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仮面ライダー龍騎スペシャル 13RIDERS(サーティーンライダース)


『仮面ライダー龍騎』 〜全記事見出し一覧
『仮面ライダー』シリーズ評 〜全記事見出し一覧


(02年9月19日(木)放映)
(脚本・井上敏樹 監督・田崎竜太 アクション監督・宮崎剛 特撮監督・佛田洋

ライダー総進撃

(文・伏屋千晶)

[13RIDERS]

 ……ウ〜ム、いかに“番外編”(アナザー・ワールド)とはいえ、折角の[13人ライダーの揃い踏み]も、白倉伸一郎P(プロデューサー)一流の「なんでもアリ主義」がオーバーヒートを起こして、ほとんど“デタラメ”になりかかっている兆候がコレだけ露骨になってしまうと、かえって“嫌味”(いやみ) に感じられてしまいます。



 さりとて、レギュラー・シリーズでは済し崩し(なしくずし) に登場しただけだった、仮面ライダー王蛇(通算第7号)までの七人のライダー達の、各々(おのおの)の「人間模様」や相互の「因縁関係」が、脚本家[井上敏樹]氏の筆によって巧みにリファインされている点は十分に評価できます。


 現に、主人公・城戸真司(きど・しんじ)が自らの意思で仮面ライダーになろうとするモチベーションの強化=「自分を救ってくれた初代龍騎=榊原耕一の遺志を継ぐ」は、真司の行動原理が“主体的な動機付け”を著しく欠いていた為に、ストーリー展開に全く説得力がなかった〔第1〜2話〕のプロットに対する私の不満を、一気に解消してくれたものです。
 (ヒーロー物にとって[主人公が戦う動機]は、最も重要なファクターであると愚考します)


 また、手塚海之(てづか・みゆき)(仮面ライダーライア)の親友を秋山蓮(あきやま・れん)(仮面ライダーナイト)に置き換えて、「小川恵里をめぐる“微妙な”関係(三角関係?)」を作り上げた点も、第1〜2クールに於いてドラマチックな人間関係の構築に対する創意工夫が欠けていた[小林靖子]氏(『龍騎』レギュラー・シリーズのメインライター)の近視眼的な作劇術に対する、先輩・井上敏樹氏からの“教育的な”サジェスチョンだったのではないか――とも、考えられます(私見ながら)。



 つまり、小林氏が“バトルを通して”ドラマを描こうとしているのに対して、井上氏は“バトルそのもの”を描こうという姿勢が歴然としているワケで、その点に就いては、レギュラー・シリーズと本作(SP(スペシャル))の双方での「真司と蓮の関係」の描き方の“相違”に、両者の作風の差異が明確に現れています。
 即ち、前者(小林脚本)に於ける真司と蓮の関係は「着かず離れずの腐れ縁」に過ぎないのに対し、後者(井上脚本)に於いては「唯一無二の戦友同士」なのです。


 だからこそ、小林靖子氏が「友情」(真司と蓮)と「兄妹愛」(神崎士郎と優衣(ゆい))を物語の中心に据えて“情念”(=浪花節(なにわぶし)?)を描こうとしているのとは裏腹に、井上氏が脚本を担当したエピソードでは、真司と蓮に“戦い”を挑んでくるワル系ライダー(仮面ライダーゾルダ、仮面ライダーガイ、仮面ライダー王蛇、仮面ライダーリュウガ、仮面ライダーベルデ)の姿が“生き生き”と活写されているのです。


 どうやら、井上敏樹氏は『仮面ライダー龍騎』の物語を《選択のドラマ》である――と解釈している様子ですね。


 ひとつのイデオロギーを「選択」した者は、別のイデオロギーを「選択」した者と戦わねばならない――その両者(善・悪)を対等に描写することによって「相対化」することが、アンチ・ヒロイズムの総本山である井上氏にとって、今年の裏テーマとなっているのでしょう(たぶん)。
 要するに、今年はメインじゃないから、メチャクチャに引っ掻き回してやるぜ!……ってコトですか?



