授業研究空間ネットワーク

2004-10-13 日刊 中・高MM1109号

2000年8月16日〜17日がスタート!

【連載】


「バムの子どもたち」

バムの子どもたちに会うことをイラン旅行最大の楽しみにしていました。バムは昨年末の大震災によって建物の80%が瓦礫となって崩れたと言われています。早朝便でBAM空港へ降り立つと、砂の中にはターミナルビルが一つ建っていました。 延々とはるかに続く砂の中をバムの中心部に向かう道筋には、やがて布製のテントと貨車のコンテナが現れ、人々の住まいに使われていました。崩れかけた住宅は取り壊されることもなく崩れたままで、この地で約2万人とも言える人が亡くなったと聞きました。

2004年度の新年を迎えようとしていた昨年の暮れ、この地域の大地震第1報が、イランのモジュガン(iERANカントリーコーディネータ)によって、iEARN MLへ伝えられました。 その概略を急ぎ和訳して、JEARNのMLへ送ったことを覚えています。その後は、公立も私学も、小学校・中学校・高等学校も、JEARNメンバーも学校の職員も、実に多くの方々から、実に多くの方法で集められた義援金が、一つのうねりになってJEARN事務局へ届きました。 小学生たちが集めた6000枚の書き損じ葉書換金や高校生のペットボトル募金が国内外で話題になりましたが、遠方からも書き損じ葉書が直接、事務局へ届くようになり、中には未使用切手やマニアが喜びそうな古い葉書など、生徒たちが自分のコレクションを持ってきたとの先生の説明もありました。また、お父様を亡くされたある先生は、全香典をバムの子どもたちの心のケアにと託してくださいました。 両親や兄弟を亡くし残された子どもたちの支援や、その支援者のケアなど、経験を積んだ日本アドバイスをペルシャ語に換えて小冊子にして下さったので、その後、イランへ配布することになったケースもありました。

モジュガンとJEARNの間で数多いメールが行きかい、バムの現地を歩いた彼女からの報告と写真にまた触発されて、子どもたちからの義援金は更に増え、総額で約80万円は、日本側の希望も取り入れ「イランジャパン ペイントショップ」実現に使われました。 プレハブの「お絵かき教室」です。 モジュガンは自らテヘランから画材など必要な道具を購入しては、飛行機でバムのお絵かき教室へ運び、やがて日本子どもたちの励ましの絵画も航空便で届きました。 カナダ台湾、その他多くの国からの義援金は、何台かのパソコンを備えたプレハブパソコン教室となり、お絵かき教室の隣に建ちました。 

ここに、子どもたちの思いと行動が、ITにつながった人のネットワークによって見事に実を結びました。 これをやってのけた日本子どもたちは「やればできる」という一つの確信と、教科書では出来ない貴重な体験を、プレハブのバムの子どもたちの笑顔に見てとってくれたと思います。 バムの子どもたちの笑顔は、それを見る日本子どもたちの笑顔につながります。 その間にあってパソコンインターネットは、あるべき力を発揮し、それを操って、子どもたちの思いを形にするヒューマネットワーックはすごいと思うわけです。 台湾シルビアという先生がいます。数年前ですが、彼女がiEARN会議で言いました。 パソコンのHardwareもSoftwareも大事。でもiEARNではHumanwareが一番だよね。

このシルビア先生の言うHumanwareを使って、バムの他にも弓削小学校キッズゲルニカや大洲中学校のNEGAIなど日本子どもたちが世界の注目を集めてきました。 特に強力なメディアが宣伝したわけでもない。 特別な政治力やマジックを使ったわけでもない。 ごく普通パソコンの向こうにいる先生たちのHumanwareによって、子ども子どもがつながりました。 iEARN導入として一番人気のテデイベアプロジェクトも、9月から始まった大型プロジェクト「JEARN世界防災子ども会議」も、すべて

ITを使うHumanwareによって、大規模な取り組みになっています。 これらはJEARNホームページに記載されていますので、一度覗いてみてください。

さてバムの一日に戻りましょう。 子どもたちと絵を描き、楽器に触れ、折り紙を折り、丸一日を過ごしました。 その様子は、先にJEARNへ書いたものがありますので、ここに引っ張ってきました。

