山口、町田が勝点で並んで、J3が俄然、面白くなってきた件

何年かぶりでブロクを更新(他にこのネタを書くところがなかったので)。

オレはラグビーファンだが、フットボールも相当に好きでレッズファンであるが、昨年、スカパーオンデマンドを契約して以来、J2、J3にも相当な興味があり、マッチデーハイライトも見ている(とくにJ3ハイライトは一番好きな番組といってもいい)。

で、まあ今日はスカパーの中継がなかったのだが(やれよ!)、

山口 2-3 藤枝。
藤枝の得点は20分、60分、64分。
山口の得点は82分、90+5分

・この試合までの状況
J3昇格1年目は爆発的攻撃力(何しろJ3の得点ランキングの1位〜3位までが山口の選手。1位岸田29点、2位福満19点、3位鳥谷16点)で独走。一時は2位に勝点で10ポイント差をつけていた。
ところが、ここへ来て失速。前節(35節)終了時点で3ポイント差となった(ちなみにJ3は1位がJ2に自動昇格。2位はJ2の21位とホーム&アウェイの入替戦)。
そして36節。山口−藤枝戦だけが本日開催で、他は一昨日に行われ、2位の町田が勝って暫定ながら山口と勝点で並んだ。

山口の今日の相手は10位の藤枝(J3は13チーム)。正直弱い。
twitterでスタジアムの画像を見ると、山口応援戦はいっぱいだけど藤枝サポはほとんどいなくてガラ〜ン(山口ホームでの開催)。

にもかかわらず藤枝が3点を取り、猛追したらしい山口も2点を返したが追い上げもここまで(想像するに、失うものは何もない藤枝的には一発食ってやろうぐらいの気持ち。一方、山口は初めての昇格争いでガチガチか?)。
山口、町田が勝点73で並ぶ。ただし得失点差は圧倒的に山口なので首位は変わらず。

・問題は次々節(38節)
次節山口の相手は盛岡、町田は鳥取(ともにアウェイ)。普通に見れば勝てる相手(鳥取ににはフェルナンジーニョとかいるんだけどね)。
ところが問題は38節。
山口の相手は現在12位のJ-アンダー22選抜。Jリーグで出場機会のない選手を試合に出すための寄せ集めチームのためまったく結果は出ていないのだが、山口戦のJ-22リオ五輪の予選を戦う日本代表になると言われている。実は町田戦でも同じようなことがあったがこの時には町田が勝った。しかし今回は中東遠征の直前だし、来年早々には五輪最終予選があるので下手な試合はできない(10月30日には鳥栖相手にトレーニングマッチで圧勝)。
山口−J-22は2節に8-0、14節に3-0でいずれも山口勝利。
この結果もJ-22的にはモチベーションになる可能性もある。

一方、町田の相手は8位の秋田。
順位から言えば大したことがないように見えるが、実はこの秋田は23節以降、負けがない(にもかかわらず8位なのだからそれまでがとてつもなく低迷していた)。第3クールの初戦で山口にも3-1で圧勝(監督はイビチャ・オシムの通訳だった間瀬秀一)。
つまり秋田もまた簡単な相手ではない、どころがいまもっとも手強い相手でである。

・そして最終節は、、、
山口は鳥取、町田は長野が相手でいずれもアウェイ。
実は3位の長野にも数字上は2位までに入る可能性はある。その状況が最終節まで続いているのかどうか、、、
ま、ここまでくれば、もう相手云々ではなかろう。いかに自らにのしかかるプレッシャーに打ち勝てるか? それしかない。

とにかくJ3の1、2位争いが見逃せない。

※今日の山口で気になったのは山口で上野監督が「うちの心臓」と言っている庄司が出場していなかったこと。彼がケガだとするとちょっとやばいね。

オレは野球はドラゴンズでサッカーはレッズファンだ。
スポーツは全般にいろいろ好きで観戦する方だが、もし人生で一つのチームしか応援してはいけないというルールがあったとしたら(そんなもん実際にはあるわけないが)、オレは迷わず母校、専修大学ラグビー部を選ぶ。

専大ラグビー部は現在、関東大学リーグ戦グループの2部だ。
かつては1部の強豪だったが、バカが監督やったりしてチームをぶっ壊して2部に転落して早10年。
その間、2部では一度も優勝できず、入替戦へ行ったのも3回だけ。ここ数年はその入替戦ともご無沙汰だ。
こうなると選手のリクルートもままならなくなってくる。

