22章7 聖なる関係の光り

The Light of the Holy Relationship

心が自由になるとはどんなことを言うのだろう。
重荷がない、執着がない、悲しみがない、苦しみもない、憎しみもない、怒りもない。

人にはどうしても手放せない感情や考え(思考)があると思います。
これさえなくなれば、楽になれるのに・・・と。

では、どうしたら手放せるでしょうか。


Before a holy relationship there is no sin.
聖なる関係の前には、何の罪もない。

The form of error is no longer seen, and reason, joined with love, looks quietly on all confusion, observing merely, "This was a mistake.
間違った形というものはもはや見えなくなり、理性は愛と一つになってすべての混乱状態を静かに見つめ、単に「これは誤りだ」と認めるにすぎない。
・・・・
You will see your value through your brother's eyes, and each one is released as he beholds his savior in place of the attacker who he thought was there.
あなたは自分の価値というものをきょうだいの目を通して見るようになるし、だれもがみな自分の前にいる人を見て、自分を攻撃する人とは思わずに、自分を救ってくれる人だと見れば自由になれる。

Through this releasing is the world released.
こうして開放することでこの世界は開放される。
・・・
Nor will one little smile or willingness to overlook the tiniest mistake be lost to anyone.
ほんのかすかな微笑みや、ごく小さな間違いを快く見過ごす気持ちまで、だれかのためにならないものはないのである。
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On your learning depends the welfare of the world.
あなたが学ぶか学ばないか、それによってこの世界の幸せは左右される。

単にこれは間違いだと認めること。私が苦しんでいるのは間違いだ。何か私は誤解しているに違いない、という視点をもつこと。そうすれば、どんなふうに間違ってみていたのかが分かるようになります。

また、人間関係において、相手の中に罪をみないということ。そうすれば自分の中にも罪をみなくなるということです。それが聖なる関係になっていくのです。難しいことではありません。ひとつひとつ、自分が言っていること、していることに気づいていけばいいのです。

So be it

22章6 弱点と防御の身構え

Weakness and Defensiveness

How does one overcome illusions?
どうすれば錯覚に打ち勝てるだろうか。
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Merely by letting reason tell you that they contradict reality.
ただ単に、錯覚は実在に矛盾している、と理性に言わせるだけですむことだ。
・・・
And what would you be saved from but what you fear?
あなたは自分の恐れているものから救われたいだけではなかろうか。
Belief in sin needs great defense, and at enormous cost.
罪を信じるということはかなりの防衛を必要とし、それも莫大な代償をはらうことになる。
・・・
Only uncertainty can be defensive.
確信のないものだけが自分を守ろうとすることがありえるわけだから。
And all uncertainty is doubt about yourself.
それに確信がもてないことはすべて、自分自身について疑っていることである。

なぜ、悲しみがあるのか、苦しいと思うのか。
嫉妬するのか、憎むのか、怒るのか。

自分に罪があるいう信念、すべての人が分離しているという思い込み、
そういう錯覚を手放すことができれば、心は平安で満たされ、
いまここにいることの幸せが見えてきます。

ではどうすればいいのか。それは、ただ気づくだけです。
そして、矛盾している思いはどこが間違っているのか教えてほしいと思うだけです。

そうすれば、あなたの人生に答えがやってきます。
最初の一歩はいつも気づきです。
外側に答えはありません。
物事が起きているのは外ではなく内だからです。

他人をとがめる気持ち、批判、非難したくなるとき、それは相手の中に罪をみているということです。
それは、相手だけでなく、自分を罰するということでもあります。そんな思考、行為になんの意味があるのでしょう。ただ幸せから遠ざかるだけです。

ただ、自分をしていることを修正すればいいことです。難しいことをしなさいと言われているのではありません。自分の習慣になっている思考、行いに気づいて手放すこと。ただそれだけで、錯覚の世界から自由になっていくのです。

So be it

22章5. 進路上の分岐点

The Branching of the Road

22章も後半になりました。
このあたりから、奇跡のコースを読むのはなぜかとても容易くなります。

ここまで来たら後戻りはできないと語られています。
自分が当たり前に受け入れてきた世界にはもう戻れないのです。
なせなら、それは錯覚と誤解の上にあった世界だと気がつくからです。
少しずつ目が開いてくると、今までの世界で悲しみや苦しみだと思い込んでいたことが、自分で作った物語であることに気づくのです。私たちは自分の妄想のフィルターを通して、この世を見て人生の意味を知ろうとしていたのです。

