『阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間〜命と向き合った被災記者たちの闘い〜』

http://wwwz.fujitv.co.jp/kobe/staffcomment.html
プロデューサー成田一樹氏のコメントが発表されていた。

「事実の重みをしっかりと受け止めてくれた出演者・スタッフの情熱が、視聴者の皆さんに伝わることを祈っています。」と。

私はこの番組を見て、その構成の緻密さにより神戸新聞社の関係者の
経験を始めて知ることとなったが製作者の上述の意図は番組を見た後に
ネット上で知ることになったがしっかりとその意図が伝わったことを実感した。

当時私は北京での駐在生活をしていた。
どういう訳か分からないが当日早朝5時(日本時間六時)くらいに目が覚めて
NHKBS放送でニュース番組を見ていた。すると地震発生の字幕が流れた。

すぐに貝塚に住む母親に電話をしたが無事が確認できた。
しばらくして神戸に住む叔母の安否が気遣われたので電話をしたが
すでに電話回線はパンク状態にあったのだろう、
一切つながらなかった。

BSニュースが一時間間隔で10分間のニュースを流していたが
その日の報道は出だしは死者は約50人から始まり、一時間経つ毎にその数は「0」が一つづつ増えたことを記憶している。

夜が明けてTVメディアが伝え始めた映像に目を疑った。

次々に創造を絶する建造物の崩壊の様子、町の至るところから立ち上がる
炎の映像はいまだに脳裏に焼きついている。

3ヶ月たった後に大阪に出張で行ったが余震が続いていたらしく
自分以外の人、皆の表情に緊張が走るにも関わらず自分だけは
体に揺れが感じられず、疎外感というか、自分の感覚は他の人たちとは違っていたという経験をした。

体験していないものだから君には感じられないのだろうと
言われ自分を恥じた。

体験の有無の差がそのようなことで体験した人から疎外感を受けた。
致し方なし、と自分に言い聞かせつつ震災を体験した人々に心から詫びた。
また現在となって改めて亡くなった人々の冥福を改めて祈るのみ。
せめて生き残っているものとしてなくなられた方の分まで良く生きる決意を
新たにした。