Hatena::ブログ(Diary)

はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

2009-07-17

コンテンツプラットホームの未来

08:51 | コンテンツプラットホームの未来を含むブックマーク

今後のコンテンツプラットホームはコンテンツと融合する


以上、結論。おわり……でもいいんだけど、もうちょっとだけ(実際はかなり)補足する。


ちなみに、このエントリは、ぼくの一連のコンテンツプラットホームに関するエントリで、文句とか批判ばっかりいっていないでどうすべきか書きやがれと、本来であれば相手する必要のない定番の文句をたれるひとたちへの解答でもある。


それは、およそあらゆる種類のプラットホームは色がつく方向に進化する、という話だ。


これは通常、IT業界でよく聞く定石とは逆の話だ。プラットホームを提供するプレイヤーは通常は対象となるユーザをすべて囲い込むために中立の立場をとったほうがいいといわれる。プラットホームには色がつかないほうがいいとされているのだ。


実際にCGM/UGC系のサービスの多くで運営側が「われわれはユーザのみなさんが自由につかっていただけるように場を提供することに徹します」というような文言を掲げているのはよく見ると思う。


ぼくがこういう考え方が間違っている可能性を考えはじめたのは、それだと、プラットホーム間の競争がパワーゲームになってしまい既存の巨大プレイヤー、それも米国プレイヤーが有利なゲームになってしまうからだ。つまり、新参プレイヤーでも勝てるゲームのほうがいいという願望がきっかけだ。


そもそも色がつかないプラットホームのほうがいいという戦略はなにがいいのか、メリットを考えてみると以下のふたつぐらいしかないと思う。


・ 対象とするユーザの母数が増える。

・ 中立の立場をとることによりユーザからの無用の反発をうけないですむ。


上記のメリットが成立する暗黙の前提条件は次のとおりだろう。


・ 色をつけてもプラットホームへのユーザはそれほど増えない。

・ 上にくわえて、色がついたことにより失うユーザのほうが多い。


つまり逆にいえば色をつけたことによりユーザの吸引力を大幅に高めることができるのであれば、色をつけるという戦略は成立する可能性があるということになる。


ではなんで一般にはプラットホームには色をつけないほうがいいとされているのか。それは色をつけるということが、魅力的な色をプラットホームにつけるということがとても難しいからだ。それは結局プラットホーム自体をコンテンツにしていくということだからだ。プラットホームホルダーが同時にアーティストであることを目指すということだ。


遊園地の世界でもディズニーランドのライバルがなかなかあらわれないのも、アップルを超えるカリスマブランドがIT業界に登場しないのも、魅力ある色をプラットホームにつけるというクリエイティブな目標が如何に難しいかを示している。


しかし、時代は色のついたプラットホームの方向へ必ず進む。なぜなら一度、あるプラットホームがマーケットを制覇したときに、規模で勝てない新規プレイヤーが対抗するには魅力ある色をつけるほかないからだ。


ちなみに色をつけるということはターゲットとなるユーザを限定するとかいう単純なことをいっているわけではない。ターゲットとなるユーザに新しい世界観、新しいライフスタイルを提供するものでないといけない。女性誌の歴史をみても総合誌が衰退し、専門性の高い雑誌に主流がうつる過程においても、勝者になるのはターゲットの読者のニーズにただ迎合したものではなく、強い個性を持ち流行を自らつくり出すような雑誌だ。


ネットにおいても色のない中立なプラットホームがいったん覇権を確立したあとは、強い個性をもち流行を自らつくり出すようなサイトが新しいプラットホームをつくり勢力図を塗り替えるだろう。


……閑話休題。


さて、インターネット上のコンテンツプラットホームの今後についての話をしよう。


ネットでのコンテンツプラットホームがどういうものになるかを考えるときには、アナログレコード→CD、VHS→DVD→BD、NTSC→ハイビジョンといったフォーマットの基本構成がデータ密度以外は、ほぼ変わらない、かつ、前回のプラットホームの切り替え時代を覚えている人間のほうが業界に少ないような世界よりは、ゲーム業界のプラットホーム変遷をみたほうが参考になる。


ゲーム業界のプラットホーム変遷の過程でおこったことで注目すべきと思っている重要ポイントをあげてみる。


・ プラットホームの変化の前後でゲーム会社の勢力図が大きく変わることが多い。ついていけないゲーム会社は没落し、また、新興ゲーム会社が台頭するきっかけとなる。


・ プラットホームの正当進化は、コンテンツの高度化、複雑化、制作コストの高騰をもたらし、ユーザはコア化し、一般ユーザは離れていく傾向にある。

・ 上記の一般ユーザの離反は、ユーザ層の年齢層の垂直拡大(若年コアユーザが年をとるので)と平行して起こるのでわかりにくい。

・ プラットホームをリセットしようとしたwii/dsでの任天堂の試みはコンテンツの制作コストを下げるのに貢献したが、同時にサードパーティの多くがマーケットから取り残された。

・ プラットホームホルダーが事実上いない自由であるはずのPCゲーム市場の有力プレイヤーは、儲かるのでゲーム機市場にビジネスの軸足を移した。


ゲーム業界と比較してネット上のコンテンツプラットホームというのはどういうものに変わるのだろうか。


まずチップの開発からスタートするようなゲーム機とちがって、ネット上でのプラットホームはプレイヤーの数が大幅に増えることが想像できる。また、コンテンツフォーマットもほぼ固定されるゲーム機とちがって、ネット上のプラットホームのコンテンツフォーマットは頻繁に変わるだろう。また、プラットホームあたりユーザ数とコンテンツ単価も当初は小規模になることが予想される。


こういうプラットホームではサードパーティが存在することが非常に難しい。サードパーティがリスクある新しいコンテンツフォーマットへの対応なんてしてくれるわけがないから、必然的に面白いコンテンツをつくろうとするのであればファーストパーティ、セカンドパーティだけでもいいやと割り切った任天堂スタイルを選ぶことになるだろう。


また、コンテンツのコスト単価を下げるのにはフォーマットをリセットすることが重要だから、この点でもどうしても経験のないサードパーティにつくってもらうことが難しく、任天堂スタイルになってしまう。


つまり、ネット上でのコンテンツプラットホームはコンテンツプラットホームホルダーがコンテンツを自ら開発するという形態が一番、現実的になる。


これは実はすでにそうなっている。ネット上で課金が成立しているコンテンツプラットホームは、オンラインゲームか、コミュニティでのアバター販売だ。


では、サードパーティが存在できるコンテンツプラットホームはネット上にはないのだろうか?iPhoneアプリなんかはどうだろうか?これについては既にいくつかエントリを書いているので詳細な説明は省くが、結論だけいうと、自由にサードパーティが参入できて、なおかつ、上位プレイヤーが十分に儲からないコンテンツ市場というのは失敗する。サードパーティがプラットホームホルダーに対抗できる大きさに成長できないから、ベストケースでも、UGCの変形みたいなものにしかならない。その後のshi3z氏のエントリではandroidなどの複数のiPhone型のプラットホームができるとコンテンツプロバイダの地位と収益性が向上するという主張もあるが、これはあたらない。


コンテンツのマルチプラットホーム戦略はプラットホームそれぞれで十分に儲からないと成立しない。儲からないプラットホームがいくら乱立しても駄目だ。ひとつでも儲かるプラットホームがあって、そこでのキラーアプリをもっているプレイヤーは、他のプラットホームに対して立場の強い交渉が可能だが、開発費のリクープのためにマルチプラットホームにすがるような立場のプレイヤーでは、プラットホームホルダーに全然、対抗できない。


では、逆にコンテンツプラットホームホルダーに対抗できるようなサードパーティの条件というのはどうだろう?

それはプラットホームホルダーに依存しない別のプラットホームを持っているプレイヤーだけだ。

yahooやmixiなどの大量のユーザベースを抱えているサイト、有名ゲームのような熱烈なファンをかかえているブランド、などが唯一交渉力をもつコンテンツの提供元だ。

コンテンツプラットホームだけでコンテンツをつくっているプレイヤーがプラットホームホルダーに対抗するためには、事実上、自分自身のプラットホームを抱えているのと同じ状態をつくりだす必要がある。例をあげると、自力のプロモーション力をもっているかどうかとか、市場に認知されているぐらいにブランド力が蓄積されることである。認知は一般人+コンテンツプラットホームホルダーの偉い人がしってもらうぐらいでないと交渉力にはなる結果は出せないから、具体的にいうと、TVCMがうてるぐらいに儲かるかどうかというのが現在の時点での大きな分かれ目になる。


TVCMとかいうと、また、大手以外は関係ない話をしやがってと思うひとも多いかもしれないが、プラットホームホルダーとコンテンツホルダーの間でどのようなルールのゲームがおこなわれているかはすべてのゲーム参加者は知っていて当たり前だし、知るべきだと思う。宝くじを買うとき、一等じゃなく末等があたることを夢見るのなら買わなければいい。麻雀であればアガったときの役を覚えるのは当然だ。ポンとかチーとかしたり、チョンボをしないことぐらいで喜んでいてもしょーがない。


サードパーティが力をもてるかどうかについてはTVCMがうてるぐらいまでならないと駄目ということだが、そのためには、当然、コンテンツの市場規模が十分に大きいことが必要で、また、全員のプレイヤーがTVCMをうつわけじゃないから、TVCMをうてないプレイヤーでもそれなりのプロモーション手段が用意されていないといけない。(ちなみにiPhoneアプリに決定的に足りないのはここだ。せめて儲からなくても、ブランドだったりユーザだったりが蓄積する仕組みがあればなんとかなる可能性があるが、それも弱い)


