Hatena::ブログ(Diary)

永結無情遊 このページをアンテナに追加

2016-04-18 ハネムーンの終わりに。

[]妖怪小説家 妖怪と小説家を含むブックマーク

一般論として、小説家と読者の蜜月というものは長くは続かないものだ。長年一人の作者の作品を追いかけている場合、読者は往々にして作家が売れればある種の承認を得たことで作風が変わってしまったと文句を言うし、作家が売れなければ正当な評価を得られないことによって屈折が生じてしまったなどと賢しらなことを嘯く。結局、二人の独立した人間がいるだけで、何か同じ価値観を共有しているという感覚そのものが甘美な幻想に過ぎないというだけの話ではあるのだが、それを百も承知で感想を述べるなら、近頃の野梨原華南は押しつけがましさが増していると思う。

『イバラ学園王子カタログ』における最後の総括の艶消し振りを読んだときは、編集の求めに応じて敢えて台詞で語らせたのだろうと勝手に思っていたのだけど、今作の菊池寛宮沢賢治の台詞における直接性を見るに、より分かりやすく多くの人に伝わるような形を作者としては追及しているということなのだろう。

ただ個人的な意見を言えば、野梨原華南の最良の部分というのは

「本当ですとも。さあ、お化粧をして、綺麗な服を着て、おいしいものをたべて、音楽を聴いて踊って、陰口をたたかれてしまうぐらい楽しく生きてしまいましょう」

妖怪小説家』 伍より

という一連の部分に代表される極めて善性の高いメッセージを物語の中に溶かし込むことの出来る希少な才能なのだ。紅茶に限度を超えて砂糖を入れたときのように、あまりに直截な表現は溶けきらぬ口当たりの悪い部分を残してしまうような気がしてならない。もちろん、上述の全てが作品に選ばれなかった人間の恨み言に過ぎないわけだけれど。

2016-02-22 人は正義に力を与える事ができなかった。なぜなら、力が正義に抗して

[]『くま クマ 熊 ベアー』を読んで思ったこととか。 『くま クマ 熊 ベアー』を読んで思ったこととか。を含むブックマーク

くま クマ 熊 ベアー (PASH! ブックス)

くま クマ 熊 ベアー (PASH! ブックス)

先に断わっておくと、特に感想とかではなくポエムです。

かつてエロゲに費やしていたリソースの半分くらいを「小説家になろう」に傾けて久しいのだが、いまいち感想などは書けないでいる。理由は色々とあるのだけど、大きななものの一つに『異世界迷宮で奴隷ハーレムを 』についての評価が定まらないというものがある。

疑うべくもなく『異世界迷宮で奴隷ハーレムを 』は怪物じみた作品である。しかし、怪物怪物だと言ったところで、何も言ったことにはならない。求められるのは、その異形を正しく描写するための方法論であって、私は未だそれを持たないし、これから先で手に入れることが出来るかも大変に怪しいところだと思う。*1必然、その異形を色濃く引き継ぐ物語たちに対しても口を噤まざるえないわけなのだが、『くま クマ 熊 ベアー』には閉ざされた口を開きたくなるような軽やかさがあった。*2

かわいいは正義」という言葉がある。検索エンジンに頼ると「鉄兜は重い」が「重いは鉄兜」ではないという旨の注釈が出てくるが、これは一見正しいようでいて、「かわいい─正義」の持つ極限的な可能性をあまりにも無造作に切り捨ててしまっていると思う。

「正義は可愛い」が成立しないと言い切れるのは、「正義」が「可愛い」と無関係に定礎されている世界でのことに過ぎない。それはただ単に無数にある世界のバリエーションの一つでしかないはずだ。

私たちはトラックに跳ね飛ばされながら*3、善/悪を分かつ要石の姿形がクマの形をしていることを夢に見ている。それは間違いなく甘美な夢だ。気がかりは一つだけ。「美醜逆転」の四文字ではあるが。

*1:アタリのみで許されるなら、「エイリアン&カウボーイ」ぐらいは言えるが

*2:『異世界迷宮で奴隷ハーレムを 』もある意味では軽やかではある。羽毛と反重力くらいには性質に違いがあるとは思うが。

*3:跳ね飛ばされないけどね

2015-12-20 No willful tricks or deceptions may be placed on the reader

[]5秒童話 5秒童話を含むブックマーク

5秒童話 (ジャンプコミックス)

5秒童話 (ジャンプコミックス)

ミステリの「フェアさ」というものは、文字という個々の情報量が均一に近い表現形式を基準として成立しているので、漫画の中に犯人を特定するための全ての情報が開示されていても、絵図という表現形式の持つ自由さが邪魔をして、いまいち「フェア」な感じがしないという問題がつきまとったりするものなのだが、この作品ではそこが解決されているように見える。

