kasindouの○記

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マウンテッド!Blog

2006-05-25 いっぱいコメントとトラバありがとうございます

私は地方出身で現在東京在住32才男性オタなことを初めに書いときますね。

[] オタク・is・Dead コメント返信

あと書き足りなかったとことか追加気味に。


>pipechair さん

自分もあの様子を見て一言で言えない複雑な気持ちになりました。なんとなく岡田氏が家で進行表を書いてたときのテンション、面白さみたいのは想像出来るのですが、こうしていざたくさんの人の前で話すと、思ったようには(最後はプチクリ論でシメる、というよりシャレで自分の胸中をごまかすような形で終わらせるつもりだったのでは?)いかなかったのではないかと想像しています。そこがトークの面白いところですけど。


岡田氏は単なる差別用語だった「おたく」を、知的エリート的な「オタク」として戦略的に持ち上げ、一般に広めていったという自負があり、それなのに自ら死亡宣告をせざるを得なかった、という点であのときの言葉には我々には計り知れない思いがあったのかもしれないですね。実際「萌え」は「SF」と同じ、と語り、一度は過ぎた道とはいえ、自らが当事者になるととても冷静ではいられなかったんだろうなあと思いました。



>kagamiさん

魂は不滅、というか別に岡田氏自身が死んだわけじゃあないですしね。これからも元気に活動してくれると思うし、僕も期待しています。

プチクリ論を実戦する人は、それこそ氏が定義していたオタクそのものですね。岡田氏の提唱していたのは終始「強いオタク」だったわけですが、これからどう変わっていくかはプチクリ人間のがんばり次第なのかも。10年くらい経つとプチクリ人間がニュー第1世代と呼ばれる時代が来るような気がしますよ。僕たちの洗脳社会で書いてた洗脳戦の時代がいよいよ始まるのですねー。

俺もがんばろう。ていうかほんとになんとかします。うう。



>kioさん

うーん、実はオタクの定義は曖昧、というより昔からオタクの定義なんて個々人の心の中にしかなくて、単に他人に対する態度だったのではないか、と最近思っていたので、kioさんのいうこともわからないではないです。なので岡田氏のいうのが単なる回顧趣味というのも外れてはいないと思いますし、断絶を世代論として語るのもアリだと思うし、別に僕ももらい泣きしたわけでもないし。


ただ上でも書いたとおり、岡田氏は「おたく」から「オタク」の書き換えをして、オタクポジティブイメージに変えることに成功した中心人物ですし、そういう人が自ら「死」を語るときにセンチメンタルになることに対して、ワカランと一言で斬って捨てることは僕には出来なかったですね。


我々は(と勝手に書いてしまいますが)父や祖父が若いころに何を考えていたか良くわからないし、それはどうしようもない断絶なわけですが、オタク文化はそれを繋げられる可能性があった。戦国の武士や維新の志士と共通の話題を持てていて、お互いが尊重しあっていたと想像すれば(ちょっと持ちあげすぎですが)、その夢の時代が終わったことを自ら語るというのはやはり辛かったと思います。それに岡田氏は別に第3世代のオタクを「悪」と言ってたわけじゃないですよ。


岡田氏のいうオタクとは要するに共通概念としてのオタクであり、それが死んだと語ったわけです。深い浅いは個人の自由だけど、アイデンティティの問題に終始する第3世代を果たしてそれは今までと同じオタクと呼んでいいのか?ということだと思います。

これは去年・今年のオタク大賞でも語られてたテーマでした。*1



>korohitiさん

いやkorohitiさんは第1世代ってトシじゃないですからダイジョーブ(w


オタク文化といえば、以前もkorohitiさんとのやりとりで共通体験やコミュニケーションツールとしてのオタク趣味のことをコメント欄で書いたりしたのですが、そういう意味では「特撮」というジャンルは強いですね。バンダイがそういう戦略をとってる、というのもありますが。


果たして岡田氏の思いを受け止められない人が増えた、というのは、氏自身が「オタクってもっと知的な人(自分で好きなものを決められる人)だと思ってたのに、こんなにバカばっかりになっちゃったの?」と言ってた言葉に集約されてると思います。