ここで、プロのコンテンツクリエイターを目指すのであれば考えなければいけない最重要ポイントをいっておく。どうやって素人に勝つか?である。なにか、素人にはできないことでユーザにとっても決定的な差別化ポイントをみつけなければいけない。コンテンツをつくるのに投入する時間だったりお金だったり、特別なツールだったり、プロモーション手段だったりだ。センス?そんなのもっていて当たり前だし、素人にもセンスのあるやつなんかいくらでもいる。


素人と競争するからコンテンツにコストをかけられないという人がいるが、逆だ。素人と競争するからこそ、なんとかして有効なお金のかけかたを見つけないといけない。小作農のようなアフィサイトが一時流行り、手間のかからないサイトを大量生産して一時的に小銭を稼いだひとたちがいたが、その小銭すらだんだんと競合が増えてきて稼げなくなった。競合の多いコンテンツプラットホームで安易にコンテンツの低コスト競争をくりひろげると、同じ運命が待ち構えている。問題はどうやってコンテンツを安くつくるかではなく、どうやって(競争力があって)高いコンテンツをつくるかだ。


高いコストのコンテンツをつくることに成功したら、つぎは高いコスト構造を維持するための安いプロモーション手段をもたないといけない。そこでさきほどの話にもどるが、プラットホームホルダーに依存しない独自のプラットホームを持たないコンテンツホルダーは今後やっていけなくなるだろう。これは以前のエントリにもちらりと書いた。


コンテンツホルダーがプラットホームを持つということはどういうことだろうか?簡単にいうとユーザとダイレクトにつながることだ。

ユーザにプラットホームホルダーの名前ではなく、コンテンツホルダーの名前を覚えてもらうということだ。


コンテンツプラットホーム上に自分のプラットホームが築けるのが一番楽ちんで理想だが、プラットホームホルダがそういう方法を用意してなかったり、信用できなかったり、立場を強くしたいのであれば、コンテンツプラットホームとは独立に自分のプラットホームを持たなければいけないだろう。純粋なコンテンツだけでビジネスするのは今後はどんどん難しくなる。


純粋なコンテンツといえば、完全にフォーマットが固定されている音楽コンテンツや映像コンテンツはネット時代はどうなるだろうか。


同じことがいえる。クリエイターがコンテンツをお金に換えるためにはコンテンツの質以外にプラットホームが必要だ。ファンクラブなどがしっかりしていないクリエイター、なんらかのメディアとひもづいていないクリエイターは交渉材料をもてない。


フォーマットが固定されているコンテンツの場合は、マルチプラットホーム戦略が有効だ。その場合、今後、鍵になるのは、顧客情報とマーケティングの主導権をコンテンツホルダー側が握れるかどうかだ。


iTMSの場合、価格決定権もマーケティングのオプションもすべてアップルに握られている。アップルがショップの裁量として売価を決めたり、セールスキャンペーンをしたりするのは当然の自由だろう。しかし、現実には定価を変えたり、CDの外装を変えたり、特典DVDとセットに売ったり、購入者限定のライブの抽選券をおまけにつけたりするような、これまでのパッケージビジネスでは可能だった商品企画の段階から、アップルの意志と同意なしにはなにもできない。


このプラットホームホルダーに力が集中する構造を変えないとどんどんコンテンツは規格化されていき、代替の効くコモディティとして扱われ、無料に近づいていく。消費者にとってはラッキーなことのように一見みえるがまやかしだ。もうからないコンテンツの文化は間違いなく衰退する。プロの作品がアマの作品と差別化できなくなり、素人のつくった作品しか残らなくなる未来だ。


そのためにはiTMS以外にも有力なコンテンツプラットホームが成立することが必要条件だが、十分条件ではない。


コンテンツ側が顧客情報とマーケティングの主導権を握ることが必要だ。そのためにはコンテンツのデータのコピーをDRMつけて販売するのではなく、コンテンツの利用権をコンテンツ側が管理するサーバで集中管理して、iTMSなどのコンテンツの販売プラットホームも、コンテンツ側の利用権の管理サーバにアクセスするような構造になる必要がある。


これができると、購入者はどこでコンテンツを購入しようが、どこでも利用できるという環境がつくれる可能性がある。また、特定の購入者だけへの限定販売や優待販売。かってPCパッケージソフトであったようなアップグレードビジネスみたいなものも可能になる。


こういうプラットホームをコンテンツ側は共同でつくれないと、いずれプラットホームホルダーの付属品みたいな位置にしか、コンテンツホルダーは存在できなくなる。


問題は世界的にコンテンツ側の役者たちが、ジョブズなどにくらべて、ITリテラシーが低すぎて、大同団結できるイメージが全然わかないことぐらいだ。着メロが鳴ったぐらいで金取ろうとか、いちゃもんつけている場合ではない。勝負のポイントはそこじゃない。面倒くさくてもネットで配信する場合のコンテンツ会社にとっての顧客は配信会社ではなく個々のユーザになるように購入したユーザをトラッキングする仕組みを配信会社とは独立につくるのが急務だ。


iPhoneよりもましなデジタルコンテンツのマーケットとしてwiiやXBOX360があることを書くことを忘れていた。でも、まあ、iPhone同様のマーケティングの難しさは同じだ。有効なプロモーションの手段は用意されていない。特にオリジナルコンテンツで勝負するところが、知名度のある旧作コンテンツがライバルとなるのがとても厳しい。プラットホームホルダーのプロモーションもそういった過去のビッグタイトルに集中してしまう。ただ、ゲーム機上のデジタルコンテンツ販売の場合に、iPhoneと異なるのはプラットホームホルダーもそこからコンテンツで収益をあげようとしていることだ。だから、単価も高めに設定されているし、将来的にビジネスが成立できるように進化する可能性があると思う。


さて、だらだら、書いてきたら、どうやってこのエントリを締めていいのかわからなくなった。


最後に、iPhoneのコンテンツマーケットが成功する可能性がないわけでもないということもいっておく。それにはiPhone上のコンテンツが社会的なブームを起こすことが条件だ。かっての着メロのようにである。


その場合のキーとなるのはユーザの密度だ。携帯電話自体は、ほぼ日本人すべてがもっていると考えていいから、携帯電話機のシェアのうち過半数をiPhoneが占めるようになればいい。全世代でなくて、若年層の過半数でいい。それでiPhone上のコンテンツで着メロやたまごっちのような社会的大ヒットをおこせる可能性がうまれてくる。現在のiPhoneのシェアは派生的なサービスでヒットが起こるには低すぎる。


同様にゲーム機上でのデジタルコンテンツの普及もゲーム機の稼働台数の半分以上がデジタルコンテンツを購入しているような状態をつくることが重要だ。いまのところ一番近いのは360だろうか。


過半数以上が利用している状態になれば、iPhoneやゲーム機自体を世の中に普及させているさまざまなパブリシティ効果がダイレクトにコンテンツにも効いてくるので、一挙にプロモーションが楽になる。



さて、強引にまとめる。


まあ、現実的に考えて、権利者団体が突然覚醒する可能性は高くはないので、コンテンツホルダーは、とりあえず自分たちだけでもプラットホームをどうやって握るかを考えたほうがいいだろう。


また、IT業界側は、コンテンツホルダーの協力を期待したり、強制しようとしたりするのはやめて、自分たちでコンテンツをつくることを考えた方がいい。その場合はフォーマットも自分たちでつくるのが結局一番安くつく。


そして、すべてのコンテンツはプラットホームと融合する時代がくる。

gonuo6gonuo6 2009/07/20 00:43 初めて読ませていただきました。面白いです。
金のかかるコンテンツが一般大衆の中に存続するために、そのシナリオは有効ですね。
第三者的一般人からのプラットホームに対するコンテンツ無料圧力にも対抗できますし。
しかし、他のシナリオとして無料化圧力に負けて一時的に中世化(少数の金持ちが金のかかるコンテンツのパトロンになる)は考えられないでしょうか?

中世化した後、金のかかる文化は一般大衆から遠のく一方、
大衆のための金のかからない文化のプラットホームとして
小さいコミュニティーが重要になってくる気がします。
町内自治会もしくは小規模な同人誌即売会、もしくは金持ちクラブの庶民版みたいなやつ。
そこで新しい文化が育まれるのでは?ただしプロとアマの境界線が薄い。
これも一種のプラットホームとコンテンツの融合化かな。

そして実力をつけた人がここを足がかりに、また金のかかる大衆文化を作る(ルネッサンス)。
短期間の中世ですね。

以上より、プラットホームを一般人(素人クリエイターなど)が気軽に作れるようにするビジネスがはやる!ってのはどうですかね?

snufkin777snufkin777 2009/07/21 03:03 私はお知り合いの方の運営しているサイトの利用者です。

あのサイトには、多岐にわたるプロのクリエーターが居ると思われます。
ただ、それがビジネスに結びついていないのが現状です。
しかし、同社の提案や企画でマッチングさせれば、様々なビジネスが展開できると思われます。

それが一般化していけば、企画毎のスポンサーを見つけるのは容易になり、最終的に自らアイデアやクリエーターを求めて来る様になるのではないでしょうか。

ビジネスの種が育つ様に、エネルギーを与える事がサイトとして可能であると考えますが、いかがでしょうか?

