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15年07月31日(金)

店から出る矢印

店の駐車場から外に出るとき、向かう方向と外の道路の状況によっては細かな指示が地図にあらわされる。

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出方に指示がなくても、この方面に行くにはこちら、という大まかな道案内が置かれることは多い。

(可部陸橋のそば http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20110221/1298296748)

15年07月30日(木)

断続の矢印

地図上の道路が幅のある実線なら、その上をたどる矢印は点線が見やすい。

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横断歩道の縞々を表現しつつ、その上を点線の矢印が通るとなるとすこし見づらい。

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点線のようで点線でない、短い矢印を連続させたルートマップもある。分岐がある場合に便利かもしれない。

15年07月29日(水)

点線の道

地図上の道路の線が点線のとき、たいていは工事中か予定線の区間で、まだ通ることができない。

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平成18年設置の安佐北区の地図中で可部バイパスは南原口まで開通済みの描写。翌年には1.8km延伸して開通しているので、すぐに現状と合わない線になったまま年が経っている。(画像は昨年のもの)

15年07月28日(火)

道の案内図

同じく広島城前に置かれた道しるべとその案内図。金属表面の凹凸が街区と建物の密集具合をなんとなく感じさせて、その中の文字を読もうという気を感じさせにくい(良くも悪くも)。

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名所旧跡については道しるべが方向を示しているから、地図上に記号をつくることも優先されないが、凡例なきにしもあらずで、丸点線が「平和の道」で角点線が「文化の道」のルートであると例示してある。

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15年07月27日(月)

広域避難場所

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平和公園中央公園は広域避難場所に指定されているので、その範囲を示す地図が設置されている。

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古くなると色あせてしまって、ただの黄色い地図と見られるか、地図とも気付かれないほどに文字も薄れる。

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新しい地図では色や文字がくっきりしているだけでなく、凡例の種類も増えている。前は避難場所の範囲を現す緑の枠のみだったのが、言語によっては自明ではない学校やトイレの記号も説明が付いた。

15年07月26日(日)

本川が西

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元安川平和大橋に対して、本川に架かっているのは「西平和大橋」。

橋の紹介ページでは、工法についての目立つ所はとくに無いと書かれ、平和大橋よりも距離が長いというフォローが入る。

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15年07月25日(土)

平和大橋

広島県のサイト内に「これまで建設されてきた,ひろしまの優れた橋・歴史的な橋・芸術的な橋・ユニークな橋」を紹介する特集ページがあり、建築技術上の特徴を持つ橋がまとめられている。

行ってみよう・撮ってみよう・渡ってみよう「ひろしまの橋」 - 広島県ホームページ 行ってみよう・撮ってみよう・渡ってみよう「ひろしまの橋」 - 広島県ホームページ 行ってみよう・撮ってみよう・渡ってみよう「ひろしまの橋」 - 広島県ホームページ

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平和大橋(へいわおおはし) - 広島県ホームページ 平和大橋(へいわおおはし) - 広島県ホームページ 平和大橋(へいわおおはし) - 広島県ホームページ

元安川の「平和大橋」(昭和27年完成)は欄干のデザインについては補足にとどまり、「全溶接での一等橋としては,先の恵川新橋に続き我が国で2例目の橋」という記録に残る。

15年07月24日(金)

国道2号の恵川の橋

その恵川橋よりも下流に位置する国道2号の橋は、昭和25年「我が国で初めて恵川新橋で採用されることとなる「突き合せ溶接」」により作られた。(下記リンク先による。または現地の記念碑「恵川新橋」)

恵川新橋(えがわしんばし) - 広島県ホームページ 恵川新橋(えがわしんばし) - 広島県ホームページ 恵川新橋(えがわしんばし) - 広島県ホームページ

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標識には単に「恵川橋」とあるので、国道2号の中での位置表示には「新」が無くても通じるのだろう。

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交差点名は「新恵川橋北」となっている。旧道のほうの「恵川橋」との区別さえ付けば「新」の位置はどこでもいいのかもしれない。

15年07月23日(木)

恵川橋バス停

おおたけ幹線バスの「こいこいバス」は大竹駅と玖波駅の間の主要施設を経由する路線。

交通案内|大竹市市役所 交通案内|大竹市市役所 交通案内|大竹市市役所

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玖波駅の次のバス停が「恵川橋」。

その次が「広島西医療センター」だけれど、上記リンクのルートマップでは表記が「広  土医療センター」になっている*1

*1:24日現在閲覧

15年07月22日(水)

恵川の恵

橋名板のほうは石に刻まれて白く細い線になっている。「恵」の字の線の交差が多くてギザギザしている。

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ひらがなのほうは「えかわはし」。

15年07月21日(火)

佐伯郡大竹町

市よりも前、大竹町の頃は玖波などを含まない小さな範囲。

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玖波の恵川に架かる「恵川橋」の親柱に錆付いた銘板が残っていて、「昭和四年八月竣工 佐伯郡大竹町 請負人向井寛二」とくっきり見られる。

