とれいん工房の汽車旅12ヵ月

鉄道関係の時事ネタを紹介するブログです。趣味の外縁部に転がっている、生活には役に立たない情報を中心に語ります。廃線、未成線、LRT、鉄道旅行、鉄道史、駅、遊覧鉄道、鉄道マニア、鉄道本書評、海外の鉄道、奥祖谷観光周遊モノレール、宮脇俊三、種村直樹、今里筋線、阪急新大阪線、三江線、西武線、マンガ、アニメ、読書...etc。 「鉄道未成線を歩く」など同人誌3点をただいま書店販売・通販中。http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20121228/p1参照。

2010-08-30

[]何でもある田舎のジャスコと、東京を知る人と知らない人との格差

 田舎のジャスコ「東京」が再現されている。売っている物も歩いている人の服装も全く同じ。10年前には信じられなかったことだが、今、渋谷の10代のファッション三重ジャスコファッションがまったく同じなのだ。これには感動した。

Togetter - まとめ「田舎のジャスコは「擬似東京」!渋谷=三重のジャスコ。レベル的に。

 10代のファッション都市と地方との「文化」を語るって勇気があるなあと思ったりもした。Twitterポジショントークって、はてな以上に難しいなあとも感じたりした。

 ただ、文化的独自性とかではなく、「疑似東京」がそこにあるかどうかという立脚点ではまさにそう。この人の指摘する渋谷三重ジャスコの同一性を否定することもない。

 偶然にも、昨日は、うちの家からクルマで10分にあるイオンモールに行って、そこで買い物をして、本屋で1時間品定めして、飯を食って、シネコンで「借りぐらしのアリエッティ」を見て(愕然として)、スタバお茶をして家に帰る……という、ある意味、理想的なイオン生活を送っていた。

 そして、それで僕たちが、そこに"東京"が再現していると感動するかというと、まあありえない。もちろん10代の子供たちも、そこに「渋谷の10代のファッション」とまったく同じなのだと感動することはないのだろう。

イオンモール東京を模倣しても、誰でも模倣して追随できる

 イオンモールには、"東京"というエッセンスを薄めた物があるかもしれないが、欲しい物は存在しない。あくまでも欲しい物によく似たアイテムがあるだけだ。東京の物ではないという「妥協」で満足できる、あるいは代用物であることに何ら疑問を持たない消費者がそこで買い回りをするのだ。

 それは、大阪などで大都市生活を長らく過ごしてきた自分にとっては当たり前の商行動である。連れ合いも同様だ。ここでファッションコスメの欲しい物を買うことはない。欲しい物は京都や大阪で済ませている。ここにあるとすれば、代用できるレベルの物だ。

 本屋さんも、町のロードサイド型の書店と比べると、単行本文庫本、専門書、マンガともに品揃えは充実しているようにも見える。平日夜に郊外書店になかった本を2冊買い求めた。でも、欲しかった本はここには存在しない。

 ファッションでも本でもそうだけど、ちょっと充実しているようには見えるけど、大都市部の専門店と比べればかなり見劣りする。

 それに、大前提としてイオンモールは若者のファッションに特化した空間ではないし、数的集まりの弱さは圧倒的である。「疑似東京」ではあるけど、ホンモノとの格差ははてしなく遠い。それを同レベルとしてしまうのは、正直、疑問を抱かざるを得ない。


 それは10歳代の子にしても、そうだ。なんとなく聞いたことのあるメーカー、先進的なものに類似したメーカーのものは揃っているかもしれない。でも、質でも面でも充実しているのかというとまた別な話。

 仮に、そこの店の1つに入って、最先端ファッションをまとったとする。

 でも、それはイオンモールに行けばあることを誰もが知っているのだから、次の週末に同じ店に行けば誰でも模倣できる。東京の模倣を模倣するのは非常に容易いのだ。むしろ、地方都市繁華街に片隅に店を構えているセレクトショップの方が多種多様な服飾と出会える可能性は高くなる。美容室の選択という過程もそう。そこらは10代半ばの子は知らないんだろうけど、10代後半になるとそこらの目利きができるか否かも自己表現の能力へと繋がっていくことになる。

 あと気になるのは、「ジャスコには貧乏人はこないので、駐車場トヨタ大型車ばかりです」という点。

 いやあ、大型車というかノアとかセレナとかエスティマとかのミニバンって30歳代以上のファミリー層ですよね。三重ジャスコファッションの担い手であるナウなヤング軽自動車か小型車に乗っているよ。

 まあ、イオンモールの表面的なところを指摘して「なんでも揃う」「祝祭空間」としてしまうところに、ポジショントークとしてもヤリすぎな所を感じた。

 イオンモールの田舎での位置づけは、ファミリー層における週末レジャーの有力な行き先という点である。それはそれで地方の日常的な生活行動で重要な役割を果たしている。なにより子供が喜ぶ。

 そういうレジャー空間が出現するというのもありだとは思う。


原宿ってサイコー、●●なんてサイテー」を繰り返す田舎の女子高生

以前、「はてなブックマーク - 道行く人を皆馬鹿にする女子高生3人組を見ながら思ったこと - 諏訪耕平の研究メモ」のブクマで書いた話をもう少し詳しく紹介する。

 ある日、米原発の東海道本線下り新快速に乗っていると、僕とクロスシートボックス4人席で女子高生3人組と同じになった。

 赤えんじ色のジャージを着ている3人のうち、リーダー格の子1人。茶髪で髪はかなりいじっている。残り2人は黒髪ロングで、どちらかというと地味っぽそうだけど軽く化粧をしているって感じ。

 リーダー格の子は、座席の上であぐらをかきながら、なんか無頼を気取ったような物言いを繰り返していた。公共空間におけるお行儀としては褒められた物ではない。

 斜め前に座っている僕の存在を完全に意識していない。と言うより、僕という他者を完全無視する態度をすることで、自分がこの空間の主であることを主張したいんだろう。自分が世間に斜を構えているという、そしてこの世界のことを何でも知っているという自己演出をしたがっていたように僕には見えた。

 彼女の無礼な態度を僕がどう見ているのか。ちらちらと僕に視線を移すお供2人との「格差」はすでに学校内というレベルで完成されているのだろう。

 リーダー格の女の子の自己主張の強さは、会話からも察することができた。

 先週、原宿に行ったというのだ。あそこには自分たちの求めていたあらゆる物がたくさん並んでいた。お金限界があるんだし.....とひとしきりバイト代の安さと店長のバカっぽさを罵倒したあげく、その時の獲物をお供の2人に見せびらかせる。なんだか安物のアクセサリーだけど、それは彼女にとって東京を象徴する物なんだろう。

「わーすごい」と相槌を打つ。お供の2人。凄く真剣なヨイショを続けるが、なんとなく空々しい。3人の関係というのもなんとなく想像できる。

 そして続いたのが、彼女たちの街、近●八幡への罵倒の連続。特に、滋賀県東部・北部では若者向けファッション店舗が多いと評価されている駅東口のマイカル近江八幡への悪口が続いた。あれでも全国数少ないマイカルタウンの1つだし、イオンモールともさほどレベルは落ちないと思う。でも、あそこで買い物をしている人たちは何も分かっていない。本当の物は原宿にこそあると力説を続ける。

