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14年06月30日(月)

千光寺護摩堂以前

千光寺の山上にも三重塔があったというが、こちらは火事ではなく岩の崩落による倒壊と伝える。

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本堂の手前の護摩堂に「千光寺略縁起」が掲げられている、その一部。

三百年前迄は当山城主杉原民部太夫元恒の守り本尊毘沙門天を安置する三十の宝塔ありしも山上より大石が落ち崩壊せしと、現在の護摩堂はその宝塔の跡なりと言う


藝藩通志』でも触れられていて、その頃(文政)からは「二百年前」。護摩堂の建立は百年ほど前の宝永7年。

昔は三重塔ありて、故城主杉原氏の護身毘沙門を安置せしが、二百年前破壊す、因て別に堂を建て、これを安す、その舊地に、今護摩堂を置く

「巻三十三 備後國尾道一 寺院 千光寺」

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14年06月29日(日)

麓の三重塔

千光寺山の麓には天寧寺三重塔がある。外観はみな黒く、壇や周囲の墓石の白とバケツの青や銀が明るい。

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もと五重塔が三重塔に直されて今に至る。

天寧寺禅宗 海雲山と號す、普明國師開基と云、貞和年間、足利尊氏、營造して、七堂伽藍あり、境内、凡三町許の地を占といふ、後回禄して、門堂多く廢し、只五層の塔を遺す、元禄年間、重修し改て三層とす(略)

藝藩通志』巻三十三 備後國尾道一 寺院

市街地から千光寺を背後に見る姿と、山から下りる途中の道から見下ろす姿とがあり、後者には平山郁夫のスケッチポイントの記念碑がある。五重塔のままだったら描く場所は違っただろうか。

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14年06月28日(土)

朱のうつり

尾道市の西国寺三重塔は大正2年指定の国の重要文化財

赤・白・黒の建物が白い石の基壇に乗って白い塀に囲まれている。

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石の壇にはうっすらと赤が染み込んでいる。鉄塔の下が茶色に染まるのを連想する。

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近づいて見上げると空が背になり、麓から見上げると山の一部になる。

14年06月27日(金)

明王院の赤

その隣の明王院は国宝の本堂と五重塔を持つ。

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年を経て薄まった赤が全体を覆う。文様の一部に他の色もあるもののさらに薄い。堂の手前の諸道具が濃い色を見せる。

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木鼻には簡単な文様と獏の鼻状の輪郭。まるごと赤い。

14年06月26日(木)

草戸稲荷の色

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草戸稲荷神社の拝殿は芦田川を見下ろす高楼。

宝珠や雲や草花の文様が刻まれて青や緑や金色に塗られている。

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扁額の色もそれらをひとまとめにしたように賑やか。

14年06月25日(水)

赤くない所

三階建ての毘沙門堂*1は紅白に塗られて明るい。

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木鼻の彫刻は白い。獏が横を向き、獅子が前方に突き出ているのが階下からも見える。

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海田の町を見下ろす展望台でもある。丸太を割った椅子は両端が赤く、座る面が白。座る面や歩く面が赤だったら落ち着かないところ。

14年06月24日(火)

虎の色

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七福神巡りの毘沙門天像は白く、脇に控えている虎はそれより黒っぽくて硬質。

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海田の大師寺毘沙門堂には三階入口で黄色い石の虎が迎える。階段の方からは後ろ姿が先に見える位置。参拝者に敢えて隙を見せる。

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14年06月23日(月)

像の色々

境内には仏像だけでなく多くの像が立っている。材質によって違う色もあり、新旧の違いで出てくる色の濃淡もあり。

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石像が多い中では、隣り合う物との違いを見せるのは白っぽさと黒っぽさが中心で、銅像の青さもそれに準じて溶け込んでいる。

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そういう中にある別の材の茶色があるととても目立つ。どちらかといえば白っぽさ。

14年06月22日(日)

大檀主の像

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明星院境内の「八木新兵衛翁像」は仁王像と寺号碑と縁起碑とともに門前を向いて並んでいる。翁像の目の前は駐車場。

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台座に説明されているのは、廃仏毀釈で衰微していた寺が「明治三十五年より大正二年に至る十二年間に亘り、篤信の大願主新兵衛翁が巨萬の私財を投じて諸堂宇を建立」して大伽藍となったことが讃えられ、しかしそれら多くの「建造物・仏像仏具・什宝物」が原爆で失われたことが惜しまれている。末尾の枠内には「本堂」「不動堂」「赤穂義士堂」「仁王門」など、「八木新兵衛翁寄進の諸堂宇」が列挙されている。