しかしもともとオタク文化は弱い人の受け皿という側面も持っていたわけで、そういう意味では森川氏のオタクダメ志向定義もまんざらハズレてもいないし、オタクがヌルくなっていくのもしょうがない、というのもわかります。

ただそこで本当にそれでいいのか?と踏みとどまれるかどうかが問題なのかも。これは正直オタクの問題というより教育メディアの状況の問題のほうに行っちゃうのかなあという気がします。ただ「世代」と片づけちゃうと割り切れない気持ちになるのはそういうトシだからなのかなあ。



>FAMP さん

うーん、岡田氏がメインストリームから離れちゃった、というのはわかるのですが、果たしてFAMPさんのオタクの定義は?と言った場合にも、やはり他人とは定義が変わってくると思うのです。


岡田氏の論によると、男性の場合イメージの大枠が合ってればオタクでオッケーになるので、今まではオタクの共通概念が持てた。しかし第3世代では自分の世界に没頭し差異にこだわるばかりで、そこに果たして共通概念存在するのか?という意味で「オタクは死んだ」になってるわけですね。(レポは舌足らずでスイマセン)

声優がそんなに好きならなぜイベントを開いてやらないのか、なぜ自分の心の中で完結させてしまうのか、という点が岡田氏の考える一番の違和感なのでしょう。


岡田氏はこうしてアウトプットがある(評論ももちろんアウトプットです)のだから、ただブームに流されて買うだけの自己完結消費オタクではないしクリエイターを実践していると思いますよ。トップ2のアイデア出しにも協力したそうです。


Anonymous Coward さん

岡田氏によるとおたく以前の人はおたく原人というそうですよ。僕は第2世代ですが、岡田氏のいうとおり宮崎事件でのおたくイメージはほんとに地に堕ちていた感があったのはなんとなく感じています。それと比べれば電車男ブームが「オタクにとって1000年に一度のチャンスの夏」というジョークに使われる時代はなんと変わったことか。

電車男は果たして幸せになったのか?オタクが蔑称でもいいけど(おたくはもともと蔑称であり、変なやつらの強制収容所とまで言ってますね)それに関して自分がどうふるまうかが問題なのでしょう。岡田氏がいうオタク精神力と知力を持った強い人、というのは考え方の違いのポイントになると思いますよ。




えーと、本が出たら買うよ!と書いたけど本になるみたいです。やったね!

http://books.bestseller.shop-pro.jp/?eid=61952

はっきり言って俺のレポはかなりアレなので実際どんなことが話されてたのかは本を読んで確かめたほうがよいと思われます。会場でメモとってた人とかいたみたいだけどレポしてないのか?

本になるとはいえライブでの生の語りは昨日のあれ一度きりの一期一会なのでよい思い出になったですよ。俺はあの日を忘れない!

*1:このときにもうオタク・イズ・デッドという言葉が出てるんだよねhttp://d.hatena.ne.jp/kasindou/20060131

kagamikagami 2006/05/26 02:40 プチクリいいですね。例え小さな力ても精一杯頑張るというのは希望のことだと思います。やっぱり好きなものは死んだとかネガティヴなことを云うより、精一杯の希望を持った方が頑張れる。頑張りましょう!(^^)

KIOKIO 2006/05/26 11:59 なんとなくですが「オタクは死んだ」ではなく「岡田がオタク評論家として生きられる時代は死んだ」と言ったほうが正しいかもしれません。
 岡田さんがどれだけ過去のオタク業界での偉人かは十分理解してます(リアルタイム世代だったので)。が、彼の想像以上の肥大化、高層化が進んだ時代では、すでに「オタの歴史しか語れない」評論家になってしまっているのかもしれません。これはある種オタクとしては致命傷に近いことで・・・

 また「月姫」や「ひぐらし」といった、同人から一般メディアへムーブメントを起こした存在も昨今ではあります。それは時代や手法が違うだけで、まったく彼と同じ事をしているのではいないかと。そして、その母体数はどんどん増えています。

 老人と言われる年齢になりながらも、未だに最前線を走る宮崎 駿 や押井 守 といった存在と岡田さんの一番の違いは「発信できるものの差」でしょうね。
 有名な言葉があります。「クリエイターとして名前を歴史に残す人は多い。だが、評論家として歴史に名前をした人物は皆無だ」

