秋は夕暮れ


日本史と世界史を両方やると、日本という国は島国なので何か契機が無いと同じような時間がつらつらと流れているように思います。今はインターネットで世界と繋がってグローバルに・・・と思いきや、みんなiPhone持ってツイッターで友達と喋ってる。世界に広がろうって感じでもないのよね。


ドラゴンクエストの音楽を作った「すぎやまこういち」先生は西洋のクラシックはもちろんですが、音楽性に悩んで日本の雅楽をずっと勉強した時期があるそうです。


僕はドラゴンクエストが好きなので、戦士、僧侶、魔法使いと長所短所のある仲間が助け合って魔王を倒す、という単純な世界を見て育ちました。しかし、戦士はどうして魔法を覚えないのか、魔法使いはずっと貧弱なのか、それは何故かと言うとゲームのパラメータでしかないんですよ。スポーツが出来るから頭が悪そうとか、頭でっかちだからケンカに弱そうとか、そういうゲーム的世界観の刷り込みがあるんじゃないのかな。


話を何もしないよりはゲームの話でも無いよりマシかなと。


どういうわけか(自分では明確な理由がありますが明かしたくないので)啓林堂に高校古文の教科書か参考書が無いかなと買いに行くと中学古文の漫画があったので迷わず買ってきました。苦手なことを他で補おうとしたり他人に頼ろうとするより、ちょっと自分で勉強すればいいんじゃないかってね。


読みにきてくれた人に何か利があるように恥さらしを承知で言うと、俺は枕草子と言われても意味が分からなかった。枕と草と子供が何なの?という塩梅だ。草子とは草紙の紙を略式にしたもので綴り紙、つまり本のこと。本のことから派生して物語という意味になったりする。そして枕草子というとテンピュール枕のカタログ、というわけでなく、和歌の枕詞のガイダンスとしてのやさしい和歌集を意味している。これくらい言えば俺のようなミニ四駆少年でもきっと枕草子の意味が分かるだろう。こういう説明は参考書にも載っていないし、これくらいは分かるだろうと思って省略しているのなら先生のほうが分からない人の分からない所を分かっていないのだ。


今昔物語まで読んでいる所。何故そこまで意味解析にこだわるかと言うと、これはもう「国民層ソクラテス化計画」としか言いようが無い。というと「もうプラトーンくらいまで来てるよ?」と言われるがプラトーンのように聖書印刷以降の西洋哲学は聖書研究に立脚しているので、日本人が真意を知るには大和言葉に意味解析をするしか無いという判断。「そこまで言われなくても分かる」と言っていた人が「そこまで言われると実は分かっていなかったことが分かる」というところまで掘り下げるのが哲学だと思います。そうして掘り下げ続けると、いつかどこかで、ここは分からなくても暮らせるし、分かるためにどうすればいいか考えようという気になってもらえれば前進。


ついでに俺がJavaが嫌いな理由を書いておくと、Javaというのはコンピュータの計算能力の内でJavaで書かれたプログラムが使っても良い領域をどこまでにするか制約した上でその分けてもらった領域の中でしかプログラムを実行しないという所。C言語だとコンピュータの資源を使い果たしてOSと競合してコンピュータを壊してしまいかねないというリスクがあるのよな。だから初学者にJavaを勧めるというのは筋としては通る。そのためには必要な処理以上にスペックの高いマシンが必要で、どうしても高価になる。また、スペックが頭打ちになるとJavaはどうしても計算力で引けを取る。そのへんが嫌い。このへんは金持ちになって高いコンピュータ使い放題になると感覚が変わるんだろうと思う。


さらに言うとアメリカ式のプログラムはプログラムを楽にしてマシンをスペックアップしてどうにかしようとする。ハードの進化が線形なので成り立つ。日本式というと主語が大きすぎるが、技術者界隈では経理がマシンを買い替えてくれないなどの理由で限られた資源でプログラムの密度を上げて解決しようとする。そうするとどうしても極論はC言語アセンブラになる。ケータイのアプリでも初期に買ったお客さんと後から買ったお客さんが同じアプリで遊べるように初期型にスペックを想定して組んだりする。


このへんの事情は日本人の多くがiPhoneを使ってXBOXONEよりPlayStation4のほうがハイスペックと言う現状を踏まえると変わってきている。


どのへんが秋は夕暮れで始まったのか、分からなくなったけど、またね。


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