― やがて倒壊した小学校の跡地に着きますと、小さな青いプレハブコンテナが2つ並んで見えました。その一つが今回の目的地、ペイントショップです。 夏休み中なので、集ってくる子どもたちや隣のコンピュータルームへの生徒数は少ないのだと、モジュガンが話してくれましたが、部屋そのものが狭いので多くは入れません。 3m*12mぐらいでしょうか。それに男女は別れていますからペイントショップへの小さな来訪者は、午前中に5才から10才くらいの男の子が3名。午後は4才から7才くらいの女の子が4名。それぞれに家族の誰かが亡くなっています。 両親を亡くした少女は、おばさんに引き取られているようです。 お世話は絵が好きという女生徒が一人で午前・午後の時間を彼らと過ごしていました。 画用紙と色鉛筆やクレパスを渡したり片付けたりしていますが、直接の指導はしていない様子です。お手本は、似せて描くようにと絵の指導書が一冊ありましたが、このチビちゃんたちには退屈極まりないようでした。

私は一緒に遊びたかったので、持参した筆ペンでスケッチ、クレパスで自在な色付け、音に合う色出し、即席の詩とともに描く絵など思いつくままに楽しみました。 部屋の角にあったドラムや壊れた木琴を引っ張り出して一斉に滅茶苦茶叩きからハーモニーへ。子どもたちは芸達者でなんにでもついてきます。こちらも本気になって遊びました。遊びつかれて座り込み、折り紙を始めました。折り紙があったわけではなく、かの女生徒が長四角なオレンジ色の用紙を配り皆は糊を使ってオブジェを作り始めたので、私も正方形にして鶴を折り始めました。少女たちは、大きな瞳でじーと見つめて、ニコッと笑い折り鶴を触りにきます。段々に皆の視線が鶴に集ってきて、特に女生徒は後で教えたいから是非、教わりたいという。じゃあ、みんなで折ろうかと言って正方形にするところから始めました。その頃、隣のコンピュータルームからも女生徒たちがどやどやと入ってきて、みんなが教えて欲しいと言い賑やかな折り紙教室になりました。

 このペイントショップは今、子どもたちが楽しみに集るところといった風情です。室内には「ありがとうアート」や送られた絵画、キルトなどで楽しい色の空間を作り出しています。ここに折り紙を入れるとどうかなと思いました。あの女生徒が指導してくれたら、子どもたちは熱心に取り組み、美しい折り紙を使って指先に神経を集中させると悲しみや忌まわしいことは遠くなり、その作品はまたペイントショップを飾ります。みんなが夢中で折りました。 外では大人たちが復興に頑張っているのですが疲れた表情です。せめて子どもたちには、絶望ではなくて作り出す喜びを、笑顔を絶やさず、大人たちの喜びの種になって欲しいと願いながら、陽が傾く頃、一人一人に「さようなら」をしました。―

http://www2.jearn.jp/fs/1140/BAMchildren.html

  今、JEARNでは、日本名もそのままに「折り紙プロジェクト」を立ち上げようとしています。パキスタンでもインドでも、イスラエルでもパレスティナでも、ロシアでもチェチェンでも、一斉に折り鶴を折ってもらいましょう。日本子どもたちに、テレビ会議で皆さんへ折り方を丁寧に説明してもらいましょう。 来年のiEARN国際会議セネガル会場には、世界各地から折り鶴に集まってもらいましょう。ご存知のように折り鶴は、オリーブの葉を口にした鳩とともに、世界に知られた平和のシンボルです。

   余談になりますが、飛行場へタクシーで戻る途中、バムの世界遺産である城塞都市へ寄りました。 既に空は暮れ、夜のとばりが降りる頃でした。 眼前の儚く崩れた城砦都市に息をのみ、ただ呆然と立ち尽くすばかりでした。それでも、なお青く余韻の残る中空に、遠くその端正な佇まいを見せる城の頂上は獅子のような威厳を保ち、だから尚のこと、周辺の痛ましい崩れが深く突き刺さるような痛みで襲ってきたのです。 ユネスコによって急場を凌ぐ木の橋が、崩れた居住区から遙か城に向かって延びています。 夕闇の中、城へ向かって橋を歩きながら足を止め、モジュガンとドライバーに、暫く一人にして欲しいと頼みました。 二人から離れて、この廃墟の中で周囲から寄せてくる何かを感じていました。 それは万里の長城の行き着く果てで感じたものと似ています。 「これが人間の歴史。 これが累々と重ねてきた人間の歴史」と呟いていました。 キリスト誕生の数千年の昔から文明の開かれた土地に、繰り返された人間の攻防の歴史。 何事もなかったように無に返す自然。 痛ましく哀しく、切ない。 そこに悠久の真理を見てしまったようなのです。 夕闇にあるバムの城砦都市でした。 http://www2.jearn.jp/fs/1140/BAMfortcastle.html