Think what will happen after.
このあと何が起こるか考えてもみるがいい。
The Love of Christ will light your faces, and shine from them into a darkened world that needs the light.
キリストの愛があなたの顔を照らし、そこから光りを必要としている暗闇の世界に射し込むであろう。
And from this holy place he will return with you, not leaving it nor you.
そしてこの聖地からキリストはあなたと共に、その地もあなたも後に残さず戻っていく。
You will become his messengers, returning him unto himself.
あなたはキリストの使者となり、キリストをキリスト自身に戻すことになるのである。

私たちが分離の世界に生きていることに気づき、実相はそうではないんだ、ひとつのいろんな側面に過ぎないとわかれば、その世界は本当に美しく輝いて見えると教えています。

The gates of Heaven, open now for you, will you now open to the sorrowful.
天国の扉は今あなたのために開いている、今こそあなたも、悲しい思いをしている者のために開いてほしい。

そうして、自分が気づいたなら他の人のために教えてほしいとここでは話しています。

So be it

22章4 理性と間違いの形態

Reason and the Forms of Error
Now must you choose between yourself and an illusion of yourself.
いまこそあなたは自分自身と、自分自身だと錯覚しているものと、そのどちらかを選ばなければならない。
Not both, but one.
両方ではなくて、片方だけだ。
There is no point in trying to avoid this one decision.It must be made.
この決断を避けようとしても何の意味もない。決心する必要がある。

上記は前の節ですが、私たちに自分が何者であるのか、それを決めなさいと言われています。
自分を錯覚と誤解の世界の中に生きる存在であるのか、実相の存在であるのか、ということです。

この世界は誤解や錯覚に満ちています。
人との違いを探すことで、自分を確認するように仕向けられています。
批判や批評することがよいこと、賢いことだと教えられています。
また、様々な文化的、社会的な価値観は私たちの思考や感情に染み込んでいて、
それがあたかも正しいと、あるいは自分がそう考えていると受け入れています。
そんなふうに生きていることに、理性で気づきなさいと、奇跡のコースでは教えています。

宗教的な何かを闇雲に信じなさいと教えているわけではないのです。
私たちの思考や感情、そしてこの肉体は、いったいなんなのか、なんのために生きているのか、理性を使ってよくみなさいと教えています。けれど、私たちは日常の中に埋没して、思考や感情を精査することもなく、ただ肉体を保つことが生きることと信じているのです。

For reason sees through errors, telling you what you thought was real is not.
理性は間違いを見抜けるので、あなたが本当だと思っていたことも、本当ではないと知らせようとする。
・・・・
Reason is not salvation in itself, but it makes way for peace and brings you to a state of mind in which salvation can be given you.
理性そのものが救いではないが、それが平安への道をひらき、あなたは救いを与えてもらえる心の状態になれる。

私たちは外側しか見ていないので、真実の姿は見えていないのです。
たとえば人間関係においても、それは自分という歪んだフィルターを通して人をみて、そこから関係を作っているにすぎません。本質的な存在として出会えることは稀です。

Let not the form of his mistakes keep you from him whose holiness is yours.
ある人の犯した過ちの形によって、その人から遠ざかることのないように、その人の神聖さはあなたの神聖さでもあるのだから。

So be it

22章3 あなたのきょうだいの罪なきすがた

Your Brother's Sinlessness

この節は、全体が祈りの言葉のようでもあります。
ここだけを読んでも心が安らかなになるようです。

Joy is eternal.
喜びは永遠に続くものである。

You can be sure indeed that any seeming happiness
that does not last is really fear.
実際、どんなに幸せだと思えても、それが長続きしないなら、
そんな思いは、本当は恐れであることは確実である。
・・・
Reason will tell you that the only way to escape
from misery is to recognize it and go the other way.
惨めな状態から逃れる唯一の方法は、惨めであることを認めて、
方向転換することだと理性が教えてくれる。
・・・
To believe that one exception can exist is to confuse
what is the same with what is different.
例外が一つでもあり得ると信じるということは、
同じであるものを違っているものと混同することになる。
例外はひとつもあってはならない。
奇跡のコースの中で何度も繰り返されてきた言葉です。
例外はありません。人を許すとは、例外なく、自分を含めすべてを許すことです。
そうでなければ、許さないことと変わりはないのです。
この人は許せるけれど、この人はできない、という訳にはいきません。
世界に罪を見ていることになるからです。
自分で闇を信じ、つくっていることになるからです。

Behold the great projection, but look on it with the decision
that it must be healed, and not with fear.
重大な投影の結果というものをよく見るがいい、ただし恐れずに、
そこには絶対に癒しが必要だという決意を抱いて見つめてほしい。
・・・
Is it not welcome news to hear not one of the illusions
that you made replaced the truth?
あなたの作った錯覚が一つたりとも真理に取って変わってなど
いないとは、喜ばしい知らせではなかろうか。

