帰ってきたヒトラー

帰ってきたヒトラー 上

帰ってきたヒトラー 上

現代ドイツにヒトラーが蘇えったら、モノマネ芸人だと勘違いされて、あれよあれよという間にスターダムを駆け上がっていくというお話。
題材が題材ということもあって、作者の創意工夫は曲芸のレベルに達していると言っていいと思います。
この話のヒトラーって基本的に悪いことしないんですよ。作中で書かれてる限りの唯一の悪事は、オクトバーフェスで売名目的でからんできた芸能人にハーケンクロイツのサインをするくらいのもので、襲ってきたネオナチにも殴られるに任せて反撃すらしない。当然、ユダヤ人だって迫害しない。
だけど、もちろん善人ではないわけです。一人称の文の中では見事なくらいに語られませんが、彼は自分が現代においてどのように評価されているかを明らかに自覚していて、その上で己の信念を貫き通しながら現代における自身の地位を確実に固めていっている。その華麗な言葉の綱渡りの数々*1とそれに見事に勘違いする周囲の滑稽さは、間違いなく一読に値するレベルでしょう。*2
ですが個人的に一番感心したのはそこではなくて、ヒトラーのキャラクター造型だったりします。私が読んだ限り、この作中の彼は、まごうことなき狂人です。これの何が面白いかって、普通狂ってる人って人に嘘つかないというか、つけないものだと思うんですよ。だって、他人の意図を明瞭に汲み取って適切な言葉を選び取れる力は、その能力の所有者が正しく現実を認識して折り合いをつけていることを裏打ちするものであって、そういうことが出来る人は一般的には狂人とは呼ばれませんから。
実際、現代に蘇えったヒトラーの行動は基本的に極めて頭のいい詐欺師のソレでしかないわけです。周りの人間は見事なくらい騙されて、彼本人が得をしていく爽快感はあっても、そこには狂気が入り込む余地はありません。
では何がフューラーの狂気を読者に訴えかけてくるのかというと、彼がかつての自分の指示の正しさを1ミリも疑っていないということなんですね。
上巻の冒頭にかの有名な「ネロ指令」に対する総統本人のコメントがあるんですが、読者はこれを読むことによって、明らかに作中に出てくる彼が常軌を逸した人物なのだということが了解される仕組みになっています。
これは当然のことのようにも思えますが、この現代と過去の間に存在する連続性が彼の狂気を指し示すという「約束事」こそ、この作品の肝だと個人的には思っています。*3なぜなら、作中では現代のヒトラーの狂気を匂わす描写はところどころで現われますが、冒頭部と違い、その後の文章では過去のヒトラーの非人道的な行動の内容はほとんど描写されないからです。
要するに、文章の中にあるのは多少保守的な傾向はあるけど、頭の回転が速くウェットに富んだ部下思いの気のいいおじさんが周りの人間を手玉に取るってお話であって、気が狂ったヒトラーが快進撃を続けるお話は読んでいる読者の頭の中にしか存在しないんですね。
この二重化というか、アウトソージングを見事に成功させたところが、作者の最大の功績かなと思ったりした次第。良作。
twitterにかまけすぎて、自分の文章が気持ち悪いので、本格的にブロガーに復帰していきたい。

*1:ユダヤ人は冗談の種にはならない」

*2:個人的には、総統パソコン上で困っている同胞を助けるところが一番好きだけど

*3:作中では、現代の「総統」は総統ではありえないため、彼の表現は芸術的に保護されるべきだという真逆のロジックが登場するので、作者の自負ほどが感じられる