   

2004-09-28  日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』

【連載】


■「国際理解来し方行く末」(2)

NPO法人グローバルプロジェクト推進機構

               高木 洋子(JEARN日本代表

               yoko@jearn.jp


◆「イスファハンの会議

イランへ出かけるに際し3つの目的があった。一つは、このイラン行きの直接の

きっかけとなった第7回イランスクールネット会議への参加とスピーチ。2つ目

は、震災地バムの子どもたちに会うこと。3つ目は、防災プロジェクトイラン

側コーディネータの皆さんに会ったり、防災関係教材を教育省の方に渡すことで

ある。 

今回は、イスファハンで開催されたイランスクールネット会議とスピーチ、そこ

で出会った人々について書こうと思う。 

9月1日テヘランを朝6時の飛行機でイスファハンへ向かった。イスファハンは

テヘランから南へ約40分の高原の旧首都である。 早朝の高原はヒヤッと涼し

くタラップを降りながら生き返った思いがした。 前夜遅くテヘランへ到着した

のだが、2つのスーツケース行方不明で今朝は身軽なものだ。パソコンパス

ポートなどのバッグが一つ。マリアン先生から届けられた花束。ホテルから持っ

てきて正解であった。簡素な宿舎がこの花束とプリメリアの香りで居心地のいい

部屋になったのだ。

第7回イランスクールネット開会式は、9時半にイスファハン大学で始まった。

招待席は前方で、後ろを振り返るとイラン全土から集まった約900名という参

加者が、男女左右の列に分かれて、どの顔も緊張した面持ちである。やがて一人

の男性が壇上にあがってコーランが読まれ数人が唱和した。 終わると国歌が流

れ舞台のスクリーンにはイスラミック国イランの歴史と現代が映されて全員が立

ち上がる。 

その全員の自然な振る舞いに、イランでの会議はこのようにして始まるのだと分

かった。 その後は各挨拶や生徒たちの表彰があって開会式は終了しました。 

その一人の挨拶のなかで、自分の名前が呼ばれたので、これはきっと海外からの

招待者を紹介したに違いないと思ったが、全てはペルシャ語が使われ内容につい

ては分からなかった。

今回の海外招待者は4名である。カナダLaval大学のホッヂソン氏、オーストラ

リアのキャンベラ大学テイラー氏、iEARN−USAのグラガード氏、

そしてiEARN−Japanの私で2時間余のセッションである。日本を出る2-3日前

に主催者であるアバスさんから「日本のITと教育」について話して欲しいとい

メールが来て慌てた。

「今頃、そんな−!」兎に角、資料が欲しい。そこで兵庫県教育委員会にヘルプ

を出して今年3月末日付け公立校のパソコンインターネットに関する文部科学

省資料を送ってもらうことができた。更に助かったことにパワーポイントでも送

ってもらえたことである。これを英語に換えて自分のパワーポイントに嵌めれば

いい。

そこで台風によるフライト中止で夜明かしした関空の夜は、英語化する絶好の時

間になった。最後2枚は訳し切れずに日本語のままイスファハン会議場のスクリ

ーンで大写しになったが、まあ、それもいいかと大切な数行のみ赤色に変えて口

頭での説明にした。

この「日本におけるITと教育」に、予定していた「JEARNの活動:特にイラン

の関連」「迎える"The Era of Global Education"」が私のスピーチ内容である。

初日の午後の分科会が終了した6時半からが、海外者講演タイムである。ステー

ジには丸テーブルがおかれ、ライトがギラギラ当たる。用意した衣服スーツ

ース共々行方不明で、旅行着にモジュガンから貰った白いヒジャップをつけた。

後援者の紹介があった後、最初のスピーカーが私で、いつものことだが、エイヤ

と始めた。バムの支援活動に話が進んだ時、会場から大きな拍手が送られて、や

っと遠路遥遥と来た甲斐があったと思った。

その後、テーブルについたものの、スピーチを終えた安堵感とライトのギラギラ

と暑さで急に呼吸困難に陥った。このままでは椅子から落ちてしまう! 