しかもリーグ戦グループの2部というのは、おそらく大学ラグビーの2部リーグとしてはもっとも過酷だろう。
立正、山梨学院、埼玉工大などが外人を擁しており、日本人のみのチームにこだわっている専修としては、ここを勝ち抜くのが難しい(なにしろアホのよーに強い外人がいるのだ。ただし今年は埼工大が最下位街道をまっしぐら。どうやらチームがぶっ壊れたようだ)。

専修は昨年はやっとこさ3位。数年前には5位、つまり下位グループに落ちたこともある(2部リーグは8校)。
長きにわたる低迷。だが、弱けりゃ弱いほど応援する方は深みにハマってしまう。

2部のリーグ戦の試合というのは競技場ではなくて大学のグラウンドでやるからね。
オレにとってラグビーというのは、もはやカネを払って観戦するものではないだな(^_^;)。
でもって、選手とも近いし声をかけたりしていると、そのうち向こうも挨拶してくるようになる。もはや選手は息子の世代だが、可愛いんだよこれが。
で、まあどんなに煮え切らない試合をしても、秋口になると今週は高尾の拓大グラウンド、来週は熊谷と関東近県をあちこちとうろつき回ることになる(ま、春は春でオープン戦、夏は菅平合宿というのもあって、これも見に行くんだけどね)。

しかし、今年は期待が大きいのだ。
というのもついにファンの悲願だった元ラグビー日本代表スクラムラーフ(前七人制日本代表監督)の村田亙が監督に就任したからだ。
昨年から大学の職員になり、アドバイザーにはなっていたのだけど今年の春までは七人制日本代表監督の活動を優先していた。が、今季からは完全な監督だ。
そして、もう合宿所のある伊勢原にべた張りで(というかもともと伊勢原体育寮勤務なのだ)学生の生活指導(ずいぶんとデタラメだったらしい)からトレーニングまで、つきっきりで面倒を見始めたのである。

専大サッカー部、初出場のインカレでベスト4

昨日はメチャ寒かった。そんななか、オレは完全防寒で新木場の夢の島競技場へ行ったよ。
サッカー大学選手権、専大同志社の試合観戦だよ。
試合前には少しだけ雪もちらついたほど、しかも強風だったけど、完璧な防寒だったから、そんなに寒くは感じなかったな。

さて、大学選手権で対同志社というと、サッカーでなくラグビーで十年ぐらい前に同じカードがあったんだけど、その時には花園で同志社にボコられたんだよ。オレは観戦に行かなかったけどね(仲間は行ったよ)。
江戸の敵を長崎で、、、とゆーわけでもないけど、まさかこんなところで同志社にボコり返すチャンスが巡ってくるとは思わなんだ。
夢の島は結構、観客が入っていて、同志社ファンもたくさん来てたよ。なんでも中西哲生とかゆーのもスタンドにいたらしい。あと、サッカー評論家も見かけたな。

試合は序盤、同志社がずいぶんとプレッシャーをかけてきた。攻撃よりも守備重視という感じで徹底的にプレスにきた。
なので、専大のパスワークも少しずつ狂いがち。しかも強風ということもあったのか、ワン、ツー、スリーの次ぐらいのパスが乱れるんだな。
でも、それでもチャンスはバンバン作ることができた。そして先制点の後、すぐに2点目もとれた。
けど、前半の最後にちょっと潮目が変わって、同志社が攻撃を仕掛けてきて、1点取られる。
2−1で前半終了。
まあ、ボール支配率は7:3ぐらいはいってたな。それだけに、ちょっとボコり足りない感じだった。

2-1というスコアだと次の1点がどちらに入るかがとても大事だ。
それもあって同志社も後半は結構、力を入れてきたが、結局、専大が3点目を取る。ここで、まあ勝負あっただな。最後におまけの4点目を入れて試合終了。

4-1というスコアは、普通だったら十分という感じだけど、なんか「もっと取れたナ、もう少しボコボコにしてやりたかったな」という感じがしてしまうのが今の専大だ。
なにしろリーグ戦の最終戦、インカレの初戦、そして今日の試合という3試合の総得点は21点。一試合平均7点だからな。3点足りねえや、、、という感じだ。

それにしても、専大の攻撃陣はすごいよ。両サイドの長澤と仲川。長澤はちっこいのにものすごい運動量でキープ力もある。3人ぐらいに囲まれても平気だ。そして仲川。こちらもすごい。まずボールを取られることはない。そして的確なパス。この両サイドが鉄板だ(仲川は試合の途中から真ん中へ行ったけどな)。
源平監督が、各ポジションにいい選手がそろったと言っているが、もちろんそれだけじゃない。とにかく全員サッカーだ。

