一去一来 一日一歌

2010-04-04 高橋順子著「一茶の連句」を読んで


照る日曇る日第336回


生涯に約二〇〇〇〇の句を詠んだといわれる小林一茶の「連句」にはじめて光を当て、解釈と鑑賞の道筋をつけた大変な力作です。

著者によれば連句とは五七五の長句と七七の短句をつかず離れず交互につなげてゆく共同作品であり、のちに第一番目の句である発句が独立して俳句が誕生したのですが、江戸時代にはこの連句こそが芭蕉などの俳諧師にとって「表芸」であったそうです。

私も以前友人たちとこの「俳諧之連歌」に挑んで、「歌仙」(三六句形式の連句)を巻いた(詠んだ)ことがありますが、季語はもちろんのことここで月を詠む、ここで花を詠むなどの数多くの決まりごとがあり、そのわずらわしさにすたこらさっさと逃亡した苦い記憶だけが残っています。

それらを高尚な文化とは思わず、スコラ的な煩瑣な規則の弊害の残滓とみなした愚かな私でしたが、この労作をつぶさにひもといてみると、一茶が到達した近世短詩形文学の世界の豊饒さと深遠さに感嘆しないわけにはいきません。これこそは江戸文化が生み出した歌舞伎と並ぶ最高最美の果実なのでしょう。

ではちょっと著者の解読ぶりを、文化一〇年正月八日に長野県長沼の住田素鏡宅で巻かれた七吟歌仙をのぞいてみませうか。

秋風に昔歌舞伎がはやる也 茶

硯へこぼす刈かやの露 薺

嬉しさに諏訪の御灯吹けして 我

妹が名にせようね火香具山 茶

離れ屋に梓の声の細細と 薺

二五句で一茶が(江戸時代の)昔の歌舞伎を褒め称えると、薺が受ける。歌舞伎見物にうつつを抜かすいっぽうで七夕の行事に思いを込める女たちが、秋草の葉から集めた露に浸した筆で短冊に願い事を書いている。これを恋の呼び出しの句という。

二七句は恋の句。恋文をもらって喜んだのはなんと諏訪湖上社の男神と下社の女神。彼らは全面凍結した諏訪湖を渡って恋の御渡りをするのだ。二八句もまだ恋の歌が続く。一茶は万葉集天智天皇の古歌を念頭において、「畝傍」や「香具山」という名の遊女がいたら面白い。「耳梨」ではちょっと困るが、と思っているのではないかと著者が付け加える。凄い読み!

二九句でようやく恋離れの句が詠まれる。人里離れた家に梓弓の弦を鳴らして因縁浅からぬ想い人の霊を呼び出す巫子の口寄せの声が細々と聞こえる……。

この華麗な修辞と見事な発想の転換! 一茶ももちろんすごいが彼の門人や周辺の商人や市井の人々の洗練された趣味と教養の深さに脱帽せざるを得ません。


図書館で古今著門集借りた老人の自転車は錆びていた 茫洋