隣のホッジソン氏にも黙ったまま、身体を舞台の袖へ移動させ呼吸を整えようと

したがダメである。その内、嘔吐もあって人影のない屋外へ飛び出し、芝生に両

手をつき身体を支え喘ぎながら暫く様子をみた。外気は冷ややかで徐々に呼吸が

深くなり助かったと思った。

舞台へ静かに戻ってテーブルにつき、皆さんのスピーチが終わるのを待ったのだ

が、さすがにその夜は夕食が食べられず宿舎で早々の就寝となった。

思えば出発前から徹夜に近い日々、台風で過ごした関空ベンチの夜、14時間の

フライトドバイでの5時間のトランジット、また2時間弱のフライトで夜のテ

ヘランへ。スーツケース行方不明でその手続きのいらいら。

明け方4時に再度空港へ。イスファハンでの長い一日。一人旅は気楽でいいもの

だが見知らぬ土地では、やはり緊張する。その上、暑い。まあこの程度のトラブ

ルでよかったか。。。

翌日・翌々日はゆっくりベースで分科会に参加。新聞社インタビュー先生

生徒達との交流。散歩。その中に嬉しい出会いがあった。日本のテデイベア交流

校から送られた「健太」と「武蔵」である。

女生徒達が会場に連れてきて一緒に写真を撮りたいという。このベア達も遙かイ

ランの土地まで旅をして、毎日、新しい体験をしているのだ。「男の子でよかっ

たね」被り物のない彼等を抱きながら言った。 

多くの女性教師が懐かしそうに近づいてくる。 彼女達は、淡路スロバキア

iEARN国際会議参加者で、今回は皆さんの国での再会である。淡路でタンバリン

を演奏してくれた女性が2人の娘を連れてやってきた。

お母さんは英語が話せないが、娘たちは達者な英語母親の気持ちを伝えてくる。

その生き生きとした表情がいい。3年前ケープタウンで一緒だった先生との再会

もあった。

あの時、彼女からペルシャン文字を習い、私が一言覚えたといっては二人で笑っ

たのだ。 女生徒たちははにかみながらも勇気を出して近づいてくる。黒い衣服

に覆われていても全身の好奇心と意欲を顔中に溢れさせて語ってくる。 

男生徒たちは、自分のプレゼンテーションがどうだったかと聞いてくる。真剣な

顔つきである。「分かったよ。ここに興味が持てたよ」と言うと実に熔けそうな

笑顔になる。会話を交わす度に双方のデジカメで撮りあってはメールアドレス

交換した。

その内、自分の子どもに何か書いてやってくれないかと母親が人を介して頼んで

きた。名前を聞いて漢字を当て嵌め筆ペンで認め渡した。それを見ていた女生徒

たちに取り巻かれてしまった。自分の名前も書いて欲しいというわけで、なるべ

意味のある漢字を使いたいのだが、日頃、パソコンで打ち込んでいる身は情け

ない。

使える漢字が限られるのだ。一字一字の意味を聞かれて、貴女の名前はこういう

意味ですと説明を加える。その生徒の表情と漢字がピッタリくると、書家と占い

師気取りでこちらも嬉しい。イランの女生徒たちと一緒に楽しんでいる自分がい

る。

特に印象深く思ったのは、女生徒たちの大きな瞳である。例え顔しか現れていな

くても、彼女たちの瞳は、学びの好奇心や情感を表情豊かに伝えてくる。イラン

政府が女性にもICTを学ぶ機会を与えて仕事ができる学力をつけようとしている

と聞いたが、その期待に答える彼女たちだ。

イスラム文化イスラム社会に暮らす生徒たちが、ICT技術を使って異なった文

化、違った社会への接点を多く持ち互いに学びあって欲しいと思う。

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http://www.jearn.jp/

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2004-09-13  日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)

【新連載】

■「国際理解来し方行く末」(1)