Here is no separate will, nor the desire that anything be separate.
ここには別々の意志はなく、何一つ別々であってほしいという思いもない。

Its will has no exceptions, and what it wills is true.
その意志に例外はなく、意図することは真実である。

Every illusion brought to its forgiveness is gently overlooked and disappears.
許しを得るためにもたらされる錯覚はことごとく、
とがめられることもなくそっと消えていく。
・・・
No misery is here, but only joy.
ここには少しの惨めさもなく、ただただ喜びがある。

So be it

22章2 聖なる関係が教えること

The Message of the Holy Relationship

コースをここまで学んでくると、自分が攻撃している相手は自分であるということも
わかってきます。自分だと思っているこの私は、自分ではないということも理解しています。
頭脳は考える機能がありますが、洞察力はそれを超えていることも知っています。

そして、秘密や罪があると考えるなら、それは訂正できることもわかっています。
秘密も罪もありません。それはただの間違いなのですから。
それを取り返しのつかないことにしないように、と奇跡のコースでは教えています。

Let not your fear of sin protect it from correction, for the attraction of guilt is only fear.
罪を恐れてそんな間違いを訂正せずに、そのままにさせないこと、
罪責感に引きつけられるのは単なる恐怖心であるから。
・・・
This is the one emotion that opposes love,
and always leads to sight of differences and loss of sameness.
この感情こそが愛を妨害し、いつも相違点を見たり、
同一の状態を失った様子を見たりするようにさせる。

私たちの認識はまだ赤ちゃんはんのようなものだとここでは言っています。
そうだとしても、赤ちゃんは成長し続けることができるのです。
そして、聖なる一瞬に目覚めたなら、そこには時間はないのですから、
成長の時間もなく、ただそこにそのままずっとあたった自分に気づくだけです。
道は示されています。自分も人も許すこと。怖れをみないこと。信頼すること。

Think what that instant brought; the recognition
that the "something else" you thought was you is an illusion.
その一瞬なにが起きたのか、考えてみるがいい、
そのときあなたは自分のことだと思っていた「他の何か」は錯覚だと気づいたのである。
・・・
And here can he return in confidence,
for faith in one another is always faith in him.
だからここへはキリストが確信を持って戻ってこられるわけだ、
ほかのだれかを信頼するとは常にキリストを信頼することであるから。

You are indeed correct in looking on each other as his chosen home,
for here you will with him and with his Father.
あなたが自分のきょうだいをキリストの選ばれた安らぎの場と見なしたことは実に正解だ、なぜならここであなたはキリストと御父と同じことを意図するからである。

So be it

22章1 救いと聖なる関係 序論

Salvation and the Holy Relationship  Introduction

日常で、彼女(彼)が悪い、あの人さえ変われば、などと考えることはよくあります。
たわいもないことでも、誰かを裁かずにはいられない。あの人と私は違うと言い続ける。
これが、私たちの習性です。

しかし、誰かに罪があるという考えをもっていて、自分は悪くない、
無実だと信じることはできないのです。人を裁くとき、
それは、自分も裁かれることを信じているという表明になるのです。

この罪の罠から抜け出すには、相手を許すことです。
そうすれば、自分も許されるのです。
誰にも罪はないと選択して生きれば、この現実は明るさを増します。

Sin is a strictly individual perception,
seen in the other yet believed by each to be within himself.
罪は自分一人だけのときに知覚することで、
それは相手のなかにあるものとしながらも、互いに自分自身にも罪があると信じている。
・・・
The holiness of your relationship forgives you and your brother,
undoing the effects of what you both believed and saw.
ふたりの関係の神聖さというものが、あなたとあなたのきょうだいを許し、
ふたりが信じて見たと思っていることの及ぼした影響を取り消してくれる。

私たちが誰かと人間関係を作るとき、
そこには何か自分にはないものをもっていると見ています。
ですが、人は、欠けたところなどない存在です。
でも、それを忘れて外側にあるように見えるものを欲しいと思うのです。
もし、人と聖なる関係を築きたいなら、私達はお互いに何も欠けているところはない、
というところから始めなさいと、奇跡のコースでは教えています。

Here is the faith in differences shifted to sameness.
相違点を信頼するのをやめて、同じであるということを信頼するようになる。
And now the sameness that you saw extends
and finally removes all sense of differences,
so that the sameness that lies beneath them all becomes apparent.

そして今やあなたの見たという同一の状態は拡張し、
最終的には、違いがあるとの思いはすべて取り除かれるので、
そんな思いの下にある同一の状態がぜんぶ明らかになる。

So be it