ぬれ煎餅騒動から2年半。銚子電気鉄道はどうなったのか?

katamachi2009-04-18

 千葉県銚子市の市政が混乱の極みに陥っている。

 銚子市立総合病院の診療休止をめぐり、市長リコール(解職請求)が住民投票で成立したことに伴う出直し市長選は、17日で投票まで1カ月。リコールで失職した岡野俊昭前市長(63)と、元同市長の野平匡邦(まさくに)氏(61)が16日に相次ぎ立候補を表明し、これで計4人が名乗りを上げた。20日にはリコール推進派の石上允康(みつやす)市議(63)も出馬を表明する予定。「病院再生」を争点に、新たな銚子のかじ取り役を決める争いは乱立の様相を呈している。
「病院再生」争点に乱立模様 銚子出直し選 産経新聞2009.4.16

 銚子市の市民病院の閉鎖問題は、昨年秋、全国的に話題となった。財政再建の過程にある夕張市での特異な事例と思われた公立病院の存続問題が、この後、銚子市だけでなく、大阪府松原市など全国的に広がっていく。
 銚子の場合だと、岡野前市長(病院を公設民営)、野平元市長(医療法人と接触)、石上市議(公設公営)、茂木市民団体代表(公設公営か公設民営)、松井同病院元医師(独立行政法人)ということらしいが、誰に決まろうがその後も混乱は続きそう。というか、前回の選挙も、千葉日報の「岡野氏が初当選 銚子市長選 投票率57・13%」の記事にあるように、岡野、野平、石上で三つどもえの選挙戦が行われ、それが政争・リコール運動の根っことなった。あまり分裂過ぎると法定得票数を割ってしまう危険性もある。
 それよりも個人的に気になっているのは、ここ1年ほど、ネットでもマスコミでも完全に忘れられた存在になっている銚子電気鉄道。いや、旅の紹介記事とかブログなんかはまだちらほら見かけるんだけど、肝心の鉄道をどうやって存続していくのか。そこらの動きがほとんど聞こえてこないのが気になる。
 さて、銚子市政と銚子電鉄のこれまでの経緯は以下の通り。

  • 戦後同じ人物が市長7期を務めた後、政治的な対立が何度か起きる
  • 1990年 銚子とは無縁の不動産屋、内野屋工務店銚子電鉄を買収
  • 1995年 ぬれ煎餅の販売を開始
  • 1997年 同年度で国の欠損補助が打ち切り→翌年内野屋工務店の破産→資金借入に難渋
  • 2002年 県の補助打ち切り
  • 2002年の銚子市長選で元自治官僚の野平匡邦が市長に→前市長の施策を大幅に転換して政治的混乱が起きる
  • 銚子市政の財政問題が深刻
  • 2004年1月 内山健治郎銚子電鉄社長(当時)が銚子電鉄名義の借入金を借金返済に回していたことが発覚し、銚子電鉄取締役会で社長解任。4月に市などの補助金を中止
  • 2005年12月 市と会社は銚子電鉄再生問題協議会を設立
  • 2006年3月 市長は銚子電鉄廃止やむなしの発言を繰り返す
  • 2006年7月の市長選で岡野俊昭が野平を僅差で破って市長に。岡野は比較的銚子電鉄に好意的な発言を繰り返していた
  • 2006年8月 内山前社長が業務上横領の罪で逮捕
  • 2006年11月 「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」の一言で「濡れせんべい騒動」勃発
  • さらに財政問題が深刻化
  • 2008年に銚子市立高校2校が統合
  • 財政的理由から市立総合病院を休止するか否かが論議
  • 市政を巡って現市長支持派、前市長支持派、現職反対派など市議や市民が大きく4グループに分裂していく→政治的混乱とリコール運動
  • 2008年9月いっぱいで市立総合病院(393床)が休止
  • 2009年3月の住民投票で岡野市長のリコール成立→失職→5月に市長選