 この後も、ひたすら「原宿ってサイコー、●●なんてサイテー」とかそんな話ばかり。自分がいかに優れた物や人と出会っているのか。その代わりに、アレやソレは最低。そんな品定めがひたすら続いた。

 次第に、リーダー格に相槌を打つ2人の"友人"達の同調っぷりがカワイソウになってきた。なんで、こんなリーダーについて行くんだろうか。

 やがて近江八幡に停車し、彼女たちは降りていった。駅近くの●●●でのバイトがあるらしい。 また原宿に行くための努力がこれからも続くんだろうか。


東京に特別な意味を見出さなくてもいい生活者の出現

 さて、前半で田舎のイオンモールを巡る模倣の浅さを指摘し、後半では、田舎の大規模ショッピングセンターではないものを東京に夢見る女子高生の会話を紹介した。地方にいても「東京」に触れることはできるが、その模倣のレベルが表面的である。だから、なおいっそう「東京」への憧れが歪に強くなっていく。

 それらの一方で、田舎に土着する若者が現れてきているというのもまた事実である。

 仕事すらない人口5万人以下の地方小都市はともあれ、県都とか地方中枢都市とかの街並みがあれば、そしてイオンモール的な物が40km圏内に1つあればそれで十分という生活スタイルも成り立つ。

 三浦展は「ファスト風土」という言葉で、「地方社会において固有の地域性が消滅し、大型ショッピングセンターコンビニファミレスファストフード店、レンタルビデオ店、カラオケボックスパチンコ店などが建ち並ぶ風景が全国一律となったさま」(はてなキーワードより)を描いている。

下流同盟―格差社会とファスト風土 (朝日新書)

下流同盟―格差社会とファスト風土 (朝日新書)

脱ファスト風土宣言―商店街を救え! (新書y)

脱ファスト風土宣言―商店街を救え! (新書y)

 そこに絶望を抱くことは簡単だと思う。三浦自身は昔からのコミュニティや街並み、社会構造が解体されていくことを嘆いてみせ、ポストファスト風土」な提案を模索しているようだが、それはそれでありだと思う。

 でも、彼の描くようなシンプルな構造だけがイオンモール、そして媒体が異なるが大規模ショッピングセンターで行われているわけではない。

 今、地方の田舎には、東京に過度に依存しなくてもなんとなくやっていけるような層がたくさん出現している。

 クルマの値段とか東京舶来のもとかにこだわらず、かといって地元に根付くヤンキーとか社会から逸脱することすらも目的としない。

 「どっか旅行とかいかないの」「大阪とかこんなことがあってね」と話題を振っても、「いつかは行ってみたいですね」と、さほど興味を示さない。行きたい地名、興味のある事象はそこには出てこない。興味はあるが、そこは自分たちとは別物であると割り切りがあるのだろうか。旅行に行かないし、というか、ちょっと離れた大都市まで買い物に出かけようかというほどの意欲もない。

 クルマもそうだ。車の車種が若者にとってさほど意味をなさなくなってから10年以上経つ。地方の若者はみんな軽や小型で満足している。親のクルマとの共有にも抵抗感はない。

 人間関係も広がりが地元に土着している。まったりと、友人の紹介でパートナーを見付け、街に与えられたイオンモール的なところで月に数回訪れ、近場のデートコースを回り、淡々と20歳代のうちに寿を迎えていく......。ネットで喧伝されている非モテとかパートナーを頻繁に変えてとかなんとか、そんなエキセントリックさは彼女彼らからはあまり感じられない。


「若者の宣伝広告離れ」と東京との格差が問題視されない時代

 おそらく80年代パルコの時代からバブル、そして90年代へと続く、広告宣伝の波にもうみんな疲れてきたんだろうな。メディアや広告代理店、大企業はなんかと一生懸命付加価値・差異化を目指してアピールしているけど、その押しつけがましさに、正直、飽きたんだ。「若者のクルマ離れ」や「若者の旅行離れ」といった現象の背景には、「若者の宣伝広告離れ」が大きいかもしれないと最近考えるようになってきた。

 ここ30年来の広告代理店が目指したのが、東京的なモノの全国的な普及であることは自明であった。イオンモールもその1つと仮定しよう。東京には何でもあるという願望が1つの文化を形成してきたのは間違いない。

 その情報ギャツプを埋めることを熱望するがゆえに、優秀な高校生たちは東京大学への進学を希望するし、就職組も大都市への仕事を求めてきた。

 一方、地方在住組は月に1〜3度くらいのペースで、たとえば四国和歌山奈良の若者は京阪神に、九州島内の若者は福岡に、北海道だと札幌へ向かった。東北だと東京に直接行きやすい。オタクアキバに集まり、女子中高生原宿で心ときめかすのも、そうした東京との情報ギャツプを埋めることに意味があると感じていたからだろう。確実に、田舎という空間において、そのギャップが他者との差異化に有効だった時代はあった。

 でも、地方の若者でも趣向は、中央の人間が思うほど画一的ではない。東京に差異化を求める人はひたすら東京に何かを求めていくし、東京的なものに意味を見出さない人はそれなりの生活を送ることができるようになっている。そこそこの田舎。たとえば三重県ジャスコがあるレベルの小都市だと、わざわざ大都市まで遠征して買い物をするのは億劫だ、という意識の若者がいるのも事実だ。

 大量宣伝大量広告という常識意味のない時代になってきたのかもしれない。そんな今、東京に幻想を抱くこと=差異化であるという発想自体が問い直されていると僕は思う。

 でも、代理店とか大企業の視点は変わらない。

 「最近の若者物欲への願望が薄れている」という観点から若者の消費刺激策を展開すべきという政府や商業者の思惑もあるようだが、それは当事者が誰も求めていない事業に税金が注がれておしまいにならないのだろうか。

 たとえば観光庁のやる

「第一回若者旅行振興研究会」を開催しました!(概要報告) 〜若年層旅行市場の振興に関する検討を行いました〜

 リクルートレポートの最後「IT化と世界にひとつだけの花」に苦笑。「大学生をメインターゲットとし、何か施策を検討すべきである」ってなあ。あざとい施策や仕掛けに疲れたからこそ、今の消費不況があるわけで……

 そんな時代に、地方都市が地元在住の若者に何を提供すべきなのか。ちょっと難しい問題だ。なにかさらなる問題提起ができないのか......と考えていたら眠くなったんで、そこらはまた別の話。

2010-08-17

katamachi2010-08-17

[][]秋田県羽後町メイド喫茶「OHZAN Cafe & Restaurant」(櫻山)へ行く

 さて、コミケ前にわざわざ東北へ立ち寄った理由なんですが、485系乗り継ぎの旅もさることながら、もう一つ寄ってみたいところがあったんです。

 秋田県羽後町にあるメイド喫茶

 古い木造建築を使って経営している喫茶店で、オタクで街おこし的な文章でしばしば取り上げられる店ですよね。3年前ぐらい、はてな界隈でも話題となっていたんで気にはなっていました。

 関西から「きたぐに「いなほ」を乗り継いで酒田で下車。レンタカーで100kmほど山越えしながら秋田県最南端の湯沢市を経由し、今夕には秋田県に上陸するという台風4号の影響で雨が断続的に降りしきる中、羽後町内に入ったのは13時半頃でした。