めがめが 2006/05/26 12:10 岡田氏のような第1世代オタク的オタクというのは若い世代にも確実に居るが、近年はオタクと呼ばれる敷居が下がったので全体の割合で見るとノイズにまぎれて居なくなったように見えるっていうことなのかもしれないと思ってます。>オタクは死んだ。

korohitikorohiti 2006/05/26 14:57 どうもですー、私はちょうど第二の走りくらいかも。
どうも見てて岡田氏に賛同できない人は発信しない消費オタクに多いような気がしなくもないですね。もしくは自覚のない一億総発信者の定義に入る人か。オタクが強いものの差別化であり弱いものの受け皿であるというのは、一昔前の一部のエリート大学生にオタクが多いことと、「ヤンキーじゃなかったらオタク」のどちらかということだと思います。
「げんしけん」は頭の方しか読んでないのですが、私はあれを見て物凄い違和感を覚えたんで、たぶんああいうタイプのプチクリにすらならない消費オタ人たちが(げんしけんのあとの展開は知らないんで)彼のことを否定したがるのかなあと。過去の栄光を否定するのもまた特権意識の現われだし。ただそこにポリシーや知性がないから結局「否定する俺たちってスゴイ」という痛々しさが見えるんですけどね。
メディアや評者がいうオタク定義も判らんではないしヌルオタもオタだと思うんだけど、ただ享受するだけのオタクというものからもう少し進化して自分たちのオタクの魂を受け継いで欲しいという、氏の気持ちは判らんでもないということです。ただ元々のレベルがレベルだから、プチクリにはなれるかもしれないけどそれを創作活動として客観的に見て自己満足以上に出来るかどうかは(これをやったのが第一世代だとすると)、やはり分母の大きさゆえ教育の問題なのかという気はしますが。
ホントは自分でエントリー立てるのがいいのかもしれないけど、いうほど昨今のオタ文化について理論武装できてないんで(あの辺の人たちの本手全然読んでないんで)コメントで突っ込む程度で失礼。
あと一言言わせてもらうと、宮崎事件の時にあの部屋の映像を見て良識あるオタクの人たちが震え上がった理由は、今の第三世代薄味オタにはたぶん一生理解できないんじゃないかと思う。世代は同じでもあれに危機感を覚えなかった人も同様。あと「オタク」という言葉に酔いがちなのは女性よりも男性の方が多いかも。

亀 2006/05/27 01:29 プチクリ、創作するオタクの先にプロがあるとしたら、プロの部分が肥大化しているのが現状。プロの敷居が低く、曖昧。あるいは自主制作アニメひとつとっても増え続ける本数。消費、生産の関係だけにオタクの焦点をあてれば岡田氏の発言に違和感を覚える。テレビチャンピオン、しゃべり場を引き合いに出された時点からの違和感。

unkunk 2006/05/27 04:33 オタクは死んだ、というより、オタクは減った(一般的にオタク扱いされるような人達の中に含まれる割合として)というような表現をされた方が反発は少なかったんじゃないかなあというような感じはしましたね。俺が勝手にそう読みとっただけかもしれないですが。それだと違う違う言ってる人は痛いところをつかれた(岡田さんの言う)死んだオタクなんだなあと思えますし、「(自分は消費するだけだけど、)オタク(業界)は死んでないぞ!」みたいなアレな反論はなかったんじゃないかと。
 それも俺のオタクの定義からそう感じるだけな話かもしれないですが。やっぱり、例えば消費するだけにしても、流行ってるからとアニメ見て、ギャルゲーやって、アニソン聴いて、流行がただのきっかけならいいですが自分の価値観と違うところで話題の為に萌え萌え言ってる姿を見て、オタクとは呼びたくないですね。まあ自分もそういうところはあるんで、それを否定こそしないですが。あくまでオタクなのかどうなのかということで。
 プロの敷居が下がったに関しては、これは制作環境の問題ですかね。音楽、動画も作る人自体は増えてると思います。それは以前までは意欲があっても環境がなかった人がとっかかれるようになっただけなのかなって気がします。(漫画などおおよそ制作手順が昔から変わらないものはどうなんでしょうか。)そこら辺はともかくとして、受け皿の広がりに対してはやっぱり淋しいかなっていう印象を岡田さんは抱いてるんじゃないでしょうか。例えばアニメなら、供給とのバランスが合ってるかは分かりませんがあれだけ作られるからにはそれだけ需要があるんでしょうし。