kenshoFkenshoF 2009/08/05 14:32 長すぎて全く読む気がしない。オナニーは家でやってろ。

こんな事ブログなんかに書いて、誰かに誉めてほしいのか?w

弱すぎるな。

dellcadellca 2009/10/18 21:49 融合したプラットフォーム、
つまりプラットフォームそのものもがコンテンツ
でもある。てことですね。自分が描いているもの
がそれだと思います。是非検討して欲しい。

dellcadellca 2009/10/29 16:25 でそれがこれ
http://www.nicovideo.jp/watch/nm8634470

2009-07-16

コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方

15:57 | コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方を含むブックマーク

はてなダイアリーでブログを書きはじめて1ヶ月以上たったのだが、別に日記とかをつけているわけではないので、そろそろ書きたいこともなくなってきた今日この頃です。


44年間の人生(※1)で中身が詰められた引き出しは意外に少ないもんです。


もともとブログをはじめた理由となる読んでもらいたいエントリが本当はあるのですが、はてなが意外と楽しくて、予定以上にいろいろなエントリを書いていたら、完全に出すタイミングを失ってしまいました。増田にでも出そうか悩んでいます。


さて、ということで、なにか、普通のひとはあんまり書かないだろう暮らしの知恵的なものをエントリにしてみました。


テーマはコミュニケーション能力がないひとの上手な他人との付き合い方です。コミュニケーション能力が本当にないひと向けですのでリア充なひとは不要です。該当しないなあと思う人はここから先は読まなくていいです。(というか、すごい長文になってしまった)


ステップ0 自分を冷静に見つめ直してみる

ステップ1 プロキシー(代理人)を通して他人と付き合う

ステップ2 自分の価値を高める

ステップ3 真の友情をつかむ


順番に説明していきましょう。



ステップ0 自分を冷静に見つめ直してみる


さて、はてな界隈にもコミュニケーション能力や社交性に欠ける困ったちゃんは山ほどいると思います。


他人と付き合うことが苦手な人間がどうやって他人と付き合っていけばいいか?


すでに命題自体が矛盾をはらんでいることにお気づきだと思います。


そう、出発点は、冷静に人間関係における自分の価値を認識することでなければなりません。


だいたいほとんどの他人はあなたとは付き合いたくないと思っているはずです。話も面白くないし、一緒にいてもノリが合わなくてつまんないし、自分までこいつの仲間だなんて思われたら仲間はずれにされるかもしれません。きっとあなたはそういう存在です。


だいじょうぶです。心配することはありません。こんなクソブログのゴミエントリなんかを読んでいるひとはみんなあなたの仲間です。ええ、絶対にあなたの仲間のほうが多いはずです。多分ですが。すくなくともあなたより惨めなひとは世界中を探せば3人はいるでしょう。


そう、冷静に自分の立場、他人にとっての自分の価値を、…嫌な現実ですが、しっかりと受け止めてください。


そうやって世界を見渡してみると、意外にも、世界は慈愛に溢れた素晴らしい世界であることを再発見します。


あなたとは本当は関わり合いたくない、目とかも合わせたくない、可能であれば同じ部屋の空気を吸いたくないと思っているはずの他人が、あなたのすぐそばに、ほんの少数ではありますが、いてくれているではないですか。


学校や会社でも家庭でもそして社会でも、あなたはけっしてゴミなんかじゃありません。人間として認められています。ゴミなら粗大ゴミの日に出されているはずです。


選挙権だって、あなたが20歳以上であればあたえられるはずです。


コンビニのレジの女の子だって、たまにはあなたにお釣りをわたすときに手がふれてしまうことを厭わない子だっているのに気づきませんか。まるで観音様のようではないですか。


はい、あなたは、いま、まわりのひとに自然な感謝の気持ちがめばえてきたはずです。


まとめ0: おめーはつまんねー奴なんだから、つきあってくれるだけでも、まわりのひとたちには感謝をしとけ


では、まわりのひとへの感謝の気持ちをわすれないうちにつぎのステップ1へいきましょう。



ステップ1 代理をたてて他人と付き合う


あなたはコミュニケーション能力も社交性もないんだから、苦手なことはやらないのが一番です。なので付き合う相手は、せめて少数精鋭でいきましょう。21世紀のカリフォルニアの思想家、Kentaro Ejima(※2)によると究極の少数精鋭はひとりだそうですので、あなたが付き合う相手も、ひとりいれば十分だと思います。というか、たくさんのひとと付き合えるひとは、そもそもこんな無駄なエントリを読む必要がありません。


そのひとりに社交性のある人間を選べば、その人を通じてあなたは残りの世界とつながればいいのでとても効率的です。


さて、ここでひとつだけ大きな問題が生じます。そもそも自治体にも回収してもらえないゴミみたいなあなたと社交性のあるような人間が付き合ってくれるでしょうか?ここは難しいところです。大変な難関ですが、残念ながら、ここだけはなんとしてでも、頑張ってクリアしなければいけない。


どうするか。


申し訳ない。このいちばん肝心なところに僕は具体的な答えを用意してあげることができない。ここはあなた自身で一生懸命にがんばって考えてもらうほかないところなのです。


ただ、間接的な助言であれば、すこしはしてあげることができる。


ひとつは対等な関係を望んではいけないということです。ぼくはここまであなたが付き合う相手について友達という言葉は使ってこなかった。虫けらみたいなあなたには人間の友達なんておこがましい。もっと非対称であり不平等な関係で満足すべきです。


もうひとつは相手にとって、やっぱり優しさだけでは足りなくて、あなたと付き合うメリットがどうしても必要だということです。自分が、世間一般に、もしくはせめて、相手にとってだけでも、なんらかのメリットを与える存在でなければ、どのみち付き合ってもらうことはできません。ここははっきりと理解できなければいけません。また、甘えたり期待したりするのは絶対に禁物なところです。


だから、絶対に、相手に依存してはいけません。いくらあなたみたいなゴミを人間として扱ってあげようという心優しい相手でもゴミによっかかられてしまうと、つい鼻をつまんだり、顔をそむけてしまったりします。それは生理現象だからしょうがない。悲しいことですが、けっして恨んではいけません。よっかかったあなたが悪い。


まとめ1:つきあう相手は少数でいいから、そのぶんがんばれ



ステップ2:相手にとって価値のある人間になる


ごくつぶしで役立たずのあなたが他人にとって価値のある存在になるということが本当に可能でしょうか?最新の物理学ではそれが理論的に可能であることが予言されています。空想物理学者Hiromu Arakawaの論文「Fullmetal alchemist」で発表された「等価交換の法則」(※3)によると、あなたはコミュニケーション能力を代償として失った代わりに”なにか”を得たはずです。


サヴァン症候群とか、アスペルガー症候群とかいうのをご存じでしょうか?


人間の脳で数学をやるときにつかう場所とか、料理のレシピを覚えておく場所とかは決まっておらず、ひとによって異なるようですが、言語をあつかう部位だけは、特定されており、また、かなりの大きさを占めます。人間の思考にとって言葉というのはいかに特別であり、中心的な位置を占めているかということでしょうが、また、人間のコミュニケーション能力と言語をあつかう能力とはかなり密接な関係にあるようです。


サヴァン症候群やアスペルガー症候群とは、すごく簡単に説明すると、この本来は言語をあつかうべき脳の巨大な回路を他のことにつかってしまったひとたちのことです。サヴァンやアスペルガーまでいかなくても、コミュニケーション能力が低いひとというのは、必ず、巨大な脳の回路が余っているはずです。絶対に、社交性のある人間よりも優れている能力がなにかあるはずです。


それがあなたがコミュニケーション能力を失ったかなりに得た能力が、錬金術やスタンド能力であれば、かなり、あなたが付き合うことにした数少ない相手にとって価値の高い人間になれる可能性は高いです。とはいえ、巨大な代償を払ったくせに、とても他人に評価されるとは思えないくだらない能力しか、あなたは得られなかった可能性もあります。


そういう場合でも大丈夫です。あなたのように人生のくじに外れた運のない人間にもきちんと残念賞が用意されています。


それは時間です。なにしろ人と付き合う必要がほとんどないのだから、ふつうのひとよりも圧倒的にヒマがあるはずです。ここをあなたの価値をあげるのにつかえなかったら、数少ないあなたの周りのひとにも相手にされなくなります。


まとめ2:あなたは人間として魅力ないんだから、なんかとりえをもつための努力ぐらいはしろ



ステップ3 そして真の友情をつかむ


まあ、真の友情をつかむためには真の友情というのはどういうものなのかを定義しなければいけません。真の友情というのは、まず、絶対なものでもなければ、永遠なものでもないということを理解しなければいけません。とても不安定ではかない一瞬で消える幻のようなものです。だからこそ尊い大切なものなのです。


でも、定義を変えたところで、「真の友情」というと、なんともおおげさすぎる表現ですので、呼び方も変えちゃいましょう。そうですねー。じゃあ、こういうのでどうでしょうか?


「ちょっと真の友情っぽい、なにか」と、ここでは呼ぶことにしましょう。


では、どうやって「ちょっと真の友情っぽい、なにか」を手につかむことができるのでしょうか?


