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天空のエスカフローネ  〜賛否合評 皇帝ドルンカーク=万有引力の発見者アイザック・ニュートン!

劇場版エスカフローネ 〜いまさら「まったり」生きられない君へ……
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天空のエスカフローネ』ストーリー

(1996年4月2日〜9月24日放映・全26話)
(文・彦坂彰俊)


 陸上部で練習に励む快活なスプリンターだが、カンが鋭く、占いの結果を気にかける意外にナーバスな一面も……
 ショートカットがよく似合う神崎ひとみは高校一年生の、そんなごく普通の少女だ。


 ある日、片思いの天野先輩が外国へ引っ越してしまうことを知り、タロット占いで告白を決意。
 先輩の前で「13秒の壁を破れたらファーストキスを」という条件で、ひとみは百メートルのコースを疾走する。


 しかし、そこに突然現われる黒髪の少年剣士と身の毛もよだつ怪物。両者の戦いに否応なく巻き込まれるひとみたち。
 怪物を倒した少年剣士とともに、ひとみは光の柱に飲み込まれてしまう。
 そしてたどり着いた場所は、ガイアと呼ばれる異世界だった。


 少年剣士の名はバァン・ファーネル。この世界の山間の小国・ファーネリアの王子であり、怪物=地竜退治は王に即位するための儀式なのだという。
 無事に帰還したバァンの戴冠式が執り行われる当日、ファーネリアは見えない敵の襲撃を受ける。
 バァンは伝説の鎧(よろい)――ガイメレフ(本作における巨大ロボット。搭乗者の動きをカラクリ人形の多数の歯車のごとき原理で伝達・稼動させる)・エスカフローネを起動させ、敵を迎え撃つ。
 しかし戦いむなしくファーネリア国は滅亡。バァンとひとみはエスカフローネごとヨーロッパ風の辺境国アストリアへと飛ばされる。
 そこで二人は、金髪ロン毛の美形青年騎士アレン・シェザールと出会った。彼はバァンとは対照的なフェミニストだが、華麗な太刀捌きの才腕剣士であり、戦場ではガイメレフ・シェラザードを駆って颯爽と斬り抜ける。
 ひとみは、面影が天野先輩そっくりなアレンに心惹かれてゆく。


 敵の正体は北方の荒涼とした大地にある工業大国・軍事国家ザイバッハ帝国。
 その指導者・皇帝ドルンカークの目的はエスカフローネの捕獲であり、最終的には伝説のアトランティスの力を復活させることにあるらしい。
 それゆえバァンたちは、ザイバッハ帝国の執拗な追撃をかわしつつ各地で転戦していくことになる。
 しかもエスカフローネ討伐の命を受けたザイバッハ帝国のガイメレフ部隊・竜撃隊隊長の美少年ディランドゥは、少年剣士バァンに狂気じみた執着を抱いておりその命を付け狙う。
 そしてもうひとり、バァンとの断ちがたい宿命を持つ男・ザイバッハの軍師フォルケン。彼は10年前に竜退治の儀式で死んだはずの、バァンの実の兄だったのだ。
 帝国の軍門に下ることをバァンに説くフォルケン、祖国を滅ぼした裏切り者としてフォルケンに憎しみの刃を向けるバァン。


 戦いの日々の傍ら、ひとみの心はアレンとバァンの間で微妙に揺れ動く。
 バァンを兄のように慕う猫娘メルルと、アレンに積極的なアプローチをかけるアストリア国の姫君・ミラーナを交え、恋の鞘当て合戦が静かに火花を散らす。


 戦局はやがて、アトランティスの力を代々守護し続けてきたという東南アジア風のフレイド公国へ。
 そこはミラーナ姫の今は亡き姉・マレーネの嫁ぎ先でもある。かつて彼女と恋愛関係にあったアレンにとっても、フレイドのまだ幼き子供である健気な王子シドとは浅からぬ因縁があった。
 侵攻を始めたザイバッハの大軍と死力を尽くして戦うバァン・アレンたちだったが、フレイド公王が壮絶な戦死を遂げ、戦いは終結。王子シドはこれ以上の犠牲を出さぬためにフレイド公国の降伏を宣言した。


