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14年09月30日(火)

仁保橋東詰

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「竣功 昭和39年8月」とあるのは、猿猴川に架かる仁保橋の東詰。普通の橋ではこの部分は見えにくいところ、橋の下を地下道が通っているために昇降の際によく見える。

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東詰のすぐ北で府中町広島市南区の境となる。

14年09月29日(月)

南口の碑

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南口ロータリーには細長い緑地の区画があり、「向洋駅前緑地帯竣成記念」の石碑がある。昭和38年の建立。

南口しかなかったころには「駅前」で事足りた、ということであるけれど「南口」と呼ばなかったとも言い難いうえに、「北口」が出来た途端に南口を「駅前」と呼ばなくなるわけでもないので、使用時期を明確に区切るほどではない言葉。

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刻字をよく見ると「駅」は通用自体、「帶」は本字体、「竣」は右上の「ム」が「山」の異体字

14年09月28日(日)

向洋駅と踏切

向洋駅のすぐ北にある踏切が「青崎第10踏切」で、巡回バスの経路。さらに北には「鹿籠踏切」。そこまでが放置自転車規制の区域。

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5.向洋駅周辺地区の問題と課題 | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町 5.向洋駅周辺地区の問題と課題 | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町 5.向洋駅周辺地区の問題と課題 | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町

駅周辺の区画整理の理由の中に「踏切によるラッシュ時の車の渋滞、踏切事故等の発生が懸念」と「鉄道により、市街地が東西に分断」などの、高架化によって解消されることになる問題が列挙されている。ひとまずは駅北口と青崎中駐輪場の存在によって踏切を渡らずにすむようになった人も多いのだろう。

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14年09月27日(土)

高架化の前に

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北口は南口より簡易なつくりとはいえ、手すりつきの階段とスロープをそれぞれ備えている。

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一時期のような「車いすで電車に乗られるお方は、このインターホンで駅員にご連絡下さい。」という移動のしにくさはなくなっているが、区画整理事業の大看板が示すような高架化・橋上駅化が目標となると、それまでは現状が「簡易」で高架化は高価か。

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14年09月26日(金)

向洋駅北口

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JR向洋駅に北口改札新設へ - 中国新聞 JR向洋駅に北口改札新設へ - 中国新聞 JR向洋駅に北口改札新設へ - 中国新聞

という記事が書かれたのは平成22年9月。駅北口の新設が「2012年度に設置するとした計画を2年間前倒しする」ことになったため、完成したのは記事翌年の3月。

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21年夏に青崎第10踏切を通りかかったときは、「向洋駅北口に簡易改札口を実現させましょう」という横断幕がかかっていた。

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同じ場所に現在は「JR向洋駅北口を開設しました」という案内図が設けられている。方位盤が近くにあると「南北」よりも「東西」かと迷いが生じる。

14年09月25日(木)

青崎

広く「青崎」というと、南区(旧仁保村)と府中町にまたがる旧「青崎新開」の一帯をさす。

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府中町の南端部には「青崎東」「青崎中」「青崎南」がある。南区には「青崎1〜2丁目」と「東青崎町」があるので、青崎の北に青崎南が接することになる。

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向洋駅は青崎南に属し、駅北口が青崎中に面している。中学校ではない。

14年09月24日(水)

府中の南

神社の表の道路には「府中南公民館」バス停があり、町内の循環バス「つばきバス」が通っている。

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つばきバス | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町 つばきバス | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町 つばきバス | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町

循環バスは新幹線を中間にして町内を8の字に回る。南部では東西に青崎東住宅・府中南小学校・府中南公民館・桃山一丁目・向洋駅に停車する。まっすぐの道ではなくジグザグの線。

14年09月23日(火)

鹿籠の桃山

向洋駅北東の丘が鹿籠山で、現在の鹿籠1丁目・2丁目よりも広い範囲が「鹿籠」だった。

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公民館や鹿籠神社の位置するのは「桃山二丁目」。昭和50年に現在の編成の1〜2丁目の住所表記となる。

14年09月22日(月)

玉垣と橋

鹿籠神社がその地に移されて二十五周年に玉垣が奉納されている。

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その場所柄、個人の名前以外の企業名も多く連なる。外からいちばん目立つ位置に東洋工業の名。

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参道内の池に挟まれた部分では、石橋の欄干が玉垣と一緒に柵の役目を果たす。

14年09月21日(日)

鹿籠の篭

現在地に「鹿籠神社」が建てられたのは昭和29年。前身となったのは鹿籠(こごもり)地区に祀られていた「辨才天」「厳島姫命」「稲荷大神」で、多家神社境内社に合祀されていたのを地区内に分けたのが大正7年。

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社号碑は昭和29年で「略記」は昭和53年。昭和54年の再建25周年には玉垣が整備される。