亀 2006/05/27 12:27 環境、その通りですね。漫画も発表の場、ツールの充実で音楽、動画と似たような状態です。
受け皿の広がり自体に、「割合」の低下に寂しさを感じているということですか?単純に「好き」というだけで「オタク」とされる世代に。

どもんどもん 2006/05/27 12:59 恐らくですが、同人も含め「作るタイプのオタ」っていうのは増えてると思います。実際。以前より安価&便利になった環境、HPやネットなど公表の場の増加、プロと変わらないアプリケーションツールの普及・・・
 岡田さん世代にしてみれば「今のオタは楽しやがって・・・」なんでしょうね。ですがそれこそ「理想郷」であったはずです。
 それに当時のオタは迫害を受けていたから余計に今が「うらやましい」のでしょう。結局時代に乗り損ねたものの僻みに聞こえてしまいます。
 ピラミッドの底辺が広がったことは前世代の王にとって悔しいかもしれません。何しろ彼にはすでに「もう一度ピラミッドを新たに作る」気概もないみたいですから。

KTKT 2006/05/27 13:41 岡田氏の定義するような第1世代・第2世代オタクが「萌え」に興味を持ったら、「萌え」とは何ぞや?で熱い議論を交わしていたことでしょう。けれど、第3世代オタクは「萌え」的なモノを見つけ出す能力に長けているものの、「萌え」の文脈的な事を語らない。「萌え」の文脈の奥行を知ろうとせず、本当にただひたすら消費するだけ。
例えて言えば、カップラーメンだけを食べてラーメン通を自称しているようなもの。

これではオタキング等の発信する側に極めて近い人達にしたら、恐怖そのものでしょうね。
だって、次の世代へバトンタッチしたくてもバトンを受け取ってくれるヒトが見あたらないんだもの(笑)
作る人がいても表層をなぞった程度のモノしか創ってくれなさそうだから、地方自治体が作った「戦隊ヒーローの出来損ない」みたいなモノがひたすら生み出されていく悪循環にオタキングは気づいたんでしょうね。
で、オタク・is・Deadに行ってしまったんでしょう。
でも個人的には、あくまでも「現状のままでは」と付け加えたいです。
それこそ かつてDAICON FILMがアマチュアの壁を突き破ったみたいに 現状に飽き足らない人達が生まれてくるような気がします。

きもちきもち 2006/05/27 14:07 >かつてDAICON FILMがアマチュアの壁を突き破ったみたいに 現状に飽き足らない人達が生まれてくるような気がします。
分母が大きくなったから可能性は飛躍的に高まっていると思います。月姫とかひぐらし なんてその典型かと。同人から発信したメジャー作品なんてDAICON そのものですよね
岡田さんの危機感とは結局、彼自身が彼の嫌う「消費オタ」と大差が無い現実じゃないかと。過去の話を消した場合、私みたいな消費オタと、メディア的には何も作っていない彼にどの程度の差があるか、あるいはそれを世間が区別してくれるか・・・
 オタクが世間から尊敬を受ける唯一の部分は「評価される作品を世に送り出しているか」どうかですね。
 もっとも、私は消費オタで十分です。そんなこと言い出したら世の中の9割以上の人間がメディア消費者ですよ。

kasindoukasindou 2006/05/27 20:05 岡田氏の最新コメントが27日に出たのでご覧ください。

オタライダーオタライダー 2006/05/30 12:21 まず自分は70年代半ば生まれの、多分第2世代ですよーと書いた上で

>「げんしけん」は頭の方しか読んでないのですが、私はあれを見て物凄い違和感を覚えたんで、たぶんああいうタイプのプチクリにすらならない消費オタ人たちが(げんしけんのあとの展開は知らないんで)彼のことを否定したがるのかなあと。

