マウンテッド!Blog
2006-05-24 オタクは死にました

■[event] オタク is Dead
5分前になんとか到着。場内テーブル席は満席だったので演壇上手のボックス席から。初めて座ったけどなかなか落ち着いて見れて面白かった。しかし同じボックスに座った奴がチェーンスモーカーで死んでしまえばいいのに!と思ったよ。
もともとは適当なゲストを呼んで最近のオタクはけしからんなーというヌルいイベントにするつもりだったけど、2日前に進行表を作ったら燃えちゃってせっかくのゲストを断り一人語りで3時間というイベントになったそうな。
第1部はオタクの現状について。
TVチャンピオンのアキバ王選手権の審査員になって、どんな濃いオタクが来るかと期待していたら、出演者が出してきたお宝は単に買ったものだし、好きな声優を応援したいというのに自分がイベントを主催しようとは思いもしなかったという薄いオタクだったこと。真剣10代しゃべり場で、オタクを差別するなと主張する専門学校生が出たけど、本人はまわりに全然それを言ったことがなくて、まわりがポカーンとしていた話。
それから「萌え」という言葉は実はオタク層には日常的にほとんど使われていないけど、それが便利に使われてしまっていることなど。岡田氏は萌えは解らないでもないけど、それについて評論出来るほど深くはわからないそうな。
以前は○○のファンの符丁が他のジャンルのファンにわからないのは当然だし、それを押しつけたりはしなかったのに、「萌え」がわからないからオタクじゃない、と言われる現状はおかしいのではないか、と疑問を呈する岡田氏。モーオタの萌えとエロゲーマーの萌えは同じじゃないだろうと。
はてなとWikipediaのオタクの項について語ったあと、いよいよ岡田氏が今まで慎重に避けてきたオタクの定義について語る。
「好きなものを自分で決められる知性と偏見に屈しない精神力を持っている人たち」
だそうで、これは昔から変わっていないとのこと。
それからオタクの世代論。ざっと分けてヤマト・ガンダムの40代の第1世代、エヴァの30代の第2世代、ノーブームで好きなジャンルのみの20代の第3世代。
さらにオタク内オタクの定義について。森川嘉一郎の「ダメを志向するのがオタク」、斎藤環の「2次元に欲情するのがオタク」。どちらもある程度は合ってるけど、どちらも部分を見て全体を語ろうとする定義なので結局しっくりこない。
女性オタクからの定義がないのは、女性がオタクの中心概念を持たず、ジャンルについて他人との差異ばかりに向いているから定義が出てこないという。
やっとここ10年で海外のオタクが紹介されてオタクがオモシロ系の人として認知されてきたり、知的なイメージがついたりしてきたのに、バベルの塔が崩れたのように、人々の言葉が通じなくなってしまった。
というところで第1部終了。
休憩時間もしゃべる岡田氏。
会場からのアンケートを読んだあと、ゲド戦記の監督を宮崎悟朗が引き受けるまでの話を鈴木Pのブログの記事+ジブリスタジオについての岡田情報でおもしろおかしくお伝え。岡田話芸炸裂で正直ここが一番ウケてた。去年の12月26日に家族会議をして以来、親子で一言も話をしてないそうですよ!
