ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

看藝累記 RSSフィード Twitter

2006 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2018 | 01 | 02 | 03 |

13年12月31日(火)

反橋の無い時

厳島神社の背後、御手洗川ほとりの道から社殿を覗きこむと見える反橋のあった所。

f:id:kanototori:20131231224820j:image


反橋跡、ではなく解体修理中で橋の無い空間があって、その脇には作業用の足場。

f:id:kanototori:20131231224819j:image

f:id:kanototori:20131231224818j:image

社殿回廊内では出口近くにあたり、「厳島神社反橋ほか3棟保存修理工事のお知らせ」が掲示されている。地図中に「工事対象物」が赤く塗られていて、反橋の他は玉垣の部分修理など。平成26年9月末までの予定。

f:id:kanototori:20131231224817j:image

13年12月30日(月)

開明橋跡

隆景広場の北向かいに消防団の屯所と駐車場が並ぶ。

f:id:kanototori:20131231013719j:image

f:id:kanototori:20131231013718j:image

f:id:kanototori:20131231013717j:image

広場内では郵便ポストと「開明橋跡」碑が背になっている。「大善寺住職命名」とある「開明橋」は近代の「河原谷川」に架かっていた橋。

桜山の西の谷から三原城西部を流れていた川が城の堀に流路を変え、現在は暗渠となっている。

それら流路の変遷について『みはら玉手箱』第5号にくわしい。

三原市教育委員会生涯学習課 生涯学習たより 三原市教育委員会生涯学習課 生涯学習たより


関連

中の棚橋の跡  http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20110827/1314465014

「我羅我羅橋」跡  http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20080704/1215174107

13年12月29日(日)

隆景広場

明大橋西詰の標識には、「三原駅」と「隆景広場」が西に示される。

f:id:kanototori:20131230020400j:image

f:id:kanototori:20131230020359j:image

駅の西口ロータリー周りの緑地が隆景広場。堀を背にして溝手市長(当時)の揮毫による平たい石碑が立つ。こざとへんがいい感じ。

f:id:kanototori:20131230020357j:image

f:id:kanototori:20131230020356j:image

外の道路を背にして立つのは「石ダルマ」。立ってはいないか。

13年12月28日(土)

館町と桜山

和久原川西部、三原駅の北側一帯が「館町」。もと三原城内で、神明大橋西詰に「東大手門跡」の碑がある。

f:id:kanototori:20131229083317j:image

f:id:kanototori:20131229083316j:image

碑のある曲がり角には「桜山登山道」への案内表示もある。桜山は館町のすぐ北にある小山で、全長865mの登山道。平成10年に桜の植樹が始まった、と案内図にある。

f:id:kanototori:20131229083314j:image

f:id:kanototori:20131229083313j:image

桜山はもと御調郡西野村の南東端にあたり、中世の城跡として記録された。



桜山城跡

城主山名権之左衛門与申伝候、由来年暦相知不申候、城山之後ロニ大目木与申所御座候、此所より落城仕候ニ付、大めげ与申名ヲ言誤テ大目木与申習セ候由申伝候、駒ヶ原与申候者(略)

西野村「国郡志御用ニ付下しらへ書出帳」*1

櫻山城  西野村の地にて、三原城の北にあり、相傳る、文應、文永の間、山名權左衛門入道氏正なるもの居りしが、弟備中に殺さる、後氏正が子、備中を討て再び此城に據りしといふ、

藝藩通志』巻百

村の提出した記録では古城跡にまつわる地名について詳しく、藝藩通志では城主についての史実(と判断したもの)のみにとどめている。『三原史稿』古蹟部では合戦・遺構・地名についてさらに詳細になる。

*1:『三原市史第四巻 資料編一』1970

13年12月27日(金)

神明大橋

和久原川を挟んで東に東町、西に館町。それを結ぶ橋が「神明大橋」。両町と本町を貫く通り一帯で「神明市」(だるま市)が開かれる。平成26年は2月7日から9日。

f:id:kanototori:20131228020429j:image

f:id:kanototori:20131228020428j:image

f:id:kanototori:20131228020426j:image

橋の親柱には丸いダルマが向かい合う。橋名の刻まれた台座の角柱に鉢巻きの浮き彫り。

13年12月26日(木)

