ギャラリー縄 40年の歩み 川淵直樹展

ギャラリー縄オーナー・尾崎正男氏より
展観によせて
 
川淵直樹さんとは朋友であると思っています。
共に1946年生まれであること、若いころの小山冨士夫先生との出会いが
川淵さんは陶芸家として、私は陶商としての原点となっています。
丁度今年で、川淵さんが焼き物を始められて、私がこの世界に入って40年になります。
共に歩んできたように思います。
川淵直樹さんの作陶の根源として、常にプリミチブなものに対する憧憬が感じられます。
この度は、過去から現在までの作品を展覧させていただきます。

 
あまり手元に残っていませんが、初期のころからの作品も含めて展観させていただきます。
あわせて、小山富士夫先生の作品、ならびに先生ゆかりの作品も展示します。
ご高覧ください。
以下、出展作品を一部掲載しておきます。
 
 

 

 
唐津向付  江戸初期
 
作陶を開始したころ小山冨士夫先生から貰った。
近頃の唐津には見られないねっとりとした焼き締まった土。
先生によれば、今ではこのような土は見当たらず、
当時のはたきかすのような土を珍重している、と。
骨董屋などでも見かけるさほど珍しくもない向付ではあるが、
この一品、水挽きで高台まで挽ききった造りが実に良い。
形を削りだしているようでは轆轤が死んでしまう、ということをここから学んだ。
削りとは、まさに削ったその軌跡を現すためにするのだと。
 
 

 

 
種子島  花の木窯  作者不詳
 
唐津向付と同じときにいただいた。
花の木窯でどなたか素人が作ったものとのこと。
先生曰く、「象の脚みたいで面白いでしょう」。
先生作の水指や花入にこの手の形があるが、
これはその原型のようで、いかにも古山子好みの形。
ビギナーズ・ラックとはいえ、実に奔放で自然、意表を超えた作だ。
在るがままに、とはこういうのを言うのだろう。
以後、ぼくの轆轤のお手本の役割を果たしてきた。
これにはとても敵わない。
 
 

 

 

 

 
 
 
小山冨士夫作 種子島酒觴、オランダ盃、徳利
 
この三点は、故宮川寅雄先生に貰った。
宮川さんは小山さんを和光大学教授に呼んだ張本人。
永仁の壺事件の折小山さんを擁護して以来縁が深くなったと聞く。
教授とはいえ小山さんはほとんど授業に出てこず、集中講義になる。
それだけでは申し訳なしと、出光美術館に収蔵したおびただしい陶片を見せたり、
鎌倉の自宅に学生を呼んで飯を食わせたりした。
唐突に明日二十人ほど来るから飯を作れといわれて驚いたと後日奥様がこぼしていた。
徳利は永らく宮川さんの書斎に飾ってあったもので、
小山さんの鎌倉二階堂時代の作、薄く灰釉がかかったおそらく種子島土の作品である。
オランダ盃は底裏に 1962 LONDON とある。
この年英国文化振興会の招聘でロンドンを訪れた折に作った珍品。
種子島盃は、いわずと知れた花の木窯時代の作品である
 
 

 
川喜田半泥子作  絵唐津風盃
 
小山さんの知己にE氏があり、小山さんに貰った例の宗赤絵風の「花」の字の色紙と、
彼が所持していたこの半泥子作と交換した。
E氏とは小山さんが亡くなったあと、元信楽窯業試験場長故平野敏三氏の紹介で知り合った。
平野さんは奈良の茶人Y翁を介して知遇を得、そしてこのY翁とは小山さんを通じて知った。
ぼくがまだ30代のころだ。
E氏はなかなかのコレクターで、大阪東洋陶磁美術館にある安宅コレクションの中の飴釉角瓶の旧蔵者、
相続税を払うため、小山さんの介添えで安宅に売ったそうだ。
お宅に招かれご飯をいただいた折、人間国宝その他大御所達の酒盃コレクションの中で、
ひときわ異彩を放っていたのがこの酒盃である。
おもわず小山さんの色紙と交換してしまった。
思えば、小山さんの縁で巡りめぐってぼくのところに来た作品なのである。
 
 

 
川淵直樹1970年代作  南蛮茶入
 
 

 
川淵直樹1970年代作  伊賀花生
 
 

 
川淵直樹1980年代作  南蛮三角花生
 
 

 
  
川淵直樹近作  南蛮鉦鉢