羽後町というとソバも旨いんです

 空腹の中年男2人。とりあえず何かが食べたい。

 羽後町湯沢市というとオタク界隈では萌え系ばかり取り上げられますが、おそばの方面でも有名なエリアなんですよね。食べログでも、そば関係で18件が口コミされています

 さて、どこへ行こうかと、西馬音内(にしもない)集落の外れにある羽後町役場のあたりを走っていたら、1つ、そば屋の看板が見当たりました。メイン通りから住宅街に入ったところに店を発見。「蕎麦処 長谷山 」です。

長谷山

食べログ長谷山

 小さな一軒家をそのまま使った店に入ります。先客は地元の人っぽいグループが2組。会話を聞いていると、お盆で帰ってきた家族と来られていたみたいです。

 僕らは、とりあえず冷たいざるそばを一人前ずつ。600円/枚。空腹感もあってひと息に飲み込んでしまいました。

 さて、もう一軒、どこへ行こうか....と、「ツーリングマップル 東北 (2007)」に載っていた「松屋」に。こちらは羽後町西馬音内の中心部にあります。意外と賑わっている商店街農協の建物近くにありました。

松屋

食べログ松屋

 いかにも古い商店街の食堂.....という感じの建物でした。

f:id:katamachi:20100817171327j:image

 中に入ると、こんな感じ。おお、クラシック

f:id:katamachi:20100817171322j:image

 こっちの方がお客さんは多かったかな。とりあえず、僕は、ざるそば(大)。しばらくして、やってきました。ざるそば。さっきの店にも申し訳ないけど、こっちの方がうまいです。するすると啜りながら、喉で食感を味わいます。

 ちなみに、知人は、もりそば。基本、ざると同じなんだけど、丼に盛られてやってきました。海苔がついていない以外は同じですよ〜とおばちゃんの解説。でも、もりそばが丼というのは初めて目撃しました。


OHZAN Cafe & Restaurantでの30分間の小休止

 なんとか腹ごしらえをして、いざ本丸の「OHZAN Cafe & Restaurant」へ。

ohzan de imane cafe

食べログohzan de imane cafe

 ちなみに、ここの店。以前は「ohzan de imane cafe」と名乗っていたんで、ネットで検索するとそちらの店ばかりヒットしますが、今は「OHZAN Cafe & Restaurant」という名前でやっています。

 もともと懐石をやっているグループっぽい。

 その隣りにカフェがあるんですね。

 ここは対川荘という100年以上昔の山林王の別荘だったところで、文化人たちも集った由緒ある建築だという。それを改装して飲食店として再生したのが3年前。ってだけで、素晴らしいじゃないですか。京都の町屋風飲食店っておもいっきり改造されまくって元々の建物が台無しになっているところが多いけど、ここは昔の雰囲気がそのまま残っているみたい。

 古い木造民家の木材と調度品を活用しつつ、

アクセントとして使用し、和洋が折衷したオシャレ系のCafe & Restaurantになっている。東京や京都にあるともっと流行っているよね。

 ただ、オタク的には、レトロメイド服で給仕しているってのがいいわけで……

 と、知人と話しながら、町役場の近くにある林の中にある「OHZAN Cafe & Restaurant」に近づくと……

f:id:katamachi:20100817173403j:image

 おお、メイドさんが。外にいるじゃないですか。

 先客が帰るところを見送りに来たらしい。

 と、共に、僕らの顔を見て、ちょっと困った顔をされています。

 うん? なに? 痛い人たちがやってきすぎてオタ禁になったの?

 メイドさん曰く。

すみません、2時でおわりなんです」

 えっ? 

f:id:katamachi:20100817174425j:image

 ただいま2時半。でも、まだやっているはずでは......

 と、ここの店のホームページコピーした紙を見ると、

  • 10:30〜17:00(LO) 18:00〜20:30(LO)
  • 月曜定休(月曜祝祭日の場合は火曜)

とある。

 でも、今は、土日は夕方まで続けるけど、平日だと14時まで、となっているらしい。少人数のスタッフで維持しているので平日の営業時間は短くなっているとのこと。突発的な休みもあるらしい。確かに、明日金曜日は休みとある。事前問い合わせ要、なんでしょう。

 さて、困った。どうしようか……と知人と顔を見合わせると、

「3時までなら、いいですよ」という神の声。

 助かりました。これで店に入れなかったら台風で強い雨が降りしきる中、なんで秋田県の最深部までやってきたんだ、ということになってしまう。

 とりあえず、店の中に招き入れられました。

f:id:katamachi:20100817174718j:image

f:id:katamachi:20100817174717j:image

 黒く塗られた柱と壁。赤絨毯。小洒落た洋食器。

 嗚呼、思っていたよりステキな室内です。

 客は僕ら2人のみ。窓際のお庭の見える席に案内されます。

f:id:katamachi:20100817175245j:image

 ランチメニューも気になっていたんですが、仕方ない。とりあえずアイスコーヒーを2人前。

 台風接近で空はどんよりとしているし、室内のライトもやや暗め。でも、開放的な雰囲気がいいですね。天気のいい日に、ガーデニングランチとかしたら楽しいのかも。

 お楽しみのカフェが来ました。ポット入りの珈琲とは珍しい。

f:id:katamachi:20100817175551j:image

「なんで俺らだけで来ているんだろうな」と目の前の知人が一言。

 嫁さんと来たかったんだろうな。すみませんアラフォーオタク2人で来るにはちょつと場違いなのかも。

 蒸し暑さと旅の疲れもありましたが、美味しい珈琲で十二分に疲れが取れました。

 この後は、店の中の探検です。

 まずは1階のキッチン寄りにある和室。洋風建築でもこうした和的要素は必要とされていたんですね。

f:id:katamachi:20100817180022j:image

 続いて二階に上がります。広々としたダイニングルームとなっています。

f:id:katamachi:20100817180021j:image

 ここから周囲を見渡すと、この建物と隣の御屋敷を囲むようにして林が続いているのが分かります。鎮守の森っぽい雰囲気。西馬音内の集落の側にあるのに落ち着いた空気が永年維持されてきたんですね。こういう文化が平成になった今でも残っているっていうのが嬉しいところです。


萌え要素を狙っていない店とオタクの性

 本当はもっと長居したいんだけど、時間もあるんで、帰ることにします。

 レジで会計をした後、う〜んと悩んで、お土産を買うことにしました。クロワッサンラスクとした「ラスクロ」。http://rusk.main.jp/

f:id:katamachi:20100817180730j:image

 これ、外封では目立たないようにしていますが、イラスト絵が西又葵先生なんですね。

f:id:katamachi:20100817184313j:image

 ちょっと迷ったのは、この店、公式ホームページを見ればなんとなく想像できると思うんですが、基本、「萌え」的要素で自分たちをアピールしようとはしていないんですよね。西又葵先生イラスト絵のラスクを発売していますが、イラスト自体、店内ではあまり目立たないようにしていました。

 女性スタッフレトロコスチュームを身にまとっていましたが、それはメイド喫茶的な"メイド"を意識したものではありません。「お帰りなさいませ、ご主人様」的なセリフは一度もありませんでした。