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異体字の「篭」は「略記」の表と「玉垣建設記念碑」にあらわれる。

14年09月20日(土)

干支は上に

拝殿手前の石灯籠は、「奉寄進」を正面とすると、両側面に「丙天保七年」「申三月吉日」との紀年銘がある。

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西暦でいうと1836年の「丙申」が、2行の上で横書きになっている配置。

参道からは「申三月吉日」だけが見えるわけでもなく、対の灯籠で反対側を補える。

14年09月19日(金)

立て札と石灯籠

府中町鹿籠神社は府中公民館の奥に鎮座する。

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石畳参道は途中で左へ曲がる。入り口近くと曲がり角と、拝殿手前と、均等に石灯籠が配置されている。

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「危険ですから石灯籠に触らないでください」

という立て札がどの灯籠にも添えられている。無造作な置き方ではなく、目立つ高さながらコンパクトで、裏面を白く塗っているのも合っている。


関連

手すり注意 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20090807/1249622816

14年09月18日(木)

火袋の末

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その先の階段脇にも多数の石灯籠が控えている。

火袋の石を木枠が囲む右側と、線刻のみの石が火袋として置かれている左側の対に始まり、

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火袋そのものを失った状態で安定しているもの多数。

14年09月17日(水)

石灯籠と社号

その手水鉢の先にはまず石鳥居があり、その先に石灯籠・注連柱と続く。

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「文政六癸未年」とあるのは左右とも同じで、右方前面には「大明神献燈」、左方前面には「荒神社献燈」とある。

14年09月16日(火)

城跡入口の舟形

神辺城跡に駅近くから登る道は、入口に真っ先に手水鉢が突き出している。

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舟形の鉢が舳先を麓側に向けて置かれ、まっすぐな線で「昭和三年十二月 献 上組氏子中」とある面が参道を向く。

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灯籠が文政で、注連柱と鳥居が明治と、入口の石造物の中では新しいほう。

14年09月15日(月)

手水鉢の台

氏神社の所在地は西条町御薗宇で、

西条町吉行の「石清水八幡」は四日市などの西条中心部の氏子によって祀られている。

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境内西側の木立の間に手水鉢がある。鉢そのものは舟形で、舳先が社殿の方を向いている。字を刻む平面がないからか、下に置かれた竿石のような台に紀年が刻まれている。

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安永九庚子年 願主○○ 奉寄進 正月吉祥日○○」。下端が埋もれているわけではないものの、下の方の字は読み取りにくい。



関連

安政の石灯籠 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20100427/1272384630

14年09月14日(日)

氏神社の手水鉢

西条のブールバール沿いの氏神社。

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随神門をくぐってすぐの左手に手水鉢。

平たい正面に大きく「献」。紀年銘や「四日市住 石工」*1の刻字もみな正面にある。

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背面も平たいので水管もまっすぐ立っている。

*1:石工の名は玉砂利に埋もれている

14年09月13日(土)

享保の手水鉢

榊山神社と熊野本宮の社殿の間には境内社が並ぶ。

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諏訪神社の鳥居を構えた先には「諏訪神社」と「榊山神社」。諏訪神社は熊野中学校拡張によって現在地に移る。移転前の所在地も「八幡山之内」*1

階段手前にある手水鉢は正面も上面も平たくて、遠目には水をためるくぼみが見えずに単なる石碑にも見えた。

昔からこういう向きだったのかどうかともかく、正面に「享保九甲辰年 奉寄進」云々との刻字がある。横幅が広いので小さい字でもゆったりしている。

*1:「文化度国郡志 熊野村」

14年09月12日(金)

明治9年の手水鉢

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榊山神社の参道八幡山の麓から始まる。道路を挟んで石灯籠と注連柱が並び、二基の鳥居は「八幡宮」「榊山神社」の額を掲げる。

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参道脇にある手水鉢は明治9年の城之堀区の人による奉納。正面の語句でよく見るのは「奉献」や「浄水」だけれど、ここでは「五穀成就」。水道と手水舎を備えていない現状でここに水をもたらすのは天水のみ、という意味で上の手水鉢と違う役割を持つ。

14年09月11日(木)

榊山神社手水舎

八幡山の榊山神社の手水鉢は参道脇に「奉献」の面を向ける。

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昭和53年に建てられた手水舎が包んでいるので、四周を巡る空間に余裕がある。地元大工による建設なので「城之堀庭」「出来庭」という町内の地名があらわれる。

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側面の「世話人」の刻字の一部が水管に隠れてしまうのは、奉納当時には想定しなかったろうけれど、左右から水管を渡して水が数箇所から出る工夫なら、過去の人にも納得される改良には違いない。

14年09月10日(水)