そのためには、あなた自身の「価値」というのが本当に重要です。ここまでのステップで、あなたにはなんらかのとりえがきっとできている、とします。それをつかってまわりのひとと友情ゲームをはじめましょう。


友情ゲームというのは、ポーカーのようにお互いに、相手が降りるか、これぐらいの賭け金でいいと両方が合意するまで、お互いの友情の大きさを上げ続ける、というのが基本ルールです。


まあ、あなたは駆け引きは、どーせへたくそですから、ポーカーゲームは適当にやっていればよろしい。出し惜しみせずに、かといって相手が警戒しないくらいのちょっと多めの友情の大きさを賭け金として提示してあげればいいでしょう。


あなたにとっての勝負のポイントはそこではありません。友情ゲームというものは、現実のポーカーと違って負けても賭け金を払わずにばっくれてもいいというルールなのです。


なにかがあったとき、本当にあなた/相手が賭け金を払うかどうかというのが友情ゲームの本質です。


そしてあなたの目的は、自分が払わずに相手だけ払わすというような高等戦術ではなくて、お互いに賭け金を払い続けるというゲームそのものを成立させることです。


そして、ここを勘違いするひとが多いのですが、このゲームが成立するかどうかは、あなたの人格ではなくて、あなたの価値が決めるということを忘れてはいけません。あなたが賭け金を払わないのはもちろんあなたのせいですが、相手が賭け金を払わないのもあなたのせいです。


なぜなら、どちらもあなたの価値が足らないのが理由だからです。相手に裏切られるとき、相手のせいにして非難しがちですが、なぜあなたが裏切られたかというと、ルールを守ってまで付き合いを続けるに値しないと判断されたにすぎません。


あなただって同じです。


人間は自分にも嘘をつくし、自分の願望と自分の現実の姿を混同しがちですが、人間が約束を守るかどうかは、その人の能力に比例します。とるにたらない約束、簡単にできる約束は守ります。自分に痛みをともなう約束はできることなら守りたくないでしょう。自分を本当に犠牲にしないと守れない約束なら、理由をみつかれば、なんとか反故にしようとします。自分が相手に誠実になれるかどうかも、あなたの人格よりも、あなたの能力できまるおです。


相手もそうで、できない約束は守らないのはあたりまえ、守れるけど痛みをともなう約束のときは、あなたの価値をその痛みと天秤にかけるのです。相手の判断が間違っているならそいつの頭が悪いだけの話ですが、相手の判断が正しくて、そしてあなたの価値が低いのであれば、悪いのは価値のないあなたのほうだ。ゲームは負けです。


結局のところ、あなたの能力次第で、友情ごっこというゲームが成立するかどうかが決まるということになります。

自分が駄目駄目なときにまわりの友情を期待するなんて、解がないところで解を探すような真似は時間の無駄ですからやめましょう。そんなヒマがあったら自分を磨いて価値を高めることが大事です。


友情ごっこなんてゲームは遊びにすぎませんが、遊びだからこそ、真剣に努力してゲームやらないと面白くないです。あなたはもともと付き合う相手がすくないんだから、自分の痛みをともなう好意を、痛みを我慢しながら相手に与えるというプレイスタイルが比較的に向いています。


友達に金を貸してはいけない。友情が壊れるから、貸さないのが真の友情だ、というようなことをいうひとがいますが、そんなたわごとは真に受けてはいけません。それは友情が最初からなかったか、貸す金が惜しいだけの言い訳でしょう。


他人にお金を貸すというのは大変に難しい決断です。あげるつもりで貸せというのもよく聞きますが、それは本当にそのとおりです。どうせあげるつもりで貸すのであれば、「ちょっと真の友情っぽい、なにか」をゲットできる大チャンスですので、そのときの注意事項について話しましょう。


ひとつはお金の使途は具体的にはきいてはいけないということです。貸すんじゃなくてあげるものだから、聞く必要はありません。あと、返済方法についてもきいてもいけないし、まして約束させては絶対にいけません。お金を借りる人というのは、だれも貸してくれない状態で頼んでくることが多いです。そういうとき、話せば話すほど、無理なこと、実現できないことを約束してしまいます。そして借りた後、その自分の言葉に縛られて、二度とあなたの目の前から消えてしまいます。そのときは、心が弱っているでしょうから、自尊心を守るために、あなたを逆恨みする可能性すらあります。


本当に返せないひとほど、、自分でも返せないことをぼんやりと自覚していますから、「少しずつでも返す。とか一生かけて返す。もらったつもりはない」とかいう、本当のことをいっているんだと自分で信じられるギリギリの表現をしたがります。


そう思っているのは決して嘘ではありません。毎月返すといっているひとは、間違いなく最初の1回目は、ほぼ振り込んできます。ただし、だいたい、続いて2ヶ月までといったところでしょうか。


絶対に返すという偽りの言葉を信じるということは、友情ゲームという観点からは、一見、正しいように思えますが、必ず負けますので、そんな言葉は絶対に許してはいけません。なにも聞かず、黙って貸す。それが最善です。返ってくるかどうかは相手の力量と運次第です。相手の人格とかは二次的な問題です。返せないものは返せません。恨んではいけません。


人間はあなた自身もそうですが、いろいろな側面をもっています。自分と相手との関係性の中でどういう側面をお互いだしていくのかというゲームをやっています。お互いに、いい面を出し合えた瞬間が「ちょっと真の友情っぽい、なにか」です。でも、それすらも永遠のものではなくて、ほっとくと、すぐに消えてしまったりします。ずっと人生の長い間、維持できるとしたら、運も必要ですから、ちょっとした素敵な奇跡でしょう。


あなたはどうせ最低の人間だから、きっとまわりの人間のことは好きになれるし、尊敬もできるはずです。

ただ、だれでも、あなたに嫌な面をみせたりすることはあるでしょう。でも、あなたの心の中のもっとも嫌な自分よりは絶対にマシなはずです。


相手のためじゃなく自分の信じたい未来のために自分の友達は助けるのだと思います。


……すっかり長文になってしまいました。

 

なんか、ここに書いたことは、あたりまえのことばっかりで、つまんないなあ、と思った人も多いと思います。時間の無駄でした。すみません。


でも、まあ、コミュニケーション能力のない社交性のないひとにとっては、意外とわかんなかったりするものじゃないかなと思ったので、書きました。友情に飢えると逆に幻想とかもっちゃって存在しないものを探しちゃうのは無駄ですしね。


人間というのは悲しい生き物で、歳末助け合い運動とかで、小銭じゃなくて、お札を募金箱にいれたりするひとが、見るからにお金をもってなさそうなひとだったりします。きっと、本当に苦しかった過去や現在があって、そうせざるをえない衝動にかられたんだと思います。


人間がなにかを望むとき、もっともそれを必要としているひとが、むしろ他人に与えてしまうというのは皮肉なことです。


でも、本当にだれかが困ったときに、損得や理屈を無視して手をさしのべるひとはそういうひとなんだと思います。


それを頭が悪いと笑うべきなのか、憐れむべきなのか。


ひとついえるのは手をさしのべて問題が解決できるだけの”力”をもっているのであれば、そんな頭の悪い行動も、きっと本人は幸せなんだろうと思います。


力が欲しいか?


ぼくは欲しい。




(※1)出典、公式プロフィールより。

(※2)無理矢理、絡むのも3度目はいかがなものかと思ってtwitterにて本人から承諾いただきました。しょーもない小ネタですみません。多謝。

(※3)鋼の錬金術師を読むと等価交換の法則がどうみても成り立っていないように見える現象ばっかり起こりますが、人間の直感と正しい理論とが、必ずしも一致しないというのは、相対性理論、量子力学以降の物理学の特徴です。

mihodesuzomihodesuzo 2009/07/16 22:27 おもしろすぎました・・
はてなの登録してからの初コメントです  笑
社交性のない 暗い人間ですのでご返答は ・・・・
だいじょぶです・・笑

Kg_failureKg_failure 2009/07/17 01:55 これはワロタのでコメント。
捻じ曲がってるけどやけに真っ直ぐな読み物でした。

deppurideppuri 2009/07/17 10:21 おおお!!!よりポジティブになりやした!

gohkigohki 2009/07/17 14:19 はじめまして。
公式プロフィールとは何を指すのでしょうか?
貴方様に興味があり、貴ブログのプロフィール欄を拝見しましたが拝見しましたが何もわかりませんでした。
失礼ながら全ての過去ログを拝見したわけではないのですが、
よろしければどこのどなた様か教えて頂ければ幸いです。

HiiragiJPHiiragiJP 2009/07/17 17:54 アスペルガー症候群は
「(2歳の時点で)言語能力の遅れの無い自閉症」
のことですよ。
むしろ言語の習得は健常者より早いぐらいです。
この僥倖によって自閉圏の世界と社会との接点
を取り持ち、知的障害の無い発達障害者として
振舞えるのです

piqu27piqu27 2009/11/09 01:59 もっと あなたの心理学の話、読みたいです

2009-07-15

ネットを弾圧する方法について考えてみた

05:57 | ネットを弾圧する方法について考えてみたを含むブックマーク

ネット社会が自由である時代は、あとしばらくの話かもしれません。


というわけで、政府がネット社会を弾圧するとしたらどういう方法がありうるかを海外や過去の歴史を参考にしながら、考えてみました。



・ 匿名性の廃止

これはすでに、韓国なんかではネットのへのアクセスを全部登録制にしようとしているようです。匿名のネット文化の発達している日本だと、大反発必至ですが、それだけに効果の高い施策といえるかもしれません。とりあえず池田先生は喜びそうです。


・ ネット鎖国

中国を参考にして日本から海外へのアクセスはすべてファイアーウォールごしにして検閲をするというのは有効な方法だといえます。

ネットに国境をつくるのであれば、徴税権も行使したいということで、PV税みたいなものも考えられます。これはお金で徴収するのではなく、10PVごとに1回は政府の広告が強制表示されるとかいうものでいいでしょう。


・ 集会の禁止

暴動がおこるのを防ぐためには人が集まること自体を禁止するのは、古来よりも使われてきた。テクニックです。これをネットに適用するのはどうでしょうか?

