[映画]『ティファニーで朝食を』 ブレイク・エドワーズ

2012/4/14鑑賞(再鑑)
この作品で監督が撮りたかったもの、それはカポーティの物語世界でもなく、オードリー・ヘップバーンでもなく、ニューヨークという街そのものであろう。そう断言したくなるほど、映画でのニューヨークが魅力的に描かれている。通常は舞台背景となる都市風景が、主客逆転し、ここでは主役となっているのだ。
作品が公開されたのは1961年。なんの衒いもなくロマンティックなラヴ・ストーリーが描けた、おそらく最後の時代である。主人公が自由な高級娼婦であることに新しさはあるものの、物語の構造自体は、当時としても特に新鮮なものではないだろう。
このような白人が演じる「プラスティック」な物語へのアンチテーゼとして、アメリカン・ニューシネマが現われる。しかし、それらの作品で、これだけ都市を魅力的に描けた作品がどれだけあるだろうか。
アメリカン・ニューシネマは70年代末に終焉し、その後はスターウォーズのような夢を描いた作品が大ヒットする一方で、カルト映画のムーブメントも沸き起こる。そして、都市の描写においては、その行きつく先が『ブレードランナー』の退廃的な「ポストモダン都市」なのだ。その映像は作品において非常に魅力的である一方で、その都市で『ティファニーで朝食を』のような生を享受できるとは思えない。
そして現在、ポストモダン都市ですら古いものになり、現実には平板な郊外の風景が広がる。豊かな都市への想像力を取り戻すために、今あえて、半世紀前の「モダン都市」ニューヨークの理想的な姿を、この映画から見るべきなのだろう。