http://www.ghibli.jp/20special/000457.html
第2部はオタクの死について。
そもそも第1世代のときの「おたく」は他人から与えられた差別用語で強制収容所のようなものだった。それを第2世代になって「オタク」と書き換えたときから収容所の敷居は下がり、いろんな民族が集まる合衆国になった。
ここで70年代のSF同人誌に載ってたあるSFファンのサークル活動史を紹介。SFの普及のために奮闘するも、どんなに冒険しても上の世代を越えられず、ファン活動はやがてマンネリ化して解体していく、というのは今のオタク文化と同じなのではないか。という。
第1世代は貴族であり、求道的な性格とノブレスオブリージュがあって、生まれながらにして特別なのだからなんでも知らねばならず、世間から蔑まれようと気にしなかった。
第2世代はエリートであり、自らの好きなものの良さは学べば誰にでもわかるはず、というスタンスで、アカデミズムに傾倒する。
しかし第3世代にとって、オタク文化は他人と自分を差別化するアイデンティティであり、第1・第2世代とは共通概念たりえなくなってしまっているという。本田透が女とはリージョンコードが違うというようなもの。
かつてSFを知るためには何百というSF小説を読まなければならなかったが、スターウォーズがビジュアルでその魅力を伝えてしまってからは、本を何百冊も読んだり、原語版に当たったり、という苦労は誰もしない。同じSFのセンスオブワンダーであっても、一度絵という判りやすいものが出来ると、それ以降は堅い小説のような難しいものは受け入れられないし、その流れは止めようがない。ファンは増えたけど、SFファン以前とは違う人々になってしまった。
同じようにオタク文化においては「萌え」という言葉がオタクを判りやすく伝え、仲間は増えたけど同じようにオタクは以前とは違う人々になってしまった。オタク文化を守ろうと思ったら在日文化のようにその文化を規律で固めていくしかないが、もはやそんなことは不可能なのだ。
オタクは死んだのである。
お客さんにイヤな気持ちで帰ってもらうのはなんなので、これからどうすればよいか?ということをサービスとして語るつもりの岡田氏。
しかし壇上で「オタクは死にました。みなさんの言葉を広く伝える評論家もこれからはいません……」と語っているうちに、感極まって壇上で言葉を何度も詰まらせる。
「好きなものの素晴らしさを、これからは個々で発信して他の人に伝えよう」という自ら提唱するプチクリの概念を話し、これを締めとするつもりだったのかもしれないが、自らグダグダになっちゃってごめんなさいと語るとおり、その良さをうまく伝えられないまま予定を15分ほど早く終了。
実は岡田氏の主張は近著のプチクリでも処女出版の「僕たちの洗脳社会」でも変わっていなかったりするし、それだけ筋が通った話ではある。

- 作者: 岡田斗司夫
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こういうステージでは芸人か講師に徹する岡田氏が、第3部でオタクの死について声を詰まらせながら語るのは驚いたが、しかし気持ちはわかる気がする。「国」となぞらえたものが沈むさまを黙って見ているしかないとしたら。これからはお互い暗い海を漂いながら、自ら声を上げて仲間を探し続けるしかないのだ。そして岡田斗司夫はオタキングであり、自らの国が滅ぶのを自ら認めてしまったのだ。
それにしても今日テレコを忘れちゃったのが心底悔やまれるなあ。
今日のイベントトークをそのまま起こして本にしてくれたら買っちゃうよ。
おつかれさまでした……。
*1:ロフトプラスワンに良く行くけどこの人のプロデュースするイベントにしか行ってないような気がする……http://www.mondo21.net/variety/okada/index.html#
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- 今日の走行
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- http://d.hatena.ne.jp/ichihaku/20061206
- http://d.hatena.ne.jp/kayoco/20070508
- 岡田斗司夫について
- 未来台詞箱〜tee box〜 - オタクはすでに死んでいる
- このページを読む者に永遠の呪いあれ - 読者は本当のバカかもしれな...
なんて言いますかねぇ。あの日の岡田さんは、映画「日本沈没」の渡老人とかぶって見えて仕方なかったですよ。「もうオタク達には帰るところはないんだ」って言う悲壮感さえ漂ってきていて。
そもそもオタクの定義そのものが氏も言うように曖昧である以上、そこに明確な滅びは存在しないと思います。
