孔子が牛を買った話

 おとといの夜、私が思わず知人に書いたメールです。
「今、うちの隣の奥さんがお礼の気持ちで贈り物を持って来ました。 なぜかというと、奥さんの実家は南三陸町でその実家家族が間一髪逃げてこれたんです。 隣もうちも震災中停電だし断水だし大変だったんですが、うちは農家の実家やおばちゃんの畑があって野菜や貯蔵していたりんごなどをおすそわけできたんです。 でも、その方たちの表情はとても暗いものでした。
 最近古川に一軒家があってそこを仮設住宅の代わりとして借りられたらしいんです。隣の奥さんが話すには、実家家族は今は仕事がなくて大変なんだけど、やはり三陸生わかめをもう一度やりたいなという思いが募ってきたようだというんです。でも、このままではできそうもない。

 そこでわたしたちが何か工夫できないかと考えはじめたんです。身近かなひとたちだと具体的なイメージが湧いてくる。牡蠣復興のファンドもすごい人気で牡蠣養殖が復活しそうだし、俺たちも何かやろうよ! 3.11からの出発サイトはこの様な身近な人々の復興をともに手伝うことをしてみたいなと思っています。 ファンドもあれば、販売支援も、支援者集めもあるでしょう。この方向で何をどの様にできるか考えていきたいな。

 少し、自分の暮らしばっかり考えないで、自分の暮らしをこの様なプロジェクトとどう関連づけていけるかを考えて行こうよ。一人だけじゃできないし。 新たなビジネスチャンスと思ってみんなで考えて行こうよ。 どうかな?」

 関係する話が私の手帳に書き留めてありました。

加藤周一さんの生前の言葉 2009.1.4朝日新聞より
「孔子が通りすがりに出会った一頭の売られていく牛を見て、その命を救うために牛を買った。それを見ていた弟子が一頭救っても世界中の牛を救えないのにどうしてですか?と聞いた。孔子は『私の目の前を通ったから』と答えた」
目の前の牛を救いたいと思わずに世界中の牛を救うことを考えるなら命を単なる言葉で考えていることに他ならない。まずは行動すること、行動に結びつく感情から出発しなければならない。

 今はどういうことができるかまったくわかりませんが、あきらめずに何かできることを考え実行しようと思っています。