 井上氏的な(と思われる)解釈をすれば、「複数ライダー」の設定は、仮面ライダーにも“様々なモチベーションやスタンスが存在し得る”ということを意味するようで、とりわけ、「自分自身の為に戦う者の強さ」=王蛇(闘争本能)/ゾルダ(生存本能)/ベルデ(野心欲望)と「道義の為に戦う者の脆さ」=ナイト(恋人の蘇生の為)/ライア(親友との絆の為)/龍騎(無益な殺生を阻む為)とのコントラストは、まんまと図に当たっています。


 即ち、井上敏樹版『龍騎』に於ける「ライダーの力」とは「個人の願望を叶えるもの」に他ならず、その力を手に入れた者の資質次第で、神にも悪魔にもなり得る(♪ある時は正義の味方、ある時は悪魔の手先)“危うさ”が内在している点が強調されて描かれており、往々にして「ライダーの力」が人間の歪んだ感情・思考を増幅する「装置」として機能していることに注目されたい。
 (TVシリーズ後半の「英雄になる為に戦う」ストイックな大学生=仮面ライダータイガ(小林靖子作)と「おカネの為に戦う」がめつい苦労人=仮面ライダーインペラー(井上敏樹作)――“両極端な”新ライダーの登場が、果たして他のライダー達の間にどのようなムーブメントを巻き起こすか、期待しましょう)



 「ま、気どって話す必要も無ェわなぁ。 オゥ、こらガキ!
 この世はなぁ、所詮(しょせん)力のあるヤツが勝つんだよ! 力を求めて何が悪い!
 フン、こんなモン(会社・財産)はなァ、屁みてぇなモンだ。
 大体なぁ、ライダーの戦いは終ンねぇんだよ!
 今の社会はナ、ライダー同士の戦いと同じナンだよ! 生きるってコトは、他人を蹴落とすコトなんだ!
 いいか、人間はみんなライダーなんだよ!」


 ――あア、ええ“コワレ方”しとるナ〜。(思わず、全文を引用してしまった!)


 この堂々たる悪徳のモチベーションを開陳する[高見沢逸郎(たかみざわ・いつろう)=仮面ライダーベルデ]の一連のセリフこそが本作の肝(きも)であり、井上氏流の本音レベルの「ライダー観」が最も色濃く滲み出ています。
 (野卑な台詞も“下世話”にならない伝法な啖呵の口跡がナイスだった黒田アーサー氏の過剰な性格演技も見逃せません)


 世の中で生存競争を実践しながら生きている人間は皆、ライダー(=戦士)である――という、高見沢のセリフの趣旨は、原作版『仮面ライダー』(1971)最終話「仮面の世界」(マスクのワールド)の序文=


 「人間はだれでも仮面をもっている その仮面の下に真実の顔がある」


 が意味するところの「仮面」、即ち“ペルソナ”(外的人格)のことでしょう。


 元祖・仮面ライダーは、「正義」という唯一無二のペルソナ(=仮面)を着けて「悪」と戦いましたが、ライダーの頭数が13人にも増えてしまった現在では、いかなる“ペルソナ”を選択しようとも、それはライダー各自の勝手なのです。
 前作『アギト』に於いては「自己保身」の為に戦う「個人主義的なライダー像」を確立した井上氏は、更にエスカレートして、私的な欲望・野心(=エゴ)を満たす為に行動する「狡猾な悪人」をも、まんまと仮面ライダーに仕立ててしまったワケです。


 貪欲・悪徳という悪人の独善、及び、弱肉強食・優勝劣敗という強者の競争原理を積極的に体現している〔悪魔〕=高見沢ベルデと対極をなす、無私無欲・共存共栄を志向する〔天使〕=城戸真司との対決の図式は、実にシンプルで力強い!
 『龍騎』という物語・題材が持つ可能性を深く掘り下げて、「娯楽性」「活劇性」の観点からドラマをフレキシブルに膨らませた、脚本家・井上氏のプロフェッショナルな手腕には、やっぱり感心しちゃいます。(もちろん、小林靖子ファンには異論があると思うけど……)