ということらしい。
 鉄道に関しては、「銚子市の「銚子電鉄問題への市の対応について」という文書を読んでみる(銚子電鉄その2) - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」でさらに詳しくまとめている。
 ある意味、市民が地元の政治の場でこうして主張していくのは羨ましいなあと思う反面、その背景については、なんかヨソ者には分かりづらい面も多々ある。

2008年からほとんど話題にならなくなった銚子電気鉄道

 銚子市とは無縁な自分としては、気になるのは、銚子電気鉄道の方。2006年末から2007年にかけて、あれだけ濡れせんべいで話題になっておきながら、2008年以降、その先行きがどうなるのか。http://www.choshi-dentetsu.jp/を見ていると、せんべいの増産と販路の拡大には成功したようだ。けど、鉄道はどうなっているのか。

 銚子電鉄を救え wikiとかいうまとめサイトがあって、一昨年までは細かく更新がなされていたが、昨年ぐらいから話題らしい話題がない。他のサイトを見ても、同様だ。
 一方、濡れせんべい騒動の中心人物で、「がんばれ! 銚子電鉄」を書いた向後功作鉄道部次長。その本はネットでそれなりに話題になったが、それが経営再建への足がかりになったとは言えない。著者も銚子電鉄に関する「銚子電鉄の日記帳 - Yahoo!ブログ」の更新を一年半前に止めて、「向後功作の銚子散歩という別ブログを立ち上げている。そこではほとんど鉄道や存続運動について語られていない。

がんばれ! 銚子電鉄

がんばれ! 銚子電鉄

 彼になにがあったんだろう。上のまとめサイトでも向後に対するネガティブな情報がいくつかある。市政が混乱して分裂気味になっている中で変に主張することはできないと思ったのか。あるいはまた別な理由があるのか。沈黙の意味は気になる。
 話題を呼んだ「銚子電鉄サポーターズ」も2008年5月に活動を休止したままだ。掃除ボランティアは継続しているようだが、以前のような大きな動きは難しそう。2007年1月から2008年3月末までに1882万円、5月に「サポート基金」約640万円を送ったというから決してその力は小さかったわけではないのだが、こうした社会運動の持続というのがいかに難しいのかというのを感じさせられた。
 2008年には、翌09年春の中古車4両購入予定との報道もなされた。「2007年度銚子電気鉄道安全報告書」では「平成20年度中に2編成(2両1編成×2編成)」とある。同年8月の朝日新聞旅行記事によると、「09年からは井の頭線の旧車両も走る予定」とあったので、京王3000系であるとも推測できた。だが、21年度となった今でも実行はされていない。

 さて、この1年ほど、旅の話題として銚子電鉄は取り上げられものの、存続運動がほとんど報道されていない。ネットでの関心も急速に薄らいでいく中、気になったのは「銚子電鉄サポーターズ 真の経営再建へ正念場」という東京新聞2009年1月13日の記事。
 ここで向後は、

 黒字の要因となった利用者の増加も、観光客の利用が増える一方で、安定収入となる地元市民の利用は逆に減っているという。

と語る。

  • 稼働可能な5両のうち、老朽化した3両の更新問題。09年3月までに更新しなければ残る2両で運行→ダイヤ大幅減の可能性
  • 数千万円かかる上、更新が目前に迫っているのに、条件に見合う安価な車両が見つからず、大きな課題(京王3000系は諦めたか)
  • 向後さんは「サポーターズの活動で市民の意識は変わったが、具体的な行動になっていない。鉄道事業者の努力だけでは何ともならない」と漏らす

とか。市民の関心はそれなりに大きくなったとあるけど、これでは先行きが怪しい。
 そして、彼らは「この車社会の現代に市民の輸送機関としての役割を復活させるのは難しい」「観光による地域活性化がカギ」と語る。