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15年07月20日(月)

大竹市全図(イラスト)

廿日市市の南西に接する大竹市の範囲は、昭和29年の市制施行以来合併が無いので全図の変化も無し。

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駅前の「大竹市街図観光案内図」の枠内に「大竹市の観光イラストマップ」が設置されている。これ以前に「市街図観光案内図」があったんだろうか。

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市の範囲は変わらなくとも、隣接する「大野町」が「廿日市市」に置き換わるなどの修正がある。

15年07月19日(日)

廿日市市全図(現)

榎浦橋近くで見かけた「はつかいち縦断みやじま国際パワートライアスロン大会」の支援自販機と資源回収箱。

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回収箱側面にコースマップが載っている。薄い緑で市の範囲が示され、大野瀬戸を通る青線がスイム、大野・廿日市・佐伯を通る緑線がバイク、吉和でもみのき森林公園を経由してウッドワン美術館をゴールとするランの橙線。

15年07月18日(土)

廿日市市全図(旧)

JR阿品駅前で平成21年に見かけたのが「廿日市市全体案内図」。合併前の範囲なので最南端は大野町との境、最北端は湯来町との境。

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15年07月17日(金)

広島市の全図

たぶん今もなお、広島市全図を載せた案内図の中には佐伯区湯来町を含んでいない時期の物が残っているのだろう。(下の植物公園内の画像は平成23年)。

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五日市駅掲示の佐伯区案内図のように、佐伯区のみに絞ってあらわした地図などは、早めに旧五日市町と旧湯来町をあわせた広さに変わっているはず。

15年07月16日(木)

安芸区の全図

区役所は船越南三丁目にあり、海田町との境界に近い。

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「安芸区管内案内図」が青色で示しているのが安芸区の範囲で、その周りや真ん中に安芸郡の町が位置する。「ア」の字に似ていなくもない。

15年07月15日(水)

町章と区章

どちらの記念植樹の碑にも船越町の町章がある。

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安芸区の一部になった現在は、アの図案化による区章が一般的とはいえ、町章の制定から合併までの短い年月だけ使われるのは惜しまれそう。

15年07月14日(火)

安芸郡船越町と広島市船越町

昭和3年、安芸郡船越村が町制施行で船越町となる。

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岩滝神社境内に「町制施行四十五周年」の記念植樹がなされた。

広島市に編入されたのが昭和50年なので五十周年には届かず。

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船越公民館には合併二十周年の記念樹がある。合併なら広島市が続く限りは(分離しない限りは)周年は数を増し続ける。

15年07月13日(月)

生まれた時の村

松本隆興の生年にはまだ吉土実村は無くて吉行村であったり、

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檜山袖四郎の生年には船越村であって、船越町になるのは昭和3年だったりと、経歴の表現の細部を気にするときりがない。

が、きりがないことが与える安心感は大きい。その石碑が作られた当時の感覚があらわれている、という意味で一次史料

15年07月12日(日)

船越の丘の上

安芸区船越の岩滝山で船越や海田の街を眺める位置に立つのは、

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船越出身の県議会議員「檜山袖四郎君之像」。「君」が政治家っぽさを醸し出す。

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藍綬褒章授与までの経歴を刻んだ石碑が傍にある。井上政雄(桂園)による碑文。

15年07月11日(土)

松本学校の像

東広島市西条町吉行に瀬戸内学園の前身「私学松本学校」が創設されたのが明治34年。当時は賀茂郡吉土実村。*1

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安芸国分寺跡近くに胸像「松本隆興先生之像」があり、学園の沿革などがつづられた説明板が平成19年に設置されている。周りに植栽が無い場所の胸像は台座が妙に細長い。

15年07月10日(金)

「小林政夫之像」

福山商工会議所の前*1に設置されている胸像は、平成12年に亡くなった「小林政夫之像」。

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誠之館人物誌 「小林政夫」 福山誠之館同窓会会長(第7代)、福山商工会議所会頭、日東製網株式会社社長 誠之館人物誌 「小林政夫」 福山誠之館同窓会会長(第7代)、福山商工会議所会頭、日東製網株式会社社長 誠之館人物誌 「小林政夫」 福山誠之館同窓会会長(第7代)、福山商工会議所会頭、日東製網株式会社社長

のページの年表が示すように数多くの肩書きがある中で、この場所では「福山商工会議所会頭(第4代)」が主なものとなる。

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題字の揮毫は「宮澤喜一」。第2回参議院議員選挙で岩沢忠恭(自由党)・小林政夫(緑風会)が初当選、その3年後の第3回の選挙で宮澤が選挙区で当選。

*1:1階にFM福山があるので窓に「レディオびんご」のロゴが見える

15年07月09日(木)

太田川を見守る像

昭和40年、岩沢忠恭参議院議員が亡くなり、太田川放水路起点を望む地に胸像が置かれた。

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碑文は当時の広島市長浜井信三。

15年07月08日(水)