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原爆での被害の記述は隣の「明星院縁起」に「仁王門・赤穂義士堂の倒壊をのぞき全ての諸堂宇は悉く灰燼に帰しました」とある。赤穂義士像は現存し、本堂内陣に安置してある。

月光山 明星院 月光山 明星院 月光山 明星院

14年06月21日(土)

向かう像

義士堂の正面で向かい合う位置に立つのが瑤泉院像。

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数珠を手に拝む白い石像と、台座には黒い碑文。略歴の部分は尾関山公園の「阿久利姫之像」にあるものと同様で、尾関山のものが「瑤泉院殿良塋正澄大姉」の名を称えるのに対して、こちらではその場所柄、墓所が泉岳寺にあることと遺髪塔が鳳源寺にあることの説明がある。どちらも振り仮名が多い。

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14年06月20日(金)

義士堂

鳳源寺境内の義士堂は昭和56年建立。昭和21年に火災を受けた木像が修復されて納められている。義士像のほか、浅野長矩・浅野長治・瑤泉院の像も奥に見える。

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浅野家の紋、ということで鷹の羽が据えられているのは堂の正面上部、蓑甲の下奥。正面に近い角度なら見える深さ。

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14年06月19日(木)

山門の前の扉

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広島県の文化財 - 照林坊山門 - 広島県ホームページ 広島県の文化財 - 照林坊山門 - 広島県ホームページ 広島県の文化財 - 照林坊山門 - 広島県ホームページ

三次市三次町の照林坊は平成23年に本堂や山門など多数の建築物が国の登録有形文化財に指定されている。(写真は平成18年で指定以前)

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軒唐破風にある「藤巴」の紋は、山門手前の扉にも据えられている。見かけた時には扉の付いていなかった側の門柱には「當山第二十世住職 明山猛祐」と刻まれている。扉が無い状態だからよく見えるけれど、付いている側の「發起者」の字はあまり目立たない。

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14年06月18日(水)

門と紋

なので、丸に抱沢瀉の紋が扉の表にあり、馬印の「裏永楽」が扉の裏にある。

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門柱は明治三十四年のものが使われている。「威稜扶宇宙」「恩重福生霊」の語句は他地域の神社にも見られる。

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14年06月17日(火)

年譜と振り仮名

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墓域内にはさらに詳細な「福山城初代水野日向守勝成公略年譜」が設けられている。広い面積に生い立ちから武勲、福山の事績も逐一西暦を添えて触れてある。

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西暦2000年時点の当主・報恩会・菩提寺という、故人との強いつながりのある立場からの記述であるからか、固有名詞は自明のものとして振り仮名を持たない。と解するのは、家紋の「丸ニ抱沢瀉」に唯一振り仮名があるので。

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14年06月16日(月)

水野勝成墓所の周り

福山駅の東に連なるJRの高架の「水野公園橋りょう」部分が水野勝成墓所に隣接している。

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橋梁に面して沢瀉紋を据えた門扉があり、そこからまっすぐ奥の大きな五輪塔に通じる。門の脇にある「福山開祖水野勝成公墓地」と大書された碑は「明治三十三年有志者建」。表も裏も力強い字。

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松と石垣で囲まれた墓域の東側に県史跡としての説明板が立っている*1。銅像と同じく、個人の事績については福山の町づくりに絞られるのは当然ながら、その中でも上水道開発を誇っていることが伝わる。

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城下に芦田川の水を導いて、上水道を敷き飲料水の確保につとめた。この水道は江戸神田の上水道と並び古いもので、各地の上水工事のさきがけとなった

*1:現在のものの設置は平成8年

14年06月15日(日)

昭和53年の像

福山城二の丸の西側には阿部正弘像が、東側には水野勝成像がある。*1

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どちらも昭和53年の建立で、説明板は「市制六十周年の記念すべき年にあたり銅像建立を発起し 先人の遺徳を偲び明日への躍進を誓う」という結びの段落が共通する。

それ以前、大正11年に阿部正弘銅像が立てられていたが昭和18年に供出されている。*2

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水野勝成は福山の都市建設の事績が中心で、阿部正弘は老中としての幕政の事績に加えて人材登用や誠之館に触れられている。