和久原川の水刎

「尚 三次市の浅野堤にも刎が造られていました。」と文末で触れているのが、三原市館町の「和久原川水刎」の説明板。「刎」と書いて「はね」。

f:id:kanototori:20131227004440j:image

f:id:kanototori:20131227004439j:image

県道55号の東に沿って南へ流れた和久原川が、神明大橋の南で東へ向きを変える。橋のすぐそばの川下に突き出た石垣が残るほか、「東大橋の川上に一ヶ所、川下に五ヶ所、上流の清水橋の川下にも二ヶ所」残っているとの説明。

f:id:kanototori:20131227004438j:image

13年12月25日(水)

旭堤

「旭町(近世土木遺跡)」という名で堤防遺構についての説明板が立てられている。「市の都市計画街路事業旭町通り線の新設に先立ち」、平成3年度から4年度に調査がなされ、公開展示されている石積みの近くには「水はね」の遺構も見つかった、とある。(その場所は地中に保存されている)

f:id:kanototori:20131226011020j:image

説明板右上に載る文久元年の絵図「三次御家中跡絵図」(広島市中央図書館蔵)の堤防描写を裏付ける遺構とされる。

f:id:kanototori:20131226011019j:image

f:id:kanototori:20131226011018j:image

その絵図中の現西城川*1の記述に「奴可郡久代村邊ヨリ」と、どこから流れてきた川かが注記してある。「久代村」は東城川と西城川の取り違えか。

*1:西城川または上里川または門田川 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20110708/1310147146

13年12月24日(火)

堤防の段差

西城川西岸の堤防上からすぐ見える位置に三次フードセンターがある。堤防下の道路と西からの道路が交わるところ。

f:id:kanototori:20131225063158j:image

f:id:kanototori:20131225063157j:image

堤防には上と下の二箇所の歩道があり、斜面は一面の緑。下の歩道の途中に「旭堤」という近世の堤防遺構が展示されている。車道よりも低い位置。

f:id:kanototori:20131225063156j:image

13年12月23日(月)

三の字の看板

f:id:kanototori:20131224064225j:image

f:id:kanototori:20131224064224j:image

三次市の旧市章は曲線が巴形につながった図案で、現市章は琴柱のような人の形が二つ。

f:id:kanototori:20131224064223j:image

三次フードセンターのマークは漢字の三の字の図案。広島市の市章に近い。

遠くから見るぶんには「F」の字の看板のほうが目立つか。

13年12月22日(日)

ショッピングセンター

会社概要 :: 藤三 会社概要 :: 藤三

「藤三」の店名としての「○○ショッピングセンター」は、「ホームセンターなど核になる店舗を複数組み合わせたショッピングセンター」というふうに定義付けられた営業形態の表れで、「スーパーマーケット」の場合は「藤三○○店」となる。

f:id:kanototori:20131223021512j:image


f:id:kanototori:20131223023111j:image

吉田の町の案内図で「ゆめタウン吉田店」とそのまま店名が出る場合もあれば、前に見たように「ショッピングセンター」で店名を避けた普通名詞が使われる。安佐南区山本の案内図に「ホームセンター」とあるのも普通名詞か*1。でも大きい店だと店名で「イオンモール」と書かれたり。

f:id:kanototori:20131223021511j:image

*1:ダイキ

13年12月21日(土)

向こう岸の看板

高所から店の看板が見えるといっても、そこにいた人が下りて来店してくるのを期待しているわけでもないか。

同じ高さで遠くの位置にいる人のほうが看板をたよりにやって来てくれそうではある。

f:id:kanototori:20131222021153j:image

f:id:kanototori:20131222021152j:image

f:id:kanototori:20131222021151j:image

間に川や海があれば遠くの道からでも遮るもの無く看板が見える。

広大橋の東にはニトリの緑の看板。音戸の御所の浦の南端には藤三の赤の看板。御幸橋の東にはゆめタウン。巨大な建物のほうが目立つか。

13年12月20日(金)

己斐の駅の近く

西区己斐西町の旭山神社からは、東に広島の市街地を見渡せる。中心部だけでなく麓近くもビル群が迫る。

f:id:kanototori:20131221054531j:image

f:id:kanototori:20131221054530j:image

北東すぐ麓には西広島駅のホーム。手前に遮るものが無いのでよく見える。駅周辺ではイズミとウォンツの看板が目立つ。他の場所だとマンション群に隠れそうな高さ。

f:id:kanototori:20131221054529j:image

13年12月19日(木)

