ウェディング・ベル・ブルース

今日から8月。窓の外からは花火の打ちあがる音が鳴り響いている。ゲリラ豪雨かと思ったら、今夜は横須賀の開国祭花火大会の日だった。実家から目と鼻の先にある公園にもの凄い人が集って花火を鑑賞している頃だと言うのに、僕はといえば職場に幽閉されているのだった。仕事はまだあるのだが当然手につかない。ちょっとビルを降りて歩けば見えるのに、と思うとやりきれない。そのうえ、帰りの電車がまた尋常じゃないほど混雑するのは必至で、こちとら花火を全く見ていないのにどうしてこんな目に、と毎年同じ愚痴をこぼすことになるのだった。
そういえば昨日紹介した「英語で日本紹介ハンドブック」を読んでいたら、平均結婚年齢について書かれていて、2005年の調査では男性が31.7才、女性が29.4才とあった。僕が結婚したのは2006年7月で、満30才だったので、平均より少しだけ早かったということになるが、その当時は自分の結婚年齢は高い方だと思っていたので、正直驚いた。その後すぐに「婚活」という言葉を世間で耳にするようになったので、実際世の中に結婚を焦らせるような空気があったのかもしれない。妻も僕も結婚願望はさほど無かったので、焦りを感じた覚えはあまりないのだが。周りが焦れば自分も焦り、焦るといい結果は出にくいように思うので、今の世間の状況はやはり良いとは言えないだろう。婚活に詳しくはないのだが、楽しければ問題ないと思うけれど、血眼で値踏みをするような活動なら(婚活という言葉からそういう連想をしてしまう)、多少遅くなっても来るべき時を待つ方がいいような気がする。僕自身今独身だとしても婚活はしないだろうし、また出来るとも思えない。別に晩婚傾向を憂い過ぎる必要はないと思うし、そのうち風向きは変わるだろう。別に誰に向かって言っているのでもないが、何となくそう考えた。
フィフス・ディメンション版の「ウェディング・ベル・ブルース」を聴きたくなった。

Very Best of the Fifth Dimension

Very Best of the Fifth Dimension

さくらさくら

「英語で日本紹介ハンドブック」(アルク)を衝動買いした。奥付に「発行日:2009年8月1日」とあり、実際に棚に並んでおらず出荷時のダンボールに入ったままだった。日本的な事象の説明や外国人に聞かれやすい質問への答え方、さらに歴史年表や世界遺産の解説、日本に関する統計やデータなどがコンパクトにびっしり詰まっている。もちろんこれは英語の教本として書かれたものなので、英語の勉強に役立つのは勿論だが、これを読めば今更人に聞けない日本についての基本的な知識が身につけられるはずだ。版型が小さくて手軽だし、カバンに忍ばせて時間がある時に拾い読みしていくことにしよう。
こういう本を読むとどうしても『さえらジャポン』が頭に浮かぶ。「さくらさくら」が流れ出す。

パン・イン・エー・マイナー

8月号のバウンスの「ディクショナリー」のコーナーはカリプソ特集で、テキストはカセットコンロスのワダマコトさんが執筆されている。僕はこの人の書く文章が好きで、彼がブログや雑誌で紹介している作品には一も二もなく飛びついてしまう傾向があり、つい先日もブログで取り上げていたアンディ・ナレルとロード・リレイターの共演盤『ユニヴァーシティ・オブ・カリプソ』をHMVの通販で注文してしまった(松永良平さんのお勧めのハシエンダ『ラウド・イズ・ザ・ナイト』とユアソンのモーリスさんが「マナマナ」のリンクを貼っていたケイクのBサイド&レア曲集を一緒に頼んだ)。
毎回そのジャンルのレコメンド・ディスクが十枚くらい紹介されるのだが、その中にロード・キチナーの70年代のベストがあった。ソカの先駆けと言える、アッパーでソウルフルでビートが利いたカリプソで、スティール・パンがふんだんに用いられている。「パン・イン・エー・マイナー」という曲を『カリプソ天国』という映画で初めて聴いたとき、あまりのイメージとの違いにびっくりしてしまった。最初の違和感はすぐに消え、音楽への愛情と生命力に溢れたダンス・ミュージックの虜になってしまった。このベストのシリーズは何枚か出ているのだが、ワダさんがこの第三集をチョイスしていたのが嬉しくて、朝起きぬけに聴いた。なんだか分からないが、朝から少しグッと来てしまった。多分映画の内容を知っているからだろう。

