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16年12月31日(土)

ツリーの置ける場所

建物を出てすぐの、ペデストリアンデッキ中央広場に25日までそびえていたイルミネーションツリー。屋根の白さが色を引き立てる。

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それを写真に収める人はもちろん多く、いろいろな位置から背景を選べる。遠くのビルの看板も収まるとしたら広告の甲斐がある。

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デッキの手すりも電飾で飾られていて、これはクリスマス後も残っている。

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16年12月30日(金)

三方向への案内図

その真ん中の通路に入る手前の分岐点にある地図付きの案内表示。

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「広島駅新幹線ペデストリアンデッキ」からどの方面へ向かうのかを示す三つの矢印で、真ん中は「二葉の里・光町方面」、左手は「二葉の里方面」、右手は「若草町方面」。住居表示は面を成すので、どうしても三方向で重なる地名が出てしまう。宇品海岸から元宇品への道*1のような場合なら一方向に絞られるが。

その下に大きな面積を使って広島市内の航空写真による案内図があるが。示す範囲の広さからすると、これらの施設や名所は北口からではなく南口から行ってくださいという意味だろうか。

16年12月29日(木)

真ん中の通路

今年供用開始となった中央の通路は、駅北口から真っ直ぐ伸びて「新幹線口(東)」交差点の西側を跨ぐ。鉄道病院方面から信号を待たず駅へ向かうことができる道。

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この通路は駅前全体から見るとやや東よりにあって、東側がタクシープールで西側がバスと普通車のターミナル。それらに挟まれた広場に円鍔勝三の作品が設置されていたりしたが*1、まだ地上部分の工事は進行中。

16年12月28日(水)

新幹線口から西へ

ペデストリアンデッキは目の前の県道84号「二葉通り」を跨ぐ歩道橋を先端として三方向に伸びる。

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先の掲示に示されていたように、まず東方面のデッキができ、昨年西方面が開通し、今年中央が完成という順序。歩道橋が出来たことでその直下の新幹線口交差点が廃止されている。紙屋町地下街が出来た時の交差点のような。

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16年12月27日(火)

新幹線口の新通路

何度も行き来していても、ほかの用事*1の優先順位が高すぎて周りの写真を撮っている状況ではない期間があったりすると、過去の写真はあっても途中経過がぽっかり欠けてしまう。だいたい完成したあとで全体を眺める。

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二葉の里の工事」の様子は段階的に眺めることが出来ていても*2、広島駅新幹線口のペデストリアンデッキが本格的に造られつつあった昨年などは、足場の下をただ通り過ぎるだけだった。

16年12月26日(月)

可部駅西口旧状

現在の可部駅西口バスターミナルが整備されたのは平成19年のこと。

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工事中の様子として、バスターミナル以前の可部駅前バス停の残骸などを写してはいたものの、

可部駅前バス停(旧) - 看藝累記 可部駅前バス停(旧) - 看藝累記

工事が始まる前の姿は写真に収めることがなかった。

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デジカメを購入したのがその前の年、平成18年(今なお使っている)。その直後にいろいろ撮っていたつもりでも、変わった後になってみると撮り逃した物があれもこれもあると気付く。

網羅することや定点観測することにこだわったら長続きしない、と意識して散漫に過ごしたからでもあるけれど、やはり少し惜しい。

16年12月25日(日)

工事の前と途中

可部駅構内の踏切があった頃の様子と、自由通路やホームの工事が始まってからの様子。

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工事の進捗によって踏切の幅が変わったり動線が曲がったり。スケールは違うが新白島駅工事中に見た祇園新道の歩道のように。*1

16年12月24日(土)

自由通路という名の跨線橋

可部駅の工事による一番大きな変化は、改札口までの動線が二つに分かれたこと。

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1番乗り場と2番乗り場で別々の改札口が設けられ、駅構内の踏切が撤去されたので、東西の行き来は跨線橋を使うため以前より大回りになる。