 アトランティスの力……それは人の想いを力に変えて、どんな願いも実現させられるという、古代アトランティス文明が到達した究極の科学体系である。
 ついにそれを掌握した皇帝ドルンカークは、ひとみの不確定要素に興味を抱く。
 全ての人間に幸福をもたらす「運命の法則」を研究する彼の正体は地球人であり、17世紀の科学者にして錬金術アイザック・ニュートンその人だったのだ!
 ひとみの存在が運命の予測、ひいては未来そのものに甚大なる影響を及ぼすと考えた彼は、己が研究技術の結晶である運命改変装置を起動させ、ひとみ・バァン・アレンの関係を恣意的に矯正してしまう。結果、ひとみとアレンの仲は急接近。


 バァンは自分でもよくわからない苦い感情をもてあます。一方ひとみもまた、どこか割り切れない想いを胸に抱えることになる。


 時は折しも、同盟国の軍隊がぞくぞくとアストリア国に集結し、ザイバッハ帝国との決戦に臨(のぞ)まんとしている。
 緊迫した情勢のなか、人間関係の悩みと戦いを厭(いと)う想いから強く望郷の念を募らせるひとみ。感情の爆発が引き金となって、彼女は地球へ、バァンと出会う運命の前日に転移してしまう。
 そこで自分の本当の気持ちに気付き、もう一度ガイアへ行くために、今またあの百メートルコースを疾走する。ひとみとバァンの引き寄せ合う強い想いが、時空を越えてふたたび二人を再会させた。そしてガイアの戦場へ……。


 ザイバッハが圧倒的に優勢な戦況に対して、同盟国軍の一国が凄まじい威力の新型爆弾を使用した。敵味方を問わず全戦線に衝撃が走る。
 ドルンカークの方法論に疑問を抱きザイバッハから離反したフォルケンは、自らの手でドルンカークとの決着をつけるため帝国の本拠地に乗り込む。だが、ドルンカークを倒した凶刃に自らも刺し貫かれ相討ちに。
 そのことが引き金となって、ドルンカークの最終目的・絶対幸運圏が発動した。


 全ての人間の想いが叶えられる世界――それは逆に阿鼻叫喚の地獄を生み出してしまう。
 もはや同盟国も帝国もなく、己が本能のおもむくまま争い始めた人間たち。
 その中で、互いに守らねばならないもののために対決を余儀なくされたバァンとアレンも、エスカフローネとシェラザードで熾烈な一騎打ちを演じていた。
 しかし、自分をもとめるひとみの想いに平静を取り戻したバァンは、ドラゴンエスカフローネで飛び立つ。……彼を待つひとみのところへ!


 絶対幸運圏が消滅し、平和を取り戻したガイアを後にして、ひとみは地球に帰還した。想いが通じていれば離れていてもいつでも会えるという、バァンの言葉を胸に。


天空のエスカフローネ 〜評① 賛!

(文・彦坂彰俊)
(00年8月執筆)


 本作品の企画そのものは、河森正治(かわもり・しょうじ)氏によって91年頃からスタート。現在の形になるまでに二転三転している。
 92年ごろにはOVA『ジャイアントロボ THE ANIMATION ―地球が滅亡する日』(92〜98年)、TVアニメ『機動武闘伝Gガンダム』(94年4月〜95年3月)の今川泰宏氏が企画に参加していたため若干少年マンガっぽいノリだったらしい。
 また、完全な異世界戦記ものだった内容に視聴者との接点をもたせるため、現実世界の少女を絡めた異世界召喚型ファンタジーとしての体裁が付加されたのもこの頃だという。
 95年に赤根和樹氏が監督に決定してから作品の方向性や世界観が具体的にまとまっていくが、当初は3クール39話の予定だった企画をさらに詰め直して2クール26話に変更したといわれる。
 しかし「少女マンガ+ロボットアニメ」というコアの部分は、かなり初期段階から存在していたようだ。


