ユダヤ人大虐殺映画としての『シンドラーのリスト』

シンドラーのリスト』を鑑賞。すげぇ久しぶりに観る。多分10年以上ぶりくらいか?『シンドラーのリスト』は説明不要の超有名な映画で、それまで、娯楽映画監督と思われていたスピルバーグに初のオスカーをもたらした作品。私はこの作品が嫌いだったんですよ。なんか、オレ的に、別に作家と呼ばれなくてもいいじゃんっていうのがあったし、何よりもスピルバーグ映画作家だったと思うし、その中でも『未知との遭遇』が絶対的に最高なわけで、っつーか、オレ的に『未知との遭遇』の監督であって、『E.T.』も『レイダース』もそんなに好きじゃなくて(あ、ごめん、『魔宮の伝説』は最高っす)こう、こんなのも撮れまっせ的なスタンスがさ、『太陽の帝国』とか、ああいうのがイヤでね。だから恐竜がドカドカ暴れ回る『ジュラシック・パーク』とかは好きで…って何の話だった?

ああ、そうそう、スピルバーグって文句無しにすげぇなって思ったの、ぶっちゃけ『宇宙戦争』なんだよね。だからオフ会に行った時も「なんで、アレがいいと思うんだ?」って言われたけど、もうオレ的にはスピルバーグの中では最高峰で、そりゃ『マイノリティ・リポート』もトム・クルーズがとっ捕まるところで終われよ!って思ったり、『A.I.』もオスメントのクソガキが海の中に沈んだところでなぜ終わらない!って思ったくらいで、その前に撮ったヤツで戦争映画のビジュアルを根底から変えた『プライベート・ライアン』ですら、最初と最後のジジイのシーンで胸くそ悪くなるんで、『宇宙戦争』にはそういうのがないでしょ。ゴジラみてーにブオーって言いながら放射能みてーな光線撒き散らして、ドリー尾崎さんが『ショック!残酷!切株映画の世界』で書いてるように『宇宙戦争』でトム・クルーズが浴びる死の灰は、血と肉片と臓物のメタファーであって、あれがすげー底冷えする恐怖っていうか、おかんも「やーだ(新潟弁のイントネーションで)なんか、お骨とか遺灰浴びてるみたいらてー」とか言ってたし。車がトムの前にズドーンって落ちてくるところ、家のTVで観たけど、飛び上がっちゃった。ちょーこえー。それだけじゃなくて、『宇宙戦争』はこの世の終わりみたいなビジュアルの集合体。さらに人間同士は争いあって、最終的に血まみれの平野が広がって、んで、人間なんて微生物以下のクズだという終わり方。息子が生きてたのは胸くそ悪いが、それでもあの恐怖のビジュアルは『クローバーフィールド』にも決定的な影響があると思う。

んで、『プライベート・ライアン』とか『宇宙戦争』とか、あとスピルバーグの中でも3本の指に入るくらい好きな『ミュンヘン』とかでカメラを担当しているのがヤヌス・カミンスキーで、カミンスキーと初めて組んで、ビジュアルががらりと変わったのが、『シンドラーのリスト』なんで、スピルバーグの残酷なビジュアルを的確にフィルムに刻む右腕になったわけだ。

あ、そうそう、話がずれた。『シンドラーのリスト』を改めて観直した。やっぱり作品自体は歪だし、冒頭の40分はうっとうしいし、後半のリスト作りからの流れはいらないところだらけで、あー長いなぁとか思ったし(列車が間違って、ガス室なのか?となるところは感情移入出来る人間が居ないからオレにとってはサスペンスにもならねー!)何よりも、わざわざ生き残った人間を集めて、シンドラーのお墓に石を置くのは、あまりにイライラしてしまったので、途中でDVDを消したくらいだ。何よりもオスカー・シンドラーは絶対にもっと悪いヤツだったはずで、最後のほうで「もっともっと救えたのに…」って泣きじゃくるシーンには前観た時もイラっとした記憶があるが、今回はもっとイライラしてしまった。お世辞にも『シンドラーのリスト』は完成された映画ではない。というか、スピルバーグの映画はその完成されてない感がたまらなく好きで、だからこそ『未知との遭遇』とかもすげーんだけど。『シンドラーのリスト』ほど、映画の文法が歪に感じるものはない(あの赤い子供どうしたんだよ!とか、うんこの中に隠れた子供はどうしたんだよ!とか、娘の友達に助けられた親子の行方とか、唯一伏線回収出来そうな感情移入出来る感じのシーンですら、回収してなくて、あー!)

じゃあ『シンドラーのリスト』の何がすごいのかっていうと、やっぱりホロコーストの徹底的な映像化だ。この一言に尽きるだろう。ユダヤ人大虐殺のシーンが良く出来すぎてて、シンドラーユダヤ人を救おうと試行錯誤、右往左往するシーンがタル過ぎるからなんじゃないかなぁとか思ってみたりする。

いやぁ、とにかくこのユダヤ人虐殺のシーンはすごい。すごすぎる。改めて観ると、こんなにすごいのかと感動した。『ミュンヘン』を観た時に『プライベート・ライアン』と『シンドラーのリスト』が合体したみたいだと思ったけど、確かにショックを与えたという意味では『シンドラーのリスト』の虐殺シーンは『ミュンヘン』の上を行く。片腕の無い身障者を立たせて、頭を打ち抜く、打ち抜かれた頭からは血が止めどなく流れ出す。逃げようとして捕まった子供も兵士に両脇を抱えられたままズドン。このままでは建物が崩れますと主張した女も額をズドン。一列に並ばせて、撃ち、貫通しなかった生き残りも額に銃を当ててズドン。病人を助けようとしたら、その病人をズドン。入院している患者に劇薬を飲ませて、安らかに眠るように医者が処置しても、その死んで寝てるところにマシンガンを浴びせ、気まぐれに屋敷のバルコニーから人間を射撃したり、3列くらい並ばせたところを無作為にぶっ殺したり、死体が山のように、人間がそれこそ虫けらのようにドンドン死んでいく。イヤになるくらい人がどんどん死んでいき、んで、死んだユダヤ人1万人を焼くシーンでとどめを刺される。

こんなにも悲惨で陰湿なシーンが続くが、このホロコーストのシーンは何故か美しい。逆光によるレンズフレアは「人が人を虫けらのように殺してるけども、それと関係なく地球は周り、太陽は輝いている」という感じに映るし、手持ちカメラはそこまで大げさにぶれないので、荒々しさの中にも優雅さが残り、ホロコーストの中に入り込みながらも客観視するという独自の感覚を観る側に植え付けてくる。というか、これは私の勝手な感想なんだけども。

観直してもやっぱり好きになれなかった『シンドラーのリスト』だが、それでもユダヤ人大虐殺をここまで美しく描ききったスピルバーグは天才だと思うし、これがオスカーを撮ってなかったら、今頃スピルバーグはすねてて、もしかしたら、『プライベート・ライアン』という大傑作、さらには個人的に最高峰の『宇宙戦争』や『ミュンヘン』にもたどり着かなかったのかもしれないのである。ある意味で必見だ。