氏はオタクを「武士」として位置づけたのかもしてませんね。戦国の世、刀で斬りあった時代(一次世代オタ)、太平の世になり、サラリーマン化したオタク(2世代オタ)そして、オタクと言う存在そのものがあやふやになる幕末維新以降(3世代オタ)・・・
ですが、ここで根本的に違うことは「どの世代も「好きだから」オタクになった」ということです。その気持ちに貴賎はなく、同時に浅い深いに意味はありません。
岡田さんの考え方は、よく年寄りが言う「最近の若い者は・・・」と同義語であり、はっきり言って懐古主義にしか見えませんね。悪いですが・・・涙を流したのを見て「ナニ泣いてるんだ?この人・・・」と冷めてしまった自分がいました。
自分の思いどうりにならない世の中=悪い世界 と考えてしまうのは、それこそ「視野が狭い」意外に何者でもない気がしますが・・・
だから私なんかはまだ岡田氏と世代的には近いし、辿ってきたオタクの道程は判らんでもないし、わりと業界近いとこにいるんで、泣いたのがどうこうではなく本当にもう「おたく」がいなくなってしまったんだという気持ちは何となく判るような気はしますが。
結局おたくって世代的な体験だと思うのですね。自分がちょうど大人になっていく過程でマンガアニメブームがやって来て世間に認められ、作る側にまわり、ブームの渦中にいながらそれを客観視できる立場にいた人間だからこその感慨じゃないかと。それを追体験することはもう不可能だし、世代が同じでも同じ渦にいなかった人間には判らない感覚だと思うんですよ。だからこそ岡田氏は「おたく」というものについて語り続けてるんじゃないかと思うのですが、それを受け止める層の変遷が見えるからこその絶望じゃないかと。
ただ全体としてのオタクは変容してるけど、個としてのオタクの魂は受け継がれてると思うのですね。受け止められない人はいつの時代でもいるもんだし、今はそういう人が多数派のオタクになってしまったんで、変わっていったように見えるのかもしれませんね。
と、いいますか氏がすでに「オタクの本流(大きな流れとして、という意味)から離れた場所に流れ着いてしまい、少数派になった危機感を勝手に「オタクの危機」みたいな論調で語っているように思えてしまいますね。
厳しい言い方になりますが、「だったらなぜ、あの時にガイナックスを辞めてクリエイターではなく評論家という選択肢を選んだのか?」に尽きます(ヤングサンデー:絶望に効くクスリ でインタビューされてましたけど)
結局彼も「クリエイターオタク」から「消費オタク」になってしまっただけではないかと。いろいろ考え方はあるし、それも否定しませんが、だったらまた「トップを狙え!」的なクリエイターとして今のオタクに渇をいれるような作品を世に送り出せばこそ、本当の意味でオタキングの称号が輝くと思います。
今も昔も「好き」って情熱は変わりません。だからこそ「刹那的に今を楽しむ」ことが本来のオタクの生き方であると感じます。
kio氏のいうようにレポートだけ見ると懐古主義に見えます。
そこで思うのは、岡田氏の懐古主義時代の産まれなかった世代は、
実は上の世代より拒絶されているのではないかと思うことです。
言い方は悪いですが、『オタク』ということばは、
現役のオタクを除いて(電車男等を含む広義(マスコミ等)の意味では)自分のより下(キモイ)奴がいるので、安心と言った意味の、別称の意味を抜け出せないと思います。
これは時代が変わり、『オタク』の意味が変わってもです。
すなわち『キモイ奴』=『オタク』です。
これは自分的には、電車男が逆シンデレラストーリー(オタクという異端から恋もする一般人への)であったことからも間違いないと思っています。
まぁ、時代も変われば別の別称が出て来るかもしれませんが、ニートみたいに。。。(本来とは別の意味となりつつも、一般人から見れば下層がいるから安心という具合に。)
若オタ(若者)否定すること自体、ジジイになった証拠。
彼にしてみれば、自分たちのような人間こそが本当のおたくだと思っているのかもしれない。
例えば現状のハルヒ祭りなんて、マユを顰めているのかもな。
業界では彼の人間的な評判は芳しく無いようだが、なんのかんの言ってもオタク産業をここ
まで広げてきた彼の功績は認めざるを得ない。
しかし、おたくは死んだと言い切り、嘆くようではもうはや
「俺たちの若いころは○○だった。それに比べて今の若いモンは…」
というのと全く同じ。
彼らの世代のような、SF小説を読み倒して、好きな小説などを自分たちで映像化したり、原作
者に直談判して版権を勝ち取って商売をする猛者は居ないが、第3世代型のいまどきのオタ
クは忙しいんだよ。
ゲームの新作が出たらコンプしなきゃならないしw、同人誌をコミケに出したり(買いあさったり)、
新しいAV機器の使い方も勉強しなきゃならないし、あちこちネットさまよったり、手の空いたとき
はにちゃんねるでカキコしたりするのも重要な仕事だ。