 足掛け5年の制作期間を経て完成した本作は、放映時期的に『新世紀エヴァンゲリオン』(95年10月〜96年3月・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)と『機動戦艦ナデシコ』(96年10月〜97年3月)にちょうど挟まれる形となった。
 現在(2000年)のアニメ業界に今なおその爪痕と後遺症を残す2作品のインパクトに押されている印象もあるが、そのコンセプトと堅実な作劇志向によって男性のみならず女性ファンの人気をも獲得した。


 タロットカード占いを題材に「人の願いは想えば本当に叶えられるのか? 運命は絶対に変えることができないのか?」というテーマに真っ向から挑む。
 作中に“想い”を現実化する文字どおりのデウスエキスマキナ(御都合主義)な小道具を配置することで、実にタイミングよく様々な奇跡が起きているようにも見えるが、不安や恐怖などの感情がマイナスの展開を呼び寄せている描写を見落としてはならない。
 ここでは人の“想い”の両局面が描かれているのだ。――決められた運命などない、人間のその時その瞬間の決断・行動が未来をつくる。
 ――それをテーゼとして言うは易し、描くは難い。しかし、その説得力を究極にして最も直截的な方法論でクリアした非凡さにこそ、本作品の真価があるとも言えよう。


 また、大敵役ドルンカークの正体をアイザック・ニュートンと設定したセンスも出色である。
 科学と魔術がまだ分かち難く渾然一体としていた17世紀……最後の錬金術師と言われた男の世界観を、この世のすべてが絶対的な法則性で解釈できるはずだという執念として描くというのは、知的想像の延長線と言う意味で理にかなっている。
 ただ、そこから生み出されたものが、運命の法則・絶対幸運圏・そして恋の黄金律作戦といったインパクト絶大な荒ワザ設定であるあたりがポイント。
 醸し出される妙な説得力が、計算された知性的なウィットに裏打ちされていることに注目してほしい。


 物語の最後で、恋占いをせがむ後輩に占いはやめたと断るひとみ。
 これは別に本作品が占いについて否定的であるとか、特別な主義主張などと解釈するには当たらないだろう。
 少なくとも、存在そのものの是非については一言も言及していないし、また占いの実用性を云々することに作品の趣旨があるわけでもないからだ。
 あえて言うなら、その結果に物事の判断や行動を縛られてしまうのなら信じないほうがいいということにすぎない(その意味で、ひとみにとっては不要になったというだけのことだろう)。それをファシズム的に取る方もどうかと思うが、そもそも理性的なニュアンスで描かれていたことはここに明言しておきたいと思う。


 『エヴァンゲリオン』のヒットによって、このあとディスコミュニケーションテーマが流行する。
 そのなかで、運命や世界を人間同士の関係性で捉えつつプラスマイナスを考慮しながら、最終的には自分自身の意識の問題として「肯定的に」描いた『天空のエスカフローネ』。
 それはアニメジャンルの傾向性からみるとエアポケットのようでもあるが、ここにはジュブナイルとしての力強い主張性がある。その輝きは不変のものであると信じたい。


(了)


天空のエスカフローネ 〜評② 否!

(文・摩而ケ谷行久)
(96年執筆・初出・アニメ評同人誌『LUNAR−Ⅱ』号数失念)


 一時期は平成のリアルロボアニメ『機甲界ガリアン』(84年)になるかとまで期待した本作なのですが、残念かな取り立てて傑作名作とは言えないレベルに終わってしまった気がします。
 細かい設定矛盾を抱えつつ説明矛盾のまま終了したこともその一因でしょうが、それよりも「運命」という大設定を活かすにあたっての練り込み不足が原因と思われる後半の混乱ぶり、テーマとの遊離ぶりに問題があったのではないかと思います。