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みどりの窓口は東口に、バスターミナルは西口に。

関連

可部駅の頭上 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20160508/1462804698

16年12月23日(金)

今は終端

じきに亀山方面へ延伸して、可部駅は再び二方向の時刻表を掲げることになる。

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それまではまだ、「可部」の駅の次は「中島」しかないし、広島方面への列車の時刻表しかない。

16年12月22日(木)

区切られたホーム

そんなこんなで電化延伸に伴う可部駅の駅舎やホームの工事が進行中。

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旧1番・2番乗り場にはもう入れない。旧3番乗り場は新たに1番乗り場となった。

16年12月21日(水)

可部駅1番乗り場旧状

駅の東口寄りのホームが1番乗り場。

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東口寄りではあっても改札口からは距離のある位置で、やや不便。2・3番乗り場を持つホームに比べると幅も狭い。

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これもまた、いずれ無くなる乗り場だと知ると写真に収められる機会も増える。3月ごろ設置された(この冬もまた登場する)「KABEを乗り越えろ」の看板は1番と2番の乗り場を背にしていた。「げんざい」から「みらい」へ。

16年12月20日(火)

可部駅2・3番乗り場旧状

近々、終端の駅ではなくなる可部駅。そうした近い未来が分かっているとなると、いずれ旧状となる風景を写真に収めておこうとする欲は深まる。(あえて欲という)

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とまっている列車も何種類かあると絵になるなと思い、欲が嵩む。

16年12月19日(月)

人目をひく黒い車両

普段から行き来している電車は、その路線を日常使っている人にとっては珍しくもないので、写真に収める人は観光客かそういう趣味の人なのだと分かる。

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一転、特別な車両がたまたま駅に止まっているような時は、鉄道に興味のない人たちでも即座にスマホをかざす。たまたま珍しいものを見るお得感からすると、知ってて待ち構えるのが野暮に思えてくる。

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夜、海田市駅の3番乗り場にとまった瑞風。

16年12月18日(日)

留置線にいる車両

三次駅の乗り場は1番から3番まであり、そこ以外にもホームに接しない待避線や留置線が何本もある。

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3番のホームから南を眺めると、福塩線芸備線三江線を走る一両編成のよく見る型の車両が何台か停まっている。前後に並んでいたり左右に並んでいたり。

16年12月17日(土)

三次駅のりば旧状

北に入口を向ける三次駅駅舎に接するホームは1番乗り場。中原踏切方面にのびる西側の切り欠いた部分に0番乗り場があったが、現在は無い。

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主に0番で発着していた三江線の車両は、現在では3番乗り場に移っている。以前設置されていた2・3番乗り場から三江線の乗り場への案内看板は、今ではもちろん無いのだろう。

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16年12月16日(金)

減るレール

中原踏切の工事は拡幅だけでなく、通過する距離の短縮もある。

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踏切から東の三次駅を見ると、複数の線路がまとまって3本になっている。左手の線路がかつては三江線の列車が行き来していた線路で、現在は乗り場が変わり真ん中の線路を使っている。

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三江線と芸備線の分岐点が駅寄りに移ったことで、中原踏切で跨ぐ線路は3本から2本に減った。

国土地理院の地図*1でも変更後の線路の繋がり方が見られる。

16年12月15日(木)

中原踏切旧状

三次駅とその周辺の整備事業の一部に、すぐ西に隣接する「中原踏切」の拡幅工事がある。

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広島県三次市 三次駅周辺整備事業について 広島県三次市 三次駅周辺整備事業について

整備事業の紹介ページに拡幅後の写真がある。事業概要についての資料中では工事前の写真と変更予定図面が載っている。

16年12月14日(水)

三次駅旧状

市民会館跡地に期待される機能の一つに、道の駅のような三次観光の訪問客の拠点となることが挙げられる。

市の中心部の十日市には三次駅やバスセンターがあるが、こちらあたりをを拠点にすると、広域の三次市全体を動く時の足場のイメージ。

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広島県三次市 三次駅周辺整備事業について 広島県三次市 三次駅周辺整備事業について