1984年

元安川近くの「平和祈念碑」は広島西・長崎西両ライオンズクラブによる祈念碑。

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題字は「1984年3月14日」の市長、ということで荒木武市長。

15年07月07日(火)

立町になる前

東魚屋町他が立町に編入されて住居表示としては消滅したのが昭和40年。

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注連柱は昭和29年、鳥居は翌30年の奉納。鳥居の塗装は塗りなおされている。

社号碑の揮毫は渡邉忠雄。昭和30年から34年の広島市長。

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関連

「嗚呼中島本町の跡」 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20110817/1313591177

15年07月06日(月)

旧東魚屋町

現袋町の西魚屋町に対して、東魚屋町は現立町にあったが、さらに東の京橋町にも市ができたことで「中の棚」と呼ばれることになる。

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15年07月05日(日)

旧戒善寺町

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明暦の火災で戒善寺は中町(当時)へ移り、跡地は袋町(現在と範囲は異なる)となる。逆に火災後に白島から移ったのが真宗妙蓮寺

「袋」は戒善寺の祀っていた大黒天に由来するという。戒善寺があったころには寺の名がその地域の名前を指すほどに馴染んでいたのだろう。

戒善寺中ノ丁

(略)西国街道の通る播磨屋町から分かれ、南方の戒善寺に至る町筋で中町の南に隣接、単に中町とも呼び、町地の中町は戒善寺中ノ町(戒善町)と呼ばれるなど、両者は混同して用いられた。

角川日本地名大辞典 (34) 広島県

西魚屋町 一名戒善寺町、當寺もと此町にありし故なり、又石切屋町と云、石工多し、長二町三十六間、

中町 長二町三十二間、

袋町 長二間二十三間、明暦中、此町をひらく、

芸藩通志巻六 坊里

15年07月04日(土)

小町の空き地

妙慶院が街区の東の端にあり、隣にはおととし完成の「海雲ビル」。妙慶院の山号が「海雲山」。

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海雲ビルの西隣が戒善寺。高田郡吉田から西魚屋町(現袋町ほか)へ移り、明暦の火災後妙慶院隣へ。吉田の頃は「海前寺」と*1

戒善寺の隣がもと「広島第二有楽ビル」のあったところで、大成建設鳥取銀行が海雲ビルへ移転。(写真は昨年7月)


平和大通りの大成建設 新社屋。跡地は上野学園が取得 - 鯉党のひろしま街づくり日記 平和大通りの大成建設 新社屋。跡地は上野学園が取得 - 鯉党のひろしま街づくり日記 平和大通りの大成建設 新社屋。跡地は上野学園が取得 - 鯉党のひろしま街づくり日記

〜広島支店の移転オープンについて〜:鳥取銀行ホームページ/ニュースリリース 〜広島支店の移転オープンについて〜:鳥取銀行ホームページ/ニュースリリース 〜広島支店の移転オープンについて〜:鳥取銀行ホームページ/ニュースリリース

*1:「初め海前の字を用ふ、福島氏の時、府下今の西魚屋町に移し、戒善寺と改め、」『芸藩通志

15年07月03日(金)

妙慶院と清岸寺

平和大通りの南の小町で四階建てのビルを構えているのが妙慶院清岸寺。

縁起の紹介ページ*1は妙慶院と清岸寺それぞれあって、現在地付近で続いてきたのが福島正則ゆかりの妙慶院、開基の詳細不明ながら天神町で続いてきたのが清岸寺。

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一階テナントにはドラッグストアが営業していて、寺院っぽさは東面の「定礎」や「和順講堂」の揮毫に仄見える。けれどお店の搬入口のほうが目立つ。

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福島正則の母「照雲院」と妹「大雲院」の墓碑は現存している、といった記述は妙慶院現地の説明板に載っている。

「寄進」の「寄」に修正の跡があるということは、はじめは「奇」だったのかも。

15年07月02日(木)

名誉市民の墓

同じく浄土寺境内には尾道町奉行平山角左衛門の墓がある。「角」は中心の縦画が突き出る。

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墓が広島市内の妙慶院清岸寺から移されたのが昭和51年。

同寺に残っていた「正則公の母堂と妹の五輪の古墓2基」も鈴張に移転したとある(下記リンク)。

浄土宗 妙慶院 清岸寺 浄土宗 妙慶院 清岸寺 浄土宗 妙慶院 清岸寺

墓石手前の碑文が墓石移転以前にあった各種の顕彰事業を挙げている。

没後近い時代には平山霊神社と大紀功碑が建てられ、昭和43年には尾道名誉市民の称号と千光寺山頂に顕彰碑が加わった。

15年07月01日(水)

供養の宝篋印塔

浄土寺境内の重要文化財の一つに南北朝時代の宝篋印塔がある。

足利尊氏が九州に下る途中ここに留まったこともあって「足利尊氏の墓」の名もあるが、

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「足利尊氏供養塔」という表示なら墓はここじゃないと言われずに済むか。ひっくるめて「墓」だけど。