げんしけん好きとしては頭しか読んでないのにそういう括りにされると非常に不本意なので少し反論。
あの話は物を作る人間も消費する人間も全くオタではない人間も、それぞれ人間であるということを踏まえ、それらが関わりあって生きていく様を描いた話ですよ。
「クリエイターも消費オタも一般人もそれぞれ色々それなりに考えて生きているし、人間としてそんなに差異はないんだよ」
という所が肝なので、今回の話とは恐らく逆行するものがテーマになっていると思います。
故に「消費オタと作るオタは違う(ましてやオタと一般人は違う)」という事に強く共感する人には違和感があるのかもしれません。

ただ岡田氏の言う事は非常によく分かるんです。
同人等で新しい物が生み出されたとしても、それは「消費オタが生み出した消費物」、庵野監督が一時期言っていた「コピーのコピー」であり、コピーを繰り返す毎に何かが劣化していくわけで。
一見光り輝いているように見えてもそれは骨格のないハリボテでしかない。
歴史的建造物を遠くから見てハリボテを作り、そのハリボテを遠くから見て更にハリボテを作り・・・
その先にあるものを考えた時、歴史的建造物やそれを研究してレプリカ(ハリボテとは違う)を作った世代の人達が嘆くのは当然といえば当然でしょう。

ただ自分もきもちさんの意見に最終的には同意です。
自分自身も描くのが好きというのもありますが、ものを作り出す事は呪いみたいなもので、「作り出さずにはいられない」という欲求に突き動かされて動く人達がこの世には必ずいます。
底辺が広がって定義が変わったり質が薄まったりしているのは事実ですが、上記のような「呪い」を持つ人を昔よりも多く拾い上げる可能性が高くなっているのも事実ですし、その中にはきっとハリボテではないものを作り出せる力を持った人間もいると思いますよ。
岡田氏が言うような「好きと呪いを併せ持つ人間」だけがオタではないという世界になっただけで。
「好き」と「呪い」が常にセットに存在する人ばかりじゃないですから。

korohitikorohiti 2006/05/30 13:44 >オタライダーさん
私が書いたコメントに対しての引用なので、一応コメントさせていただきますね。
私は80年代半ば辺りからおたく的交流のある第二世代の走り、アニメマンガは多少作り手寄りですね。
「げんしけん」は頭しか読んでないんですが(初コミフェスあたりまでかな)彼らがその後同人誌を作ったという話は知ってます。
私が「げんしけん」に違和感を持ったのは(そういうテーマかどうかはよく判りませんが)作り手オタクにとってのオタクではなく、ああいう一般人にとってのオタクがオタクスタンダードなんだということに関しての違和感です。「好きだという気持ちを表現したいから作る」ということが当たり前なオタクにとって、オタクという状況に参加してるだけでオタクデビューというのは「なぜ作らない?」ということも含めて改めて今のオタクとはそういうものなのかーという違和感ですね。少なくとも私のまわりでは理解できないという意見が多数でした。
斑目のように語るばかりで本質が判ってない消費オタ(たぶんん作者は判って描いてるんだと思いますが)の存在や、オタクというカテゴリーに自分の意志で属する主人公とか、アキバで同人誌を買ったりコミケで大手サークルの同人誌を買うことが絶対的使命とか、そういうオタクを趣味として捉えている第三世代の人たちのリアルが違和感なんですね。あの中で方向性として共感できるのってコスプレ作りの人くらいでしたね。私は女性なのでとくにそういう男性消費オタクの傾向や行動を不思議なものとして捉えるから余計にそう思うかもしれないのですが。
誰かも言ってたように「オタクは気がついたらなってるもの」だという意識のある人間(ここで言うところの第一・第二世代)にとってはオタクは単に趣味ではないからです。斬鬼さん風に言えば「オタクはひとつの生き様」なんですね。
だからここでちょっと議論の方向性が違うと思うのですが、消費オタかどうかは関係ないし岡田氏は例えコピーのコピーでも裾野が広がること自体は歓迎してると思うのです。実際私なんかも同人や投稿からプロが出てくる様を目の当たりにしてるので、コピー自体が悪いとは全く思ってません。コピーやハリボテを作っていても、ある日突然本物を作ることもあるわけです。物を作ると言っても必ずしもマンガやアニメだけとは限らないし。
そもそもオタクの認知度を上げるとともに、それが彼が目指してやってきたことの結果なのですから。これについては議論すると長くなるので語りませんが、少なくとも広がったその中から新しい才能が出てくればいいという考え方だと思うので、必ずしも消費オタが増えることを嘆いてるわけではないと思いますよ。