TVアニメの本数も多いので、エアチェックする労力もバカにならない。
(まぁ、みんなほどほどにしておけばいいんだけどねwwww)
それと岡田斗司夫が完全に勘違いしていること(もしくは自覚しているのか?)がある。
こんな第3世代型オタクを生み出してしまったのは、彼ら第1世代型の責任だということだ。
GAINAXの生み出すコンテンツとゼネプロ商法により、オタク文化はビッグビジネスになることが
実証され、オタク層は広く拡散しながらもグッズの大量消費という流れを生み出し、それによりG
AINAXとゼネプロ、そして特に岡田斗司夫は大いに潤ったはず。
コアなおたくはいなくなったが、消費(浪費)型の受動的なおたくをつくりあげたのは、自らの利益
のためだったことを、今のオタクへ責任をなすりつけているように思える。
これがオールドタイプということか…。
こんな大人、修正してやるw
まさに岡田氏が言った「現世代はオタクをアイデンティティと捉える」を証明するものでしょう。
そういった価値観の元では確かに岡田氏は現世代のアイデンティティーを崩壊させるならず者に他ならないのですから。
しかしながら彼は続く世代に悲観し完全に否定しているわけではない事を知るべきです。
ライトなSFや萌え等の「イイモノ」がたくさん現れ、それを楽に手にできるのは、岡田さん達が頑張ってくれたおかげだ。
もうアマチュアが版権を取らなくても作品は供給されるし、声優イベントも開いてもらえる。
天国のようなオタク国を見て、王様は喜んでくれてもいいんじゃなかろうか。
発展したおかげで、改善すべき不便も、倒すべき敵も大分少なくなった。ありがたい事だ。
それでも、挑戦してみたい人はSFなり萌え絵なりの術を学んで戦場に行く。いや、平和に和歌を詠みに行くって感じだけど。その中には質の高い物もある。ちゃんと受け継がれている。古典SFは読んでいないけど、ガンダムを見ればガンダム風のアニメは作れる。興味の無い部分は淘汰された。昔のオタクだって古事記は読んでない。全世代が一つながりの共通知識を持つなんて無理な話だ。
ヘボい作品も膨大に増えたけど、それは住民が増えたのだから当然。
時間の推移とともに人気ジャンルは変わってきたけれど、それはアニメが台頭してハードSFが不人気になった時も同じだった。
不人気ジャンルだって生き残っているし、SFより欲しい物が他にあるから、皆他(萌えとか)に行ってるだけ。SFが欲しい人はSFを享受できている。
言及を避けているように見えるけど、萌えが格好悪いジャンルだからプライドを失ってるって事だろうか。それならビーム砲やワープだって格好悪かった。これからはメイドさんの性格付けやオッパイの形が発展していけばいい。そして、少しでもオタクを増やせばいい。一番好きな物、欲しい物に行くしかないじゃないか。自分に嘘を付いたらオタクじゃ無くなってしまうもの。
「自らをオタキングと自負しながらも、現在のオタクとのジェネ
レーションギャップを埋めることができず、その苦悩を『おたく
は死んだ』と表現した。」
ってことかね?
若い感性を失った時点で岡田はおたくではなく、ただの批評家や
作り手に成り下がってしまった。
もはや岡田自身がおたくではない。
今年で19歳の私は年齢的にはそのまんま第3世代に入ります。ですが、40代後半の親が両親ともに第1世代オタクで、小さい頃からヤマト・明日のジョー・宮崎アニメ・トップをねらえ!なんかを見て育ちました。両親の知り合いの第2世代オタクの人達とも昔から深い関わりを持ち、それでなおかつ第3世代オタクの同級生達とも付き合ってきました。
そんな私が最近感じている今のオタクの扱いに対する嫌悪感は、岡田さんのそれと同じだと思いました。同年代のオタクは話をしていて本当におもしろくない。作品の表層しか見ていない人が大半を占めている気がします。年上のオタクの人たちは知識が深いだけでなく個々が独自の意見をしっかりと持っており、話していてとても楽しい。俺が話したいのは「キラ最強!で終わっちゃっう酷い作品だよな。お前もそう思うだろ?」なんてことではなく「この作品が作られた背景に何が存在し、何故このような形の作品になってしまったのか?」って話やねん!そんなわけで、19歳のくせに知り合いが20台後半からばっかりだったりするわけですがwま、それはさておき。
私は今の世間におけるオタクの扱いが、数年前に渋谷原宿を闊歩していたコギャル達のそれと同じものではないのかと思います。江戸時代からそうであるように、人々は常に自分の下に存在する階級「えたひにん」を求める。現代における「えたひにん」が「自分達とは文化の違う若者」であり、それが数年前のコギャルであり、現在のオタクなのではないかと思います。確かにオタクの質は下がっている。しかし、オタクが死んだわけではない。メディアによって殺されようとしている、否、死体として扱いを受けているだけの話ではないかと思います。それを見てオタキングであり岡田さんともあろう人が「騙されて」しまうのは、いかがなものなのではないかと思います。