具体的には不特定多数が参加できる掲示板は違法にしてしまうのがいいでしょうね。

mixiのマイミク数が最大1000というのは多すぎます。1000人もいたら、ちょっとした炎上ぐらいはすぐに起こせそうな規模ですね。マイミクの上限は20人ぐらいにしてしまいましょう。

twitterのフォローも20人ぐらいまでに制限したほうでいいですね。ただ目的を考えると、フォローする人数は多くてもよく、フォローされるのが20人までというルールがよさそうです。


・ 夜間ネット禁止令

ふつうのひとは昼間は仕事をしていますから、よからぬことをたくらむのは、夜にきまっている!ということで、夜間はネットを禁止にしてしまうのはどうでしょうか?

ちょっと非現実的かもしれませんね。これだと、とっても不便なわりには、ネットを荒らす原因のひまなニートは排除できないですね。だったら、ネットそのものを禁止したほうがいいかもしれません。


・ 隣組制度

政府が上から弾圧するより、国民同士を相互監視させたほうが効率的です。連帯責任というのはすばらしいアイデアですね。ということで、隣組制度を現代に応用させて、隣IP制度というのはどうでしょう?IPアドレスが近いひとがやった犯罪行為はすべて連帯責任とします。

国民全員に固定IPが必要ですので、IPv6の普及促進にもなります。


・ 参勤交代

アルファブロガーは1年間のうち半分は政府が運営するブログでしかエントリをあげてはいけません。みかけ上の言論の自由は保証されますが、反政府的、反社会的なエントリをあげた場合は反逆罪とみなされ、人質として申告した自分の一番大事な嫁(二次元上の)を含む作品がすべて発禁処分とされます。



なんか、あんまり実効性のある施策はむずかしそうですね。ひろゆきの踏み絵とかみんなよろこんで踏みそうだし。しばらくはネットの自由は安泰かもしれません。

inaminokituneinaminokitune 2010/07/08 10:56 過去を振り返れば この手の弾圧なら国家より宗教
宗教と言うと堅いので 信仰 もっと崩せば倫理やら道徳というか世論でしょうね

 まぁ 世間で それが普通の基準と思われれば 弾圧と感じる事もないですが

inaminokituneinaminokitune 2010/07/08 10:58    いずれにしても まつりごと つかさどるのは 
かたいところだけはないですし

2009-07-11

独占的プラットホームが衰退するシナリオを考えてみる

10:30 | 独占的プラットホームが衰退するシナリオを考えてみるを含むブックマーク

インターネットにおいては、ジャンルごとに絶対的な勝者がひとつずつできるといわれている。彼らの先行者メリットは絶大で、後発のサイトがおっかけるのはとても難しいそうだ。


ということで暇つぶしに、インターネットのおける勝者がネットの進化における歴史的必然として衰退するシナリオがあるとすればどういうものなのか、考えてみた。



グーグルの場合


グーグルの場合は簡単だ。検索サービスとは電話事業における電話帳(イエローページ)に相当すると考えることができる。


電話の普及期においてぶ厚い電話帳は非常に重要な存在だったが、電話が一般に普及するにつれて、個人が自分で管理する電話帳のほうが重要になってきた。そしていまや携帯電話にはいっている個人の電話帳が一番重要だ。


検索サービスについて、このイエローページにおこった出来事をアナロジーとしてあてはめるといいだろう。いまの検索サービスが重要な時代というのは、人類にとってネットがまだまだ異世界である時代である。人類にとってネットがあたりまえの存在になればなるほど、検索サービスよりも、人間が実際にネットで生活する場の情報のほうが重要になる。


そういう意味でfacebookの存在をgoogleが恐れる理由はよく理解できる。ネットが人類にとって身近なものになるにつれ、人間が生活するコミュニティの重要性が増していき、そして、おそらくプライベートな場所はどこかのラインが引かれてグーグルが検索できなくなる。


そういう場所が次第にふえていき、グーグルの相対的重要度は下がるだろう。



楽天市場の場合


楽天市場の場合の衰退するシナリオはふたつぐらい考えられる。


ひとつはクレジットカードの問題だ。楽天市場が成立している大きな根拠は、消費者がネットでクレジットカード番号を入力することに抵抗があり、特定の場所以外での利用をしたがらないからだ。ネットショッピングに消費者がどんどん慣れてきて、クレジットカードの利用に抵抗感がなくなると、もっと専門性の高いショッピングサイトがどんどん登場し、楽天の現在のテラ銭10数パーセントが、いいターゲットになるだろう。


もうひとつの可能性は、おそらく日本だと家電量販、世界的にはウォルマートでおこっているのと同じように、巨大流通のメーカーへの影響力がどんどん大きくなり、流通自身がプライベートブランドなど商品企画力が問われる時代がくる。その場合に、ショッピングモール型の楽天はアマゾンには対抗できないことが予想できる。



mixiの場合


コミュニティの場合は、ターゲットユーザへの認知度がほぼ100%になったあとに転機がおこる。認知されただけでなく、現在の加入ユーザ+過去の加入ユーザ+検討した結果、利用しないと決意したユーザの合計が、ほぼ100%になったときに成長は止まる。


諸刃の件になっているのは、日記を書くというmixiの主力コンテンツの存在だ。日記は、もちろん大変に魅力的なコンテンツだが、自分の友達が日記をやめはじめたようなクラスタでは、負のフィードバックがはたらいて、そこでは、もう二度とmixiは流行らない。


次のポイントは移り気な若年層の支持をうしなったときだ。そのときは長い期間をかけて衰退していくだろう。なので年齢制限を外した判断は、いろいろ異論があるもののぼくは正しいと思う。


若年層でより勢いがあるモバゲー、greeはいまのところ携帯だけだ。PCにおいても若年層の支持を集めるコミュニティが登場したときがmixiの本当の危機だろう。



ニコニコ動画の場合


これについても衰退のシナリオは2段階ぐらい考えてみよう。


ニコニコ動画の場合、現在の大きなアドバンテージは、最後に大ヒットしたネットサービスであるということだ。つまり”旬”であることによるいろいろな面での後押しが、まだ、残っている。その間はなにやっても最初に注目される存在でありつづけるだろう。このアドバンテージはもちろん次の大ヒットサービスが登場すると消滅する。現在の有力候補はpixivとtwitterか。どっちもちょっとニッチすぎる気がするので、別のサービスが登場するかもしれない。


もうひとつの衰退のシナリオは、コンテンツの提供している動画制作者の影響力の増大がトリガーになる。ニコニコ動画が一般的になるにつれ、有名動画制作者の地位はどんどん強くなり、ニコニコ動画以外を発表の場に選んだとしても、ユーザはついていくだろう。



twitterの場合


このサービスはまだ大ヒットという段階にはいたっていないが、ここ数年の有力候補ではありつづけている。


どんどんfollow先を登録していくと、すぐに情報爆発が起こるので、なんか、もうひとつUI的なブレイクスルーがないと、RSS並みのヒットで終わる気がする。


twitterの一番の危険はbotの繁殖だ。twitterが普及するにつれ、まるでスパムメールのようなつぶやきがどんどん増殖し、ユーザ自身がライフログの吐き出しのように自動実行させるつぶやきも増える。タイムラインの有用度はどんどん低下していきメールの受信箱みたいになる日も近いのではないか。


………


さて、ということで妄想は終わり。


個人的には、ここに書いているあることが事実だとしても、各プレイヤーは単純に時計の針をおくらせるだけのような対策じゃなく、むしろ針をすすめたうえで、新しい時代をつくりだすぐらいの気概でのぞんでほしいと思っている。


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補足:ヒマなのではてブのコメントに返事書いてみます。

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id:love_chocolateさん

面倒くさいから楽天を選ぶというひとはいちばん最後まで楽天に残ると思いますよ。で、それが多数派なのはそのとおり。崩壊というのは周辺から起こるものです。


id:A-Xtuさん

気に入らないのはワーディングだけですか?文章読解力があるのでしたら、中身に反論していただいて勉強の成果をみせていただけると幸いです。

リンク先は意味不明。


id:triggerhappysundaymorningさん

リンク集=電話帳というアナロジーこそ想像力が貧困でしょう。というか、文脈読めてなくないですか?電話帳の情報提供形態を問題にしているわけではなく社会的役割の類似を指摘しているんですが???


id:araishiさん

すみません。新しいものをつくるのだけがいいと思っているわけじゃないですが、日本のネットに足らない考え方だと思っているので毎回強調してしまいます。

brafsanbrafsan 2009/07/11 17:25 こんにちは。はじめまして。
いつもキレのあるお話しをしていただき、恵まれているなぁと感じているものです。

ニコニコ動画の衰退について、私の意見を書きます。
テレビの内容がつまらなくなったという認識が広がっていますが、そのテレビの対極に位置しているかのようにみえるニコニコ動画のコンテンツの多くはあくまでそのテレビに根ざしたものです。このまま『テレビの内容はつまらない』という認識の流れが進んで行けば、連動する形で衰退してゆくと思います。
テレビ、というかテレビ局に対しては、昨今あまり歓迎されない風潮があります。しかしながら、テレビというところは、どうこき下ろしてみても強力な情報発信能力を持っており、また多くの人に受け入れられるようなコンテンツの政策能力を有しているということは紛れも無い事実です。テレビという強力な情報発信能力を持つところから発信され、多くの人々が理解できるような情報コンテンツに『つまらない』というタグを付けられることで、
1.テレビのコンテンツは『つまらない』とされているので、そもそもそれを元ネタとした動画が作られづらくなる
2.1.に従いまったく独自の動画が出てくることになるが、全く独自のものというのは基本的に受け入れられ難い、というか端的に分かりづらい
3.一部のマニアな方以外には分かりづらいものになり、徐々に人が離れてゆく
という経過をたどってゆくように推測できます。