注連柱の背後

熊野胡子神社の注連柱の語句は「国家安穏五穀成就」「一家団欒鼓腹撃壌」。四字熟語としてはとくに珍しくないが注連柱の語には珍しい、そんな語句が四つ並ぶと、取り合わせとしてもなおさら珍しくなる。

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その背後のスペースにぴったり収まっている手水鉢。

正面の「奉献」の地は注連柱に隠れるが、側面の奉納者名は参拝者からよく見える。見られることを意識して側面を選んだか。

14年09月09日(火)

胡子神社の芳名

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同じく熊野町。中溝の街中に「熊野胡子神社」が祀られている。

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奥行き一杯の社殿の脇にある拝殿改修の芳名板は内側を向く。当然ながら拝殿内に掲げられた芳名額も内側、賽銭箱の奉納者も注連柱の奉納者も内側からなら見える向き。

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大正15年2月の寄附者芳名は外向きで壁に掲げられている。銅板に「抽籤順」で記されている。

14年09月08日(月)

貴船神社拝殿

廊の右脇にある横長の石碑は「貴船神社拝殿修復寄進者御芳名」で、平成19年の拝殿修復への寄進者名が連なっている。

それとは別に脇の石柱に「屋根瓦葺替」がなされたことも示されている。

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修復部分の新しさは木材の色の違いでよくわかる。内側では明治大正の奉納額の上を覆う明るい天井板。

14年09月07日(日)

貴船山の貴船神社

熊野町川角の貴船神社。*1

水害を避けるため現在地に移されたのが寛文3年。八幡神社でありなおかつ高龗神を祀る。

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広い平坦の真ん中に社殿が建っているので、背後に山が迫る立地と違い、本殿の後ろにも回りこめる。石垣近くにある椅子は本殿の茅葺屋根で雨をしのげるだろうか。

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同じ段に建っていても土台の高さが一緒ではない。拝殿の床に上がる石段が六段で、奥の廊はわずかに高く、本殿の床はさらに高い。

14年09月06日(土)

琴山神社の段差

吉田町の東部、外堀川*1のさらに東の山懐に鎮座する琴山神社。

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坂と階段の先にある段上には神楽殿や石造物があり、拝殿も同じ段に乗っているけれど、床の位置がさらに上の段の高さに合わせてあるので、床下が広く階段が長い。

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もとは木製の階段で拝殿に上がっていたのだろうけれど、金属製に置き換わっている。石の段を置くには勾配が急すぎたかもしれない。

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14年09月05日(金)

花山神社の石

甲田町の花山神社は国道54号に面した山の麓に位置する。浅い奥行きの緩斜面に構えられた石垣が二ヶ所の段をつくる。

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社殿と石灯籠のある奥の段と、下の狛犬の段。石造物の台石も階段も、石垣の石と一体感がある。

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社殿を囲む塀は特に無いので、床下も土台の石も明瞭。

14年09月04日(木)

常盤神社の段

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同じく八千代町の常盤神社(勝田)は背後に砂防堰堤の連なる傾斜面*1

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坂道の参道の先には拝殿のある段に上がる末広がりの階段。

奥にはさらに二つの段が社殿左右に石垣を広げる。ここもまた本殿を囲むのはブロック塀。

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14年09月03日(水)

佐々井厳島神社本殿

佐々井厳島神社*1は山の麓の平地を境内とする。

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本殿だけは背後の斜面を石垣で固めた上にあり、拝殿の屋根の高さほどの位置に台がせり出している。

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本殿を囲むのはブロック塀で、左の隅に水を抜くパイプが突き出ている。

14年09月02日(火)

倉稲神社跡

本現寺川近くの上佐々井、路傍に椿が一本立ち、小さな石垣の上に五輪塔などの石塔がびっしりと並んでいる。

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狐ヶ城の案内と同じように、木製の角柱は昭和53年の設置。「御祭神」など書かれていた面はほとんど剥れている。

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ふるさとめぐり 伝説を訪ねて』(八千代町.1992)に「倉稲神社」の項があり、慶応2年創建時の棟札の文面が掲載されている。角柱が真新しい写真もある。

倉稲神社の鎮座していた時期は明治41年までと短いものの、創建以前から大木と五輪塔のあった場所ということで、元の姿に戻ったとも、臨時に神社としての役目を果たしたとも、言い方はいろいろ。

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ここも含めて佐々井村の小祠は佐々井厳島神社に合祀された。

14年09月01日(月)

昔の角柱

八千代町のほうぼうに見られる細い木の角柱。道路の脇に標語の載せて立ててあったり、

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史跡の「狐ヶ城」への道しるべになっていたりと、場所をとらない目印になっている。

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「昭和五十三年」に立てられたものはボロボロになりつつも、かろうじて文字は読み取れた。