現に、今の世代でも私のように先代からのオタクとしての考えを引き継ぎ作品をしっかり考えている人間はいる。世間からのオタクに対する風当たりは強く、オタクであることに嫌悪をすることもある。それでも、私はもう性の根からオタクであり、その意思を次の世代に伝えて行く覚悟がある。それなのに、オタキングたる岡田さんに「オタクは死んだ」といわれては立場がないのです。
オタクは知識への探求者である。その王たる岡田さんは、いかなる時においても探求をやめるべきではない。私は岡田さんを幼い頃から尊敬していました。その岡田さんにそんなことを言って欲しくない。もしも本当に全てのオタクが死んだのだとしても、王たる岡田さんは最後までオタクであって欲しい。そう願ってやみません。
「流れ」が理解できないなどオタクとしては通過儀礼だと思うのだが、岡田氏に取っては違ったのだろうなぁ。
アニメの制作現場なんて、若手もベテランも嘆くくらい平均年齢が激しく高いよ。おまけに若手にも実力も教養もないし。
昔鍛えられたベテランがまだ現場にいるから、今のレベルの高い作画が一部にしろあるわけであって。
今のオタク時代って、何だか黄昏れめいているとこはある。
反論できるならしてみな
昔だって、軽度のオタク・自称オタクはいたし、今はそういった連中がたくさんいるだけでしょ。
コアなオタクは数少なくいると思うよ。
地下に潜伏してるだけでねw。
FSSの騎士の血みたいでw
いろんな血が混ざり合っている状態なんですかね今は。
そんな中で岡田さんみたいな突出した人物が現れたからこそ目立ったわけで、もしかしたら彼レベルの才能がある人間は今の世代の方が多いかもしれません。ただ、目立たないだけで。
なのに岡田斗司夫は宮崎勤みたいな奴は「おたく」であって「オタク」では無いと言い張る。そして流れは「おたく」に向かってると嘆いてる訳だ。自意識過剰も甚だしいよ。
消費オタは真のオタクにあらず、というなら電車オタはどうですか?プロレスオタは?野球オタは?F1オタは?
オタクの地位向上を図りたくて活動していた経緯はわかりますけど、自分と違う種類の人間が増えたから「オタクは死んだ」というのは思い上がりも甚だしい、ですな。
岡田さんを目指してオタクになった人間など皆無です。
今増殖してるのはヲタでしょうけどね
いいんじゃないかなあ?時代の流れでしょ?
マニアやヲタはメディアやグッズに依存せざるを得ないだろうけど、
オタクはひっそりと他人知れず自分を深め続けりゃあいいんですよ
それで滅ぶような概念でもないし、滅ぶようであったなら
それはもうその程度のものでしかなかったわけで
まあ、周りのアニメ好きを見てれば気持ちはわかりますけどね
昔のオタクはエバンジェリスト的に活動していたけど(そうでない人ももちろん多かったけど)、最近その役割はすべて企業がやってくれますからね。
「俺がなんとかしなければ」とか「他の人を巻き込んでやる」というものが薄れているんでしょうか。
トップランナーが若手の追い上げについていけず先頭集団から落伍し、だからといってマラソンそのものをあきらめることもできず・・・
老いとはこういう姿なのだろうか・・・今の彼からは魅力を感じられないのは・・・
口コミレベル、小規模なイベント等々を見渡して、伝道者は昔よりも頑張っている印象を受けます。ジャンルの細分化と情報量の増大により、「俺がやらねば」という気概が強まっていると考えています。もちろん同様の理由で受身になる人も増えているのでしょう。
その場を盛り上げるために賛同の得やすいネタを提供し
コアな流れをみつけては祭る
そんなタイプのオタクが増えて、
集団のノリを大事にしない旧世代のオタを迫害してる気もします。
旧世代のオタクは自分の愛するジャンルに固執し
オタどうしの立ち話は長く深く、しかも平行線が普通で
それがオタクのオタたる証でもあった。
いまは選択された趣味がオタいのであって、姿勢がオタなわけじゃない。
引きこもりが代替コミニュケーションとしてオタアイテム使うのと、オタクが引きこもって趣味に没頭するのはぜんぜん違う。
世間とズレた服装を何年もキープして、挙動不審な目つきで年齢に不相応なグッズを手にし、理解不能なオタ用語をしゃべるからだけど、
昔のオタのキモさはそんなもんじゃない。外見じゃなく遺伝子に欠陥を感じる不気味さだった。
ヲタのカテゴリーについて岡田氏の当てはめ方はとても的を得てるよう感じました。斉藤氏のカテゴリーはどうもなっとくいってなかったんで。
さて、熱い論議がコメントで起きてますが、オールドだとか回顧主義だとか言ってますが、それこそカテゴリーでわけたがるという第三世代とうものになっちゃうんじゃないかね?別にそれが氏は悪いとはいわんが、元々の思想や、理念からはずれてるってこと言ってるだけじゃないんですかね?