 もはや我々の世界で知られるところの概念とは何の関係もない単にスゴイ技術としての「運命改変」。
 フィクションなんて皆ご都合主義だと言ってしまえば確かにそうなのですが、それにしても万能すぎました。
 幸運強化兵はまだ良いにしても、敵の美少年狂剣士ディランドゥの正体が剣士アレンの行方不明の妹の「運命改変された」結果だったというのはストーリー展開上はともかく何がどう「運命改変」によるものなのか、ただの人体改造とは違うのか気になるところです。
 もし「ああ、何と数奇な運命よ(笑)」以上の意味はないのなら本作の「運命」とは大設定ではなく方便、便利箱としか使われていなかったということになりましょう。


 また、「運命改変」を司る敵役・皇帝ドルンカークの言動がものものしいわりには計画性、展望に欠けること著しかったのも問題でしょう。
 主人公たちバァンやひとみを捕えようとするのも2人が邪魔なためか必要なためか彼の発言によって良く分からなくなりましたし、そもそも「争いのない運命に作り変える」という目的と「すべての人々の望みがかなう絶対幸運圏」という手段には根本的な不一致があり(むしろあらゆる闘争の原因が事前に回避される「絶対平和圏」という手段であったほうが目的にかなった自然な発想でしょう)、それを物語の縦糸に置くのはいささか乱暴ではないでしょうか。


 その「絶対幸運圏」の発動で「すべての人々の望みがかなう」はずが欲望のまま争いあう運命に至ってしまう、という最終話の展開も結局「人間は戦いを望んでいる」との方便による闘争本能テーマへの帰結でした(それをヒロインであるひとみが止めたことで「人間の不安定で移ろいやすい想いこそが世界を安定させている」という逆説としたのは評価しましょう)。
 ですが、人間には他にも多くの望みが(「戦いたくない」というのも含めて)あるわけです。
 それらが全てかなうということが実際どうなのかはよく分かりませんが、少なくとも本編のような凡庸な事態にはならないことと放置しかねるヒドイ事態になることだけは明らかでしょう。
 本作があるいは知的想像によって「運命」という設定から全く新規なイメージ(およびテーマ)を提示できたかもしれないことを考えると、世界を変えたことの結果が驚きに達しえなかった本作は個人的に惜しいと感じざるを得ないものだったのです。


 ここまで書いて、自分がいかにSFファン的な視点で作品を見ていたかを再確認しました。要はセンス・オブ・ワンダーが今一歩足りないといった類の文句じゃありませんかこれは(苦笑)。
 しかし本作は決して駄作とまでは言えず、描き込まれた世界と真面目な人間ドラマ作りの魅力には確かに光るものがありました。だからこそ「こうすればもっと良くなっていたハズ」とのグチも出るわけで、また一方でいつかこの扱いにくい大設定に再挑戦する作品の現れることを期待しているのです。


 
余談
 「絶対幸運圏」によって闘争をなくそうとしたドルンカークは、ひょっとすると「絶対幸運圏」の発動によって闘争本能が表面化することの危険性を全く予想していなかったのかもしれません。
 というのも彼ことアイザック・ニュートンは人間を本質において理性的な存在だと信頼する西洋近代草創期の申し子であって、理性にまさる本能(や性癖・情動・潜在意識)という発想自体を持たなかった可能性大なのです。
 その「近代の老賢者」の限界が生み出した危機的状況を「現代の普通の少女」が解決するというラストは人類の進歩の確かな意味をなんと高らかに歌い上げていることでしょう。ひとみの「不確定要素」たるゆえんはそこにあったのではないでしょうか。
 ……などと考えれば本作もセンス・オブ・ワンダーあふれた物語なのですが、これは深読みというより意地悪に近いものがあるぞ(笑)、といったところであくまで余談でした。 