さて、次戦はすでにもう明日。西が丘で中京大戦だ。この中京はまあ強いはずだ。
その相手にどのぐらいできるか。
まあコンディションにもよるが、しかし普通にやれば3点ぐらいは取れるだろう。
で、これに勝てば国立だよ。
母校の試合で国立へ行くのなんて、いったい何年ぶりだ。
相手は明治か慶応。
ま、どっちでもいいけど、明治とやりたいね。でもって、ボコるのさ。
ラグビーじゃ歯が立たないからな。そのかわりサッカーでボコってやりたいな。

それにしても専大サッカー部は専用グラウンドもなく、生田のグラウンドで非常に制約のある中で練習してるらしい。
一方、ラグビー部はここのところずっと二部なのに伊勢原に合宿所と専用グラウンドを持っている。
この伊勢原というのは、とにかく環境が抜群で、芝のグラウンドを二面持っているんだよ。
グラウンドの背後には丹沢山系が間近に見え、またグラウンドの脇には馬術部の練習場があって、その風景はちょっと日本離れしているんだ。
にもかかわらず、ずっと二部なんだぜ。
もう、サッカー部とは場所を入れ替われよといいたいぐらいだ。せめて、二面あるうちの一面ぐらいはサッカー部に提供しろよとさえ思うよ。

もっとも環境があまりに良くなるのもいかがなものかもしれないな。
ラグビー部なんて、あの素晴らしい環境でもう十分に満足しちゃってる感じがある。
だったら、厳しい環境の中でやった方が強くなれるのかもしれないね。

とにかく、ここまで来たらなんとしてもインカレ、初出場、初優勝をものにしてもらいたいね。
それだけの力はある。
ガンバレ、専大サッカー部!

環境、良過ぎの専修大学伊勢原グラウンド

オレの母校、専修大学のサッカーがバルサっぽい件

昨日のバルサのサッカーは凄かったね。あれはもうなんだ、曲芸の域だな。芸だよ。
よくパス・アンド・ゴーとか言うけど、バルサは走りながらパスしてるからな。
以前、このブログでユーロのことを書いた時に、スペインは「ゆっくり速い」と書いたんだが、バルサもそんな感じだな。まあ、なんつーかスキーのうまい人とゆーのは、なんかゆっくり滑ってるように見えてすげー速いというようなもんかな?(違うか)