 それにしても、身勝手な「悪人ライダー」が氾濫する中で、見事に彼らを統率してリーダー・シップを発揮した高見沢ベルデの登場が、本作(SP)だけの“一度限り”とは、実に勿体ないっスねー。


 とっても“井上氏好み”と思われる高見沢の極端な二面性(=リッチなクセにハングリー)には捨て難いものがあり、ライダー同士の戦いの積極的な推進者(=悪人系ライダー)を統率するタカ派のボス的な存在としてレギュラー出演させて、他のライダー達を龍騎&ナイトにけしかける策謀を張り巡らす「黒幕」として機能させれば、4人のライダーが漫然とした戦いを繰り返すばかりの“堂々巡り”に陥ってしまったシリーズの中だるみを解消できる筈。


 会議室でマイク片手にイカレた講釈(お説教?)を真司に向かってハイテンションで一席ブチかます高見沢の勇姿を、私はどうしても、もう一度見たい!
 そして、ベルデの必殺技ファイナルベント・デスバニッシュ(脳天逆さ落とし・キン肉ドライバー?)も!!


 但し(ただし)、最大のウリだった〔13人ライダーの揃い踏み〕がドラマ的に必然性の薄い便宜的な「イベント」に過ぎず、龍騎・ナイト・ベルデ・ライア以外のライダーの描写が、まるで“新怪人ベルデ”率いる再生怪人軍団(?)みたいにテキトーな(没個性的な)扱いだったのは、「ライダー群像」を描くことを趣旨とする番組ポリシーに、著しく反しているのではありませんか?


 あの驕慢(きょうまん) な性格のゾルダまでもが、ベルデの部下的な立場にアッサリと甘んじてしまうなんて、いくらなんでも単純化し過ぎです。
 お陰で、クライマックスの戦闘描写も大雑把で、なんだか安っぽいヒーローショーを観ているような気分にさせられたのは、いかにも幻滅でした。


 因み(ちなみ)に、ベルデ=verdeは「緑色」、インペラー=impellerは「推進力」、タイガは言うまでもなくtiger=「虎」の意。また、オーディン=Odinとは、北欧神話に登場する「神」(最高神) の名ですが、『アギト』に引き続き『龍騎』もまた、「神」との戦いが終盤のメイン・プロットとなるのでしょうか?
 (……にしても、新登場の3人ライダーが、3人とも“怪人然”としたデザインだったのには、ちょっとガッカリやなー)



 ま、劇場版『――EPISODE FINAL』(2002・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021104/p1)の方では、諸般の「制約」に妨げられて“殺す”ことができなかった秋山蓮=ナイトを、メデタく(?)殺すことができたのですから、さぞや井上氏もマンゾクしたことでしょう。
 ……ところで、TV業界初の「マルチ・エンディング方式」って、なんか意味あったんスか?



 [余談ながら、オーディンの契約モンスター=ゴルドフェニックスとは“不死鳥”、即ち「鳳凰」ですが、タイガはそのものズバリ「白虎」、インペラーはレイヨウ(羚羊)なのでカモシカ系の「麒麟」(きりん) に通じるものがあり、そもそも龍騎が「龍」(青龍)ですから、あとは「玄武」(げんぶ)=「亀」がいないのが不思議なくらいですが、ひょっとして、“カメ”レオン=ベルデが……???]

(了)
(特撮同人誌『仮面特攻隊2003年号』(02年12月29日発行)『仮面ライダー龍騎』後半合評①より抜粋)


『假面特攻隊2003年号』「仮面ライダー龍騎スペシャル」関係記事の縮小コピー収録一覧
・読売新聞夕刊 2002年9月17日(火) 読めばあなたも事情通・結末、視聴者投票で決定 〜大枠記事
・読売新聞 2002年9月19日(木) TV欄試写室 〜結末を電話やネットで決定。面白いが詰め込み過ぎ、本編が観たくなる。
中日新聞 2002年9月24日(火) TV欄投稿・つながらぬ電話投票(45歳会社員・性別不明) 〜子供が掛け続けたが不通。番組自体は面白かった。
・読売新聞 2002年10月4日(金) TV欄投稿・R指定映画のようだった(41歳主婦)。不満5通。


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