Hatena::ブログ(Diary)

karimikarimi このページをアンテナに追加 RSSフィード

上遠野浩平先生の「私と悪魔の100の問答」オススメ!

2008-10-08

[]ゲームの楽しみ方の違いあれこれ。日本のネトゲ事情あたりから考える。


日本のゲーム市場では、オンライン対戦がキラーコンテンツにはならない。

それは何故か?

日本人は「ゲームが上手くなりたい」とは思わないからではないか。


やまなしなひび−Diary SIDE−:日本人は「ゲームが上手くなりたい」と思っていないのでは?

http://yamanashirei.blog86.fc2.com/blog-entry-801.html


これは興味深いエントリー。


オンラインランキングで熱心に上位を狙う人。

大会で優勝に向けて、ゲーセンで腕を磨く人。

そういう人は、確かに存在する。


だが、日本のゲームにおいて、そういう人種が多数を占めない。

また、ネット対戦(FPSはおろかRTSさえも)も大きな流れとはならない。

それよりも、協力プレイベースのモンスターハンターが大人気。

(でも、海外ではモンスターハンターは振るわない)


で、その理由を

村社会モデル

近代社会モデル

自己満足モデル

と分けて、話そうと思ったんだけれど、書いてみたら、なんだかめちゃくちゃになりました

まぁ、雑記ということで思ったことを羅列。


村社会モデル


上記のような状況を見ると、日本の対戦ゲームは村社会ベースなのだろう。


基本的に、リアルなコミュニティ(村)の中での対戦(協力)

対戦結果も、そのコミュニティで閉じられる。

ゲームの上手さは、村の中の上位であれば満足


バトルや競争というガシェットを用いた、コミュニケーションを楽しむ

(日本のMMORPGなどが顕著)


近代社会モデル


日本に対して、アメリカの対戦ゲームは近代社会モデルなのだろう。


素性も知らない対戦相手に求めるのは、

そのゲームでの強さのみ。(人格の没個性化。機能化


また、自分の強さも、実に客観的に、冷静に判断する。

そして、競争の中で、己の向上とバトルをストイックに楽しむ


モチベーション


インターネットによって知のコモディティ化が起こってしまい、昔だったら「村で一番将棋が強い」という優越感を持ちながら徐々に「町で一番強い人と闘う」「県で一番強い……」「都会に出て全国レベルで……」というような段階を踏んで行けたのけど。情報流通のコストがWebによってゼロに近づくと、いきなり「自分は全国ではこのランク」というのが分かってしまう。


モヒカン族」に関する言及

http://mohican.g.hatena.ne.jp/bbs/2/365


これは確かにあると思う。

で、日本の大多数のゲーマーが、「村で一番将棋が強い」で十分であり、

「自分は全国ではこのランク」なんていうものは望んでいないんだと。


で、例え、「村で一番将棋が弱い」でも、

その村の中で「村で一番サッカーが上手い」でも「村で一番囲碁が強い」でも何でも言い訳で。

で、その村が円満で、楽しく過ごせる村なら、別にわざわざ「国」で競う必要は皆無なわけで。

それに、そこまで「将棋」にこだわる意味もないんですよ。


(そこで「将棋」にこだわるのが、近代社会モデルだと思う。そして、熱狂的なゲーマーっていう人種なんだと思う。)


日本でも洋ゲーRTSは良くやられていると思うけれど……


FPSが日本ではやらないのと同様に、

RTSネットワークプレイも日本では流行ったことがないと思う


RTS自体は、私の周りでも結構好きな人がいる。

(つーか、私も、ダンジョンキーパーとかエイジオブエンパイヤにはまったくちだ)