 運営者の意識としては「萌え」に依存したセールスをしたくないというのがあるのかもしれない。萌え嗜好をどこかでアピールしてしまうと、オシャレ系なカフェレストランという志向とは相容れないものがあるんですよね。常連となりうる秋田県内の地元客が距離を置きかねない。

 だから、メイド喫茶的な消費の仕方ってのは、店としてはあまり望ましいんじゃないかなあ、と考えたりしたわけです。ただ、お店のレトロな雰囲気を楽しませてもらう、という態度で臨まないとけないのかなあ、と。

 地域おこしのためにオタクの消費力を活かしたいという地元の切実な願いもあるのは承知していますが、それで何かが変わるほど簡単なわけではない。でも、オタクの方は自分たちが消費者として注目されることになにか自己陶酔しているところもあるのでしょうか。昔住んでいた家の近くにある豊郷小学校のあれこれとかを地元住民から聞くと、あるいは他のオタ的スポットでの現象を見聞きしていると、ちょっとなんとかならんのか、と思ったりします。

 とか言いつつ、連れ合いへの土産&ネタを理由にしてラスクを買ってしまいました。まあ、そこらはオタクの性ですね。

 帰りは3時前になっていました。

台風、だいじょうぶですかね」と店の外まで見送ってくれました。

 一時的なブームが終わっても、ここの店は続いていくんじゃないかなあと僕は期待しています。

f:id:katamachi:20100817183919j:image


 この後、JAうごhttp://www.ja-ugo.jp/に行きました。JAうご本所正面に「美少女イラスト看板」が2009年12月に完成したんだとか。

 最初、「松屋」近くの商店街にある農協がそれだと思いこんでいたのですが、それはJAこまち・西馬音内支店。件のJAは、うご農業協同組合で、場所も西馬音内から少し離れた羽後町足田字泉田にありました。

f:id:katamachi:20100817183242j:image

f:id:katamachi:20100817183253j:image

 あきたこまちは重いんで、羽後牛カレーを買ってきました。

 あと、

f:id:katamachi:20100817183609j:image

記念撮影

 オタク的活動は以上です。

 西馬音内というと、本当に全国的に有名なのは西馬音内盆踊りhttp://www.ugomachi.com/e_ugo/bonodori/index.html。今年もお盆明けの16日から18日まで開催されるそうです。そこらの話もいろいろ聞けたのですが、それはまた別の話。


<参考>

タイ・バンコクのメイド喫茶akibaに行ってきました。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

2009-08-18

katamachi2009-08-18

[][]温泉っぽい日帰り入浴施設「平成温泉」を定義する

 コミックマーケットで関東地区に滞在していた合間を縫って、群馬県の渋川駅から嬬恋村の大前駅まで延びるJR吾妻線に乗車した。

 目的は2つ。

  • 川原湯温泉駅から徒歩10分の所にある川原湯温泉の共同浴場を回る
  • 2015年度完成と伝えられている八ッ場ダム建設にあわせて線路の新線付替→既存線の廃線が行われる岩島〜川原湯温泉〜長野原草津口間を乗っておく

JR東日本:進行中の建設プロジェクト

川原湯温泉観光協会

 この八ッ場(やんば)ダムは2009年内の着工が予定されており、それに先んじてダム湖に沈む吾妻線や駅、温泉郷は新しい場所へと移転することになる。09年度の事業概要によると、鉄道の付替供用は2011年度になるらしい。

 09年8月の衆院選に際し、民主党は次期衆院選の政権公約マニフェストで、計画中止を掲げて、群馬県など地元の首長たちは反対の意思表示をしている。上でリンクを張った川原湯温泉観光協会のHPでも、「現地の住民の悲鳴にも似た叫びを無視してダムの中止を掲げている身勝手な政党が存在するからだ」と主張する文書が掲載されている。

 過去数十年の様々な経緯があるし、ダムの是非についてはここでは触れない。

 さて、温泉だ。


ホンモノの温泉が残っている川原湯温泉を味わえるのもあと僅か

 川原湯の共同浴場は計3ヶ所。

  • 王湯
    • 温泉郷の中心的存在。露天風呂と内風呂があるが、源泉から直接お湯を注いでいる内風呂の方がオススメ。夕方以降は地元住民専用となる。300円

f:id:katamachi:20090818215716j:image

  • 笹湯
    • 地域住民向けっぽい温泉施設。湯船と脱衣場が一緒になっているのが珍しい。300円(無人)

f:id:katamachi:20090818215821j:image

  • 聖天様露天風呂
    • 小高い丘にある野趣豊かな露天風呂。男女混浴になっている。100円

f:id:katamachi:20090818215709j:image

 それぞれが独特の趣を持っていて、魅力的である。

 温泉に入る前からダラダラと汗をかいている真夏の昼下がり。湯船を1つ1つ訪ねていくのは贅沢な時間潰しだったと思う。

 ただ、お盆の最中にもかかわらず、いずれの共同浴場もガラガラだった。観光客の姿をほとんど見かけなかった。古くからの温泉街であるため、

  • 国道・高速道路から離れたところにある
  • クルマを止める駐車場がない
  • 温泉施設も湯船も狭いためそもそも大量の日帰り入浴客を収容できない

という欠点があるからだろう。

 この後、集落が数年後に別な場所へ移転することが決まっている。

 下は温泉街の完成予想図。

f:id:katamachi:20090818221147j:image

 けど、新規オープンの際、はたしてお客さんが大量にやってくるのか。ボーリングして新しい泉源からもお湯が出ているようだが、歴史性を失った温泉街に魅力があるとは思えないのだが……

 「古き良き、温泉の風情が今もそのまま残っている川原湯温泉」(HPより)が消滅してしまうのもあと僅か。ぜひ訪ねていって欲しい湯船だと思う


過疎地域の地域振興で企画された公共系日帰り入浴施設の乱立

 一方で、国道353号沿いにある小野上温泉(渋川市)という公共の日帰り入浴施設には何十台もののクルマが停車していた。

 ええっ、そんなどこにでもあるパチモノ入浴施設のどこがいいんだろうと僕なんかは思うのだけど、

  • 国道沿いにあるから便利だし、ふらっと立ち寄りやすい
  • 駐車場が広いからゆっくりと滞在できるし、大広間やレストランも完備
  • もちろん湯船も大きいし、露天風呂やジャクジーなど施設も多彩

というのが評価されるんだろう。

 加水や加熱や循環、塩素消毒をしている湯船が「温泉」と言えるのかどうかは議論は分かれるけど、まあそれはそれ。

 こうした公共系の温泉施設。ここ十数年の間に、日本国内にたくさんできているというのは旅好きの間ではみんな知っているんだと思う。

 公共の日帰り温泉施設の先駆けとなったのは、この小野上温泉だそうで、1981年にオープンした直後にはかなりの訪問客がやってきたのだという。

 以後、80年代後半から10年ほど間に、全国の町村部のあちこちで「温泉」と名の付く施設が誕生した。

  • 80年代になって温泉ブームが始まり、手軽に訪問できる日帰り入浴施設に注目
  • 1987年のリゾート法(総合保養地域整備法)制定後、リゾート産業の振興→過疎地域の発展を狙った施策が奨励される。その第一歩として温泉施設が建設
  • 高齢化が進む過疎地において、福祉施設と娯楽施設を兼ねた温泉施設はあらゆる層から歓迎された。
  • 「自治体経営」なるものが持て囃される中、地域振興のための新しい施策の展開と創意工夫が過疎地の役所に求められる(でもアイデアがないので温泉施設が乱立)
  • 90年代になると、ウルグアイ・ラウンドと農業自由化に対応するため、農村部の産業開発を目的とした農林水産省系の補助金が大盤振る舞いされた

