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上遠野浩平先生の「私と悪魔の100の問答」オススメ!

2008-09-18

[]「パンツのようなもの」論壇 ストライクウィッチーズ安部公房マグリット 価値観


「パンツのようなもの」という表現に対して、さまざまな議論がある。特にnoir_kさんは、熱心に「パンツのようなもの」とは何かについて考察している。私も、その議論に一石を投じたいと思ったので、この記事を書くことに決めた。


自分と自分以外の人の価値観の共有

「パンツのようなもの」の意味

ということを焦点に話していきたいと思う。


アレは本当は何? それは本当にそれ?


絶対に手の届かない二次元の世界・アニメーションの中では水着と下着に差はありません。すべては受け手の思考回路に依存しています。

〜中略〜

それが水着であれ、下着であれ。あとは貴方がそれをどう捉えるかにかかっているのです。ああエロい。


ブラウン管の中のパンツとシュレディンガーの猫『ストライクウィッチーズ』

noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言った


あの「パンツのようなもの」は、我々の共通価値観からすると、明らかな「パンツ」である。しかし、ストライクウィッチーズという世界は、我々に対して、あれは「パンツのようなもの」であり「ズボン」であると語りかける。この齟齬こそが、何かムズムズする私たちの心持ちの原因であることは明確であろう。この作り手が発信する、意図的な誤解は、私に安部公房の作品を思い出させる。安部公房の壁三部作の「赤い繭」がそれだ。


「一寸うかがいたいのですが、ここは私の家ではなかったでしょうか?」

女の顔が急にこわばる。「あら、どなたでしょう?」


〜中略〜


「ともかく、こちらが私の家でないとお考えなら、それを証明していただきたいのです。」

「まあ……」と女の顔がおびえる。それがおれの癪にさわる。

「証拠がないなら、私の家だと考えてもいいわけですね。」

「でも、ここは私の家ですわ。」

「それがなんだっていうんです? あなたの家だからって、私の家でないとは限らない。そうでしょう。」

 返事の変わりに、女の顔が壁に変って、窓をふさいだ。


安部公房全作品2(新潮社):赤い繭 p127〜128


明らかに女の物である家を、“おれ”が執拗に、自分の物である可能性を問う場面である。


赤い繭のこの一節だけを、何も考えずに見ると、狂気であり、ユーモアである馬鹿らしい描写でしかないだろう。しかし、「赤い繭」全体、また「壁」全体でこの作品を見ていくと、全く違う意味が浮かび上がる。それは、戦後の人々の価値観の急変である。安部公房は、戦後の急激な価値観の変容により、共通の認識が崩れていくさまを、この“おれ”が家を探す描写にこめたのである。


共通認識の意図的な瓦解。まさにそれはストライクウィッチーズにおける「パンツのようなもの」では無いだろうか。我々が「パンツ」と呼ぶものが「パンツ」ではない価値観。つまり、価値観の圧倒的な相違。それをストパンでも、何も考えずに見ると、狂気であり、ユーモアである馬鹿らしい描写で表している、のかもしれない。


パイプの絵に「これはパイプではない」と描かれるジレンマ。パンツの絵に「これはパンツではない」と言われるジレンマ。


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ルネ・マグリット:これはパイプではない (1928-29)

カンヴァス ・油彩 59×80cm ニューヨーク ウィリアム・N・コプレイ蔵

(これはパイプではない、って文字で書いてあります)


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ストライクウィッチーズ:これはパンツではない


ルネ・マグリットは、決して自分の作品を語らない。だから、この「これはパイプではない」の意味は想像するしかない。(つーか、その想像こそがマグリットの作品なんだけれど)「これは絵であってパイプではない」「これはパイプの絵では無い」「そもそもパイプとは何か」マグリットの「これはパイプではない」はこのような様々な捕らえ方を我々にさせる。


それを踏まえて考えると、もしかすると「パンツのようななにか」というのも、この「これはパイプではない」という意味なのかもしれない。「これはアニメの絵であってパンツではない」とか「パンツとはそもそも何か」などと言ったことを、我々に問いかけているのかもしれない。


我々はアレをどう呼ぶべきか


 以上の議論を踏まえて、『ストライクウィッチーズ』におけるパンツ・ズボン問題を捉えなおしてみると、「アレ」は少なくとも作中では「ズボン」と呼ばれている物質であるのは間違いありません。しかし「バールのようなもの」よろしく、その正体は現代日本に生きる我々にとって未だ不明のままです。だからこそ我々は誤解を避けるためにも、あの物質のことを「パンツのようなもの」と呼び続けるべきなのです。


「バールのようなもの」と「パンツのようなもの」から考える『ストライクウィッチーズ』パンツ・ズボン問題

noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言った


noir_kさんは、あの物質のことを「パンツのようなもの」と呼ぶべきであると主張している。しかし、私の結論は違う。私は、自分の価値観を信じ、自分の思うように呼べばいいと思う。それが、「パンツ」であろうが、「ズボン」であろうが、「パンツのようなもの」であろうが、それを決めるとの自分の価値観でかまわないと考える。だって、「パンツのようなもの」って、長いから、連呼するのめんどくさいじゃん!!


(ここまできて、酷い結論)

(まぁ、いいじゃん)