竹原の屋根の上

f:id:kanototori:20131220061127j:image

竹原市街地を東から見下ろす普明閣からの眺め。高層ビルの少ない頃だと商業施設の看板が点々と。*1。さほど大きくないけれど色が目立つ。

f:id:kanototori:20131220061007j:image

f:id:kanototori:20131220061006j:image

f:id:kanototori:20131220061002j:image

その中ではイズミの赤い看板が近くに見え、左手に藤三とナフコ、右手遠くにデオデオジュンテンドーといった配置。


関連

観音堂の高台 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20101218/1292694609

13年12月18日(水)

県道沿いのショッピングセンター

f:id:kanototori:20131219013836j:image

f:id:kanototori:20131219013835j:image

案内図等ではもっぱら「ショッピングセンター」と書かれるのがゆめタウン吉田。絵地図にはちゃんと建物の形が表されている。

f:id:kanototori:20131219013834j:image

f:id:kanototori:20131219013833j:image

店の看板は長らく赤い丸のロゴマーク二種が掲げられていたが、赤地に白字の「you me」に切り替わった。

f:id:kanototori:20131219014059j:image


関連

調整池兼駐車場 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20080524/1211604477

13年12月17日(火)

吉田瑞穂線

f:id:kanototori:20131218082302j:image

市の中心部、消防署の向かいから西へ伸びるのが「主要地方道 吉田瑞穂線」。史跡や古地名に立てられる説明板に吉田瑞穂線のものもあり、「郡山城跡、歴史民俗博物館へ続く、歴史の入口である」という紹介。

f:id:kanototori:20131218082300j:imagef:id:kanototori:20131218082301j:image

市全体の幹線道路の国道54号は南の広島市と北東の三次市を結び、東西に通る中国自動車道には高田インターがある。。観光案内図に「素通りするなんて勿体ない」とのアピールがある。名所へ行くための分岐も通りやすい道へと整備されていく。

f:id:kanototori:20131218082258j:image

13年12月16日(月)

資料館前バス停

最寄りのバス停名は今も「資料館前」。そこを通る路線バスの体系の上では単に資料館で通じる。現資料館が出来る前の地図を見ると「六日市」バス停となっていた。

f:id:kanototori:20131217001731j:image

f:id:kanototori:20131217001730j:image

備北交通株式会社 備北交通株式会社

のサイト内の停留所名を検索すると、ほかに「三次資料館前」と「青野民族*1資料館前」が候補にあらわれる。それぞれの町では地元の方を単に「資料館前」と呼ぶのだろう。たぶん。

*1:ママ

13年12月15日(日)

博物館への標識

f:id:kanototori:20131215235033j:image

最寄りの県道に博物館や史跡への案内を示す標識があり、上から三番目に「歴史民俗資料館 Museum of History」と載っていた。

f:id:kanototori:20131215235032j:image

名称が変わったことで、英語表記はそのままに「資料館」が「博物館」に上書きされた。

13年12月14日(土)

博物館の名前

f:id:kanototori:20131215033521j:imagef:id:kanototori:20131215033522j:image

「安芸高田市吉田歴史民俗資料館」が「安芸高田市歴史民俗博物館」に名称変更しました 「安芸高田市吉田歴史民俗資料館」が「安芸高田市歴史民俗博物館」に名称変更しました

と、施設の名称が変わったのが平成22年の4月。それとともに公式サイトが開設されている。それまでは市のサイト内で企画展のお知らせを見たりしていた。

f:id:kanototori:20131215034013j:image

吉田町時代には行ったことはないけれど、現在も玄関前の碑銘が示すように「吉田町歴史民俗資料館」の名であったのが、市になってからは「安芸高田市」を冠して「町」を外し「安芸高田市吉田歴史民俗資料館」となっていた。

f:id:kanototori:20131215034938j:image

f:id:kanototori:20131215034010j:image

玄関上部の表札や掲示板の表示などは、「町」の表示はそのまま続き、「博物館」への変更に合わせて一新されている。

13年12月13日(金)

