近頃考えてることとか。

「大人になっても漫画を読むということ」という記事を読みつつ、思考を遊ばせている。
記事の一節に

 これは青年漫画の話ですが、野球マンガラストイニング』の主人公が、その天才的なデータ野球の「能力」によってチームを甲子園へと導きながら、その徹底したデータ野球によって審判に目を付けられ、ジャッジによって負け……ヤクザに拾われ……詐欺まがいのセールスマンへと落ちぶれ……、という筋書きからも学べるでしょう。

とあるわけだが、ここで言われているのは少年漫画において肯定的に描かれる「能力」というものが、青年漫画ではある種の留保を求められるということである。
この留保は現実において「能力」だけで全てを解決することは出来ない。という真っ当な認識が出ているわけで、青年漫画には青年漫画の役割があるという話なのだが、私はここでバトル物のエロゲーのことを思い浮かべた。果たして、この類のエロゲーは少年漫画的なのか、それとも青年漫画的なのだろうか?
もちろん、エロゲーは18歳以上の人間に向けて作られるものであるから、基本としては青年漫画的なものに寄っていくだろう。例えば、バトル物の火付け役になったFateにおいて、主人公の性質には方々から留保が付きまくっている。ずっとバトルものを作り続けているニトロプラスにおいても、往々にして主人公の設定は暗い。また、『あやかしびと』のように「能力」が差別を生むという世界観も多いように思える。
このように列挙していくと、バトル物のエロゲーというのは青年漫画的なものが主流なように見えるし、実際にそうなのではないかと予想する。理由としては、ノベル型の主人公への感情移入を強力に促す形式において、主人公があまりに少年漫画的な振る舞いをすると、プレイヤーと主人公との間の乖離が激しくなり過ぎて、白けてしまう危険性が上昇することが挙げられるだろう。
逆に留保のない「才能」を持ったバトルする主人公として、筆頭に来るのはやはりランスだろうし、私が他にとっさに思い浮かべられたのは『うたわれるもの』の主人公だった。*1しかし、バトル物のエロゲーの多くが選択肢を除いて、ほとんどゲーム性を持たないという現状を考えれば、この二つは例外に属している。*2
だが上記の全ては、少年漫画的エロゲーが存在していけないということを意味するのではないし、「突破」のようなモチーフにおいては、むしろ少年漫画的な想像力が求められるのではないか。言うまでもなく、少年漫画には少年漫画の役割があるのだ。
それは例えば、完成版『Dies irae』みたいな形を取るのかもしれないなどと、近頃考えていたりする。*3きっと最初は別の形を目指していのだろうが、完成版として出されたものに準拠していきたいなと思ったり。
希望への道はあまりに儚く、絶望の影はあまりにも濃い。それでも物語はときに、その道を照らす光になるはずである。引用から遠く離れてしまったので、ここら辺で〆。

*1:この両者が戦闘シーンの大半をゲームパートに委託していることは、それはそれで注目に値するところではある。

*2:ファンタジー系陵辱ものは、バトル物にはカテゴリーされないという判断でお願いします。

*3:あるいはバトル物でこそないが、『SWAN SONG』の二周目のEDみたいなものなのかもしれない。あの二周目は確かに色々と緩いのだが、二周目というのは一周目があるからこそ存在するルートなのだと読むのであれば、そこに描かれるEDはやはり簡単に捨象していいものではないだろう。野能村はもう一度共同体を信じる道を選ぶ、それきっと司が最後まで負けなかったからだ。