と、ここまで書いて気づいたのですが、上記のようなこともひっくるめて”旬”という意図ででしたら、その通りだとおもいます。

関係ないですが、ニコニコ動画は、当初はいろんな人の動画の解釈がわかっていいなぁと思っていたのですが、結局みんな考えることは同じ、狭窄な視野の人は多い、ということに加えて、開かれた作品だろうとなんだろうと動画にコメントを付けていくことで最終的に唯一通りの解釈しか持たないコンテンツを作り上げるシステムなんだ、ということが分かってしまうと、投下されるコンテンツの内容が大体読めるようになってきて、ちょっと前のような感じにはなれなくなってしまいました。

love_chocolatelove_chocolate 2009/07/11 18:36 こんにちは。いつも楽しみに拝見させていただいてます。。
idコール飛んできて、びっくりしました。ドキドキ。

ECについては、探す手間や入力の手間や支払いの手間を省く手段を、より劇的に提供できたものが勝者になると、個人的には思っています。

決済については、直接クレジットカードをどうこうというより、使おうとしているその瞬間には、あまり強く決済を意識させないもの(なんか上手く言えてる気がしませんが、今はiモード課金とかSuicaとかがが一番近い気がします)が、日常的に使うツールと一体化して、大きなECモールとか検索サイトと結託して出てくると、徐々に勢力地図が変わってくるかもしれないなーという気はします。

でも、あくまでも一ユーザとしての個人的所感ですが・・・。
特にキレのある見解でもなくつまんない話ですみませんw

kawangokawango 2009/07/12 02:21 brafmanさん、love_chocolateさん、コメントありがとうございます。
Brafmanさんのコメントはだいたい同意です。総合格闘技と似ているなと思っていて、最初は異種格闘技みたいで面白かったのですが、だんたんと総合格闘技というスポーツに収斂してしまいました。サービス単位で新陳代謝すべきなのか、もっといい方法があるのか、難しいテーマだと思います。TVみたいにインフラにまでなれるばまた話はちがってきますが、難しいでしょうね。
love_chocolateさん
探す手間、入力の手間については、もうやること少ないかなと思います。ニッチの方向にいくだけだと。これ以上はカテゴライズされたコミュニティとくっつけるか。メーカーによる独占商品の直販が伸びるんじゃないかと思っています。
たんに品揃えをそろえて量を販売するというモデルであれば、楽天はそれなりには完成されていると思います。
決済はおっしゃるとおりなんでもいいと思いますよ。問題はユーザが気軽につかう習慣がつくかどうかです。

brafsanbrafsan 2009/07/12 17:36 どうでもいい話をすると、問題として存在しているのは、
TV v.s. ウェブ
もう少し言えば、
古い価値観を持つとされている人たち v.s. 新しい価値観を持っていると思っている人たち
といういつの間にやら形成された強い感情を伴う対立軸だと思います。
これがなんだかんだと足を引っ張っている、何かしらの事業を行ううえで障碍になっていると思います。

ウェブが既存にない全く新たで革新的なものをもたらすという幻想も過ぎ去ったわけですし、いい加減上記のような対立構造は誰にとってもメリットが無いはずです。にもかかわらず半ば信仰とも呼べる形で厳然と存在していると自分は思います。

結論を言ってしまえば、歩み寄るべきだと思います。(当然反発は予想されますが、特に論拠も無く回りがそうだといっているからイヤだ、というのが真相だと思われますので、広報的戦略でそれほど問題は出さずに移行できるのでは無いかと思います。)

実際、楽天の『Love Japan』はそのまんまで、露骨ですが、限りなく有効な手だと思います。
インフラを作り出そうとするにしても、作り出したら作り出したらで、どこかでゲームルールを作っている方々と相対する場面が出てくると思います。ゲームルールを作る方々の力は強くて、本気になればせっかく作ったものを実質無効化できたりもするんですから。

2009-07-07

人脈の価値について、昔、聞いた話

23:43 | 人脈の価値について、昔、聞いた話を含むブックマーク

ということで、だらだらと思っていることを書いてみます。


ぼくがマスコミや芸能関係のいわゆる業界人的なひとたちとつきあいはじめたときに発見したことです。


”業界”のひとって、会話の半分以上が、自分はだれそれと仲がいい、とかこのまえ一緒にめしをくったとか、飲みにいって朝まで大変だったとか、こんど会うとか、なんですね。一般社会ではそういうのは嫌われることが多いのでめったに会わないですが、”業界”だとそういうひとばっかりです。むしろそうじゃない人のほうが珍しい。どういう力学がはたらいたら、こういうひとたちの存在があたりまえな社会になるのだろうって、最初のうち不思議だったのですが、そのうち気づきました。


それは”業界”のひとって、個人の看板で商売しているからです。ふつうのビジネス社会では偉い人も、結局のところは会社の看板で商売しています。”業界”ではたとえサラリーマンであっても仕事は人とのつながりがすべてだから、自分という看板をいかによく見せるかということで勝負しているのです。自分の人脈をアピールするのは自己顕示欲なんかじゃなくて、真剣勝負なわけです。そのことがわかって、ますますこの世界が好きになりました。会社の規模と肩書きだけで相手を値踏みする世界にくらべてなんて公平なことか。


テレビ局の番組編成に芸能事務所などがけっこう影響力をもっていることはよく知られていますが、本当であれば、こういう関係は成立しないはずです。なぜならテレビ局と芸能事務所とであれば、テレビ局のほうが本来は圧倒的に立場が上だからです。本当に喧嘩をしたら、全盛時代のナベプロですら、日テレに惨敗しました。本来は喧嘩できないはずなのに、一見、対等以上にわたりあえているのは、テレビ局側の担当者が結局はサラリーマンだからです。本当に会社単位で喧嘩したら勝つのだとしても、担当者レベルでもめたとしたら、喧嘩どころか、むしろ社内的に責任を追及されかねないからです。この微妙な力学を利用してなんとかやりあっているわけです。


2ちゃんねるとかを見ていると芸能界とか音楽業界とかは恐ろしい権力をもっていて、あちこちに影響力をおよぼすちょっとブラックなところだと思われたりしているようです。でも、それはちょっとフェアな見方ではないと思います。彼らは弱者としてゲリラ戦をやっているだけです。圧倒的に強大な敵に対して弱者が権謀術策をめぐらしてなんとか大健闘しているだけにすぎない。エンタメ業界なんて国歌の基幹産業にいれてもらえたことはないし、ずっとカス扱いをされてきました。個人の力を寄せ集めて、ちょっとした力学上の奇跡を起こしてきたのが彼らです。


人脈とはなにかについての話を、あるひとから聞いたんですが、部下にこう説教したことがあるそうです。


「いざというときに君たちが金を渡して受け取ってくれる人間が何人いるか?それが君たちのもっている人脈の価値だ。だれからでも金を受け取る奴は意味がないからカウントしちゃだめだ。普段はそんなことをしないような奴で、君たちに心を許してくれて、いざというときには金を出したら受け取ってくれる人間が何人いるかが大事なんだ。」


この話を聞いたのはもう何年も前ですが、ちょっと当時の僕にとっては衝撃的で、人間というものをいろいろ考えるきっかけとなりました。自分の欲望じゃなく、相手への好意のしるしとして、人間はお金を受け取ったりするんだ、と思いました。考えてみると、ぼくも好きじゃない人間から飯を奢られたりするのは大変な苦痛なので避けます。


人間というのはそうそう単純なもんじゃないです。そして、本当は単純だったりします。


実はただたんにその人が好きだから助けたいだけなのに、理屈がないと動けなかったりします。言い訳しないといけない相手が自分自身だけしかいないときでも過去の自分の行動や考え方に縛られたりします。


ぼくは就職したばかり、20代のころは仕事に関してはかなり潔癖症で、取引先と癒着っぽいことをするのが、大嫌いでした。

なので取引先のひとに接待を受けることはもちろん、たとえ割り勘であっても上司と同席の場以外で、飲んだり喰ったりすることはありませんでした。


ですが、ここんところ10年ぐらい前から考え方が変わってきて、やっぱ最後は身内同士でビジネスするのがいいなあ、と思います。単純にビジネス的な合理性から考えても、信用できない相手と仕事するのはいろいろリスクをヘッジするコストが高くつくので、身内と仕事したほうが安全かつ行動の自由度が増すというメリットがあると思いますが、まあ、なんといっても、人生の生き方としても身内と仕事するほうが精神安定上よろしい。


人間は生存本能にもとづいて行動するのが一番自然ですばらしいと思うんですが、現代社会においては、まず、餓死の心配はないので、生存本能だけでは、生きる目的を失いがちです。自分は本当はどういう人生を生きたいのかと考え始めると、別に哲学者じゃなくても、死にたくはないけど、生きる意味なんて別にないよね、とか気づいてしまいます。


