とれいん工房の汽車旅12ヵ月 Twitter

鉄道関係の時事ネタを紹介するブログです。趣味の外縁部に転がっている、生活には役に立たない情報を中心に語ります。廃線、未成線、LRT、鉄道史、遊覧鉄道、鉄道マニア、鉄道本書評、海外の鉄道、マンガ、アニメ...etc。 「鉄道未成線を歩くvol.8 東京の新線構想2030」など同人誌を書泉グランデで販売中。

2006-09-24

katamachi2006-09-24

[]種村直樹歴史的使命を終える瞬間を見てしまった

 今日も種村です。

 さて、一昨日ですか、知人から電話があって、やはりまたもや奥祖谷観光周遊モノレールの話なんかをしていたのですが、その際、「なんで今頃、種村なんて語っているの」と聞かれました。

 確かに、彼の業界での影響力はかなり薄れてしまっているし、ここ十数年ほどは見るべき著作もない。でも、そんな今だからこそ彼を語る必要があるのです。種村の功績を再評価しておかないと、次代に伝わらないものがある。そこらの理由については今日日記の最終項目に書いておきます。

 てな訳で、シリーズ第4弾に突入します。

1.祝! 種村直樹の「ジャーナル」連載続行

2.降りつぶしor駅めぐりor全駅下車の話

3.種村直樹は鉄道趣味界の使徒

4.種村直樹批判の源を探る

<参考>2006-12-13宮脇俊三を語りたい。その1

種村直樹批判」の源はレイルウェイレビュー

 さて、宮脇俊三時刻表2万キロ」と種村直樹鉄道旅行術」の影響で、70年代末から鉄道旅行という一ジャンルが生まれてきたのですが、その一方で80年代頃から語られ出したのが、「鉄道ファンによる鉄道マニア批判」です。

というのがその論調。主に、どちらかというと鉄道趣味に対する思い入れが軽い人、ぶっちゃけて言えば鉄道旅行派が使うケースが多かったと思います。

 そうした視点の是非はともかく、ここ25年ほど、鉄道趣味人が他の趣味人を悪しく言うという風潮があることだけは事実です。サブカル方面とか他の分野でもそうした状況があり、"オタクによるオタク批判"なんてのもありますが、鉄道趣味の世界では批判というか非難というかその度合いがキツすぎる。

 そして、これを最初に文字として表現し、口火を切ったしまったのが、鉄道旅行派2大巨頭の一人、種村直樹だったわけです。「鉄道ジャーナル」に連載を続けた「レイルウェイ・レビュー」でのマニア批判でした。「種村直樹のレールウェイレビュー国鉄激動の15年」にも収録されています。

種村直樹のレールウェイレビュー―国鉄激動の15年

種村直樹のレールウェイレビュー―国鉄激動の15年

 内容的には、偏執狂的な"鉄道マニア"の存在を憂い、マニアという言葉は好きじゃない、そんな風にはなって欲しくない……という極めて真っ当な論調でした。

 ただ、これが3つの立場から批判されるようになる。

マニア批判」に対する3つの批判

 "マニア"といってもいろんなマニアがいるわけで、全てを一緒くたにしてくれるな、そんな批判は腹が立つ!というものです。種村は、ごく一部の無軌道ぶりを批判していたのですが、その言葉の定義、それと"マニア"はダメだみたいな断定調にカチンときた人も少なくなかった。マニアという存在を自分たち(=種村たち)と別物として切り離し、無関係なものにしようとしてしまおうとした。マスコミ人特有のレッテル張りとその杜撰な論考には私も疑問も感じた。

 あと、種村直樹が、ローカル線やら急行やらの廃止間際に現地を訪れるマニアに対して批判めいた発言を繰り返していたこと。地元や現場に迷惑をかけるなという趣旨だったのでしょうが、これにも当惑させられました。ローカル線とか国鉄とかが消えるかどうかという状況下での趣味的盛り上がりに荷担してきたのは種村自身であり、その関連の著作で生活していたのも紛れもない事実。なのに、廃止前に行くな!というの理不尽ではないか。この点に限らず、思いつきの発言と実態とが乖離している点も嫌がられた理由の一つです。

  • 偏執狂的な路線に走った種村との距離感

 そして、もう一つは、種村の読者層であり、かつ彼を支持してきた。鉄道旅行派からのものでした

 1978年頃からのローカル線ブームの影響もあって、80年代前半は種村本の売れ行きは絶好調だったようです*1。でも、ある時期から種村は偏執狂的な方面に走ってしまった。その一つが、本人がライフトラベルと称する"外周の旅"、そしてもう一つが"旅行貯金"です。

 本人が面白がっているというのはよく分かります。でも、ファン以外の人はそんなことにあまり興味はない。というか、何が楽しいのかよく分からない。普通鉄道マニアは、理解不能のマニア的かつ偏執狂的な趣味にしか見えない。なのに、彼の紀行にはなんの脈略もなく"郵便局"とか"外周"いう言葉が出現し、何か読者にそれが当然のように押しつけてくる。