ところで、あまり知られていないのだが、日本にも今シーズン、バルサみたいなサッカーをするチームがあるんだ。それがオレの母校の専修大学だ。
専修というのはなんだな、校風をひとことで言うと、何かにつけて「中途半端」。
一流ではないが二流でもない。すべて1・7流ぐらい。
古い大学なので伝統はある。でもってスポーツも昔は強かった。
たとえば野球部なんかは東都大学の二部に落ちてずいぶん長いし、もう一部で優勝したのなんていつのことだかわかんない(岡林がいた頃か?)。にもかかわらず、多分、今でも東都の優勝回数ではトップだ。その昔にがっつり稼いでたんだな。
箱根駅伝だって出場回数はそれなりに多い。ずーっと昔に一回だけ優勝したこともあるらしい。駅伝のユニフォームは胸に「S」というマークだが、こういう大学は伝統校だと聞いたことがある。早稲田の「W」とか日大の「N」とか、中央の「C」とかね。ま、本当のところはわからんが、、、
ラグビーも昔は強かった。オレがいた頃はリーグ戦は法政と最終戦で優勝決定戦をやるという感じだったな。日本代表もかつては結構いて、とくにスクラムハーフは小西義光、村田亙伊藤護と名選手が多い。
けど、それも今は昔。ラグビー部もニ部落ちして長い。もっとも今年から村田が大学に戻ってきて職員となり、ラグビー部アドバイザーとして指導を始めたので、この先は楽しみではある。今のところ七人制日本代表の監督を優先しているけど、数年後には監督になるだろう。
とはいえ、今年なんぞはとくに最悪だった。野球もラグビーも相変わらず二部。かろうじて出場権だけは獲得していた箱根駅伝もついに予選落ち。
つまらん正月を迎えるなと思っていたんだがーー。
突如、希望の星が浮上した。
それがサッカー部だ。
サッカー部というのは、オレが学生だった昭和の頃はまったくノーマーク。いや、卒業後もまったくノーマークだった。なにしろずっと下部リーグだったし、サッカーはなぜかメジャースポーツになっても大学レベルではマイナー。
相当前に、天皇杯の予選で清水エスパルスを相手に善戦したというのぐらいがニュースとして記憶に残っているぐらいだった。
ま、ここ最近はちょっと強くなってきたけど、昨年はまた二部落ち。
でまあ、しかしこの二部で昨年優勝して一部に戻ってきた。
そして、いきなり関東大学サッカーで優勝してしまったのだ。つまり柏みたいなんもんだ。
それも前半戦は中位ぐらいだったのだが、その後、急速に勝ち始めた。
オレはサッカーがなんだかいい成績なのは知っていたが、しかしそれほど興味はなかった。
けど、いよいよ優勝が近づいてきたという。こうなると興味が湧くというもんだ。
ということでリーグ戦の天王山、筑波大学戦をフクアリへ観戦に行った。
ま、フクアリへ一度は行ってみたいというのもあったのだ。
オレは専修がどんなサッカーをするのか、それまであまり知らなかった。ただ、数年前にサッカーを観戦していた仲間に聞くと、前線へポンポン放り込むサッカーでつまらんかったという。
ま、大学サッカーなんて高校サッカーの延長みたいなもんで、それでも仕方がないのかもしれないなと思ったが、なにせ「一部で優勝」というのはどんな競技であれ久しぶりの響きだ。
ということでフクアリへ行ったわけだ。
それまで知らなかったが、筑波の監督はよくテレビで解説をやっている風間八宏だった。ま、筑波と言えばサッカーの名門だ。そういう大学相手にどんなサッカーをするのか、、、
ところがだ。試合が始まって数分ほどは押されたけど、そこから先はまあ華麗なパスサッカーを展開し始めた。なにしろボールがワンタッチ、ツータッチでポンポン回る。一緒に行ったサッカー観戦は初めてのラグビー観戦仲間ですら、すぐにその凄さがわかるというぐらい華麗なパス回し。
オレは思わず、「こりゃバルサみたいだね」とその仲間に言ったもんだ。
そら、これを読んでいる人はみんな大げさなことを言いやがってと思うだろう。けど、本当にバルサっぽいんだよ。
オレはサッカーについては埼玉県在住なこともあってレッズファンだ。
たとえば昨年まで、レッズの監督はフィンケという人で、この人はパスサッカーを志向していた。確かに試合を見ているとパスはつながるんだが、それもペナルティエリアの手前まで。そこからはパスをしながらカニのよーに下がっていくのがレッズのサッカーだった。
ところが専修はペナルティエリアの中へも見事な崩しでどんどん入っていくんだ。でもってバンバンとシュートを打つ。
しかも守備もいい。ボールを奪うとすぐに攻撃に転じ、ワンツーを使ってどんどん前へ行く。もうフィールドのあちこちでトライアングルができるんだな。
一方の筑波は高校サッカーの匂いがプンプンだ。でかいセンターFWが前線にいるんだが、まったく前を向けない。常にゴールを背にしてしかプレーできないんだな。で、筑波のとくに右サイドが(ま、両サイドなんだが)ズタズタになった。でもって、もう前半の30分過ぎぐらいには、筑波はこの右サイドの選手を代えたたんだがまったく効果なし。その後も専修の両サイドがどんどん切り裂いて行く。
ちなみに専修もトップにでかいFWがいるんだが、これはあまり何もしない。というか攻撃はほとんど サイドが起点なので、あまりボールに触る機会もないのだ。
けど、おそらく監督はそれでもいいと思ってるんだろうな。とゆーのも、このFWはでかいので、やっぱり相手のDFは警戒するわけだ。だからマークへ行く。するとその両サイドにできたスペースをギタギタに切り裂くとゆー寸法だ。
結局、この試合は前半で2点をとって勝負を決めた。後半も相手が前がかりになるところを巧みなカウンターを繰り出して筑波を自由にさせない。結局、最後にもう1点とって3−0で筑波に勝利。
これで専修は最終節でよほどの大敗をしないかぎり優勝は間違いなしということになり、要するにほぼ優勝を決めたわけだ。
で、最終節は大雨だったこともあってオレは観戦に行かなかった(オレのラグビー観戦仲間は行ったんだけどね)。この日はそりゃあすごい大雨だった。なので華麗なパスサッカーの専修としてはどうなんだろうと思ったら、なんと8−0で神奈川大学フルボッコして勝っちゃったんだな。
これで関東大学サッカー初優勝だ。とともに、インカレの出場も得たわけだ。
ちなみにインカレにはこれが初出場。
初戦は昨日、行われた。場所が鴻巣だったので埼玉県民のオレは行こうと思ってたんだが、仲間が行けなくなったのでパスした。まあ、相手が福山大学ということで、負けることはないだろうと踏んだんだ。
で、スコアはというと9−2。
一応、全日本サッカー大学選手権だよ。そこで9−2というのは、まあラグビーで言えば100-0ぐらいの感覚だな。さっき福山大学サッカー部のブログを見たらボコられたと書いてあったよ。
そして次の試合は同志社ラグビーでは十年ぐらい前に大学選手権でボコられた記憶がある。
だから今度はサッカーでボコり返してやりたいね。
23日に夢の島で13:50キックオフ。
もちろん今度は絶対に行くよ。というか1月5日の国立(決勝)まで行くつもりだからさ。
部のモットーは美しいサッカーで勝つ。だから何しろ攻撃的。
ちょっと他校とは質の違うサッカー。
ま、準々決勝と準決勝を観戦するのは普通の人ではムリだろうけど、決勝まで行ったら国立の試合は見ても損はしないと思うよ。

