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図書館断想 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-10-22 白・ルーヴェン大学図書館蔵書分割事件 その1 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 ベルギー(白耳義)――南ネーデルラント地域には古来より、大まかに言って北半分にオランダ語話者(ゲルマン系民族)、南半分にフランス語話者(ラテン、ロマンス系民族)が住んでいた。そのオランダ語圏の地・ルーヴェンに、15世紀に始まったルーヴェン大学がある。卒業者に、メルカトル図法で有名なゲラルドゥス・メルカトルがいる。


 この大学にはどちらの言語話者も在籍していたのだが、1960年、初めてオランダ語話者の学生数がフランス語話者の学生数を上回った。オランダ語圏にある大学であるが、ヨーロッパではラテン語ののち知識人など上流階級が(公的な場で)使う言葉といえばフランス語であったこともあり、1960年に至るまでフランス語話者が優勢であったわけである。そのため「オランダ語の講義もあるフランス語系の大学」というのがルーヴェン大学の一般的な認識であった。

 しかし実態は、講義は言語ごとに分かれており、大学運営も2つに分かれたかのごとく為されていた。

 このころ、言語法成立の動きがあるなど、オランダ語系とフランス語系の均質化を目指す気運があった。学生数の逆転と、高等教育民主化に伴って、言語にまつわる大学の問題が議論されるようになり、フランス語話者はフランス語圏の土地に移ればよいのだ、という空気がオランダ語話者の中に醸成されていった。


 1962〜1963年ごろ、各言語話者ごとでの自治が始まった。学部は割れ、学部長が2人いるような状態になった。

 1966年、法人としては分かれていないものの、実態は完全に2つに分かれてしまっており、結局2年後の1968年、大学自体を(もちろん図書館も)分割することに決まった。このころは学生たちもピリピリしていたようで、学生新聞に各言語話者の対立する様子が窺える。新たな大学の法人格付与は1970年7月1日、しかしまだそのころでも2大学共通の大学運営委員会があった。


 まず1969年3月28日、平等な投票により大学運営委員会は図書館委員会を設置した。この委員会の会議はたった1度だけ行われ、嵐のような会議であったという。フランス語話者たちは、迅速かつ完全な図書館蔵書の分割を主張した。オランダ語話者たちは、新たに図書館長を指名して問題に当たらせるよう主張し、同年10月27日、全学を代表した組織をつくり、最初の仕事として新図書館長を探した。

 1970年3月1日、地方の図書館で館長を務めていたWilly Dehenninという者を新図書館長として呼んだ。Dehenninは、一般運営計画と蔵書分割計画をつくり、これを同年7月に提言した。


 ルーヴェン大学の蔵書分割事件は関心を引くものらしく、その手法であるところの「偶数奇数分割」は世界中で繰り返し話題になったという。例えば百科事典の1,3,5はこちらに、2,4,6はあちらにと。

 しかし実際にはそんなことはなく、やや複雑ながらうまい解決法が採られていた。

 また、大学の歴史は世界でもトップクラスに長い(現在、創立580年を超える)が、実はこの図書館の蔵書はそれほど多くはなかった。2度の戦火で多くのコレクションが散逸してしまっていたからである。そのため、3度目の散逸になるのではと不安がられ、風刺絵や煽動チラシなどが出回った。


 さて、それでは蔵書分割の実際はどうであったのか。次回お楽しみに。

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