オタライダーオタライダー 2006/05/30 23:07 >「好きだという気持ちを表現したいから作る」ということが当たり前なオタクにとって、オタクという状況に参加してるだけでオタクデビューというのは「なぜ作らない?」ということも含めて改めて今のオタクとはそういうものなのかーという違和感ですね。少なくとも私のまわりでは理解できないという意見が多数でした。

自分は上で書いたように基本的には描き手側なので仰っている事は良く分かりますし、そういう事を考えていた時期もあるのですが、その都度に
「それは作り出す側に回っている人間の傲慢ではないか?」
とも思っていました。
格闘技や武道・武術でも良くこの手の「好きだったら実際に習うだろ」という話になりがちですが、実際はそうではないわけで。
見るのが好きな人が常にやるのが好きなわけではないし、逆にやるのが好きな人は常に見るのが好きなわけではないのです。
だからこそ「呪い」という話になるわけですが。
作り出す欲と楽しむ欲は根本的に別で、ただその2つを同時に持っている人間の方がバイタリティがあったために先駆けてオタクになっただけでしょう。
自分も一時期あなたのような違和感を感じていた時期がありましたが、それが特権意識に近い感情だと気付いてからはそういう自分に恥じるようになりました。

>「オタクは気がついたらなってるもの」
はげんしけん本編(確か中盤)にそのままそういう台詞が出てきますよ。
だからおたくは気付いた所で止める事も出来ない物だ、と。

>斑目のように語るばかりで本質が判ってない消費オタ(たぶんん作者は判って描いてるんだと思いますが)の存在や、オタクというカテゴリーに自分の意志で属する主人公とか、アキバで同人誌を買ったりコミケで大手サークルの同人誌を買うことが絶対的使命とか
これらをして「趣味としてのオタク」と括る認識はやっぱりずれていると思いますよ。
趣味には絶対的使命感はないですし。

私は岡田氏の「おたくは死んだ」という話は半分は分かりますが、半分はやはり違和感というか反発があります。
作り出す欲と楽しむ欲は根本的に別で、ただその2つを同時に持っている人間の方がバイタリティがあったために先駆けてオタクになっただけだろうと自分は思いますし、そういう考えを持つ人間が「反発」しているように見えるのではないかと考えます。
個人的には「変化した」とか「多様化した」の方がよりしっくり来たのではないかな、と。
でも無から有を作り出してきた人達は「無」の状態がなくなった現状を見れば、自分たちのような世代はもうありえないと思って「死」と言ってしまうのかも知れないですが。

あと以下は岡田氏のブログのコメントの抜粋ですが
>僕は先日のイベントでひとことも「最近のオタクはダメだ」とか「いまのアニメはつまらない」とか言ってない。
>「昔のようなオタクが減ったのはケシカラン」とも言ってない。
>そのように受け取った人がいても、それはその人の「理解の限界」であって、それに反発されたり賛同されても困るばかりですよ。
だから「死んだ」という言葉から消費オタの増加を嘆いたり叩いたりするのはやっぱり少し違うかなぁと感じるわけで。
・・・何だかまとまらないorz