でも、そんな周りの友人でネットワークプレイをしている人を一人も知らない

私にしろ、友人たちにしろ、そこには興味は向かない。


やっぱり、ゲーム自体は面白いけれど、

他人と競って優劣をつけることに興味がわかないんですよね


これは「村社会モデル」どころか、

それ以下の集合である「自己満足モデル」であるわけで。


自己満足モデル


ゲームという物に、自己満足は超大事だと思う。

で、その自己満足っていうの「プチ自分スゲー」に支えられている部分もある。


伊集院光氏がラジオで『シレン3』のことを語っていて

〜中略〜

「俺は日本で一番『シレン』が上手いつもりだったんだけど、ランキングにされてしまうと自分が実は大したことがなかったことが分かってしまう」


やまなしなひび−Diary SIDE−:日本人は「ゲームが上手くなりたい」と思っていないのでは?

http://yamanashirei.blog86.fc2.com/blog-entry-801.html


シレンなどの、一見さんがサクッとクリアできない難易度のゲームではこのことが顕著だと思うんですよ。

PCなら、東方でもいいです。

FCなら、ボコスカウォーズとか、鉄腕アトムとかでもいいです。


こういうゲームって、苦労してクリアしたとき、

「うぉぉぉ! やったぁ!! 自分スゲー!」

ってなりません?


たとえ、世界には、日本には、自分なんかより凄い人が沢山いることを認識してても、

そんなこととは、関係なく盛り上がれると思うんですよ。

でも、その瞬間いきなり、


「アナタは日本で98万2374番目にこのゲームが上手いですね」と言われても、頑張ろうという気が起こらなくなってしまうのです。


やまなしなひび−Diary SIDE−:日本人は「ゲームが上手くなりたい」と思っていないのでは?

http://yamanashirei.blog86.fc2.com/blog-entry-801.html


と言われた、確かに認識はしているんだけれど、

水を差された気持ちになるのは確か。つーか、実際さめるよなぁ。


自己満足モデルの猛者達


私もまぁ、自己満足モデルだと思うんですが、

このモデルのゲーマーも、やっぱり上手であることはあんまり気にしない。


あとまあ、本来の遊び方よりもちょっとはずれたことをするのが好きってのもあるか。

だから広大な遊び場そのものである箱庭ゲーは楽しいし、オブリビオンが好きです。


林檎の反対の端:ゲーム

http://umekaz.com/s/archives/200810/07-2045.html


で、この自己満足型も日本には結構シェアがある。

和製RPGなんかも、まさにコレで。

(つーかまぁ、ゲームという物の本質がこれだからっていうのも当然あるけどさ)


で、この自己満足モデルが行くところまでいくと、やり込みになるわけで。

誰に評価される訳でも、大会がある訳でも、明確なランキングがある訳でも無い。

(いや、村単位ぐらいではあるんだけれどね)

でも、面白いから自らスパルタンとなってやり込む。

(そして、あることろまで行くと、コミュニケーションはうざったくなる)


これって、あれですよね。なんか、もう、仙人とか職人みたいですよね

自分が納得するまで、自分と戦いまくる。

で、やっぱりこういう精神構造は、日本人いい感じだと思うんですよ。

(いや、外国のやり込み事情は全然皆無なので比較ではないんですが)


ULTIMAGARDEN 2nd(やり込みのデータベースサイト)

http://ultimagarden.net/


ドラクエRTAの歴史 ドラクエ3編(やり込み人の近代社会モデル的な例。この記事超面白い)

http://oteu.net/journal/back/7.html#5

http://oteu.net/journal/back/8.html#5


結論


日本人は「ゲームが上手くなりたい」とは思わない


のでは無く、


日本人は「必要以上にはゲームが上手くなりたい」とは思わない


んだと思う。その必要っていうのは、コミュニティ(村)であって。

で、村での関係性とイニシアティブが最重要。

(もし、スマブラで、他の三人と自分の力量が大きくかけ離れていたら、すごい勢いで腕を磨くのでしょう)


「ゲームが上手くなること」よりも「自分が楽しむこと」を優先する。

「ゲームが上手くなる=楽しい」という単純な図式が全てではない。


(あれ? 結論が超普通だ)

(まぁいいか)