そこで身内です。自分が好きな他人、尊敬している他人のために生きる。


これがなにが素晴らしいかというと、相手が本当は、なにをのぞんでいるかなんて、結構どうでもいいというところです。自分のことだったら、結局、人生なんて意味がないから、努力して生きてもしょうがない、とか考えちゃいますが、他人のことだったら、しょせん他人事ですから、自分さえ、これは相手のためだと決めつけてしまえば、いくらでも頑張れる、一所懸命に生きることができる。


相手も本当は人生に意味がないとか思っているかもしれないですけど、そんなの自分のことじゃないから知ったこっちゃない。相手がせいぜい自分に好意さえもってくれるぐらいでじゅうぶんに納得できて、相手のために頑張れる。


ぼくは、世間の常識だったり利害関係から、合理的な判断の結果として自分の行動を決めるのは好きではないです。


それって機械じゃん。ただの社会のパーツじゃんと思ってしまいます。たぶん、ぼくでなくてもいい。アルゴリズムで代替できてしまうと思います。


とはいえ理屈にあわないことは嫌いなので、仕事での判断はすごくアルゴリズム的に正しい選択をします。

でも、ぼくは人間として生きたい。自分のやりたいことだけをしたいと思っているので、行動的には理屈にあわないことをするのが好きです。でも、具体的にはあんまり会社にいかないとか、全然仕事しない、とかいったことなので、まったくかっこうよくない。


イメージ的には最終回に組織を裏切って死んでいく中堅どころの悪役みたいな生き方がしたいんですけどね。


うーん。人脈のはなしからずいぶんとずれてしまいました。


結論:人脈は大事

tmgkeytmgkey 2009/07/08 01:25 つまり愛ですね。

oguoguoguogu 2009/07/08 17:51 『国歌の基幹産業』は「国家の基幹産業」ですね。
細かくてすみません。

2009-07-06

個人の才能とはいったいなにか

08:07 | 個人の才能とはいったいなにかを含むブックマーク

下のエントリを読んでいろいろと思うところがあったので書いてみる。


少数精鋭のテクノロジーベンチャーは企業が支払うべきコストをどこに付け替えるのか




このエントリには、別の二人の記事が引用されているので、そこを抜き出してみる。


* LingrとRejawサービス終了のお知らせ:江島健太郎 / Kenn’s Clairvoyance - CNET Japan

しかし一方で思うのは、4人というのはやはり大所帯だったということです。アーキテクト・デザイナ・クライアントという専門には重複がなく、これにアーキテクチャとデザインの両方を見られるマネージャであるぼくを加えて4名なら、適正な少数精鋭と言えると思っていました。しかし、これは決して「少数」ではなかったのです。

自分が技術的に成長した今だから言えることですが、今のLingrやRejawのようなプロダクトなら、1人か、多くても2人ぐらいで作れるべきであった、と思います。「少数精鋭」を突き詰めると、究極的には1人になるということでしょう。


さらに同じく米国でLUNARRを展開していた高須賀氏がLUNARRを清算し、その後のエントリーで以下のようなことを述べていました。


* 不確実性の高い新サービスの開発に - Toru Takasuka の起業・経営

そして、これから現れるだろうあるベンチャーは...

顧客数:1億人<

売上:1兆円<

利益率:50%<

設立年数:5年>

社員数:20人>

こんなエクセレント・カンパニが誕生するだろう。

悲しいかな日本からではなく。

また多くの日本人がマイクロソフトやグーグルに見た様に、次もただ羨ましがるだけなんだろう。


このふたりのいっていることは、いろいろといいたいことはあるのだが、ぼくが以前書いた次の2つのエントリをみていただければわかると思うので、ここでは省略する。


貧乏子沢山なWEBサービスという戦略

本当に世界的なwebサービスをつくりたいなら日本にいるべきと思う理由



さて、今回のエントリではふたりの間違った考えそのものよりも、ふたりがなんでこんな間違った考えをもつにいたったのかについて根本的なところから神の視点で議論していきたいと思う。


端的に申し上げると、ふたりとも


受験勉強のやりすぎ


である。


ふたりの学歴なり経歴は残念ながら知らない、また興味もないので、ググるのはカスなみなさまに任せるとして、ここでは彼ら二人が、高学歴かつ


受験戦争の不幸な被害者


という前提で話をすすめることにする。



彼ら二人の思考法の問題点を整理すると次の3つだ。


・ 解が存在するという前提で考えたがる

・ 局所的な現象を、普遍的な法則と考えたがる

・ 優秀な個人の才能はすべてを可能にすると信じている


以下、順番に説明していこう



解が存在するという前提で考えたがる


ふたりの主張をよくみてみると、これからのベンチャービジネスの理想は個人でやるべきであるという根拠は、小回りがきくという当たり前のこと以外では、「儲からないので大勢でやるとお金がなくなる」と「米国ではみんなそうしている」の2点しかないことに愕然とする。


ふたりとも米国でのWEBサービスがあまり流行らなかったというのと、お金をつかってしまったという、ふたつの確実な事実があるわけだが、だったら、正しい結論は、どうせこれからのWEBサービスなんて儲からないから、ひっそりと個人でやるべきであるというところまでだ。


個人でやらないとお金が足らなくなるからといって、個人でやれば成功するという理由にはならない。けれども成功する道は必ずあるはずだからとドラマの熱血主人公のように思い込んだとき、それは個人でやるという道の中に隠されているはずだという結論がでてしまうんだと思う。


でも、それって、解答が必ずある試験問題の解き方なんだよね。


現実世界は解答がないことなんてあたりまえだ。ぼくだったら、お金が足らないから、新しいwebサービスは個人でしかやれないという法則?を発見したときは、じゃあ、自分はお金をどっかからもってきて勝負すれば、相当、ライバルは減るよね、とか考える。お金使って、人使って、小回り効かす方法なんていくらでもあるし。


ふたりとも儲からないから個人でやるべきとかいいながら、最終的には大成功を夢見ているし、それができると仮定している。だったら、金使っても回収はできるはずだ。ここでもふたりの結論はロジカルじゃない。解があること前提の思考なのだ。でも、解があるかどうかの証明ができないから、確信がもてずに、賭け金をけちっているだけのはなしなのだ。



局所的な現象を、普遍的な法則と考えたがる


もうひとつの受験勉強の弊害が法則や公式をとにかく見つけて、計算を省略させたがる癖だ。


有効な公式を丸暗記して、問題にあてはめていくようなことに慣れているから、公式ぽいのをとにかく帰納的に見つけたがる。

公式がなぜ成り立つのかを深く考えずに、普遍的な法則だと断定したがる。


Facebookがほぼ学生ベンチャーから出発したからといって、今後はそういう方向が加速して20人で1兆円の利益がでる企業が生まれるとかいう寝言を予言してしまう。


世の中をとにかく法則で簡単に説明しようとする努力をするのはいいが、本当にそんなことができることをできるなんて勘違いはしてはいけない。世の中はある一面を切り口にすれば、簡単な理解をすることができることは多いけど、いつでもできるわけではないし、総体としては複雑だ。簡単な理解はかならずそれが成立する条件の限定とセットになる。「神は老獪にして…」だ。


Facebookの成功がなぜ過渡期の特異な現象ではないといいきれるのか。学生ベンチャーばっかりの競争になったとして、そこでの優劣を決める条件はいったいなにになると想像しているのか?


受験勉強に最適化された頭脳は、ひとつの公式の意味を深く考えるよりもたくさんの公式を覚えるほうが有利なので、そっちに進化してしまう。それがきちんと物事を考えて想像する力を奪う。



優秀な個人の才能はすべてを可能にすると信じている


このふたりに共通して感じることは、優秀な人間は、うまくやれるはずだという信念だ。ひとにぎりの優秀な人間が世界をまたにかけたビジネスをして、成功するという図式を信じている。


これは世の中を受験戦争になぞらえた考え方だ。努力と才能に比例した形で、全国一位とか世界一位とかのポジションがとれるはずという考え方だ。人間の能力だったり才能だったりすることが本当は何なのかをまったくわかっていない考え方だ。


ひとりの人間がほかの大勢よりも全然優秀だということは、どういう意味を持つのだろうか?


受験戦争というシステムの中で育った人間は、人間の優秀さを個人のもつ潜在的可能性の大きさになぞらえるのかもしれないが、事実は違う。


本来は人間の能力の個体差はあらゆる意味で大きくない。人間の能力差が大きく見えるとき、それは能力の差を大きく拡大するレバレッジがはたらいているだけだ。


受験戦争の場合、偏差値などの指標で無理矢理人間を序列化する。


本当はたいした差ではない人間に大きな差があるかのような測定方法を与えている。陸上競技しかり、野球、サッカー、しかり、特定の測定方法を提示して、人間の差を拡大表示して競わせる。


本来の人間の能力の差なんて、標準分布のグラフでもながめていれば、だいたい現実に存在できる範囲が限定されていることは容易に想像できるはずだ。


社会における競争においてもそうしたレバレッジが存在する。社会のあちこちにあるヒエラルキー構造がそうだし、資本主義というシステムもまたそうだ。


そうしたレバレッジは、特定の個人に他の人々よりもはるかに大きなパワーを与える。


つまり個人の才能、能力といった幻想は、そんなレバレッジとセットであり、レバレッジは個人ではなく社会に帰属する。個人の才能なんてそれを生かす社会のルールがなければゴミだ。


人間の能力差があらわれるのは社会がそうなるように仕組んでいるだけなのだ。


そして受験戦争では人間の能力的なものに比例したかのような結果を測定するルールをわざわざつくっているが、現実社会での競争はそんな公平な尺度で人間の能力を測定するルールは恣意的にだれかがつくらないかぎりありえない。