昔のヲタはもっと能動的で、活動しないやつはヲタじゃねーみたいな意識もあった気がしますね。岡田氏はその世代の典型的な方で、GINAXたちあげはそういった活動の結果なんじゃないですっけ?岡田氏世代はヲタという蔑称はあとづけできたものであって、当時はマニアとか言う語がなんとなくついてた気がしますよ?なので、正確には岡田氏は現代のヲタとは違う種族になるんじゃないですかね?
あと、伝道師よりも、昔のヲタは創作することに意義を見出してたところがあるキガスル。ファン活動もファンの支部つくったりしてね。今のは一声かけて賛同者で一時的に盛り上がるだけなので、当時の宣伝師とは違う活動だと思いますヨン。
今のヲタに『おたくのビデオ』を見せたらどう捕らえるかで世代わけがみれそうな気がしました。
最後にヲタは死んだのではなく、カテゴリー崩壊してるんじゃないかと?当時言われたヲタというカテゴリーは作品に対する愛着ゆえに、それを啓蒙する活動家みたいな感じだったんじゃないかと。今のヲタは作品をおもしろがって盛り上がるだけって感があるのですが・・・違うかなー。そして、盛り上がるだけの人々をヲタとくくったゆえに岡田氏世代のヲタというくくりとの狂いが生まれてるのでは・・・?
うーん・・・違うかも?w
今のオタクは忙しいとか、ジェネレーションギャップとか、電車オタやプロレスオタは消費オタじゃないの?とか。そこが論拠になる自体、すでに何も理解していないことを知らなきゃならんのじゃないか?
昔のオタだって情報が無い時代だから自ら集めるために忙しかったし、ジェネレーションギャップ以上にパンピーとの差別的なギャップが有ったし、別に昔のオタが消費オタじゃなかったわけじゃないし電車オタやプロレスオタは消費もするけどそれだけにはとどまらないでしょ?(そこでとどまっている「オタク」は単なる「ファン」だ。)
問題は、得た情報をどのように自分の中で料理するかがオタクの醍醐味なわけですよ。
それをこの自称オタク達は、受動的な情報や記号から萌えを連発するだけで、その先が無い。商業的に利用されるだけされて、与えられた情報の共有とリスペクトのみで満足している、単なるファンのことをオタクと呼んでいるのが間違っているんじゃないかと。
昔のオタクは深みがあった。自分達で自分達の欲しいものや時には時間と場所までも手に入れよう、作ろうとした。今の自称オタク達は表面的なところのみで、商業主義者達に踊らされているにすぎないレベルで満足している。そこを岡田氏は言わんとしていると思うんだが。
勿論アニメに関わらず歴史を振り返ればどのジャンルでも始めに運動を展開した人たちってのは純粋主義者故に過激派で、それ以降の世代からもやがて否定されるようになる存在なのかもしれないけど。更に言えばそういう過激派がオタクの中心に居た言わば「古き良き(かどうかは分からないが)オタクの時代」のパラダイムが、その資質と努力でしか保持されないという困難もあってか現代のオタクブームはただの消費オタクしかその存在をオタク内でも認められなくなってしまったってことなんだろうね。だって飛びぬけてる奴って凡人からすればウザいことばっかり言ってるように写るだろうし、嫉妬心を掻き立てられる存在だろうし(笑)。岡田さんの著作の発言に違和感を覚える部分も多々あるのでこれは必ずしもそういうハードなオタク第一、第二世代(言わば先輩?)を一概に擁護する趣旨の発言ではないけどね。