僕が聴いてきたラジオ 〜 その1

このブログは相当以前に開設したのだが、放置していた。
で、それを再開しようという気になったのは、ラジオ(それもAM)について書きたいからである。
実は私は他にもブログをやっていて、そちらでも時々、ラジオの話を書いていた。
ところが、だんだんとネタが政治やメディア、原発のことに集中し始めた。しかも一方で、そこで書いた記事が他のサイトへ転載されるというようなことが起きて、ラジオの話が書きにくくなったのである。
でも、やっぱりラジオのことを書きたい。
だから、これからはこのブログをラジオとは限らないけれども(落語の時もあるかもしれないが)、まあラジオメインで書いていこうと思う。

さて、すでにもういくつも書きたいことがあるのだが(たとえば、先週の「久米宏ラジオなんですけど」で、久米がゲストの大滝詠一に完全に食われてしまったことについてとか)、まずは自分がかつて聴いていたラジオについて書いてみたい。
というのも、先日、連休中の企画で、TBSラジオが開局60周年の記念イベントを赤坂サカスでやっていた。
その最中、爆笑問題の「日曜サンデー」内で「JUNK大集合」という企画があり月〜金のJUNKのパーソナリティが一堂に会するという公開放送があった。で、その時のことも別に書きたいのだが、その番組中、各パーソナリティへの質問コーナーで、「みなさんが学生時代に聴いていたラジオ番組はありますか? それはどんな番組でしたか?」という内容のメールがあった。
そして、伊集院光爆笑問題おぎやはぎたちがそれに答えていたのだが、JUNKのパーソナリティというのは僕より若いので、「ビートたけしオールナイトニッポン」以降の番組が多かった。唯一僕に近い世代の爆笑問題田中裕二が「生島ヒロシの夜はともだち」と答えていたが、僕はさらにその前にやっていた「一慶・美雄の夜はともだち」を聴いていた世代である。ちなみにこの番組は小島一慶林美雄(故人)がテレコでやっており、テーマ曲はキャンディーズが歌っていた。
この番組をやっていたのは中学ぐらいの時だったが(ちなみに1962年3月生まれです)、僕がラジオを聴いていたのは、さらにそれ以前の小学生の頃からである。
その頃に聴いていたラジオを思いつくままに書いてみると、、、

欽ドンニッポン放送
テレビではなくラジオ。これは毎日聴いていた。集英社が提供をしており、ハガキを読まれると集英社の雑誌の名前を冠した、たとえばプレイボーイ賞なんてものがもらえる。当時のガキにとって「プレイボーイ」という週刊誌は大変に大人の雑誌だったので(笑)、いったいその賞とはなんぞや?と思ったものだった。

この欽ドンの前に、ラジオドラマがあったと思うのだが、これも聴いていた。江戸川乱歩の小説などをやっていたと思うが、これはとても怖かった印象がある。
ラジオドラマでは、また「日本沈没」も聴いた。いま検索してみると、これは1973年にやっていたようなので、そうだとすると小学校5年の時ということになる(ちなみに僕は大学を卒業して、その「日本沈没」を出版した会社に入った)。