20人で1兆円儲かる会社があらわれるという妄想がばからしいのは、ゲームのルールをきめているひととゲームのルールの中でプレイしているひとがいるという基本的な事実を無視しているからだ。


資本主義というゲームのルールをきめているひとたちと関係のないところで、個人の才能(笑)によって、そんな企業が出現するとしたら、それはルールのバグが発見されたにひとしい。


大きなバグは速やかに修正されてあたりまえだ。修正されないためにはルールを決めている側に参加できるかどうかが鍵になる。


また、社会の中でゲームのルールをつくり維持するというのも大変な作業だ。


個人の才能だけで、大きなリターンを得ることを目指すという考え方は、社会のゲームの隠れたルールをうまいこと見つけて利用するということだ。その発想に社会には貢献するという考えかたはない。


個人の生き方としてはありでも、社会的には賞賛されるべきものではない。


まあ、そろそろてきとーな結論でこのエントリをまとめることにする。


勉強ばっかしないで外で遊べ


ということで。

terunumaterunuma 2009/07/07 17:02    |\__/|.
 /     \ <そろそろオイラも外で遊びたい
三{ (一) (一) }三
 \ _--^- _/
  /ー(Ω)-\

kojin-banzaikojin-banzai 2009/07/08 06:48 まったくの詭弁であり、一人で営われている個人商店、SOHO等を馬鹿にしている。リスクを取っている方々がリターンを得ることが何が悪いのか?こういう輩がいるから日本では起業が社会的に賞賛されない、認められないのだろう。

●●ばっかしないで外で遊べは、大人が都合の悪くなったときに使う決まり文句。

komusasabikomusasabi 2010/07/04 16:04 じゃあ、勉強します。

2009-07-02

テレビの視聴率がさがってきたのは大画面テレビのせいじゃないか

09:56 | テレビの視聴率がさがってきたのは大画面テレビのせいじゃないかを含むブックマーク

前から周りにも主張しているんだけど、ほかのひとでそういう意見を主張しているひとみないんだよね。


テレビがここ数年、視聴率がさがってきたのはネットではなく大画面テレビの普及が原因だと思う。


だって、ここ数年、新しくネットをはじめたひとよりも、大画面テレビを買った人のほうが絶対に圧倒的に多い。


大画面テレビでなぜ視聴率が下がるのか?


それはながら視聴が困難になるからだ。


映画を見るならいい。なんか、気合いいれて見るぶんには大画面テレビはいい。


でも、なんとなくつけておくには大画面テレビはうざすぎる。絶対にながら視聴時間はへっているはずだ。ながら視聴はテレビの視聴時間の半分はこえているんじゃないか?しらないけど。


来客があったときになんとなく大画面テレビをつけておくって、ちょっと想像してみるといい。

いっしょにテレビをみるしかないじゃないか。はなしをしたいんだったら画面は消してBGMを選ぶだろう。


ここ数年の大画面テレビの普及台数を考えると、ぶっちゃけ視聴率が変化するぐらいの大きな影響をあたえていると思う。


ネットが原因だ、いや、ケータイだ。番組が面白くなくなったからだ。いろいろ説明をするひとは多いけど、ぶっちゃけリアリティのない理由ばっかりだ。そんなんで大きく数字は動かない。絶対、大画面テレビじゃないかと思うんだけどね。


でも、おなじこと主張しているひとみないんだよねー。


ビデオリサーチは、大画面テレビを買い換えた世帯のテレビ利用頻度の変化を調べて、公表するべき。

krekre 2009/07/02 16:16 大画面のせいで視聴率が落ちてるかどうかは疑問ですが
自分で買った高精細で大きな画面で乱痴気騒ぎされると腹が立ってくるので
結局ブラウン管の14形テレビで見るようになりました
液晶大画面テレビはゲーム専用になっています

s0met1mes0met1me 2009/07/02 18:42 昔は一家揃って茶の間(死語)で1台のTVを見てた
ワケでしょ? 測定するのはその1台だけ.
昨今は生活がズレて個別にTV持ってて,見るモノ
も違えば使い方違う.計測の方法が合ってないって
コトぢゃないの?

fujikohousefujikohouse 2009/07/02 21:09 たしかにそうですね。大画面でバラエティ はうざいです。みんな知らず知らずそうなってるのかも・・・kreさん<逆にゲームは小さいテレビだとアイテムがなにが落ちてるかわかんなかったり、字幕が小さすぎて読めなかったりします。大画面仕様に作られてるな〜って思います。

iris7777iris7777 2009/07/02 21:11 テレビでは無くてモニター買ったのでは無いでしょうか。
地上波だけではなくて、CS放送も受信WOWOW=2,486,000件加入者です。http://www.wowow.co.jp/co_info/ir/pdf/706.pdf
見たいときに見る。地上波は、見るもの無しです。

pen2jppen2jp 2009/07/02 22:50 なるほど、面白い仮説だと思います。
テレビの平均サイズと視聴率の平均を過去30年間分プロットしてみたら、面白い結果になるかも知れません。いかがでしょう?

shiki_soku_ze_kushiki_soku_ze_ku 2009/07/02 22:57 核心をついてますね。
私もつい先日ブラウン管から液晶に買い替えましたが
"ながら"どころか全くテレビを見なくなりましたw

su_rusumisu_rusumi 2009/07/02 22:58 私は地デジになって、リモコンの反応速度が遅くなって、バカ番組の「ながら見」がつらくなりました。
これからは、録画して後から倍速で見る時代なのでしょう。

t2enonut2enonu 2009/07/02 23:33 6畳ぐらいの部屋だと、32インチでも光量が強くて
ながら視聴はきついですね。
観る番組も、カットが目まぐるしく変わる
民放のバラエティより、あまり画面の変化しない
環境ビデオ的な映像を自然と選ぶようになります。
でも、これって地上波の自業自得のような気がしますね。

MMGamesMMGames 2009/07/03 10:22  なるほど。程度のほどはわかりませんがその影響は確実にあると思います。特に大画面テレビは導入しても地デジを導入していない場合には明らかにヘナチョコな画面になりますので視聴する気分になれません。その逆のケースでは文字が読めないのでやっぱり視聴する気分になれません。さらに、どちらも導入していない人は、今自分が見ているテレビは低品質の物であると思いながら見ているはずで、やはり視聴する気分になれません。

まとめるとこんな感じ?
大画面&地デジ:画面が迫力ありすぎてながら視聴ができない。
大画面のみ:画面がボケボケで視聴する気が起きない。
地デジのみ:文字が細かすぎて視聴する気が起きない。
どちらもなし:自分の家のテレビは低品質だと思っているので視聴する気が起きない。

jigaryujigaryu 2009/07/04 00:11 え、ボリューム下げればよくね??

やっぱ原因はYouTubeとかニコニコ動画だよ!!
指定された時間に電源つけないと見れない番組より、好きな時に好きなだけ見れる動画がいいじゃん!!
しかもアニメとかにおける地域格差がない!!

t2enonut2enonu 2009/07/04 12:18 視聴率の話から外れますが、
Wiiチャンネルはどのくらいの画面サイズを想定して
設計されているんでしょうか。
ご存知の方いらっしゃいますか?

snow5okamurasnow5okamura 2009/07/04 15:18 ネットとケータイのせいでしょ!
うちは大画面ではないけどテレビはほとんどつけなくなってるよ。
ネットをやらない日とかはないけどテレビを見ない日はかなりあるからね。
地方っていうのもあるけどネットでのほうがテレビ番組は普通に充実しているw

yosshy443yosshy443 2009/07/04 19:32 意外と正しいような気がします

abtendonabtendon 2009/07/06 11:43 地デジではザッピングに2秒かかるというのが大きいと思います。
心理的にかなりのストレスになりますから。

emeshemesh 2009/07/06 12:46 でも、HUT(世帯総視聴率)はそんなに
下がっていないんですよ。
数年前のデータしか見てないので、4月改編は結構下がったかも知れないけど、
それは地デジのせいじゃなく、制作費をケチって
つまらなくなったせいだし。

springletspringlet 2009/07/07 14:23
面白い考察ですね。
恐らくは多岐にわたる要因があるのでしょうが、
その一つと言えるかもしれません。

私もインターネットや携帯等、新しい情報インフラの普及が直接の原因とは思えませんが、個人的にはその過程よりも、今までテレビに片寄りすぎていた国民の目が、今後どこに集中もしくは分散するのかが気になります。

単純に日本の人口が1億4千万だとして、テレビの視聴率1%でも1400万人が同時に同方向を向く訳ですから、ネットがいくら普及しても、チャンネル数が比較にならない以上、影響力という意味もテレビと同等になる事はないでしょう。

google等のポータルサイトはあくまで情報を集約するだけで、1チャンネルとしての情報発信源にはなり得ていない訳ですし。

単純に分散して終息するのか、あるいはまた次の勝ち組が出るのか。。。

kubohisakubohisa 2009/07/10 04:16 出費とコンテンツのバランスでは? スッゴいテレビ買ったのに、ギャグがしょぼい。映画は見る人が多そう

shepherdessshepherdess 2009/07/13 20:58 言われてみればその通りだとはっとした次第です。
映画も前列で観るのと後列で観るのでは疲労度が大違いですし、大きな映像を処理しようとするほど脳に処理コストがかかるんでしょうね。CPU使用率がガーっと上がる作業になってしまったせいで、バックグラウンドで動かして置くには重すぎる、つまりテレビを観ること自体をメインにしないと負担が重い作業になってしまったのかなと思います。