歴史人物 - ふくやま観光・魅力サイト - 人 - 福山市ホームページ 歴史人物 - ふくやま観光・魅力サイト - 人 - 福山市ホームページ 歴史人物 - ふくやま観光・魅力サイト - 人 - 福山市ホームページ

のページでふたりとも紹介されているが、そちらでの水野勝成の記述は戦場での武勇伝が中心になっている。

14年06月14日(土)

武蔵腰掛石

「鷹の羽会」による説明板のある「宮本武蔵腰掛石」は、茶褐色の小振りな石を「武蔵瞑想石」と刻んだ台座に乗せて目立たせてある。台座無しだったら気軽に座れそうな平たさ。

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武蔵と関わるのは水野氏時代の福山領で、家老中山将監の自邸で饗応された際に腰掛けた石との伝承から、阿部氏の家老下宮氏が阿部神社に寄進した、という経緯をたどる。

14年06月13日(金)

三つの紋

阿部神社としての手水鉢や石燈籠には鷹の羽紋

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備後護国神社としての拝殿周りには桜と菊。

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西の表参道と南の阿部神社参道とで別々の姿を見せる。

14年06月12日(木)

文化年間の石

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統合して「備後護国神社」となっているうちの「阿部神社」は昭和32年までの社号で、創建は文化10年に遡る。当時の領主は阿部正精

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手水鉢のある段に「文化十年癸酉四月」の鳥居があり、その上の段の階段脇には「文化十三年丙子○○」の燈籠が残る。明治の石造物と並んでいても古さは目立たない。

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14年06月11日(水)

円筒の向き

参道脇の石燈籠が見せたい面は、入り口に向けた面と横切る時に正対する面。さきの例では「慰霊」が表を向けて、紀年銘や奉納者・揮毫者が側面に載る。

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別の参道では社殿の段に登り切った両脇に円筒形の石燈籠があって、表(入口側)に向けて「正四位勲四等伯爵阿部正桓」との奉納者銘に朱が入り、裏には「明治三十三年歳次庚子五月 正勝命三百年祭典之時謹獻」*1と二行で刻まれる。「謹獻」が正面に大書されるのではなく奉納者(継承者)の名が強調される。

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*1:阿部正勝 1541−1600

14年06月10日(火)

慰霊の石燈籠

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その階段の途中には歩兵第二三二連隊戦友会による石燈籠と石碑がある。手すりをなす玉垣の外にあるので、すこし遠巻きに碑文を眺める。

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右手の奥にある「慰霊」の碑が先にあり、昭和59年に石燈籠と左手の「碑文」(慰霊より詳細な経歴記載)が建立されたことでやや左右対称の構成となる。

14年06月09日(月)

拓魂碑の向かい

福山市にも広島少飛会の慰霊碑があり、こちらは昭和47年に備後地区の会員と遺族による建立。

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黒い角柱の脇に翼を象った板状の碑。手前には上向きに置かれた「あさかぜプロペラ」がモニュメントとなる。

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その位置は備後護国神社参道の階段入り口にあたり、「満洲開拓青少年義勇隊」の慰霊碑「拓魂碑」*1と対になっている。

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14年06月08日(日)

昭和50年の慰霊碑

たぶん比治山公園では御製の碑は前項の1基だけ。

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陸軍墓地内には香淳皇后の御歌を含む慰霊碑が1基ある。

比治山 陸軍墓地-詳細 : 英霊顕彰・慰霊 : 日本会議広島 比治山 陸軍墓地-詳細 : 英霊顕彰・慰霊 : 日本会議広島 比治山 陸軍墓地-詳細 : 英霊顕彰・慰霊 : 日本会議広島

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その「広島少年飛行兵の碑」自体は昭和50年の建立で、墓誌平成11年に加わっている。

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入江相政揮毫の「皇后陛下御歌」の歌自体はは昭和12年の作で、「みたま慰の舞」で知られる。

「大空に散華せし亡き友に捧ぐ 広島少飛会」部分は源田実の揮毫。建立当時は参議院議員

一つの記念碑が複数の要素の集まりになると、複数の人物と複数の時代が絡まり合って想起される。昭和12年に源田実は海軍大学校を卒業、とか。

14年06月07日(土)

二度の御展望

昭和22年末の広島行幸時の歌を刻んだ御製碑は、昭和61年末「天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会」による建立で、名誉市民灘尾弘吉による揮毫。

