福徹にはブルース、瀬名秀にはジーンを…


 月曜日、福澤の徹っちゃんが久々に上京。
 光文社の方々とともに韓国料理で会食。
 相変わらず渋い徹っちゃんであったが、珍しくカラオケなんぞに行こうと言うことに なり、四人でなだれ込む。
 調子に乗って唄っていたのだが、無理に徹っちゃんに唄わせたところ。
 たまげるほど声が〈プロ〉だった・・・ (゜O゜;)。

 あまりのことに柳ジョージをやってもらったのだが、みな声を失っていた。
 う〜む。渋い渋すぎるぜ!! 
 まさに全身ブルース男…恐るべし福澤徹三


 昨日は津田寛治さんとお話会。
 とても情緒豊かな方で驚いた。脚本も丁寧。
 謙虚さも大きな魅力のひとつである見事な才人。
 身近に起きたサイコな話が興味深く。
 また厄についてひと言。
「役者は厄払いしないんです。役が落ちるといけないから…。僕らの商売は却って何かあったほうが栄養になるんです」
 こちらも渋い…しぶすぎるぜ! 
 http://www.d6.dion.ne.jp/~kan-ji/


 と、その後に瀬名秀明先生と異業種交流会。

 年間の書籍代が五百万を軽くオーバーしてしまうので経済が大変ですとの由。
 大手書店は最優良読者として賞状でも出してはどうか?
 
 氏の「ロボットオペラ」は家庭の医学同様に一家に一冊の名著。
 
 着物の先生も交えていたので遺伝子とロボットときちがいと人殺しとコンビニと江戸小紋と白無垢と地震とパラサイト・イブと寄生獣について五時間近くブッ続けで語り合うという面白恐ろしい一夜を堪能致しました。

 次は花見とか…。
 う〜む、たのしみたのしみ。
 


 「ぼりびあの猿」
  本気になる。





 
 

地獄…


もう息をしているのも辛い。

やらなけりゃならないこと、やりたいことだらけなのに…。
筆も脳味噌もついてかない。


皮算用と机上の空論ばかりが前頭葉で祭りを始めている。

ああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああ



あの津波に…あの津波にぃぃ…。















超怖い話、さすがに今回ばかりは出ないんじゃないか?

もう致命率90%は越えているものな…。
血尿でてるし…。
背中溶けて、座ってられないし…。

そして2004年は死んだ…。


現在も机にただしがみついているだけである。

耳栓とヘッドフォンをして無音を聞いているだけなので街の騒音も家の音もほとんどしない。自分の呼吸と椅子が鳴るだけ。

暮れだとか新年とかいうハレの気配を失って二年目。
毎回、己の愚かさ加減に吐き気を催しつつ、愚行のくりかえしである。

既に何の晴やかさも有り難くはない歳に差し掛かっており、その意味では半分死人と同様であろう。

樹海で見つけた人骨の成れの果てに〈ほっ〉とする自分に呆れたりもした。


去年もいろいろとしたようであるが、思えば屁のような人生。
いくらなにかを積み上げたとしても最後には0をかけて帳消しになるであろうことだけは確かだ。

昨年のトピックは「超怖い話」「東京伝説」が続けられたこと。
刊行後、小川女史に「次もいけそうです」と言われるまでの十日ほどが憂鬱であり、
やっぱりダメかな…と諦めに身を揉む時期でもある。

実話怪談が花盛りと言われる一方、純愛路線も狂い咲きである。
世間というものの振り子の振幅がここまで激しいことが最大の天変地異であろうと思う。人間の精神が怒濤の如く崩壊する予兆である。
既に感動するためならばジャンルは厭わぬ人も増えた。
いつか殺人鬼が動機を問われ「感動したかったから」という日も近い。
質的変化の時期は既に過ぎ、我々は父親の世代とは違う種になったのだ。


最近、近所の爺に「あの時もこういう感じで止められなかった。誰もどうやって止めていいのか判らず。ただ政治が悪い。東条が悪いと言っていたら国ごと奈落に引っ張り込まれたんだ。あの頃も今も自分たちがどうすれば、あの悪い奴らを止められるのかわからない。戦後、何も学ばなかった」と言われた。


私は年に何度か、とても犬が羨ましくなる時がある。
そんな時はたいてい酷く落ち込んでいるか、鬱っている時だと最近、気がつく。
鬱るんです!みたいな気分の時がそう。



友人のひとりが発狂し始めている。
言動を見るとまさに妄想の底なし沼に沈んでいくのを感じさせる妥協と詭弁と怯懦のオンパレード。仲間が増える楽しみが増えた。



体の調子が戻らない。腸炎ウィルスが肺に回ってしまったのである。


今年は必ず小説をだしたい。


今夜が初夢ですから…。みなさん、頑張りましょう!!