2009-02-09
■[小説]大好きな作品が終わった時の空虚感の話 マリア様がみてるハローグッバイを読んで
マリア様がみてる ハロー グッバイ (マリア様がみてるシリーズ) (コバルト文庫)
- 作者: 今野緒雪,ひびき玲音
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/12/26
- メディア: 文庫
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今回は、マリア様がみてるハローグッバイの感想を書くつもりでした。しかし、書いているうちに、大好きな作品が終わった後の空虚感の話になっていました。今回の記事は、ハッキリ言ってまとまりがありません。申し訳ありません。以下、ネタバレがありますので、収納。
自分にとってのマリア様がみてる
マリア様がみてるは、私にとって革命的な作品だった。誰にでも、自分に多大な影響を与えてくれた作品というものが存在すると思うが、私にとってのそれは、マリア様がみてるだった。初めてマリみてを読んだときは、それはそれは衝撃的だった。あまりにも面白すぎて。面白すぎて、面白すぎて、何回も何回も読み直した。無印を読んだ回数なんて、10回や20回じゃきかない回数読んだ。
受けた影響も半端じゃないんだ。たぶん、今みたいな、色々な分析をしながら物語を読むという楽しみ方を私に教えてくれたのは、マリア様がみてるだと思う。それに、小説を書いたり、アウトプットして楽しむということのきっかけもマリア様がみてるだ。なんというか、完全に私はマリア様がみてるに傾倒している。
そんなマリア様がみてるがついに終わりを迎えてしまいました。感動しないわけはありません。もう、涙をボロボロ流して号泣しましたよ。でも、その後に、やつが押し寄せてきました。胸の中に大きくポッカリと広がる、空虚感が。
空虚感
たぶん、オタク的な人なら一度や二度は経験していると思います、この胸の空虚感。なんか、頭がぼんやりする感覚。いや、オタクだけじゃないですよね。なんか、一つのことに夢中になったり、目標に向かって駆け抜けた後に押し寄せてくる、変な感覚。恋愛でも、スポーツでも、入学試験でも、燃え上がったあとの、あの変な気持ち。
たぶん、私のここ5年ぐらいの間の中で、マリア様がみてるはずーっと最高のプライオリティであり続けていました。なんだろう、別格というか、なんというか。完全にハマッているというか。そういうのってありませんか? で、それがとうとう、完結したのです。感動したし、ぐいぐいと胸の奥からこみ上げてくる物はあるんです。あるんですけれど、なんか、ちょっと意識が、遠くにあるような。なんか、客観的な出来事を見ているような、そんな感覚が同時にあるのですよ。
で、私は、こんな感じの空虚感が押し寄せてしまうと、なんか頭がぽやぽやしてしまって、何も手につかなくなってしまいます。そして、今もまだ、そこから立ち直れておらず、ぽやぽやした頭で記事を書いています。
ごきげんよう
ごきげんようとごきげんようの間には、大切な思い出が詰まっている。
だから、ただのお別れじゃないんだよ。
笑って。
手を振って。
――ね?
とりあえず、この書き出しを読んだときに、既にうるうる来てしまった。この書き出しは、明らかにダブルミーニングだ。それも、こちら(読者)よりの。それに、「ごきげんようとごきげんようの間には、大切な思い出が詰まっている。」とか、もう! って感じになる。「ごきげんよう」だ。マリア様がみてるという作品は、一言でいうと「ごきげんよう」だ。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
さわやかな朝の挨拶が、澄みきった青空にこだまする。
マリア様がみてる:P6
祐巳は笑顔で振り返る。
「ごきげんよう」
そんな何気ない子羊たちの日常風景を、ほほえみながらマリア様が見てる。
―了―
無印の最初「ごきげんよう」で始まり、ハローグッバイのラスト「ごきげんよう」で終わる。そしてそのラストには、今までマリア様がみてるの中では使われた事のない一文字、「了」。つまり終わりの一文字。
りょう【了】
1 終わりになる。けりがつく。…してしまう。「完了・議了・校了・修了・終了・投了・読了・満了・未了・魅了」
2 はっきりとさとる。「了悟・了得」
3 明らか。「了然・了了/明了」
4 (「諒」の代用字)もっともだと思う。「了解・了察・了承」
きっとサーガとしてのマリア様がみてるは、続き続けるのだと思う。(お釈迦様もみてるもあるし、あとがき読むとそのようなこと書いてあるし)しかし、祐巳ちゃんを中心とした、私の愛したマリア様がみてるは、ここで、キッパリと、完全に終わってしまったのでしょう。
祐巳ちゃんについて
福沢祐巳というキャラクターは、たぶん、もう主人公にするのは無理があると思う。私の感覚では、福沢祐巳というキャラクタは、作者である今野緒雪先生が、絞って絞って、最後の一滴まで絞りつくして、そして物語を終わらせた気がする。いや、最高だった。なんだろう、何がそこまで福沢祐巳を魅力的にしたのか、今はまだ全然分からないけれど、とにかく良かった。
物語に自分が取り残される感覚
ああ、なんか、祐巳ちゃんが完成したことによる、寂しさって、なんというか、少女マンガ、というか恋愛ものを読んだときによく感じる感覚に似ている気がする。なんか自分が物語りに取り残されてしまうっていう感覚。物語の終焉による、空虚感以外にも。そんな寂しさも感じる。
空虚感もそうだし、この種の寂しさもそうだけれど、こういうのを感じるとき、俺ってつくづくガキだなぁ、って思う。子供じみた感覚だと思う反面、もしこういう感覚を感じなくなったら、それはそれで嫌だなぁ、とも思う。いや、結局心に折り合いがついてなくて、よく分かっていないだけかもしれないんですがね。
おわりに
ここ一週間ぐらいブログを休んでいる一つの要因は、たぶんこのマリみての空虚感です。(時間があんまり無いってのもあるけれど、それにしても書く気が起きない)この虚無感の大津波は、並じゃないのでいつ立ち直れるか分かりません。が、立ち直ったら、またマリみてを何度も何度も読み返して、そして何度も何度も面白いを味わって、それで、なんで自分はこんなにマリア様がみてるが好きなのかを、もう一度一から考えたいなぁ、とかそんなことを思っています。
いや、ともあれ、マリア様がみてるは、至高の作品です。私の中では。うん。それだけは、間違いない。