korohitikorohiti 2006/05/30 23:55 他所んちのコメント欄でスイマセン〜>kasindouさん
>オタライダーさん
>作り手側の傲慢
これは、例えばオレたちが供給してやってるんだぜ!といえば傲慢ですが、そうでなく、自分でも止められない表現欲求の賜物であるから傲慢ではないと思いますよ。出来ることを出来る手段で現わしているだけで、それが創作という行動になってるだけで。評価しろと強制したら傲慢かとは思いますが。
>趣味としてのオタク
オレは今日からオタクデビューだ!みたいな認識がちょっと違うのかなー?ってことです。あとオタクは気がついたらなってるものだけど、止めることも簡単ですよ。全てのことに興味を失えばそこで表面的にはオタクじゃなくなります。魂は持ち続けられると思いますが。
>同人誌を買うことが絶対的使命
女オタからしたらみんなで手分けして並んで大手サークルの同人誌を手に入れるというのは合理的だけどそこまでしなくても…って感じです。本が手に入ればいいってわけでもないんで。どちらかというと女性はコミュニケーションを取りたいのかもしれません。男オタの趣味に命懸けてるって感じがちょっと違うのかなあ。
>それはその人の「理解の限界」であって
岡田氏のオタクエリート的選民意識ですね。ただもう少し考えようよ、という意味も含んでるんではないかなあ。消費オタが開き直ることに対してはそれも間違ってはいないんだけど、ある物を享受するだけでいいのか?自分たちで何かしようと思わないのか?という問いかけでもあるんじゃないでしょうか。理想論ですが、彼の頭の中にはオタクは一般の人より知的であって欲しいという認識があるのかもしれないですね。私もそう思いますが。
>「好きだったら実際に習うだろ」
スポーツとオタク道はまた違うと思いますが、スポーツが出来ないならスポーツ通になればいいわけで、運動系は必ずしもやればいいとは思いません。だからスポーツ通になって自分なりのスポーツ論が交わせるようになればそれでいいんでは?これは完全に見るのとやるのが別物なんだと思いますよ。それは岡田氏がどっかで言っていた「好きなら自分で何かをやろうと思わないのか」ということだと思うのですが。
先にも言いましたがそれは何かを作ることだけでなく、何かに対して持論をもつとか、イベントを開いたりそれに参加して盛り上げるでもいいと思うのですね。ただそこで、あるものに乗っかってるだけじゃなく自分なりの発信をしていって欲しいというのが第一〜第二世代のオタクのスタンダードな考え方じゃないかなと思うんですが。
もちろん消費オタでも構わないのですが、出来ればもうちょっとだけ自分で…ということではないでしょうか。そういう考え方を無くした受動的な今のオタクに対して絶望しただけなんでは?

作りだすことはそんなに難しいことじゃなく、自分が見たいマンガがなければ描けばいい(二次創作含む)、コスプレをしたければ自分で作ればいい、自分ちの猫がカワイイと思えばそれを見せるための何かを作ればいい(ブログでも自家製写真集でも)、その積み重ねだけなんだと思いますよ。それがプリチクリってことじゃないんでしょうか。

28歳男オタク28歳男オタク 2006/05/31 14:55 誤解が広がるのは良くないのでコメントさせて下さい。
参考にさせて頂いたレポート
http://d.hatena.ne.jp/zozo_mix/20060527#1148745190
あくまで自分なりの解釈ですが
「死んだ」発言についてのみ言えば、岡田氏は
「一般VSオタクの構図がほぼ無くなったから、結束したり勉強する必要が無くなった。
その結果必然的に、被差別者としての仲間意識や向上心を皆で持つことはできなくなった=死んだ(普通の趣味人になれた)=いいこと。
いいことなんだけど、皆で結束したり勉強する必要が無くなったのは寂しいなあ。でも、市民権を勝ち取れちゃったんだからしょうがない」
というような事しか言っていないと思います。

「オタクの敵」が殆どいない以上、「俺達オタクのため」の活動はできません。岡田定義でのオタクはもう存在できなくなっちゃったので、岡田定義のオタクは死んだ。
これ以降のクリエイティブな活動は、「オタクのために」やることは不可能で、個人のためになっちゃうから「プチクリ」と呼ぶよ。

したがってどんなに優れたクリエイターがいても、「俺はオタク(被差別者)に属している」という意識を持てない(不可能である)以上、作った作品も「パソコンゲームファン」や「アニメファン」のための物であり、オタクとしての活動とは呼べない。

で、昔のままの生活様式のオタクを維持するには、もう「(何の役にも立たないけれど)ヤマトを見なければいけない」という規則を作って、強引に維持するしかない。そんな無意味な事はやらないでいいよと。

28歳28歳 2006/05/31 15:46 ぐわ。24日の方に書くつもりだったのに…