Klassic Kitchener 3

Klassic Kitchener 3

クール・キャット

最近明け方頃に猫が活発に活動をするので、たびたび目を覚ましてしまう。ベランダに出たい時のカリカリと窓ガラスを引っ掻く音や、開けるのを催促する泣き声、それと家中を駆けずり回る足音に起こされ、妻も僕も軽く睡眠不足になっているかもしれない。その代わりに日中はほとんど動かない。風の通る場所に陣取り、あごを突き出して延々ねそべっている。たまに近づくと気づいて体を寄せてきたり手を舐めたりするものの、その様子は完全に儀礼的なもので、すぐさま方向を変えてぐったりとし始める。せっかく二人きりの休日なのに、あなたはいつもつれないの。ちょっとは今のうちに遊んで疲れさせておかないと、この分では今日も起こされること必至だ。
僕も猫と同じく、ほとんど動くことなく休日を過ごした。マイスティースのDVDと松本人志の「ビジュアルバム」を久しぶりに観て、ユーチューブで懐かしいPVを楽しんで(今日はペイヴメントやガイデッド・バイ・ヴォイセズ等のアメリカン・ローファイ・ロック・バンド特集にした)、エルヴィス・プレスリーの『レディメイド・ディグズ・エルヴィス』とジョージー・フェイムの91年作『クール・キャット・ブルース』を聴いた。ジョージーのアルバムは今野英明さんが昔自身のホーム・ページで愛聴盤として紹介していて、てっきりもっと昔の作品かと思ったら割と最近のものだったわけだが、渋いようでとても軽やかな、やはり粋も甘いも噛み分けた大人の味だと感じた。買った当初(五年くらい前か)割と苦手だった「イエ・イエ」のレゲエ・バージョンが凄く心地よく聴けるようになったのは、僕も少し成長したからなのか。

Cool Cat Blues

Cool Cat Blues

ノルウェイの森

村上春樹氏の最新作「1Q84」を、上下巻ともに購入したのに、まだ1ページも読んでいない。
おもえば、彼の作品をハードカバーで新品で買ったのはこれが初めてだ。殆どが文庫で、「中国行きのスローボート」のみ中古でハードカバーを買った。
つまり、新作として発売されてからすぐに読んだことが今までにないのである。
今作をなぜ通例とは違って割りと早めに入手したのかと言えば、やはり爆発的な売れ行きと無関係ではない。
これまで村上春樹について、それほど意見を表明していなかったような人々までが、この作品を論じているように感じ始めたからだ。
ノーベル賞の有力候補に上ったり、世界的に読者を獲得するなど、現代の日本の作家でもっともコントラヴァーシャルな存在として認められてから、これまでのファンは興奮し、そうでもない人々は現象として関心を持ち、そして対村上派と目される人々にとっては俄然重要な存在になったわけだ。
正直に告白すれば、僕は村上春樹氏の小説のファンだとは言い切れない。以前も書いたことがあるけれど、彼のパーソナリティーの方にずっと興味があるのだ。
今まで以上に幅広く多くの読者を得た「1Q84」をリアルタイムで読むことは、もはや好きや嫌いの問題ではなく、文芸に興味を持つ人間としては避けられないように感じられる。例えばビートルズの歌は、アンチであろうがクラシックのファンであろうが、聴かないでいるわけには行かなかったはずだ。それは言い換えれば「社会現象」となるのだろうが、その切迫感というのは文学の分野では今まで体験したことがなかった。大学時代に「ノルウェイの森」の話題で盛り上がったのは覚えているけれど、今回はきっとその比ではないだろう。
切羽詰った感覚があるのになぜ読み始めないのか。それは小説からだいぶ離れてしまっていたというのが一つ、そしてまだその前に読み出した本が終わっていないのが一つ。しかし最大の原因は、買い終わった時点でその「切羽詰まった感覚」が収まってしまったことだろう。
真の名作として長く語り継がれるような本は、こういう輩も数多く含んでいるはずだ。
それから、全く読んでいないのにその本の話題をするというのも、エポックな作品の条件と言えるだろう。
まあ、文庫が出る前には読むだろう。きっと。
ノルウェイの森」と言えば、コーナーショップのヒンドゥー語カバーが最高だ。

ボーン・フォー・ザ・セブンス・タイム

ボーン・フォー・ザ・セブンス・タイム