というのがその背景。

f:id:katamachi:20090818224919j:image

(農業農村活性化農業構造改善事業で造られた飯山市の某温泉の銘)

 1988年に竹下内閣が実施した、ふるさと創生事業というのもそのきっかけとなった。

 当時、約3200あった各市町村に対し1億円ずつ交付し、地域振興に自由に使っても良いとした。

 ただ、突然、贈られた自治体としても使い方に難渋する。そこでやり始めたのが温泉掘削のボーリング。1億円あれば1回ぐらいは掘削できる。

 僕が学生時代、長野県での自治体調査に参加したことがある。その際、上述のふるさと創生事業がどのように使われたのか整理してみたのだけど、アンケートに答えた県下101市町村のうち、実に36団体が温泉掘削にチャレンジしている。火山活動が盛んな長野県とは言え、4割が近くが横並びに温泉掘削していたとは驚いた(なお、長野県地方課調べでは、1億円の創生基金を温泉事業に投じた団体は38。そのうち10団体は掘削に失敗したんだとか)。

 まあ、多少の失敗はあれども、火山国家日本の大地だと、1000mも掘ればたいてい温泉の素ぐらいは出てくる。

 これで90年代後半にもなると、過疎地の市町村それぞれに最低1ヶ所ぐらいは温泉施設がオープンすることになる。


金太郎飴みたいな「平成温泉」を訪ねてみるゾ

 こうした施設には特徴がある。

  • 第3セクターや財団法人、外郭団体など自治体系の組織が運営している
  • 街からかなり外れた農村部に設けられる
  • ただの大浴場だけでなく、露天風呂やジャクジー、泡風呂なども
  • 食堂や休憩室も完備。宿泊施設も備えているところも多い
  • 「温泉」ではあるが、加水・加温・循環・塩素消毒は当たり前

 僕自身、この20年ほどの間、国内あちこちを旅してきたんで、この手の公共系日帰り温泉施設にはかなり立ち寄ってきた。

 温泉マニアではないしさほど湯質にこだわりはないので、そうした施設を否定するつもりはない。“源泉かけ流し”に対する幻想も特にないし、そもそもホンモノとニセモノの違いはよく分からない。

 そもそも「温泉」の定義は「泉源における水温が摂氏25度以上」あるいは「25度未満でも、19種類の物質のうち1つ以上の物質を含有」していればいいんで、なんらしかボーリングすれば東京都区内でも大阪市内でも「温泉」をオープンできる。

 ただねえ。そうした「温泉」と従来からの温泉とは一線を画したいんだなあ。ここまで日帰り温泉施設が乱立してしまうと、ボーリングせずにお湯が出てくるホンモノの温泉が埋没しかねない。実際、川原湯温泉って地味モードになってしまっていたし。

 そこで、僕はこれらの自治体系団体運営で地域振興を目的とする温泉を「平成温泉」と呼ぶことにした。

 定義は、

  • 運営主体は自治体系団体
  • オープン時期は平成になってから(80年代設置も含む)
  • 「加温」「加水」「循環」「塩素消毒」の4要素のうち3つ以上当てはまる
  • 温泉以外に、食堂や休憩施設なども兼ね備えている

の4点。

 で、考えてみると、こういう温泉施設って全国に山ほどあるなあ。都市部や都市近郊にはチェーン展開している民間資本も少なくないんでそれらも含むとなると、何千施設ぐらいあるんだろう。

 別にそうした施設が存在することは否定しない。自治体が喧伝するほど観光客の誘致と産業振興の成果には繋がっていないところが多いと思うが、安価で入浴施設&付帯のレジャー施設を利用できる住民にはそれなりに評価はされているらしい。

 ただ、それらの「平成温泉」ってあまり個性がないんだよなあ。

 以前、北海道の道北・道東に取材で1ヶ月ほど滞在していたが、毎日のように公共系日帰り温泉施設で入浴し、2日に一度ペースで付属の宿泊施設で寝起きしていた。正直言ってしまおう。どこも同じような湯船と施設ばかりで、途中からはウンザリしてきた。

 とにかく、地域振興に対する国と地方自治体の無策ぶり、補助金によるハコモノづくりの促進という土建国家の負の側面が色濃く出ている問題プロジェクトだと思う。ここ数年、老朽化した施設のリニューアルや維持費の捻出ができず、閉鎖した施設もちょこちょこ出ている。市町村合併で自治体が大きくなり、同じ自治体内に同種の施設を複数抱えたところも出ている。ああ、そういえば、平成の大合併の地元懐柔策として温泉施設をオープンしたところもあったなあ。

 僕が嫌いなのは「平成温泉」なんではなく、「平成温泉」を造ることにしか能がない役所の人間や議会とか住民の方なのかもしれない。

 で、そうした温泉の総本山は、出雲市郊外にある出雲平成温泉。まさか、平成温泉なんてベタな施設があるとは想像もしていなかつた。

 そして、

  • 出雲市役所の平成スポーツ公園出雲保養センター
  • 1994年(平成6年)オープン。ボーリングで地下1200mから湧出
  • 7種類の薬草を入れた薬草風呂やジェット風呂、開放的な露天風呂
  • レストラン・会議室・和室休憩室・トレーニングコーナー・施術室などを複合させた健康施設

と勢揃い。こちらのHPによると、「加温」「循環」「塩素消毒」の3要素に当てはまっているみたい。

 これはもう、僕の理想とする「平成温泉」そのものなんですよね。

 6月に世界遺産に登録された世界初の温泉施設、温泉津温泉(島根県太田市)に立ち寄った後、出雲市駅の駅前で出雲平成温泉行きを検討したんだけど、大雨による土砂災害で鉄道がベタ遅れしていたんで断念したんだよなあ(下は出雲市駅前のバス停)。

f:id:katamachi:20090818232121j:image

 「平成温泉」の是非を語るためにも一度は行かねばならないと思っているのだけど、それはまた別の話。

2009-07-06

katamachi2009-07-06

[]〜六甲山クラシック〜六甲山ホテル(阪急系)と六甲オリエンタルホテル(阪神系)を歩く

 20年くらい前から近代建築は好きだったんだけど、昨年末、品川駅前にあった京品ホテル(レトロモダンな駅前旅館、京品ホテルが自主営業している姿を訪ねて - とれいん工房の汽車旅12ヵ月2009年1月に実質的に閉鎖)を訪れて以来、クラシックホテルを訪ねる機会に恵まれている。5月の箱根行きの際にも宮ノ下にある富士屋ホテルを訪れ、そのレトロモダンな雰囲気を十二分に堪能することができた。