昨年2月、三次駅は新駅舎が完成した。同年5月には駅前にバスセンター機能が移転して交通機関の結節点となった。

まだ旧駅舎の頃しか見たことはないけれど。

16年12月13日(火)

川の向こうの駅とホール

市民会館が閉じ、イベントホールとしての機能を持った新しい施設は、東の川向こうに「三次市民ホール」に移っている。離れてはいるが、同じ三次市三次町

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では昔からの町の中にあった市民会館跡地をどう活用するかについては、諸団体の活動により地元の意見集約がなされ平成26年の「三次市文化会館の跡地利用及び拠点整備の基本構想」などにまとまる。

広島県三次市 三次町活性化事業 広島県三次市 三次町活性化事業

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新施設の用途やゾーニングの案次第では、駐車場北の蒸気機関車や入口のバス停がそのままではいられない可能性もあり、先日成就したような修復活用案のほかにも尾関山駅や三次駅への移転も案の一つに載っている。

16年12月12日(月)

山から見た市民会館

その機関車の修復された写真には、もとのままのかまぼこ型の覆屋が写っている。

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これまた市民会館があったころの平成21年。

比熊山中腹の大師堂あたりから市民会館を見下ろすと建物の左手の駐車場のさらに手前に白い覆屋があるのがわかる。

駐車場から機関車車両を見ると*1その背後に大師堂が見える。

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また、町の西側、尾関山の展望台から眺めると、覆屋の下の機関車の黒い車体も姿を見せる。

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関連

尾関山の展望台 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20090927/1254069898

*1:こちらの写真は平成18年

16年12月11日(日)

市民会館跡の8620型

中央公園よりもイオンモールの車両が古く、それよりさらに古いのが三次市市民会館跡の8620型。(48650号機)

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それを目にしたのはまだ市民会館があった頃*1、錆びついた車体と柵と屋根が、街自体に寂れた感じを持たせてしまう。

その後、整備されてつやつやした姿をお披露目した、という新聞記事が先日載った。

SLハチロク雄姿再び 三次 | 中国新聞アルファ SLハチロク雄姿再び 三次 | 中国新聞アルファ

*1:世界妖怪会議

16年12月10日(土)

車両を囲む背景

その保存車両はイオンモールの建物を背後に控えて低めの柵に囲まれている。

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写真は平成20年のもの、定期的に背景込みでいろんな角度から撮れば周囲の変化の激しさを実感しただろうけれど、この時写真に収めただけ。

wikipedia:国鉄C11形蒸気機関車に掲載されている同じ車両の写真は「2004年3月撮影」とのこと。その隣には「可部線三段峡駅前(現在廃駅)にあったころのC11 189(2003年8月)」の写真もあり、静態保存時代にもまた変転があることを伝えてくれる。

16年12月09日(金)

説明板諸相:C11

府中町大須イオンモール内に展示されている蒸気機関車は「C11 189」。

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車両右脇に設置されている説明文中には「広島県をはじめ全国的に普及し」という部分でこの車両と地元との関連を感じさせるものの、説明はもっぱらC11型全般にわたることで、この車両が昭和7年に作られたかのように受け取らないとも限らないが、関心ある人は委細承知の上で、興味ない人はそもそも読まないだろうか。

むしろ、本文の上の段にある方向案内「←キリンプラザ」「AEON MALL→」に目が行くだけのということも。

16年12月08日(木)

昭和21年から46年

その屋外展示の機関車の諸元を紹介する石碑が植え込みの中にある。

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c59形式 161号蒸気機関車」の諸性能、長さや最高速度などが箇条書きされ、末尾にはこの車両単体の情報、「走行キロ」「製造年月日」「設置年月日」が刻まれている。現役の期間よりもはるかに長くこの公園にあるけれど、現役で走っていた姿を知っている世代はまだまだ多いので、遠い昔のようでそうでもない距離感。

16年12月07日(水)