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その傍らには「皇太子殿下御展望之御趾」という角柱形の石碑がある。こちらは大正15年の摂政宮時代の行啓時に展望されたことの記念碑。15年後の昭和16年の建立で、当時の市長藤田若水による揮毫。

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記念碑が一つあることで、それが後世に伝えようとする出来事と、それを建立した時の状況という二つの時代の情報が残される*1。同じ場所に2基あれば4つの時点が刻まれて、その場所についての立体年表ができあがる。


関連

大正15年の殿下 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20130724/1374681376

臼山八幡の記念植樹 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20120408/1333874382

*1:出来事とほぼ同時に立てられる記念碑もあるけれど

14年06月06日(金)

比治山公園北半

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現代美術館北階段下の「比治山公園案内図」は、比治山トンネル以北の公園内を示した案内図と昔の写真を併せて紹介した説明板。

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昭和帝御製碑のあることで知られる「御便殿跡広場」が、昭和初期には桜の名所として親しまれていた、ということを伝える古写真や絵葉書の紹介とともに、「広島市平和ライオンズクラブ結成50周年記念植樹」(平成21年)の20本が案内図中に示されている。

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二葉の里再開発東照宮桜馬場参道を取り入れようという考えと似た所にある。*1

14年06月05日(木)

ムーアの山陽台

比治山公園などは、公園としての歴史の長さと園内の変化の多彩さを多数の記念碑や建築が伝えている。御便殿*1とか陸軍墓地*2とか。

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現代美術館建物から西へ下りると「ムーアの広場」または「山陽台」。

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下りる階段が二種類あり、「戦後間もなくつくられた旧階段と、この一部を削ってこのたび新しく整備した部分からなっている」。そう説明板はいうものの、それだけでは「このたび」がいつのことなのか見当がつかない。

広島市現代美術館をとりまく環境に歴史的な厚みを加えることを意図している」と明言されている。元々あったもの(歴史的なもの)を残そうとすれば、確かに新しいものは削られた層に現れることになる。

14年06月04日(水)

記念碑の説明板

ばら公園内の黒い石碑には「ここに善意の花開く」とある。

昭和42年度の「全国美しい町づくり賞」受賞記念に翌年設置された。

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それだけでは目立たないからか、石碑の背後にバラの絵をあしらった看板が立てられて「ぜひご一読ください」と促す。さらに上には碑文を大きな字で載せてある。

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受賞の記念碑自体が公園の歴史を伝える記念物となるぐらいに年月の経過は大きい。これから先、石碑が残り続ける限りはそれを紹介する看板などの道具立ては変わっていくのだろう。

14年06月03日(火)

案内図と下の面

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ばら公園前のバス停近くなど、市街地の要所要所にある案内図。

上部には傾斜をもたせた周辺案内図。その下に垂直に立つ石柱部分には所在地の住所表記が刻まれている。「花園町一丁目」など。青色の住居表示プレートと似たような機能、にしては読まれにくい石の色。

さらに下、地面に嵌めこまれて真上を向いている茶色の説明板には、その所在地よりも広い版にに観光案内・歴史案内が載っている。

ばら公園前では中川美術館、福山駅前では「瀬戸内ふるさと福山」という市全体の紹介が置かれるといった具合。

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14年06月02日(月)

ステンレスの反射

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「天の恵み」の碑文がほとんど地面と同じ高さと傾斜にあるのとくらべると、

ばら公園の「優秀ガーデン賞」(2006年)のプレートは、花を隠さない程度の高さの台石に嵌めこまれて勾配も強いので、見る人の視線に入りやすい。

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「福山城周辺ご案内」は石垣の前で垂直に立つ。

日光が反射して見えにくい部分が縦の帯になる。そういう部分ができないような角度で写せばいいのだろうけれど、目にしたもの全て綺麗に収めようと考えだしたら長続きしないだろうから、そこは割り切る。

14年06月01日(日)

ステンレスの表面

そのモニュメントの入口側地面に「天の恵み」(三好章市長揮毫)の記念碑が嵌めこまれている。

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図の説明には節ごとに「表面」「材質」「板厚」が記されている。表面は上から「鏡面仕上げ」「鏡面+ヘヤライン仕上げ」「ヘヤライン仕上げ」「サンダー仕上げ」という違いがある。

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単に見える角度で見え方が違うのかと思っていた。