当時、住んでいたのは横浜市南部の山の上にある団地だったので、ラジオの電波は比較的良く入ったが、やはりこの地域はニッポン放送の電波が強かった。したがって初めてラジオを聴いたのはニッポン放送だったはずで、たとえば日曜の朝にやっていたロイジェームス「不二家歌謡ベストテン」は毎週、聴いていたと思う。
ただ一方で、久米宏小島一慶がやっていたポップスと歌謡曲のベストテンも記憶にある。これは久米が歌謡曲、小島がポップス担当で、各順位ごとにお互いにチンチロリンでサイコロを振って、出た目の多い方の曲(つまり歌謡曲かポップスのどちらか)をかけるという番組だった(したがって勝負の行方によっては、歌謡曲、あるいはポップスがまったくかからないということもあった)。

で、ここまで書くと、歌謡曲のベストテン番組についてはもう一つ触れないわけにはいかないのだけど、それはFMの「コーセー化粧品歌謡ベストテン」。これは土曜日にやっていたのだと思うが、この頃はいわゆるエアチェック(もう死語だね)を必死こいてやっていた時代で、この番組を録音して、歌謡曲のカセットをせっせと作っていた(本来、勉強に向けられなければならない熱意は、僕の場合、すべてこんなことに費やされていた。ちなみにこのコーセーの歌謡ベストテンを聴いていたのは時代的には中学〜高校ぐらいだったと思う)。

うーむ、、、
このエントリーは自分の聴いていたラジオ番組名をただ書き連ねるだけで一回で終わる予定だったのに、すでに長めになっている。
しかし、一つ一つの番組について書きたいことが出てきてしまう。
ということでとりあえず小学校時代に戻って印象的な番組を並べると、、、

横山プリンのシャナナ銀座(ニッポン放送
どう考えてもチョー面白い番組だった。東芝の一社提供で、公開生放送だったと思う(確か場所は銀座)。リスナーが電話口で洗面器に顔を突っ込んで、「東芝さんありがとう」と言って、それがきちんと聞こえたら賞をもらえるというような企画があった。が、大抵の場合は、「どぅぼしぼざん、ばびばとー」というような具合になってしまって良く聞こえないのであった(とここまで書いて、ひょっとしてこの番組は中学になってから聴いたのかもしれないと思い始めた。ここらへん記憶曖昧)。

ヤングタウン東京 桂三枝の大放送(TBSラジオ
土曜日の午後9時半からTBSホールでやっていた(当時は赤坂一ツ木通り沿いにあったTBSの社屋の隣にホールがあった)公開生放送。メインは桂三枝でサブは小島一慶。「時計の針は9時半を回りました。ここ赤坂TBSホールからお送りする桂三枝の大放送、まずは学校紹介から」といって「〇〇高校聴いてるかい」と小島一慶が学校紹介をしていく。そのあとオープニングテーマが始まるのだが、「ヤングタウン東京〜土曜日の夜〜」という感じの曲が流れた。ちなみに桂三枝の大放送は、その後、毒蝮三太夫の大放送に看板が変わり、キャンディーズがレギュラーとなる。

次に深夜放送。僕が初めて聴いた深夜放送は、これは間違いなくニッポン放送オールナイトニッポンでパーソナリティは及川伸一。これは多分、小学5年生ぐらいのことだったと思う。当時は二部制ではなく、一人のパーソナリティが4時間やっている時代で、オープニングのテーマ曲も今とは違うものだった。

と、ここまで書いたところで長くなりすぎてしまったし、明け方近くになってしまったので、この続きは次回に。

合掌 大原麗子さん

中学生時代、帰宅部だったオレは夕方4時から日本テレビで放送されていたテレビドラマの再放送を楽しみにしていた(ちなみに最初に放送されたのはオレが小学校4年ぐらいの頃だったと思う。好きだった女の子が「今日は帰って雑居を見なきゃ」と言っていたのを今でも覚えている)。
なかでも一番のお気に入りが雑居時代だったわけだ。当時はビデオというものもなく、確か最終回はカセットテープに録音した。
雑居時代は最終回とその前の回がすべてで、これさえ見ればOKというドラマだ。
一般に石立鉄男ドラマというとパパと呼ばないでが有名だが、オレは断然、雑居時代だ。
とにかく大原麗子さんが美しかった。
その大原さんが亡くなられたという。数年前には石立さんも亡くなった。

うーむ、年を取るというのはこういうことなのか。