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今週のバキを読んで父子の和解について書いた

はじめてチャンピオンを買った

方々で話題になってた今週の範馬刃牙刃牙と勇次郎が向かい合って食卓を囲むってシーンをどうしても押さえておきたくて思わず普段買わないチャンピオンを買ってきました。


食事の蘊蓄で一話使った

勇次郎ってキャラクターはアカギで言うならワシズ様、ボウケンで言うならチーフみたいな「普段がガチガチのお固いタイプ」なので、そのキャラクターが不意にずれた行動をとってしまうと通常状態からのギャップの振れ幅が大きいので凄まじいギャップ萌えになっちゃうんですよね。

今週はまさにそのギャップ萌えが究極にまで高まってしまった回だったかと。
あの勇次郎が???って


(もうこのヒトコマ切り取っても面白い)

ところで
こういう「まわり道」みたいなエピソードって評判が悪いですよね。
amazonのコミックスレビューなんか見てもさっさと父親と戦えみたいなコメントがついてたりして。

まあ確かに前作バキは、最終巻やっと父親との対決が確定した(戦ったわけではなく「確定した」)ってところで物語が終わった上、続編であるところの範馬刃牙が初っぱなから父子対決を煽りつつもスカしてばかりだから。

こんな幕間回いる???って

だけど個人的には刃牙が力で勇次郎をうち倒すってことは「絶対にあり得ないこと」だと思っていて

むしろ今回のエピソードこそ、グラップラーバキから連綿と続いてきた刃牙と勇次郎という父子が、母親を介さない和解をするための重要なマイルストーンなんじゃないかって思っているのです。


美味しんぼ山岡士郎海原雄山ヒックとドラゴンのヒックとストイック、んでバキにおける範馬刃牙範馬勇次郎。これらの物語に共通するテーマって母親不在による息子と父親の断絶、そして和解だと思うんだけど
個人的に「範馬刃牙」って作品はこの「父子の和解」を描くためにわざわざ一度バキを終わらせてまで項を分離したんじゃないかって読んでおります。

少年の挫折

そもそもグラップラー刃牙とは、年頃の少年が一度は思い描く素直なモチーフが出発点となってますよね。

すなわち「俺ツエー!」ってやつ。

学校ではパッとしない少年が、実は地下闘技場のチャンピオンで、世界中の強者と日々血沸き肉踊る戦いを繰り広げてやがて友情で結ばれるっていう。

その世界チャンピオンに立ちはだかってくる究極の存在として
主人公の父親である範馬勇次郎が存在するのだけど
これってまんま「年頃の少年が体験する夢想→挫折」のメタファなんですよね。
すべからく少年にとっての父親とは、最も身近に存在する他者でありライバルであり壁であるからして。
※口で言って聞かなきゃ手をあげる「体罰」を行使する意込みで。

息子と父親ってのは多かれ少なかれ一時期対立するもので、やがては和解していくものだと思うのだけど、そこにはだいたい両者を取りなす唯一の存在である「母親」が必要だとされていて、だから母親不在の美味しんぼは栗田ゆう子が、ヒックとドラゴンなら鍛冶屋のおやじがその項を担ったりしていたのだけど…

巨象とカマキリ

範馬刃牙の冒頭で山のような巨象を素手で屠った勇次郎に対して、刃牙は捕まえてきたカマキリを前に「もし人と同じ大きさのカマキリが居るならそれは巨象を狩るだろう」とカマキリのイメージと戦ったことがありましたよね。
勇次郎にめちゃくちゃバカにされてたけど(ありえんくらいの顔芸を使ってまで)

刃牙がもし勇次郎越えを成したいのであれば同じように巨象を狩れば良かったんですよね。だけど「言を弄して」カマキリを狩るに留まった。父親から見れば息子のそれは児戯に等しいってことを「範馬刃牙」の冒頭でわざわざ語らせたんですね。息子は父親に腕力で勝てない。その上息子は「都合のよい言い訳」で勝ったと言う。まさに世の父親と息子そのまんまの図式を再度なぞらせることで範馬刃牙が「父子の物語」であるコトを再定義したと読みました。

和解へのマイルストーン

で、それを踏まえて今週の話なんだけど


(めかぶから父の度量の大きさを学ぶ息子)

これ

暴力しかないと思っていた勇次郎が食事という一事において滔々と正論を語り、刃牙が打ちのめされるって話。

この時点で刃牙の「心」はある意味完膚なきまでにたたき折られたと言っていいと思うのです。もともと父親の「力」については「巨象とカマキリ」を引き合いに出すまでもなく、どうひっくり返しても認めざるを得なかったわけだけど、今回懐の深さを見せつけられたことで、ある意味心身両面で「折れた」息子の敗北なんですね。
もはや刃牙には父親と戦う理由がなくなった。

であるならば今後は、勇次郎が刃牙を認める展開が来ると思うのですね。

これがどんな形でもたらされるかわからないにせよ、(確実に言えるのは力による「父殺し」ではない)
範馬勇次郎を納得させる答えを見つけることこそが「範馬刃牙」という物語の目的になっていくんじゃないかなあーとか思ったり。(サブキャラクターの寸劇はその試行錯誤)そして父親に答えを出すことそれが「父子の和解」となり「物語の終わり」となるんじゃないかなあ。とか。

追記

まさかエア味噌汁を父親につくらせるとか…思わないじゃん…???
刃牙道もそうだったんだけど、板垣先生は割と掲げたテーマに真摯というか
きちんと答えを出してくる作家さんなのだなと再確認しましたよ。
バキ道、まだ読んでないけどこちらもきっちり答えを出してくるんじゃないですかねえ???


おわり