450年と10年

平成16年3月末に安芸高田市が発足。年度では平成15年度末。次の3月で十周年をむかえる。

f:id:kanototori:20131214061906j:image

f:id:kanototori:20131214061905j:image

安芸高田市歴史民俗博物館の「特別企画展 毛利隆元」は、「毛利隆元没後450年記念事業」と「安芸高田市市制施行10周年記念事業」が冠された。

隆元が亡くなったのは永禄6年(1563年)8月4日、同市高宮町の佐々部でのこと。展示品には、亡くなる三日前に書かれた自筆書状もある。同市美土里町の墓所伝承地には「もりさん」が祀られている。

13年12月12日(木)

役場の碑

そこが平成16年合併前まで「向原町役場」だった時の「役場名版」であるとの説明が付いている佐山石。「佐山」は同町東部の地名。

f:id:kanototori:20131213062128j:image

f:id:kanototori:20131213062130j:image

向原町・八千代町甲田町吉田町美土里町高宮町が合併して「向原支所」になってからの表示は板状の高い碑が立てられている。支所名版と呼ぶのだろうか。

f:id:kanototori:20131213062129j:image

13年12月11日(水)

坂踏切の東西

坂踏切の西隣には安芸高田市役所向原支所が南向きに、向原公民館が北向きに、東西の通りを挟んで建っている。

f:id:kanototori:20131212004942j:image

f:id:kanototori:20131212004940j:image

f:id:kanototori:20131212004938j:image

「向原支所」になる前は「向原町役場」。踏切の東で県道と交わる「向原支所入口」交差点も同じような時期に名前を変えたものか。合併の少しあとぐらいか。

f:id:kanototori:20131212005229j:image


関連

バス停名据え置き http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20091218/1261144648

13年12月10日(火)

向原駅の南

向原駅の北側では西隣の道が線路のそばに接していて、駅より南になると東に道、西に商店などが連なる。

f:id:kanototori:20131211030124j:image

f:id:kanototori:20131211030123j:image

駅に近い踏切は「尾原踏切」。さらに南に「坂踏切」と続く。このあたりの旧村名が「坂村」。『芸藩通志』の坂村の絵図には「尾原池」という小さな池がぽつんと載っている。

f:id:kanototori:20131211030121j:image

f:id:kanototori:20131211030119j:image

13年12月09日(月)

大畝第2踏切

芸備線向原駅すぐ北が「大畝第2踏切」。

f:id:kanototori:20131210061427j:image

f:id:kanototori:20131210061426j:image

踏切の表示の「第○」が漢数字ではないから振り仮名がつかない様子。そのへんは、住所欄に振り仮名をふるときにも迷う所。

f:id:kanototori:20131210061425j:image

「第」の略字が使われやすいのはどちらかと言えば扉の印字のほうか。

13年12月08日(日)

踏切にある地名

橋があれば橋名板に、交差点があれば信号機に、それぞれの場所を示す小地名が表示されているので、通りかかれば目はその文字を探す。無かったりもするけど。

f:id:kanototori:20131209065649j:image

f:id:kanototori:20131209065648j:image

遮断機のある踏切ならその場所の表示は必ず有るだろうから、見所としては手堅い。柱の上や下や、機械の入った箱の扉にと、踏切の名称が幾つかあって、どれも同じであるから一つ見れば十分ではあるものの、字体の違いで差異があることもある。

f:id:kanototori:20131209065647j:image

f:id:kanototori:20131209065646j:image

それを網羅しようとか思い始めるとつまらなくなるし、別の情報も気になり始めると鉄道好きの範疇か。

13年12月07日(土)

田邑の「邑」

苫田郡の旧「田邑村」(たのむらそん)が現在の津山市上田邑と下田邑の範囲。

その地区に姫新線は通っていないけれど、南隣の二宮に「田邑踏切」がある。

f:id:kanototori:20131208014218j:image

f:id:kanototori:20131208014217j:image

f:id:kanototori:20131208014216j:image

「邑」の字がきちんと収まっているものもあれば、「口」と「巴」を繋げたような体裁のものもある。

13年12月06日(金)

二宮交差点の北

f:id:kanototori:20131207065137j:image

国道53号の津山バイパスは高架の形態で二宮地区を南北に通っているので、姫新線や国道179号を跨いだあとの北の方で県道338号と接続する。


f:id:kanototori:20131207065136j:image

なので、二宮交差点からの案内には「田邑」と「岡山」が並ぶ。

13年12月05日(木)

