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はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

2009-06-12

僕は、いうべきことをいった、といいたがるひとたち

19:26 | 僕は、いうべきことをいった、といいたがるひとたちを含むブックマーク

ぼくがよくみていて大好きなハックルベリーなブログのひとが、はてなにガツンと言ってやったらしい。


ぼくが今日はてな東京本社にお邪魔して一言申し上げたこと


ユーザとして、はてなの広報担当の川崎さんに自分が思っているはてなの問題点をつたえた。自分の思いが、はてなのひとたちに届いたどうかはわからない。でも、はてなは、もう、自分の話をきいてしまったんだから、責任逃れをできない。かいつまんでいうとそういう趣旨だ。


でも、それってなんの意味があるのか?


なんかよくある光景だなあ、と思った。会社でサラリーマンが、なにか問題があって、自分はその問題がわかっているんだけれども会社が理解してくれない、どうしようもない、だけれども、一応、そのことは上司や先輩には自分の考えは話した。それでどうなるかはわからない。でも、自分はいうべきことをいった。そう同僚や友達に話しているのを、ぼくは人生で何度も見た、聞いた。


そういうとき僕は愚痴をこぼしている人に対して、腹が立つ。抑えようのない怒りがこみあげてくる・・・、


・・・ん、違うな。ちょっと表現がおおげさすぎる。よく考えるとそこまで腹は立たない。つうか、共感することも多いような気がする。よく、あるよねー。クライアント説得できているのに、上司のほうが説得できないってどういうこと?とか。


いかん、ブックマークほしさに無意識に過激な表現を選びたがってしまう。でも、ここはdisっておかないと、今回のエントリの論旨がくずれるしなー。まあ、いいや。


ぼくはハックルベリーさんや上記のような光景を見ると、怒りで拳がわなわなと打ち震える。そして、つかつかと歩み寄ってそいつを殴りつけ、なにが起こったか理解できずに俺を呆然とみつめている鼻っ柱に裏拳をたたき込み、床に倒れたぶよぶよと肥え太った腹を、靴の踵でぐりぐりと踏みつけてやりたい衝動に駆られる。


ということにして話を続けることにする。


「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざがある。

ぼくは幼少のみぎりから、どうしてもこの命題が正しいとは思えなくて、理由をいろいろと考えていた。だって雄弁のほうがどうかんがえたっていいじゃん。沈黙してたら自分の意見なんて伝わらないし。みんなを説得できるような正しい理屈を、見事な演説で表現できたら、それが一番よくね?


で、結論として気がついたのは、雄弁っていうものを想像するときに、人間は聞き入っている聴衆を仮定しているけど、現実はそうではない、ということだ。相手が聞く耳をもっていないときになにをいっても無駄だ。相手がもたない知識にもとづく理屈をいくらとうとうと述べても理解してはもらえない。むしろ正論をいっているんだという思いが相手を傷つけるだけだ。


他人にモノを申すということ、人間同士のコミュニケーションとして、他人にメッセージを発信するというということはなんだろうか。


自分の手下だったら命令でいいだろう。

ガツンといってやること自体への自己満足ならそれでいいだろう。

たんなるアリバイをつくりたいならそれでもいい。(ぼくは割り切ってよくやる)


でも、もし、相手になにかをしってもらいたい、わかってもらいたい、なにかしてほしい。そういう思いでメッセージを発信するのだとしたら、まあ、結果はある程度予想しろよ、ということだ。希望通りではなく、予想通りの結果しかかえってこないとしても腹を立てる必要なんてまったくない。


聞き入れられる可能性のうすいメッセージを発信する場合、結局、聞き入れられないのは発信するほうが悪い。

もし、あなたが本当に現実を変えたいと思うなら、別の方法を考えろということだ。ことばで現実を変えれるのは権力者だけだ。


駄々をこねて現実が変わると信じるのは子供と同じだ。いや、無垢な子供ほど、駄々をこねる相手とタイミングを冷静にみはからっているかもしれない。


言葉で、現実を変えたいなら自己満足しないで、y_arim氏みたいにアジテーションすればいいじゃないか。


まあ、いいや。


もうひとつ、他人を説得するとき、ぼくが必要だと思うのは、相手の言葉、相手の理屈をつかって話せないとだめだということだ。自分の理屈は自分と同じ知識をもっているひとにしか通用しない。


相手が理解できない理屈をふりかざす人間が多すぎる。相手の知識、常識をつかって理屈をくみたてないと意味がない。こんなことを書くと、また、馬鹿には馬鹿にもわかるようにレベルを低くして話せということ、をぼくが書いていると理解したがるひとが湧きそうだけど、そうじゃない。人間の脳の容量なんて大差ないんだから、どんな人間だって、自分の脳のほうが相手よりも上位互換だなんていうのは思い上がった考えだ。必ず相手は自分にはない知識、視点というものをもっている。相手の立場にたって考えた場合、一見、自分の専門分野においてはレベルをさげた話をしたつもりでも、やってみたらやってみたで、それまで気がつかなかった発見があったりする。


まあ、きれいごとをいうつもりはないので、現実問題として、相手によっては、そいつの視点なんて考慮する価値も必要もないシチュエーションなんていっぱいあるけどね。でも、同じ相手でも、そんなことはないシチュエーションというのも出会わないかもしれないけれども存在しているのは、ほぼ間違いない。


いずれにせよ自分の正論で世の中を変えられないのは、世の中が悪いんじゃなくて自分の能力不足です。

自分のつくった作品が世の中にとどかないのと同じだ。


つーか、なんで明らかに現実世界で能力も経験もありそうなハックルのひとがこういうエントリを書いたのか。

そもそもはてなでブログを書いているのか。

きっと逃避したい現実があるんだと思います。まあ、ひとのことはいえませんが。


なにやってんだろ。おれ。

hatesatebloghatesateblog 2009/06/13 12:42 非常によくわかります。
ブログはたぶん書いてないと思う。

santosanto 2009/06/13 18:02 作品を
「届かないから作らない」<「届かなくても作る」<「届くように作る」
なんでしょう。届くように作ることを考えすぎると、「多分届かない現実」に気づいちゃうんですけどね。

自分の能力の限界を認めつつ、多分届かない作品を、見苦しい愚痴をこぼしつつ、それでも作る。まあ、精精それくらいしか出来ないしなぁ。

まあ、ブログ主も同じようなこと考えている上での「あえてエントリ」なんでしょうが。・・・なんなんだろうねえ、この「あえて」合戦。

speedsheepspeedsheep 2009/06/21 16:04 すごく共感出来る、現実的な文章だと思います。
「それを言って、何か変わるの?」というのは、いつも思ってましたから。

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