観光による地域活性化を訴えれば訴えるほど銚子市民は離れていかないか

 こうした発想は、僕は問題だと思う。
 「【9】がんばれ!銚子電鉄 ローカル鉄道とまちづくり - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」とこれに続くエントリーで銚子電鉄を取り上げた。ネット発の「善意」というモノに懐疑的な書き方になってしまった。銚子電鉄を存続しなければならないという責務を負うのは、地元自治体であり、銚子市民であり、そのリーダー格となった向後功作氏も含めた関係者である。鉄道存続を"まちづくり"→地域活性化の"目的"としてしまうのは問題ではないのか、と指摘した。
 ましてや、「安定収入となる地元市民の利用は逆に減っているという」の中では、銚子電鉄の存続でメリットを受ける銚子市民が減っていること。市民の輸送機関として役割が終わっている中で、観光客誘致のため市税や県税から補助金を出すというのは妙な話である。主従が逆なのだ。本当に地域が活性化するのか(なければどれだけの逸失利益があるのか)。きちんと分析され、市民の中で問題が共有される必要がある。
 でも、2008年の銚子市議会ではほとんど議論されていない。銚子市議会の会議録を閲覧してみた。

企画部長(鷺山隆志君)
 銚子電鉄再生問題協議会を設置しておりますが、これは休止状態になっております。国ではこれらを含め、地域全体の公共交通の活性化を検討する制度がございますので、銚子市の実情にあわせて研究してまいりたいと、このように考えております
平成20年3月定例会03月13日

市長(岡野俊昭君)
 (いすみ鉄道の社長公募について触れた後)私もちょっと知っている方でございます。経営改善と利用客増のため、さまざまな取り組みを進められております。やはり外部による柔軟な発想を導入することはよいことであると私は考えております。銚子電鉄もですね、これらのよさを学びながら、経営改善に当たるといいなと思っております。
平成20年12月定例会12月12日

 市長が「経営改善に当たるといいな」とヨソ事なのには、ちょっと驚いた。他の市会の議事録を見ても、2008年の一年間、銚子市議会ではまともに銚子電気鉄道について議論された形跡がないのだ。
 この間、病院の休止問題が主要議題で関心事となっていて、銚子電気鉄道は完全に忘れられている。
 再生問題協議会は休止のまま。これでは銚子電鉄の再建問題→復帰への道筋は描くことはできない。不祥事が頻発して経営陣が一掃されたとは言え、銚子市も千葉県庁も、そこらの後始末が終わらない限り、補助金を出すことは難しい。
 市長選が始まれば「みなさんの足のために銚子電鉄補助金を入れます→復活させます」なんてことも語られるのだろう。でも、その財源はどうなるのか。
 財政的に逼迫しているなら、「選択と集中」が必要だろう。「市民の足」と言うよりも今では「銚子観光の目玉」となった鉄道の再建策は、確実に後回しにされてしまう。鉄道マニアである自分でも、「市民の生命」に直結する病院の再開の方が明らかに重大事だとは分かっている。観光鉄道であることを主張すればするほど、市民の関心は薄れていくのでは。病院とは違い、多くの市民にとって不要不急の銚子電鉄への税金は様々な議論を呼びそう。ましてや政治グループがいくつにも分かれている中では、対立陣営へのネガティブキャンペーンに使われかねない。

 銚子市政で銚子電気鉄道に関する議論が交わされるのはいつのことか。
 そもそも、経営再建と鉄道存続のためには5億5千万円が必要とされていた。それをどうするのか。寄付による枕木の交換だけでは「銚子電気鉄道安全報告書」での言葉を実現することは絶望的だ。
 「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」で話題を呼んでから2年半が経つが、肝心なポイントはまだ何も進んでいない。ぬれ煎餅による輸血での延命治療にも限界はある。さすがにこのまま継続させていくのは難しい。監督官庁である国土交通省から何かの指導が必要がなければそのうちまたトラブルが起きるんじゃないかと思ったりもするんだけど、それはまた別の話。<参考>