余談その2  奇跡の価値は:
 実は、本作の作風では「運命」を対象化して語ることが出来なかったのでは、との疑問もあります。
 LD(レーザーディスク)付録の監督インタビューで書かれていたように「想いしだいで運命は変えられる」というメッセージ(結論)が先にあったのならば野望としての「運命改変」は茶番であり、それに人生を費やしたドルンカークは道化(と言ってキツいなら狂言回し)になるより仕方ないのですから。


 もっとも本作以外にも『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)ラストや『魔法騎士(マジックナイト)レイアース』(94年)など最近の作品には精神論を拡大解釈したものが多く、それらが実際のところ「無気力と自己不信に悩む現代の子供達への励ましのメッセージ」という意図で行われているのは承知しています。
 しかし、テーマ作品において現実に起こりえないことをあえて「奇跡」として描く場合には「(厳密に考えればウソなのだけど)こんなこともあっていいよね」と共感させるだけの意味づけが必要ではないでしょうか。


 この場合の「意味」というのは特殊能力や世界設定による理由ということではなく、「理由なし」「パターン」などと言ってしまえばそれまでのものに対する価値、いわば(この単語で伝えることには限界も感じますが)作劇思想的なことなのです。
 ある種約束されているとも言える主人公の勝利にもし感動できるとすれば、それはその勝利に何かしらの「意味」を感じられるからでしょう。ですから勧善懲悪も精神論も「正しいもの、頑張るものが報われてほしい」ということでしょうし、わりと重要な要素だと思っています(まあ一方でその「意味」はわれわれ視聴者が個人個人で見いだすものであって必ずしも制作者側の意図したものではないといった面もありますが、個人のそういった見方を通したときにも色あせて見えてしまわない作品こそ本当の意味での名作と言えると思います)。


 それを単に「設定・能力」としてのみ作ってしまった場合その「奇跡」が視聴者の心を動かすことはなくなりますし(あるとすれば「意味」を伴ったときか別の「意味ある奇跡」に支えられているとき)、また「奇跡」ではなく作品世界を支配している法則といったものにすり替えられてしまうことにもつながります。
 「奇跡は起こしてこそ意味がある」という言葉は決して「事実起こそうとすれば奇跡は必ず起きる」ということではありません。ですから「奇跡を起こせる」作品世界を作ってしまうと「しょせん架空の世界の話だから」と現実世界の人間と感情的な接点がなくなってしまいます(つまり共感できないということ)。
 まあフィクションはウソが基本にありますから「奇跡」による解決も悪くないとは思いますが、「意味もなく 奇跡が起きても なんだかなぁ」字余りといったことで(笑)。


 もっともギャグ、コメディ作品では往々にして「なんだかなぁ」を楽しむものなので、あくまでもこれはテーマ作品に付いてまわる問題ということなのですが、社会派テーマの70年代、テーマより世界観の優先する80年代でなく個人的な心の苦悩と解決を軸にして人間という存在を描こうとする、いわゆる90年代ドラマだからこそこういった点での説得力を確立することが致命的な課題になるのではないかと思うのです。


 というのも……って余談にしては長すぎる(笑)。とりあえずキリがいいので今回はここまでということで。

(了)


(編:「アイザック・ニュートンは人間を本質において理性的な存在だと信頼する西洋近代草創期の申し子であって、理性にまさる本能(や性癖・情動・潜在意識)という発想自体を持たなかった可能性大なのです」。
 ……スタッフはそこまで考えて作劇してたんじゃないかナと小生は思ってます。そうでないと万有引力の発見者・ニュートンを悪役に据えて、引力と男女間の恋の力を混同させている(中世のシッポもひきずらせている)意味がない・笑)


メインスタッフ・キャスト覚え書き

(文・彦坂彰俊)

河森正治(原作・シリーズ構成・スーパーバイザー)

