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名前:中山涙 (ペンネームの由来
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2010-07-18(Sun)

「あるあるネタ」の起源についての考察

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Togetter - 「「あるあるネタ」の起源についての考察」

 ツイッターで、「あるあるネタ」の起源について自分の考えを書いていたら、色んな方が、情報を寄せてくださいました。

 上のリンクは、それを元に、トゥギャッターというツールでまとめてみたものです。

(トゥギャッターって便利だけど、イマイチ使いこなせません。編集は誰でもできる設定にしてあるので、好きにいじってください(笑)。)


「二条河原の落書」などに代表される、歴史的な「あるあるネタ」は、rouge2さんの言うとおり、

マンガのルーツを鳥獣戯画に求めるような話

 であり、このへんは、漫才ブーム以前と以後に分けて考えた方がよさそうだな、という気がします。


 現在では想像しにくいんですが、1970年代後半まで、漫才や漫談の世界に「あるあるネタ」というものは存在していませんでした。

 漫才師たちは、お互いを「きみ・ぼく」と呼び合い、ありもしない結婚や引っ越しの話題をネタにして、落語のような「よくできた話」を演じていました。これは、戦前戦後の漫才の立役者である、横山エンタツ秋田實の影響から抜けきっていなかったためだと思います。


 1970年ごろから売れっ子になった、やすきよやカウス・ボタンは、私生活でのトラブルをネタに取り入れて喝采を浴びました。時代は、作り物の笑いから、より身近でリアルな笑いを求めるようになっていたのでしょう。そういった時代の要請が、1979年の漫才ブームを呼び寄せました。


 ラサール石井は著書「笑いの現場」の中で、漫才ブームが起こった要因の一つとして、観客の世代感覚を挙げています。

ブームが起こる何年か前、この頃は、完全にテレビっ子として育った昭和30年代生まれが、大学生になった時期であった。

 この頃学生のコンパでは、それまでの酒の席ではあり得なかった現象が起こっていた。若者たちは酔っぱらってテレビアニメの主題歌を合唱しはじめたのである。(中略)

 この、アニメの主題歌をコンパで合唱する世代が、漫才ブームをつくり、またそれを受け入れたといっていいだろう。この同じ世代の共通言語が、漫才のネタをそれまでのものと一変させた。

 その先駆者は、オール阪神・巨人だろうとラサール石井は書いています。漫才ブーム直前の時期でしょう。

阪神さんがあの高い声でゲゲゲの鬼太郎のおやじの真似をしたり、わんぱくフリッパーのイルカをやったりした。

 この時点で阪神が演じたのは、同世代の感覚を刺激するモノマネにすぎませんが、このようなネタを支持する若い観客が、「あるあるネタ」に飛びついたのは当然のことだったと思います。


 エポック・メイキングとなったのは、おそらくビートたけしです。

 YouTubeに、ツービートが1981年に演じた漫才がアップされています。

D

たけし:テレビ番組は節操がなくてね。

きよし:あ、いろんな番組ありますけどね。

たけし:企画がなくなると必ず宇宙人の話、しだしたりしてね。

「今、宇宙人は地球に来ている!」

 なんて言ってね。

 昔は8時から9時半の、1時間半の番組だよ。それを、アメリカまでロケ行っちゃってね、

「今日は、カンザスシティに住んでる、ジョーンズさんにインタビューしてみました」

 なんて言って、くっだらない。

たけし:それから、まだ誰も入ってない洞窟を探る! なんて言ってね。下りてくんのを、下からカメラで撮ってる。(中略)最初にカメラマン入ってんじゃねえか。

 このあたりに「あるあるネタ」の萌芽が見られます。


 たけしは、この他にも「学校に必ずいる、こういうヤツ」とか「テレビドラマにありがちな、こういう場面」とかをネタにしました。


 たけし自身は、著書「北野武 今、63歳」の中で、以下のように回想しています。

高校ぐらいの頃、いつも4人ぐらいでつるんで、お茶飲んでゲラゲラ笑い話とかしてるんだよ。ところがそれが、実はどこの学校に行っても笑ってるような共通の話なのに、その共通の話が、舞台では1回も見られないって感じがしたのね。テレビが学校だとしたら、同じようなやり方で「『サザエさん』、怪しいよな」って言ったっていいわけじゃない(笑)。