「西中入口」バス停

国道179号(出雲街道)を東へ、二宮交差点の東にある「西中入口」バス停は「津山・富線共同バス」が停まる所。

f:id:kanototori:20131206003108j:image

f:id:kanototori:20131206003107j:image

とあるバス停の謎 : なべのさかやき とあるバス停の謎 : なべのさかやき

という津山の路上観察記事にて紹介されているバス停で、二宮交差点以東の179号バイパスに循環線が通っていない区間があるために、ここでは共同バスの一日一本のバスが通るのみとなっている。

f:id:kanototori:20131205235515p:image

津山・富線(黄色線)はバイパスでさっと通過して津山中心部と富村(現鏡野町)とを結ぶ。

循環線(青色線)は179号バイパス(赤色線太)に並行する旧道(赤色線細)の方を通っているけれど、8の字状のルートをとる。中学校の南に「西中入口」バス停が、西に「西中前」バス停があり、県道沿いの後者に循環線が停まる*1

f:id:kanototori:20131206003349j:image

f:id:kanototori:20131206003348j:image

古めの商店案内図には「二宮局前」「グンゼ前」「津山車庫」「松原中」のバス停名が連なっている。まだ国道53号津山バイパス(橙色線)が載っていない時期のもの。

この津山バイパスがあることによって、循環線が津山・院庄間の東西移動にとどまらず、吉井川南の「津山第一病院」や「平福診療所」などを経由するルートをとることが出来る。

*1:各路線の中ではどのあたりで停まるか分かりやすい名前であったのが、路線を無視したとたん類似の名前と紛らわしくなるという例

13年12月04日(水)

西循環線のバス停

路線バス ごんご久米・勝北・加茂線 路線バス ごんご久米・勝北・加茂線

中鉄バスの子会社の「中鉄北部バス」が津山営業所の路線バスを運行していて、「美和山古墳前」バス停にはコミュニティバスの西循環線が通る。カッパを意味する「ごんご」がマスコット。

f:id:kanototori:20131205031545j:image

f:id:kanototori:20131205031544j:image

東は津山駅前周辺を巡り、病院や津山口駅を経て西は院庄駅の先のスーパーが端点になる。バイパス沿いには「院庄駅口」があり、旧道沿いには「院庄駅前」があるという、循環線ならではのバス停名の集まり。

13年12月03日(火)

美和山古墳群南口

f:id:kanototori:20131204044631j:image

f:id:kanototori:20131204044630j:image

古墳群の南口は国道179号から上がる階段。東が津山市中心部へ、西が院庄。

f:id:kanototori:20131204044629j:image

案内図にあるように「国道179号バイパス」なので、姫新線の南の旧道より幅が広く真っ直ぐな道が東西に続く。

13年12月02日(月)

美和山古墳群の案内図

f:id:kanototori:20131203061949j:image

津山市二宮にある「美和山古墳群」は、昭和52年の国指定史跡前方後円墳に「胴塚」、円墳に「蛇塚」「耳塚」の名が伝わっていた。

夜間に通りかかったからその形をよく見てはいないけれど、林の中に墳丘があって、その縁を巡る遊歩道。

f:id:kanototori:20131203061950j:image

f:id:kanototori:20131203061948j:image

f:id:kanototori:20131203061947j:image

南口の案内図には、「発掘、はにわ等の採取」を禁じていて古墳の史跡ならではの注意書き。

13年12月01日(日)

中小田古墳群の位置

f:id:kanototori:20131202032528j:image

f:id:kanototori:20131202032527j:image

たぶん「下小田」や「上小田」よりは、国史跡のある「中小田」が有名で、旧村名の「小田」や「口田」の方が知名度は低いかもしれない。

f:id:kanototori:20131202032526j:image

口田と戸坂に跨って松笠山があり、松笠山を中心とする散策コースに湯釜や山伏塚がある。北に伸びる尾根上に古墳14基が分布するのが「中小田古墳群」。

弘住神社や小田定用水を巡る小田コースも中小田古墳群につながっている。

史跡中小田古墳群遺構状況確認調査報告-Archaeological Report of Hiroshima 史跡中小田古墳群遺構状況確認調査報告-Archaeological Report of Hiroshima

ひろしま文化大百科 - 中小田古墳群 ひろしま文化大百科 - 中小田古墳群

昭和36年に三角縁神獣鏡などが発見される。このときは安佐郡高陽町小田。