 関西だと有名どころは、奈良ホテル(JR系)、舞子ホテル(山電系)、そして六甲山ホテル(阪急系)あたり。奈良と舞子は何度か立ち寄ったことはあるが、六甲山ホテルは未訪だった。ここは1929年建築の由緒ある建物がそのまま宿泊施設として提供されている。クラシックホテルにしては、1室2人で週末17,000円〜、平日だと10,000円〜、と比較的値段が安めというのもまた嬉しい。

 六甲山系には他にも、

  • 六甲摩耶鋼索鉄道六甲山上駅
  • 神戸ゴルフ倶楽部
  • ヴォーリズ六甲山荘(旧個人別荘)

といった近代建築が現存し、2007年、六甲山ホテルとあわせた4ヶ所が経済産業省によって近代化産業遺産として認定されている。

 てなわけで、六甲ケーブルがやっている「六甲山上の近代化産業遺産群を巡るエコツアー」を参考に、六甲山クラシックを求めて近代化産業遺産を訪ねる旅を企画してみた。

1 六甲山ホテル

 阪急系列のホテルとして開業したのは1929年。

 当時、六甲山系を開発していたのは主に阪神電気鉄道グループだったんだけど、そこに阪急が、神戸線&六甲登山架空索道(ロープウェイ 1931〜1944年)&六甲山ホテルのセットで殴り込んできた。以降、平成に至るまで、六甲山の観光開発&観光客の争奪戦が阪急と阪神との間で繰り広げられるのだが、阪急側の象徴的な存在がこのホテルだったのだ。

 今では戦後に建てられた新館がメインになっているのだけど、その右隣に戦前来の旧館が残っている。

 表玄関は木々に囲まれているけど、山小屋風のクラシカルな雰囲気がそのまま生きている。

f:id:katamachi:20090706222023j:image

 そして、「ROKKOSAN HOTEL」の文字。

f:id:katamachi:20090706222022j:image

 入口は新館の方に移ってしまったんで、旧館の正面玄関は施錠されている。かつてエントランスだった部分は今では売店&土産物売り場に転用されている。

 ちょっと裏寂れた感じの階段を登ってみる。

f:id:katamachi:20090706224611j:image

 赤絨毯や壁面がくすんでいるのがなんとも……。あまりきちんと手が入れられていないのかな。

 上がったところがかつてのロビー。

f:id:katamachi:20090706222534j:image

 クラシカルな壁面と家具がうまく活かされた感じになっている。

f:id:katamachi:20090706224745j:image

 今はウエディングの受付スペースとして活用されている。相談に来ているカップルが意外に多いのはびっくりした。ちょっとしたリゾートウエディングの雰囲気を味わいたいって人たちなんだろうか。

 ここ、日本的に言うと「2階」になるんだけど、今では「1階」という扱いになっている。1階をグラウンドフロア2階をファーストフロアと呼んでいた欧風の名残なんだろうか。

 2階部にはライブラリースペースが。

f:id:katamachi:20090706222531j:image

 並んでいる本はわずか六冊。すべて、阪急の始祖である小林一三の全集というのがやっぱりそれらしい。


 さて、感じのお部屋の方は……ノーコメント。

 旧館の宿泊部分は1階と2階にあって、廊下を挟んでツインルームがずらっと並んでいる。

 レトロなのはレトロなんだけど、モダニズム的な古さじゃなくて、単に古いんだよね。17平米とツインにしては部屋はかなり狭めだし、壁とか水回りも微妙そう。かなり値段が安いと言うも何となく事情は想像できる。じゃらんのコメ欄には辛辣な意見も多い。

 値段相応と言えばそうなんだけど、部屋2つ→1つにするぐらいの大改装が必要なのかも。きちんとネオ・レトロ風、準スイート対応にできればそれなりには人気が出るかも。でも、こういう御時世だとなかなか大変だし……

 ちなみに、駐車場からは旧館の裏口が出入り場になっている。

f:id:katamachi:20090706224413j:image

 その裏側には教会が。ここ、ホテルへ移設にもかわらず、毎日曜日、オフシーズンでも日曜礼拝をやっているんだとか。ここらはきちんとしているなあ……


2 六甲オリエンタルホテル

 ちなみに、阪神電気鉄道が、阪急に対抗して1934年に建てたのが六甲オリエンタルホテル。六甲山ホテルから2キロほど東側にある。ここは創業当時の建物は残っていないんだけど、オリエンタルホテルがダイエー傘下に入った後も、阪神の子会社として経営が続いていた。阪神系の六甲高山植物園や六甲山人工スキー場、六甲摩耶鉄道(ケーブルカー&山上バス)、六甲ガーデンテラスとのセットで阪神グループにおける六甲山観光の中核となる存在だった。

 ところが、今は……

f:id:katamachi:20090706225824j:image

と、道路からエントランスへ続く部分には柵がされている。

 そして、こんな張り紙が....

f:id:katamachi:20090706225821j:image

 入口や窓も完全に封鎖。

f:id:katamachi:20090706232833j:image

 このホテルの海側に、安藤忠雄の「風の教会」というチャペルがあったんです。

f:id:katamachi:20090706232341j:image

 僕がホテル前で佇んでいると、ちょうど若いカップルがやってきました。建築専攻の学生で現代建築好きらしく、「風の教会」を見るべく六甲までやってきたんだとか。

 でも、もう完全封鎖されているんで、中には入れない。なんで、看板の写真を接写。

f:id:katamachi:20090706232340j:image


 そうなんです。ここ、「六甲オリエンタルホテル閉館へ」にあるように、2007年6月に閉鎖されてしまったんですね。

  • 1995年の阪神大震災による六甲山観光客の減少
  • 施設の老朽化
  • 山上ゆえに天候の影響を受けやすい
  • 団体需要の急減と観光需要の変化
  • 六甲山の観光スポットとしての相対的な魅力低下
  • 2006年10月の阪急・阪神の統合

というような状況が背景にあったみたい。

 阪神と阪急が同じグループになると、六甲山内で競争関係を持続させていく意味は失われてしまう。

 そして、どさくさに紛れて誕生した阪急阪神ホールディングス(HD)。いろんな意味で疑問視されてきた統合効果をマーケットに示すためにも、「重複事業の整理」というアピールが必要。

 となると、六甲オリエンタルホテルと六甲山ホテル。どっちを残していくのか

 近代建築好きとしては六甲山ホテルの旧館が残されたのは喜ぶべきなんだろうけど、商売としてはオリエンタルホテルを残した方がいろいろ活用できたのかも。でも、事実上、阪神を吸収した形になる阪急側の意向が尊重されることになったんだろうな。

 ここは夜にドライブで来たことあるんだけど、六甲山ホテルよりも夜景のきれいなところでした。

 閉鎖している写真ばかりでは寂しいんで、近所にある六甲ガーデンテラス(阪神系の商業施設)で撮った画像を下に。

f:id:katamachi:20090706232638j:image


 そういや、六甲界隈の廃墟ホテルと言えば、やはり阪神系だった摩耶観光ホテルが有名なんですね。90年代半ばに閉鎖された後、いわゆる「廃墟ブーム」で秘かな注目を浴びてしまった廃業ホテル。以前、外から眺めただけなんだけど、もう壁も窓も何もかも悲惨な状況でした。