 今年出た『気まぐれ列車で行こう 瀬戸内・四国スローにお遍路』も買いましたが、50ページほど読んで挫折しました。「さよなら国鉄最長片道きっぷの旅」も読んでいて辛かった。私の場合、種村直樹に距離を感じ始めましたのは、外周の旅が北海道に行って郵便局に立ち寄った話ばかりになった頃ですから、1985年から1986年頃のことになります。

  • 天草号サボ事件

 そして、最後は、例の「きしゃ汽車記者」(創隆社,1984)。「西海号事件」じゃなくて、「天草号サボ事件」。

 これで種村に対する風向きがいっぺんに変わりました。本人としては、青年期の過ちを告白してそれを反面教師にして欲しかったのでしょう。中学生だった私はそこに種村の真摯な姿勢を見いだしたし、ある種の感銘も受けました。ああ、こんな有名な人でも手を染めてしまうことがあるのか、と。ですが、全ての読者がそう了解したわけではありませんでした。

 お前も偏執狂的な「マニア」じゃないのか

との批判というか攻撃を受けるきっかけを自ら作ってしまっていたのです。

 いつしか周囲でも、旅先でも種村批判はあちこちで展開されていました。例のサボ事件、その文体、ファングラブとの関係などなど。「取り巻きとの旅行が他の乗客の迷惑になっていた」という類のクレームもありました。ただ、よく聞いてみると、他人から聞いたとの伝聞情報であり、やや信憑性には欠ける話でした。私自身は、種村直樹と旅先で二回会っています。ファンですと声はかけましたが、普通に対応していただいています*2

種村直樹歴史的使命を終える瞬間を見てしまった

 そして、80年代後半になって国鉄が消え、ローカル線ブームが一段落つき、そして種村の魅力と影響力が薄れていく中で、次第に反発の声が強くなってきます。鉄道趣味から足を洗おうとした人間からも、そして鉄道趣味を深化させようとした人間からも批判されてしまう。ある種の「親殺し」がここに始まったわけです。そうなると種村もツラい状況になる。

 実は、知人から過去20年分の「TTTT」を譲り受け、それを二晩で読破したことがあります。それを見ていると、種村がファンクラブメンバーのことを親身に考えていたことがよく分かります。そして、あの頃の鉄道旅行派に流れていた浪漫をも感じ取れました。

 だが、私が種村と距離を感じ始めた1986年から今日までの20年間。彼は、読者に対して新機軸を何も見せてくれなかった*3。特に話題となる本もなかった*4

 そのツケが、7月号(2006年5月刊)「レイルウェイ・レビュー打ち切りに繋がったのでしょう。

 誰が見ても、ここ5年の著作活動はロクなものではなかったし、当然といえば当然でした。ただ、「レビュー」の打ち切り、そして自分をこの道に導いてくれた人の一人が歴史的使命を終える瞬間を見てしまったのはショックでした。それが今回の連載シリーズを始めたきっかけです。

 正直、私も「種村って……」と批判がましい愚痴を言ったことが何度あります。12年前に彼を揶揄した同人誌も造りました。自分が思春期を経る過程で、何か権威となるものを引きずり降ろしたかったというのが潜在的にあったのも否定しません。

 でも、こんな形で打ち切られる姿を見たくなかったというのが正直な気持ちです。種村の6ページに渡る弁解は見苦しかったですが、竹島紀元編集長はもう少し自分たちの雑誌の最大の貢献者である種村直樹に対して真摯な態度で対応すべきではなかったか。彼に対してかなり失礼で態度ではなかったのか。せめて引導を渡す通告は編集長自らの手でして欲しかった。と、個人的にはそう感じました。

 まだ種村再評価まで行っていません。またどこかで続きを書きたいのですが、それはまた別の話*5

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*1:「鉄道旅行術」は改定16版、総部数218,000部まで行っていたのか<種村直樹「きしゃ汽車記者の30年 レイルウェイ・ライター種村直樹の軌跡」,SiGnal,2003>。凄いよ。この数字は。

*2:「取り巻き」と揶揄されるファンクラブとの関係もありますが、今回、言及は避けておきます。

*3ミステリーは......あれは存在しなかったことにしておきます。

*4:「『青春18きっぷ』の旅」というのは90年代の数少ないヒット作らしいです。刊行紹介によると、ロングセラーであり、無謀な挑戦が話題を呼んだとありますが、単に過去の作品の焼き直しでしょう。18きっぷでやったというのが注目されたのみ。私にはなんの魅力もなかった。この時期のTTTTを見ていると、新規の読者獲得→会員減の歯止めには繋がったようですが、定着率は悪かったようです。紙面では和尚や種村がヤワなヤングに叱咤激励をする言葉が続いています

*52006年12月になってやたらと「種村直樹」と検索してやってくる人が多くなったなあと思っていたら、Googleの検索エンジンでWikipedia、公式HPに次いで、この記事が3番目にリストアップされるようになっていたのですね。<2007.1.11追記>