もう一言言うなら、岡田擁護論ではないけど「岡田さんはただ昔を懐古してるだけだ」みたいな単細胞な発言こそがまさに岡田さんの言う「オタクは死んだし国は滅んだ」っていう意見を事実足らしめる証拠になっていると思うんだが、ってことか。勿論懐古してる部分はあるんだろうけど、岡田発言に嫉妬してどうすんの?って思うけど。なんか「岡田に否定されるのも嫌だけど認められないのも嫌」みたいなアンビバレンツな物を感じるのは自分だけなのでしょうか(笑)。
広がらない、共有しない。
匿名のまま、ブログでスレッドで個人個人が思いを完結させていく。
新しいブームはもう生まれない。
ひとりひとり自分のベストが次第に過去作品となっていくのを眺める。
細分化していくジャンルの膨大さに、全体を大きく見る人はいなくなり、
作る側も大瀑布をつくろうなんて気はなく、せせらぎ程度を目標にしていく。
生まれる支流には新しい名前が定義され、
ロボがスーパー、リアル、サーボーグ、メタルヒーローとかかんとか、
美少女が、妹萌え、姉萌え、ツンデレ、素直クール、えとせとらえとせとら。
やがて拡散をつづけた『集団』に共通点はなくなり、
その集団を呼ぶ名前も消えていくのだろう。
だからオタクは死ぬのだ。
そして僕は僕に、君は君になる。
だから良いとか悪いとかではないのだ。
かつてその集団にいたからこその寂寥感なのだ。
インディアンが騎兵隊を見て
「俺たちは滅ぶのかもしれない」と思うようなものなのだ。
確かに、マーケットの拡大とともに、ぬるい消費オタクは増えています。しかし、第1世代のクリエイターと第3世代の消費者を比較したら、後者が受動的で非生産的に見えるのは当然でしょう。
実際には、第3世代にも優秀なクリエイターは育っています。彼らの多くは、第1世代によってシステム化・制度化されて十分に自己の個性を発揮できなくなってしまった(しかも今後の見通しも暗い)アニメ・家庭用ゲーム産業を見限って、ノベルゲームやライトノベルの方に集まっています。
例:麻枝准、奈須きのこ、竜騎士07、元長柾木、田中ロミオ、タカヒロ、舞城王太郎、西尾維新、滝本竜彦、山口勝久、新海誠…その他大勢
第1世代の遺産を継承してきた彼ら第3世代のクリエイターが、第1世代のクリエイターに比べて際立って劣っているとは思えません。岡田さんをはじめとする第1世代は、第3世代のオタク・クリエイターが集中しているノベルゲームやライトノベルに疎いために、第3世代のクリエイターが育っていないように見えてしまっている。こういった事情もあるのではないでしょうか。
今週のエコノミスト誌に、まんだらけの社長が起業の苦労話を乗せていましたけど、まんだらけの社長、まさにおたくなんですな。それで創業期のメンバーもみんなおたく、好きなことで起業できると理解したら、本当にがんばって会社をでかくした。今これがオタクに出来ると思えないです。
特に2000年以降著しい
これはアニメやゲームだけでなく文化全体に言える
その代わりにネットワークだけは発展した
あと岡田氏が心配するようなことにはならないと思う
学問やテクノロジーは彼の言うオタクと親和性があるから
まあ彼が懸念してるのはオタクの将来だけでなく社会の将来なんだと思うから、今の時代にいろいろ言いたくなるのも理解できる。
まあ、それを望んだのはソ○ーと角○と○ン○ムとそいつらの信者なんだけどな。
結局は迫害されるのに堪えられないから一般向けな作品やそれを作る連中(○天○とか)を攻撃して自分たちに味方してくれる連中にすがった結果がコレなんだよな。
最終的に利用されていることに気づいて逆らった奴はいるけど勝ち目はないだろうな…