『フラッシュバックメモリーズ』を2Dで観たけどすごかった

『フラッシュバックメモリーズ』をレンタルDVDだがようやく観ることができた。新潟でやっていたとは夢にも思わず気づいたときには終わっていて、とっくにツタヤでレンタルが開始されていたことも先日知ったという体たらく。

交通事故により、過去の記憶が消えることはもちろん、新しく物を覚えることすら困難になってしまうという高次脳機能障害を負ったディジュリドゥ奏者・GOMAのドキュメンタリー。ディジュリドゥとはアボリジニの民族楽器である。

作品を観るまえから目にしたレビューのほとんどが「3Dであることに意味がある」であり、観賞後に松江監督のインタビューを見たり、読んだり*1したのだけれど、企画自体はスペースシャワーTVのほうから持ちかけられたもので、元々3Dでドキュメンタリーを撮ってみたかったという監督の想いとその企画が結実したものである。

つまり、この作品は巷のレビュー通り端から3Dでやることを前提としており、演出もそのようになされている。故にこの作品を2Dで観るということは元々意図したものとは違うものを観ているということになる。それでも監督は「2Dも3Dも伝えたいことは一緒です。手法は違うので、それぞれをタイミングや料金や場所で選んでもらえたらと思います*2」と仰ってくれているのだけれど。

とはいえ、2Dで観たところで圧巻の大傑作であることにかわりはなかった。聞きしに勝るとはまさにこのこと。かなり特殊な作品であり、過去の映像素材と現在の様子など交えた構成で普遍的なドキュメンタリーにも出来たはずだが、一切それはせず、ひたすらGOMAが演奏するシーンが映され、そこに事故以前の過去がさまざまな形で合成されていく。3Dではそれがレイヤーとしてその距離感で現在と過去、さらに未来までも鮮やかに映し出すという演出。楽器を演奏していたという記憶もあいまいになり、新しいことも覚えられないというのはクリストファー・ノーランが『メメント』で描いていたことだが、いってみればそれの実話版ともいえる。すごく不謹慎な書き方であるが。

ドキュメンタリーに分類されているが、音楽、映像、言葉、絵、写真が渾然一体となって「映画」が形成されていく驚きの体験をすることになる(ドキュメンタリーもアニメも劇場でかかれば映画だけど)。3.11の震災にも言及し、それもひっくるめて、この世の中どうやって生きていったらいいか?までを問う。実験的な手法と思うだろうが、これを感じさせず、この形であることが「必然」というのも良い。映画としては音楽が鳴っているだけなので最小限の表現だろうが、演奏してるバックの映像は最大限の情報量であり、観ることによってすべてを理解できるという見事な映画的体験である。ドームクラスのライブでは巨大なモニターに映像が映し出されるが、あれがもっと進化したものだと考えるとすんなり受け入れられるのではないか。

新潟での再上映は不可能に近いだろうが*3、地方では3Dで観れる環境がポツポツとあるようなので、興味がある方はTwitterの公式アカウントをフォローし、その情報を元にチェックすると良いだろう。

さらに二日間限定でこの映画をライブで再現する『フラッシュバックメモリーズ4D』なるものが公開(?)されるらしいので、こちらも観にいける人は観にいくことをおすすめしたい。うーむ。観たいな………

*1:ネットにあがってるヤツだけど

*2:https://twitter.com/tiptop_matsue/status/300593993987788801

*3:映画は一期一会であるというのを実感した次第