そういう漫才って、なかったんだよね。おいらの前は、漫才のネタをどこから持ってくるかというと、家庭の話しか共通項がないんだよね。子供が就職したとか、女房とケンカしたとか。ところが、我々が出てくる頃には、そこにテレビっていうのが出てきて。テレビの番組を全員が知ってるから、そうすると、そのネタもできるっていう。


 1983年の「タケちゃんの笑ってしまいました」だと、ほとんど現在の「あるあるネタ」に近いフォーマットが完成されています。

 以下、このブログの過去記事より抜粋。

http://d.hatena.ne.jp/karatedou/20090608#p1

 これから卒業式とか入学式ってありますけどね、卒業式でもわざとらしい女がいてね、そういうときブスにかぎって泣いたり。「うぅー」なんて、「卒業したくない」なんて言ってね、ほんで「何子さん、卒業しても、いつまでも、お友達でいましょうね」なんて、明くる日になったら電話も何もしなくなっちゃったりするんだけど、そういうミエミエのやつがありますね。

 一番ミエミエだなこの女っていうのは、ミス・ユニバーサルって、必ず、1位になるやつの泣き方がわざとらしくってね。

「今年度、ミス・ユニバーサルは」なんて言ってスポットがウェーッと、「17番の」って、17番てめえがつけて、もうわかりそうなもんだけど、あたり見回したりしてね。

「17番のキムラエイコさんです」って、

f:id:karatedou:20090715020922j:image:w250

「えーっ、あーーっ」。このヤロー。17番ってわかってるのに見回して。あのクサさがたまりませんな。

 相変わらず時代劇ってわざとらしい。一番笑ったのは「桃太郎侍」ね。あれがわからないですね。「ひとつこの世にはびこる鬼を」なんてね、「ふたつ」なんて、みんな待ってるんだ、こうやって。もう三つ言う前に斬っちゃえばいい。

 そんで出方だってわざとらしいからね。般若のお面かぶって白い着物着て、どっから歩いてくんだって。あんなかっこして外歩いてたら「あ、桃太郎侍だ」ってバレちゃう。

 出るとこっていったら必ず屏風の裏かなんかでね。廻船問屋の部屋の中の屏風の裏にずっと隠れてる。そんで大名と廻船問屋が「おたがい悪ですな、へっへっへ」っつったら、

f:id:karatedou:20090715012543j:image:w250

(屏風から顔を出すしぐさで)「ほっほっほっ」。どうしてそういういいタイミングでいるんだ、そこに。

 同時代の、モノマネとの関係性、雑誌やラジオの投稿コーナーの影響など、疑問点は山積みなのですが、ツイッターでのやりとりを踏まえて、今のところ自分は、

ビートたけし(漫才・漫談・ラジオ)

雑誌やラジオの投稿コーナー

ホイチョイ・プロダクション「見栄講座」

とんねるず(および、その周辺の放送作家

各テレビ番組・若手芸人のネタ

 という流れで拡散していったのではないかと思っています。

 ご意見や情報をお持ちの方は、ツイッターか、このブログのコメント欄に何か書いていただければ幸いです。

今、63歳

今、63歳

タケちゃんの思わず笑ってしまいました DVD-BOX

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momorimomori 2010/07/20 11:20 オイラはボヤキ漫才の人生幸朗師匠がルーツだと思ってました。

karatedoukaratedou 2010/07/20 18:39 ボヤキ漫才は、まさに批評芸ですもんね。晩年の歌謡曲ネタは、本来のボヤキから離れていってしまいましたけど。
人生幸朗の師匠の都家文雄のネタも含めて、考察してみる必要がありそうですね。

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