摩耶山および摩耶観光ホテル関連資料

楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseek

摩耶観光ホテル - Wikipedia

 ガラス部は頑丈に密閉されているオリエンタルホテル跡もいつしかそんなことになるのだろうか。

 その後、六甲ケーブル六甲山上駅に行ったら、隣の「六甲ヒルトップギャラリー」(阪神系の食堂跡)の常設展 「あの頃の六甲・摩耶」で、六甲山ホテルや摩耶観光ホテルの資料も展示されていた。阪急&阪神の六甲山開発関係の資料が一緒並んでいるのが、両社の統合を象徴しているのは確か。ただ、潰れて2年しか経っていない六甲オリエンタルホテルの資料がなかったのはやはり生々しすぎるからかなあと思ったりもしたのだけど、それはまた別の話。


 次回、続編「六甲山クラシックを求めて近代化産業遺産群を歩く」の予定。

2009-05-25

katamachi2009-05-25

[]「長崎発着日帰り軍艦島上陸ツアー」での軍艦島滞在60分の記録。

 この土曜日、廃墟マニアの聖地として有名な「軍艦島」こと長崎市の端島へ行ってきました。

 三菱が端島にあった炭坑を閉鎖して35年間、基本、ここは立入厳禁の無人島だったわけですが(ただし漁船などによる釣り人や廃墟マニアの上陸は頻繁にあった、らしい)、先月4月22日より観光客にも正式に開放されることになりました。

 その主力となっているのは地元の「やまさ海運」http://gunkan-jima.com/が日に2便運行している「軍艦島上陸クルーズ」(120人/便、4300円)。5月からは他の業者も運行を始めている。

 軍艦島南部に新設された桟橋への着岸が難しいこともあって年に3分の1程度しか上陸できないと告知されていたが、読売新聞「軍艦島 上陸解禁から1か月、来島者の9割「満足」」によると、運航を予定していた58回中、45回(77・59%)で上陸できたようだ。上陸者数は解禁されて1か月間で計4601人になるという。

 僕は、5月から新規参加した船会社を使った近畿日本ツーリストのツアーに参加した。旅行の募集を始めておきながら船の運航許可が下りずにツアーの実現は不透明(実際、2回分は催行中止)......という大手にしては杜撰な企画に振り回された。そこらは「軍艦島ツアーの申込が少ないらしい。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」に書いた。

 ツアーの日付は5月23日(土)。集合場所は長崎駅前8:30。軍艦島上陸の可否は、当日の天候と風次第。高島港を出て軍艦島に近づいてから、船長の判断で決まる……という、日帰り11,800円のツアーにしてはかなりリスキー。

 さて、その結末は……。以下、報告。

軍艦島上陸の前に高島へ

 長崎駅に集まったツアー客は18人。「最少催行人員:各日程30名以上」と書いていたのにかなり少なめ。そこらは値段の高さ、募集の不手際……などいろいろあったんだろう。それに対するボヤきは上のエントリ(とそこのコメ)に書いた。

 ここ数日、天気は良くなかった。前日の22日は曇天ながらも凪があって桟橋に着岸できず、軍艦島の周囲をくるっと回ったのみ。21日は海が荒れていて高島港から先に船は出航できず、軍艦島に近づくことすらできなかったんだという。添乗員から「今日の天気は悪くないけど、上陸できるかどうかは現地に行くまでは確定できない」と予防線を張られた。

 8:40に駅前から貸切バス出発。8:50に港の波止場に到着。歩いても10分ほどの距離にバスを使う意味はよく分からない。

 ここでNPO「軍艦島を世界遺産にする会」の理事長とスタッフ2名が合流。いろんな意味でなかなかアツい人だったんだけど、それはそれ。先の添乗員とは違って、無事、上陸できますよ……との御言葉。今日はラッキーでした。

 9:00に乗船。最初、ここから高島という別な炭坑の島(ここも20年前に閉鎖)を訪れる。長崎港→高島港9:35→コミュニティーバスで9:55グラバー別邸跡と10:03北渓炭坑跡→島北岸2箇所から軍艦島を遠望10:09→港のターミナルで8ミリビデオ観賞……とあったのだけど、そこらの話は割愛。

 これは高島側から見た軍艦島東部の写真。

f:id:katamachi:20090526000749j:image

 個人的に気になったのは、この軍艦島上陸ツアーのあれこれ。端島桟橋利用の許認可が下りず、4月下旬になっても上陸できるかどうか未定とかリリースされていたことについて。実際、許可が下りたのは5月1日になってからで、4月29日と5月1日のツアーは催行中止になっている。

 NPOのスタッフに聞いてみると、

  • 軍艦島への桟橋利用を希望していたのは5者
  • ただ、4月22日の解禁までに許可されたのは、やまさ海運のみ(それ以前から軍艦島付近を周遊するクルーズ船を出していた)
  • 現在、ツアーは1日最大4便(うち、やまさが2便)。9〜17時の間に、それぞれ上陸時間は1時間に限定(着岸から離岸までも含む)。それぞれの船の時間調整が大変。朝イチ10:00〜11:00は、やまさ海運が入り、その次の11:10〜12:10に近ツリのツアーが続く。午後も、2便分が予定。
  • やまさのツアーは100人以上で来るんで船からの上下船に時間がかかる

ということらしい。このツアーで使用するのは長崎汽船の竹島丸。高島航路に使用されており、以前から軍艦島周辺の周遊ツアーにも使用されていたらしい。国の許認可が下りなかった理由は不明。いろいろ事情があったのだろうけど、近ツリの添乗員は最低限の説明すらしてくれない。なんだかなあ。


いよいよ軍艦島に接近

 高島港を10:40出港。比較的、波は穏やかであり、揺れも目立たない。なんとか上陸できるかな。

f:id:katamachi:20090526002320j:image

 以下、うだうだと軍艦島の由来などを解説するのは面倒なんで、画像とキャプションを並べていく。

  • 11:08 軍艦島東岸に近づく。左の白い建物は端島小中学校(1958年建設、7階建)。1〜4階が小学校で5・7階が中学校。6階は講堂など。右は65号棟の鉱員住宅&屋上は遊園地(1945年、9階建)。右端は病院。

f:id:katamachi:20090525223501j:image

  • 11:10 軍艦島南岸へと回る。右手は端島小中学校で、左手は65号棟。その手前の低い建物は体育館。1970年建設と島内では一番新しい建物(同時に給食運搬用のエスカレーターも設置)だが、わずか4年で閉山によって使用中止。
  • 11:13 ドルフィン桟橋に到着。今回の上陸解禁にあわせて改修。上陸作業に4分ほどかかる。

f:id:katamachi:20090525225752j:image

  • 11:18 ついに上陸。丘の上にある3号棟(1959年、4階建)。幹部用の職員住宅で、室内風呂付き、見晴らしも良かったんだとか。その西側にあった木造建築2棟は跡形もない

f:id:katamachi:20090525225634j:image

  • 11:22 第1見学広場でNPO代表による解説。長崎市によって、ここから第3見学広場まで220mの通路が今回新設された。工費は1.5億円。このお陰で僕は軍艦島に渡航できるんだけど、もちろん柵の向こうに行くことはできない。12:00に乗船口に集まり、撤収とのこと。事実上、見学は40分程度か。
  • 11:27 第2見学広場から第二竪坑坑口桟橋跡を見る。ここからメインの坑内へエレベータで繋がっていたらしい