中央公園の展示車両

イベント時の展示品の囲いはロープで済むが、常設の屋外展示は柵なり台座なりで硬く境界を設けるのが安全。

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展示品に触れて良いか悪いかはそれぞれ異なるが、意図せず接触してしまうのを避ける装置が同時に展示物や記念碑を飾り立てる効果をもたらす。

中区の中央公園西側に展示されている機関車車両c56はレールの上に固定され、周りは1メートル位の低めの土壇で囲まれいる。遊具と言い切るまではいかないが、子どもの遊び場の一部として車両が断絶されない程度の区切りとなっている。

16年12月06日(火)

装備品展示の凡例

その日は駐屯地敷地の海側で訓練展示があり、その手前に装備品展示の広いスペースが設けられる。

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立入制限の黄色いテープは、さすがに中のものに手がたわないくらいの間隔をとってある。

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展示会場の案内図にはちゃんと色分けされた点線や面の凡例が載っている。

16年12月05日(月)

試乗会場への案内

年に一度の創設記念行事の際のイベントの一つに戦車・高機動車の試乗がある。

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希望者が整理券をもらうための行列が敷地と道路の合間を縫う光景がおなじみ。

父の運転免許証に見かけた「カタピラ車に限る」という語句を思い出す。車は色々あるが断然カタピラ車に限るな、という意味合いがあるのかと思った時期があったような気がする。

16年12月04日(日)

展示の三台

顕彰館前に展示されている車両は黄色い車止めで固定されていて、四周を黄色と黒の鎖で「立入禁止」として囲まれている。囲みがずいぶん小さくて、立入りしなくても触れてしまいそう。

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種類は手前から「60式自走106ミリ無反動砲」「自走高射機関砲」「61式戦車」。

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16年12月03日(土)

顕彰館と碑

門近くにあった駐とん部隊碑は顕彰館前に移されて現在に至る。

その顕彰館はパンフレットによると、昭和37年に三軒屋駐屯地から移設された建物を使って昭和41年に開設された。広島市内に置かれた陸軍の第五師団と幼年学校に関する史料が展示されている。

広島 自衛隊 海田市駐屯地-トップページ- 広島 自衛隊 海田市駐屯地-トップページ-

駐屯地のサイトのメニューの中の「見学案内」に顕彰館の案内があり、大きな石碑のことも紹介されている。

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16年12月02日(金)

駐とん地

陸上自衛隊海田市駐屯地(矢野と海田にまたがる)の敷地内、戦車等の屋外展示されている傍に大きな石柱がある。

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「海田市駐とん部隊」という名称は現在のものではなく、警察予備隊発足時にさかのぼる。昭和25年に正門付近に建立されたということで、頭の「陸上自衛隊」は後から加わったことに。

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脚元の説明板がこの石碑について伝える重点は、終わりの段落の、「駐とん部隊」の「とん」が「屯」に認められ約32年間風雪に耐えるとともに(略)親しまれつつ此処に移転し現在に至っております」という纏まりきらない一文に感じられる。


関連

一里塚地下道 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20100201/1265032252

16年12月01日(木)

学校跡地に記念碑

「記念植樹から慰霊碑へ」*1に挙げた多家神社境内の記念碑は、陸軍幼年学校の植樹記念碑は「原爆の劫火に耐えた肇國神社の石柱発見を機として」平成15年に建立されている。

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陸軍幼年学校そのものに関わる現地にも当然、跡地であることを示す記念碑があり、昭和46年に「原爆の劫火に耐えた校門を修復して永くこれを記念」している。一群の石碑や樹木に囲まれた門柱は広島城内堀北側の講演の角地に木陰を作っている。

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人なり施設なりの「ゆかりの地」には記念碑が立っているのが当たり前のように感じるけれど、碑が立つのはしばらくしてからの時期であって、無くなってすぐのタイミングで「旧地」を表示したら早すぎると感じるだろう。著名人が亡くなってすぐ「旧居」を表示しないだろうし。