マンションの屋上から落ちていく間に通り過ぎていく部屋の様子を通して主人公が墜落の真相を探り当てていくという「形式」によって、作者は物語の中の情報にある種の秩序を与えることに成功している。*1猫しかいない部屋も、美女たちが着替えをしている部屋も、クラスメートが拉致監禁を企てている部屋も、部屋という同一の規格の中で提示されているという面では平等だからだ。言い換えるなら、部屋という単位が一種の「文字」となって『5秒童話』という作品にフェアなミステリが成立するための土台を与えているわけである。

とはいえ、本作が精巧な土台の上に築かれた精巧なミステリであったかと言えば、残念ながらそういうわけでもない。*2連載という形を取った以上は仕方がないのかもしれないが、アメコミの件は後半に詰め込み過ぎだし、メガネの件は反則に等しいだろう。

しかし、それを差し引いても、プラスの方が際立つ作品だとは思う*3。良作。

*1:結局、ミステリ全般において「秩序のようなもの」しか存在せず、「ようなもの」とは究極的には象徴から意味をデコードしうるという恣意的プロセスなのではないかという疑惑はあるにしても

*2:そもそも目指されていたのはアメコミオリジンものであって、ミステリ要素は迷彩だという見方もあるけど

*3:何了了のアヒル口とか

2015-10-13 なぜ、タクシューに頼まなかったのか?

[]『その可能性はすでに考えた』について適当に 『その可能性はすでに考えた』について適当にを含むブックマーク

デスゲームものというサブジャンルを現代ミステリの領域の一角に置くとするなら、その極めて特殊なバリエーションに属すると言うことは出来るだろう。何が特殊なのかと言えば、ゲームへ参加する動機である。普通のデスゲームものは金銭欲や死への恐怖でプレイヤーをゲームへと駆り立てるのが普通だが、この小説の登場人物である上笠丞とカヴァリエーレ枢機卿*1にはそのような強制が存在しないのだ。*2要するに、彼らはこの誰が見ても不毛としか思えない営みを自主的に行っているわけである。

だからこれは、一人の金も権力も持ち合わせた狂人が電波の波長が奇跡的ほどマッチした相方を見つけて、恥も外聞もなくイチャイチャしている物語なのだ。ということも出来る。

「わかるか、カヴァリエーレ……僕たちは本当は対立していたのではない。この対立を通じて、一つの事実を共に証明しようとしていたのだ。」(P.244)

そのような視点から見ると、上記からの台詞はカヴァリエーレへの愛の言葉ということなる。*3しかし、普通に考えるなら「この対立」という言葉は、小説内において反復された「推理披露→矛盾指摘→次敵登場」という一連のシークエンスを指示対象に含んだものだと理解されるだろう。

ここでで問題なのが、この一連のシークエンスというものが物語構造といったメタ的な要素を含むのか。ということである。おそらくだが作内において「この対立」という言葉を積極的にメタ発言として理解するべきだと示唆する文章はない。だから、この作品にメタミステリの要素を読み込むのは、どちらかという誤読である。

しかし、先に指摘したように『その可能性はすでに考えた』を何処までもベタに読んだとき、残るのは狂人たちによって築かれた無意味な空理空論の山でしかない。*4何より、私たちは本作を読んでいるとき、作品の荒唐無稽さを「ミステリ」というバイアスを通して処理していたはずなのだ。

もしこの物語を狂人たちの戯言以上のものにしたいと望むなら、私たちは作者によって提示されたゲームのルールに同意しなくてはならないだろう。だがその一歩の歩み寄りで*5、物語はミステリの名の下で聖別され、「この対立」は狂気から福音へと書き換わるはずだ。

あるいは、それこそが奇跡なのかもしれないないとか、何とか。

*1:先に出てくる三人にはそれぞれ参加の動機があるが、枢機卿の代理人という立ち位置なのでここでは省く

*2枢機卿は一度命を狙われているが、むしろ自分から積極的にちょっかいをかけに来てるので

*3:個人的には『逆転裁判2』のラストあたりを思い出さなくもないが

*4:何故それではいけないのか?という議論は十分にありうるが

*5:この一歩の中に、剥き出しのミステリの形式性とでも言うべきものが宿っていると書けば、『貴族探偵』シリーズあたりとリンクできるのだろうか

2015-09-10 店ゲーは不適切な会計処理の夢を見るか

[]キャンディリミット キャンディリミットを含むブックマーク

人類に馴染み深いオブセッションを「裏帳簿」を通して表現した経営シミュレーション

傑作。

以下、ネタバレ注意。

続きを読む

あわせて読みたい