f:id:katamachi:20090525230604j:image

  • 11:28 総合事務所。この島の中枢部分だったレンガ積の建物。浴場もあり

f:id:katamachi:20090525230603j:image

  • 11:37 第3見学広場から島の最西端にある30号棟(1916年、7階)を見る。下請鉱員住宅。現存する最古のコンクリート建築となる。

f:id:katamachi:20090525231128j:image

  • 11:38 鉱員住宅だった31号棟(1957年、6階)。30号棟の北隣で、1階に端島郵便局や理髪店、地下に浴場もあった

f:id:katamachi:20090525231127j:image

  • 11:40 30・31号棟を結ぶ連結部。柵から100mほど離れたところだけど、自分のカメラでは望遠でもここが限界。もう少し近づきたいんだけどと、みんな思うんだけど、安全第一を前提とする日本の基準では柵の向こうへと越えることは難しいのか。

f:id:katamachi:20090525231649j:image

  • 11:51 南側(第2見学広場)から30号棟。う〜ん、中に入れなくてイイから、10mぐらいの距離までなんとかならないか。

f:id:katamachi:20090525232405j:image

  • 11:55 総合事務所、再び。通路から30m。もう少し近づきたいんだけどなあ。ダメなのは分かるけど、口惜しい。若いNPOスタッフからいろいろお話しを聞けたのが有り難い。

f:id:katamachi:20090525232555j:image

  • 11:57 運炭場付近に転がる残骸。レールっぽいのもある。鉱車の跡か

f:id:katamachi:20090525232923j:image

  • 11:58 第1見学広場から小中学校用の70号棟を見る。

f:id:katamachi:20090525233341j:image

  • 11:59 アングルを変えて

f:id:katamachi:20090525233340j:image

 あああ、建物までその距離300m。柵からのその遠さを縮めることはできないのか。

  • 12:00 「そろそろ時間ですよ」との言葉。12:10までに出港しないといけないらしい。帰り際に65号棟をもう1枚。

f:id:katamachi:20090525233557j:image

  • 12:02 後ろ髪を引かれつつ、乗船。実際の上陸時間は44分。
  • 12:06 出港。船の最後尾から島を写す

f:id:katamachi:20090525233901j:image

  • 12:09 もう島は遠く霞んでいる

f:id:katamachi:20090525233900j:image

  • 12:45 長崎港着。この後、ツアーとしては出島とかを回ることになっているのだけど、四年前に行ったところなんで途中離脱。
  • 13:30 食事後、 長崎港ターミナルビルへ。

f:id:katamachi:20090525234939j:image

f:id:katamachi:20090525234938j:image

 13:40発の乗船最終案内中。定員120名はもちろん満席。9:00発と共に、土日は6月下旬まで予約で埋まっており、当日、キャンセル待ちに期待するしかないんだとか。


 てな訳で、軍艦島ツアーはおしまい

 費用は以下の通り

  • ツアー 11,800円
  • ホテル2泊(東横イン) 12,300円
  • 周遊きっぷ 20,400円
  • 新幹線&特急 12,000円強

 食事代を含めれば6万円を越えている。まあ、前日は美祢線の貨物列車、翌日は門司港のトロッコ列車を追っかけたんで、軍艦島へ行くためだけの経費と考えちゃダメなんだろうけど、かなりカネがかかったのは事実。

 それと、長崎市が敷設した220mの新設通路以外を歩けないというのは、やっぱり寂しい。

 以前は、建物の崩壊の危険があるから上陸は認められなかった。

 現在は、建物に近づけないように制限されているから軍艦島に上陸できる。

 頭では理解しているのだが、やっぱり今の形式は消化不良になってしまう。

 この手の廃墟系世界遺産としては有名なのはイランのバム(アルゲ・バム)*1だろう。「バムとその文化的景観」として2004年に世界遺産として登録されるが、それは前年2003年の地震で廃墟の街が全面的に崩壊したから。長崎市や日本政府がどこまで意識しているのか知らないが、廃墟系遺産というのはそうしたリスクと表裏一体の関係にあるのもまた事実。地震大国&安全至上主義のこの国で、万が一を考えて、慎重となるのも致し方ない、のか。

 ただ、「保護された廃墟」というのは廃墟マニアの求める方向性とは異なる。彼らは、消えようとするから、未来へと残っていかない姿であると認識しているからこそ、そこに「滅びの美学」的な価値を見出してきた。それが消えないように守られて行くとなると、事情は異なってくる。

 上にいろいろ軍艦島の画像を載せてみたが、誰がカメラを構えても同じようなアングルでしか撮影できない。ツアーに参加している限り、上陸してもみんな同一の風景しか見ることができない。はてなブックマーク界隈では「ついに上陸解禁! 日本一有名な廃墟、軍艦島に行ってきた!【前編】」というアスキーの記事が話題になったが、ここで掲載されている大量の画像とほぼ同じアングルの画像を僕は持っている。誰が撮っても同じようにしかならない。そこに最大の不満が残る。

 そして、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産暫定リストに入ったことだけ一人歩きしているが、リストに入れたのは「軍艦島」ではなく、「端島炭坑跡」であるということに注意せねばならない。それは軍艦島保護の必要性を訴えるNPO理事長の言葉が、元島民としての懐郷という域を脱していないこととも繋がっていく。NPOも長崎市も、なぜ今ツアーをするのか、きちんと廃墟→遺跡を保護していく理屈が構築されていない。観光客誘致のため......という本音以上のモノを見つけられていない。だから、見物客のための施設整備も中途で終わっている。

 他にも、近ツリの準備の不手際の数々。それと、天気が悪ければ、軍艦島に近づくことすらできないというリスク。6月からはhttp://www.knt.co.jp/tts/gunkan/higaeri/tour02/tour.htmlにあるように、長崎駅界隈での無意味なバス移動は取りやめられ、なのに700円高くなっている。NPO理事長やスタッフの話を聞けたのは有意義だし、ツアーのメンバーが少なくて120名参加の別会社のツアーよりは時間も移動も自由度は高かったんだけど、軍艦島好きの方に対して、この近ツリのツアーをオススメするべきかどうか。かなり躊躇する。

 で、スタッフに聞いてみた。上陸が中止された前日と前々日はどうだったのか、と。かなり重苦しい空気が参加者の中に漂っていたということなんだけど、それはまた別の話。


<参考>

軍艦島ツアーの申込が少ないらしい。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

*1:17世紀にサファヴィー朝の城塞がそこに整備され、シルクロードを東西を結ぶ拠点としてキャラバンサライが設けられた。だがその繁栄も1722年に街が放棄されたことで廃墟化する。僕も2000年に訪れた。日本じゃ知る人もまだ少なかったが、旅行者の間ではそれなりに有名だった。イラン観光のベストとしてここを上げる人は多かった。政府の手で通路が設けられ、観光整備が進もうとしていた。ところが2003年の大地震でバム市の人口10万人のうち3分の1が犠牲となった。もちろん旧市街の建物も壊滅的な打撃を受けている。一昨年、横国大の大学生がこの街で地元部族に誘拐された事件があったが、その背景に地震後のバム周辺における政情不安があったのは周知の所