうけての改修があったことが記されている。

13年05月06日(月)

毛利一族の墓所

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洞春寺跡、毛利元就の墓の脇の壇に一族の墓もある。

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城内に散財していた墓所が明治2年に集められたもので、(郡山城主としての)初代毛利時親から8代毛利豊元までが「先祖合墓」(大きめの塚)に、個別に設けられた三基の塚が興元・幸松丸・隆元の妻(大内義隆の養女)の墓(元就の父弘元の墓は多治比に)。なので説明板には時親を初代とする略系図が載り、元就は12代となる。

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13年05月05日(日)

隆元墓所の入口

郡山城跡内にある毛利隆元の墓所は、菩提寺常栄寺の跡の近く。

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大通院谷から毛利元就墓所への道筋だと通りすぎてしまうけれど、少年自然の家や清神社方面からの道だと、分かれ道が墓所への参道となってあらわれる。

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入口を示す石碑には「毛利隆元公御墓所」、道しるべとしての石碑には「右 大江隆元公御墓所道」とある。

13年05月04日(土)

福原氏墓所の道しるべ

同じく毛利氏家臣の福原氏の場合、毛利と同族なので「大江朝臣」の氏姓を名乗る。大江氏を遡ると阿保親王*1

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てっぺんが尖った石碑に「一文字に三つ星」の紋が打たれ、「福原大江朝臣貞俊公」「福原大江朝臣廣俊公」の墓所までの距離が刻まれている(距離は側面に)。福原氏の子孫によって昭和8年に設置。

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国道54号は江の川対岸の可愛(川本や中馬)にあり、「鈴尾城跡」への看板が可愛橋を渡るように誘導する。渡った先の水田に囲まれた辻にこの道しるべがある。f:id:kanototori:20130505024502j:image

*1:さきの国司氏の説明板は高階氏ではなく藤原鎌足を始祖に持ってくるという意識がある

13年05月03日(金)

国司氏墓所の説明板

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「国司右京亮墓所」の碑には、側面に「昭和四十六年 *1」「吉田町指定」とある。

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背後の木の立て札による説明板は、「国司氏墓所」と題しての解説。平成9年の設置。指定時にしても設置時にしても「高田郡吉田町」。ふりがなの空間が十分にとられている。

この場所の説明ではなく、

高階惟長・・・・高師重―師泰―国司師武

という系譜が示される。

*1:よく見えず「二月」か

13年05月02日(木)

国司右京亮墓所

県道29号を吉田から向原へ向かうとき、最初のなだらかな坂の右手(麓側)に玉垣で囲まれた林が見えてくる。

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木々の合間に沢山の石塔が積み上げられている。それらとは別に整えられた墓域が区切られ、「國司右京亮墓所」の石柱が立つ。

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芸藩通志』国司*1村絵図に「休照菴跡」とある山裾がこの地で、麓の平地には「国司右京屋敷跡」も記されている。

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江の川(可愛川・吉田川)の向かいは常友で、古戦場の青山がそびえる。

*1:くにし

13年05月01日(水)

県道29号の黄色

向原と吉田を結ぶ県道29号。吉田方面へと降りる山中にも、市入祭での通行止めのお知らせが置かれる。その上には急カーブを知らせる黄色と黒の矢印。

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山間を抜ける県道ではそういったカーブへの注意を向ける矢印や、落石注意の標識などが、ところどころに黄色を点す。

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目立たせるための黄色ではあるけれど、土の汚れで白っぽくなることも。むしろ周りの藤の花が鮮やかであったりする。