 メカデザイン、シナリオ、絵コンテ、演出など、幅広くこなすマルチクリエイター。最近はゲームの企画も手懸ける。
 代表作はもちろん『超時空要塞マクロス』(82)。その劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(84・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990901/p1)で監督デビュー。戦闘機が変形するロボット・バルキリーのメカデザインは一世を風靡した。
 以後の主な仕事としては、『マクロス7(セブン)』(94・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990906/p1)、『マクロスプラス』(94・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990904/p1)の原作・総監督。詩人・童話作家宮沢賢治の生涯を題材としたファンタジーアニメ・『イーハトーブ幻想〜KENjIの春』(96)の監督など。
 2001年には久々に原作・シリーズ構成を手懸けたアニメ『地球少女アルジュナ』と『地球防衛家族』が控えている。
 (ちなみに特撮作品関連では意外にも縁が薄く、辛うじて映画『ガンヘッド』(89・東宝)で主役ロボットのデザインを担当したくらいにとどまる。)

赤根和樹(監督)

 演出デビュー作は『鎧伝(よろいでん)サムライトルーパー』(88)。
 以後、OVA『機動戦士ガンダム0083(ダブルオーエイティスリー)』(91〜92)、『新世紀GPX(フューチャーグランプリ)サイバーフォーミュラ』(91)、『ママは小学4年生』(92)、『疾風! アイアンリーガー』(93)など演出作品多数。
 本作『天空のエスカフローネ』がTVシリーズ初監督作品である。

山口亮太(メインライター)

 フリーの脚本家として多数の作品を執筆。主なところで『疾風! アイアンリーガー』、『機動武闘伝Gガンダム』(94・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990804/p1)、『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』(96)、『メダロット』(99)など。
 特撮ジャンルでも『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(99・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19991103/p1)、『未来戦隊タイムレンジャー』(2000・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001102/p1)でお馴染み。

坂本真綾(神崎ひとみ役)

 TVシリーズ当時、現役女子高生・弱冠16歳(作中のひとみと同年代!)にして主役を演じた彼女だが、幼少の頃から洋画の吹き替えなどを経験しているベテラン子役だった。中でも有名どころは『ジュラシックパーク』(93・吹き替え版は94?)。
 アニメマニア的には『攻殻機動隊』(95)ラストに登場した少女体の草薙素子役で一般的認知度を高める(?)。
 本作『エスカフローネ』主題歌で歌手デビューも果たした。ナチュラルなそのキャラクター性がアニメファンの好感を呼ぶ。

関智一(バァン・ファーネル役)

 94年の『機動武闘伝Gガンダム』主役のドモン・カッシュで人気爆発! 一躍スター声優の仲間入り。
 『新世紀エヴァンゲリオン』(95)鈴原トウジ役や、『機動戦艦ナデシコ』(96)ダイゴウジ・ガイ&白鳥九十九役など多数のキャラクターを演じる。
 特撮作品では『超力戦隊オーレンジャー』(95・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110926/p1)の敵幹部・皇子ブルドント。深夜の特撮ヒーロードラマ『ボイスラッガー』(99)では、俳優としてボイスラッガー・エメラルドを好演。本人もコアな特撮・アニメマニアとして知られる。

三木眞一郎(アレン・シェザール役)

 本作中で実はもっとも数奇で複雑な人間関係を抱えていた美青年剣士、その苦悩を演じきった。
 本人も長髪で一見ロックシンガーと見紛うルックスだが、演じる役も本作のごとく苦悩を秘めたオトナの男性が多い印象。ただし、中には『ビーストウォーズ(CG版)』(日本放映97および99)のアリ戦士・インフェルノのようなサイコキャラも。
 最近では、TVアニメ版『VIRUS(ウイルス)』(97)、『銀装騎攻オーディアン』(2000)など、大張正巳作品の常連となりつつある。
 『ボイスラッガー』では俳優として、物語の鍵を握る重要なキャラクター・カオスを演じた。


(了)
(初出・同人誌『仮面特攻隊 エスカフローネ特集号』(00年8月13日発行)「天空のエスカフローネ」合評より抜粋)


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地球少女アルジュナ(01年)

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地球防衛家族(01年)

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