              NPO法人グローバルプロジェクト推進機構

              高木 洋子(JEARN日本代表

              yoko@jearn.jp


◆ ―イランの空―

夜の田舎のバス停で降りた。頬に触れる空気の柔らかさに、気持ちが和む。

しっとりとした心地よさに頬を動かしてみた。その空気の揺れを楽しみ、

日本に帰ってきたなと思った。そう言えば、飛行機の翼に切れた空を垣間

見たが、澄み切った青さが新鮮だった。日本の秋の空の色だな。

夕暮れのテヘランからドバイへ。深夜便でドバイから関空へ。20数時間

前には確かにテヘランホテルにいた。10日近い滞在で、やっと多少馴

染んできた被り物(ヒジャップ)を頭に、チェックアウトを済ませ、パス

ポートを手に戻した。空港へ向かうタクシーの中、相変わらずエアコン

効かないのかドライバーは窓を開けて走る。イランの空の下、テヘラン

街後方の岩山が霞んで見える。山と空の境界線が土色で定かではない。空

が薄い土色なのだ。確か街の通りに沿って並ぶ木々は、通りをその枝葉で

アーチのように庇い、美しい街並の筈であるが、その幹も葉もイランの空

を押し付けられたように、土色と微かな緑色のアーチで車の喧騒を覆って

いた。暑い。乾く。

別れ際に友達のモジュガンは繰り返し言った。「国際線はターミナル2.

