血の轍 第1集/押見修造
- 作者: 押見修造
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2017/09/08
- メディア: Kindle版
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押見氏の作品に出てくる女性は、陳腐な表現だけれども一言でいえば「薔薇」みたいなモノだ。外見は綺麗だがトゲがある。見た目は美しいけど毒がある「毒きのこ」、または猫にマタタビのような、誘惑、魅力、中毒性があって、気がついたら底なし沼のアリ地獄から抜け出せなくなってる、そんな妖しさが絵から感じられる。エキセントリックで、いわゆる「普通」の人物ではない。押見氏の女性観なのカモしれない。逆に男といえば抵抗できず無力。あわあわうろたえてるうちに、ズブズブと沼から抜け出せなくなってる。底が浅くて女性には無力というのも押見氏の男性観なのカモしれない。そんな男女の構図が押見氏の作品『悪の華』に見られる。この『血の轍』はこの『悪の華』の系譜だと思われる。押見氏の王道路線だ。
『悪の華』は非常に単純に言えば、ようは「SM」だ。女王様に抗えないドレイの主人公。女王様に弱みを握られている。言葉責め。比べて『血の轍』は親子の関係だ。親と子。その関係だけで強い者と弱い者というのが説明いらずで解る。
静一(中学二年生の男の子)は自分1人では生きていけず、まだまだ親の庇護のもとで生きていかなければならない。彼の人生は親に握られてる。その時点で強者と弱者の関係がはっきりしてる。よって言葉責めのような技術を駆使しなくても済むという利点がある。言葉はいらない。省略できる。むしろ無言責めといってもいい。発せられる言葉は血が通ってない言葉だ。が息子の静一にとっては「親の愛情からくる言葉」にも捉えられる。彼の心持ちは非常に不安定だ。ずっと猜疑心が拭えない。しかし静一は静子(静一の母親)に従わざるをえない。まだまだ1巻が発売されたばかりで、話は序盤も序盤だけど、この構図は変わらないだろう。そして静子は静一を「さあどうする??」と今後も追い詰めていくコトになるのだろう。
『悪の華』『ぼくは麻里のなか』では、押見氏は「本性を暴く」というコトを徹底的に描いている。押見氏はこの点に力を入れている。『血の轍』でも静子の本性がムキダシになるコトだろう、、てもうその本性が今号(2017年9月20日発売第20号)であからさまになってきてるのだけれども、、。
押見氏はこの作品で『悪の華』の先を行くという↓
『【押見修造、ついに『惡の華』のその先へ】 最新作「血の轍」第1集、絶賛発売中です! 押見先生からコメントをいただきました。 「ものすごく遠くまで行くつもりで描いています。よろしくお願いします。」』
だからこんな序盤でアカラサマになってるのかなぁー、という感じが今はしてる。まだほんの手はじめだ、と。