再び「信じるとは選択から始まるんじゃないかな」と「存在が存在するって奇蹟的だけど観測者か証明者が欲しいよね」について

無宗教な自分が辛い」http://anond.hatelabo.jp/20150330001506 という増田を読みまして。

どうもはじめまして、はてブ在住キリスト教徒のkash06と申します。
昨年聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。一言で言えば「信頼できそうだと選択した」という記事を書いたものでして、この度もついトラバさせていただきました。

今回は元増田が問題にされている「今更、信仰とか難しいし」問題、それから「存在の消滅」と「時間や空間に左右されない、存在の証明」について、私なりに考えてみました。ですので、キリスト教の基本的な原則「神・罪・救い」についてはほとんど触れずに、かつ哲学的なアプローチも一切出来ないので、ほんと「こういう風に考えて生きてる人もいるんだー」的な受け流しをしていただければ幸いです。


さてブコメの方は「無宗教」という言葉に反応が重なってしまいましたが、元増田が問題にされているのは「自分が死ぬと、その瞬間世界は消えて無くなり、「全てが無かったこと」になる」「今すぐにでも気軽に消えてしまうようなあまりにあっけなく、脆い物語」という「存在の消滅」が悩みであり、それは「あなたにだって宗教心があるじゃないか!」といくら言われても、それが消滅の問題を解決していない。だからこそ辛いと書いているのだろうな……と思いましたところです。

存在の消滅について、自分には信じる宗教がないから…と仰りつつも、「何を信じたらいいのかわからないし、後から何かを信奉することがとてもむずかしく思える。」のも、わかります。シンデレラガールズ川島瑞樹さん風に言うなら「わかるわ」です。わかるわ。

して、元増田から大きく2つの質問がありました。
「どうやって信じたらいいのかがわからない。」、「俺はどうしたらいいんでしょう。」

共通してアドバイスをさせていただくならば、最初から信じたり、高度に知る事はないと思います。あえて書けば「出会う」「受け止める」「待つ」はいかがでしょうか。

宗教を信じる心境に達する事が「信じる」ではないと考えています。それは宗教に対するセンスや感受性が高い人には到達できる事でしょうが、普通には難しい……かく言う私にもセンスなどありません。元増田が書いたように「安心と生きるための行動基準」として、主体的に選択するかどうかではないでしょうか。
個人的には以前、このように書いてみました。

「信じている心境に到っている」かどうかより、「これからその方向で行きたい」という頭の方で考えた選択から始まったのだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/kash06/20140830/1409389311

とはいえ「知る」「勉強する」が必ずしも「信頼」に繋がるとも限らないかもしれません。
元増田が(そして私が)想像するだけで、その深い無意味さに震えてしまう「存在の消滅」について、あるいは反対に「永遠」や「絶対的な存在」について、いずれかの宗教の極々基本的な考え方を知った後、すぐにそれを受け入れる事が出来なくとも、ぼんやりと受け止めていく中で、信頼できる時やタイミングが来るのを待つのはいかがでしょうか。
それは知識を得るだけではなく、何かの機会で知り合った教会やお寺で、率直に質問してみるのも良いかと思います。私も基督教徒ながら、家の法事で和尚様に色々聞いてみたりしてますが、今の方々は現代人の迷いに、あまり押し付けることなく基本論みたいのも気軽に教えてくれますね。もちろん教会でも大歓迎です。(心構えなんていくらでも出来てるので、変に驚いたりしないですから

…さて、キリスト教くさくて申し訳ないのですが、「伝道の書」という箇所が好きなんですよ、私。

第3章1節〜11節
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くのに時があり……(中略)……神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。

全部がわからないのは確かだけど、何もかも全てがわからないとか、信頼できないわけじゃないと思うし、それには時があるのかもしれません。
私はキリスト教の事しか伝えられないのですが、「自分のために神があらかじめ誕生から終着を用意してくれているかもしれない。存在を証明する主観が消滅し、自分を観測してくれていた他の人もいずれ死んで消滅しても、永遠に存在している神が、私の存在を覚えて、永遠に証明を引き受けてくれるのかもしれない」という思いを「選択しても良いかな…」って考えられる日が来たら、その時にいつでも始められるものですしね。

もしも全く的外れで、何の手助けにもならなかったら申し訳ありません。
でも何より、元増田が何らかの平安が得られる事をお祈ります。