入る時は国際線でも女性の入り口から」。これにも慣れた。入口さえ男女

別に通れば、すぐにまた一緒だ。カーテンを潜ると女性の係員がいて、こ

ちらがヒジャップを被り、女性であることが分かれば問題はない。彼女

は目で次の出口カーテンを指すか、ニコッと笑うかである。彼女達が恐ろ

しく真面目な顔付であるときはこちらも緊張してカーテンを抜け、ニコッ

と笑う時は、いい加減にカーテンを擦り抜ける。昨年暮れの地震で残った

バム空港の建物は、人影さえまばらであるのに、女性・男性の入口はしか

し厳然としてあり、入ってくる利用者が女性か男性かチェックするのであ

る。パスポートチェックでも荷物検査でもゲートに行く前の身体検査でも

ない。男が男であり、女が女であることを建物の入口で調べる意味はなん

だろうかと、帰国まで考えたが今だに分からない。空港は勿論であるが、

今回のイランスクールネット全国大会会場となった大学の食堂でも男女の

入口は、全く正反対にあった。時々、男性が間違えて入り中年の女性見張

担当に追い払われていた。私は彼女にヒジャップがずり落ちていると手

で注意された。昔の修道女の映画のようであった。しかし食後に、この見

張り女性に近づいて「大変でしょう」と声をかけると、英語は分かりませ

ん。。。と逃げ腰になったが、その笑顔は、ストイックな修道女とは違い、

しっかりとイランに生きている明るい女性の顔であった。

この食堂は中まで男女別のテーブルである。ところでイランの学校も徹底

して男子校・女子校別である。今回訪問したバムの小学校跡に建てられた

プレハブでも、午前は女の子、午後は男の子なのである。そういう現状の

なかで、今回のイランスクールネット全国大会では主催者達が、「同じプ

ロジェクトを通して初めて男女協同によるプレゼンテーションが自然発生

的にでてきた。彼らは自然にそうしたのだ、一緒に写真を撮っているのだ」

とにんまり笑っていたが、しかし、交流の場である食堂は男女別であった。

会も終わりに近づいた頃、主催者たちは外国人である私なら問題なかろう

と考えたかどうか、男性テーブル郡の真ん中に陣取って、私に加わって欲

しいという。自然に彼らのテーブルで食事を共にした。それからは、急に

男女の境界線はどこかへ消えてしまった。大きな食堂は男女共有の場に変

わり、見ていると黒い布に身を包んだ女学生達が勇気を持って男性テーブ

ルへ近寄り声を掛け合っていたようだ。

よくイスラムの国では、外に出ては男女は別のように言われるが違う。イ

ランで見た光景は、夜の川べりに寛いで食事をしている家族。手を取り合

って歩いている男女。。。女性は黒布の中という違いだけである。思わず

まじまじと見つめた光景がある。ドバイテヘランへの乗り継ぎ機を待つ

間のことである。隣のゲートがエジプシャンエアラインで、次々とエジプ

ト家族が集ってきた。なるほど、家族の長である男性が一人。その周りに

4人から5人の婦人が子どもたちを連れて座っている。男性は白いコート

に白、或いは赤白チェックの被り物。一方、婦人たちは徹底した黒尽くめ

で、外から見えるのは黒い瞳の目ばかりである。黒布も足元を引きずるほ

どに長い。子どもの一人が男性の前に立ってお金をもらい、手を合わせお

辞儀をして菓子を買いに走った。一人の婦人が男性になにかを告げ、男性

はやおら立ち上がるとミネラルウオータを買ってきて目だけの婦人に手渡

した。ミネラルウオーターは数人の婦人にわたり、最後は男性が飲みきっ

た。エジプト男性は結構、面倒見がいいのだ。

イランでも出会った殆どの女性が黒い服を着て、更に真っ黒な一枚布で頭

部から足先までを覆っている。白色であれば太陽熱を反射するから、身体

中を覆ってもまだ理由が分かる。しかしこの真夏の暑い最中に黒布が顔の

輪郭に添って頭を覆い、辛うじて荷物を持つ手だけが布から出ている。海

外からのビジターも女性は頭を布で覆うことを要求される。テヘランに到

着後、さてタラップを降りようとすると一人の係員から布を被れと指示を

された。偶々、手荷物に念の為にと入れておいたスカーフを巻いて空港

入ったが、もし手持ちがない場合は、どうなるのだろうか。。。と後でイ

ランの友人に聞くと、向こうで布を用意しているということであった。ホ

テルに着いた瞬間もそうであった。肩までずり落ちたスカーフを被れとホ

テルマンの最初の指示が飛んだ。入国した国の習慣を尊敬して従うことに

吝かではないが、その後は、この被り物、長袖、パンツコートと暑さと

の戦いになった。事実、特にこの被り物は首の周りで重なって暑いのだ。

絹の薄物はすぐに頭から滑り、友人が用意してくれた白い綿は、肩に添う

が、その暑さも尋常ではなかった。そーと彼女イラン女性の黒装束の中

はどうなっているのか聞いてみた。彼女の答えは秘密だ。 街を歩くと、

婦人の店には華やかな彩りの流行の裾カットをした洋服がウインドウに飾

られている。彼女たちはいつ着るのだろうか。黒い服はどこで買うのだろ

うか。

会議後の夜、涼しくなった川べりの橋を渡りながら、一緒に散歩にでたイ

ランの男性達となぜイランの女性は黒装束に耐えているのか、ヒジャップ

にどんな意味があるのか話し合ってみた。20年前のホメイニ師による革

命以来、厳しくなったという以外に、納得する回答がでない。黒は女性を

美しく魅惑的に見せるから、あなた方がそう望んでいるのかと言うとケラ

ケラ笑っていた。

ここは、イラン イスラム共和国"the Islamic Republic of Iran"。

The land of beauty, With 2500 years history, The land of Flowers &

Birdsである。多くの建物・講堂にはイラン革命指導者ホメイニー師、ハ

メネイ師、そして現在のハタミ師の写真が、大・中・小のサイズで掲げら

れている。

たかが10日弱の滞在である。しかし、既にイランは私にとって行きずり

の国ではなくなってしまっている。私のイランとなっている。ヒジャップ

コートで暑く、眠く、疲れた体が、なんとグラスたっぷりに注がれた熱

紅茶によってどんなに癒されたか、現地のあの暑さの中で納得したのだ。

親切なイランの男性、女性は何杯でもお代わりを奨めてくれた。黒装束の

女子学生たちの瞳はきらきらと眩しく、私の全てと飲み込もうとするよう

に話しかけてきた。すれ違った年老いた男性がイランは好きかと何度も聞

いてきた。参加した分科会の発表者が私のコメントを聞きたがった。盲目

少年たちが、どうしてPCで学習しているか、その実践を見せようと手

を握って離さなかった。バムの子どもたちはその大きな目で、ジーと見つ

めて近づいてきた。

イランの空の下で経験した暑さとの戦い、習慣の違い、考え方の違いをた

っぷりと味わいながら、しかもイランで出会った人々への懐かしさは一入

(ひとしお)である。国際理解の根は、こんなところにありそうな気がす

る。

次回は、イランらしい会議の模様と自分のスピーチ、イランのICTと文

部省、バムの子どもたちのことを書いてみようと思う。

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