ヒトの顔をした自動車

 終わった後はまわりが明るくなって恥ずかしい・・・。なにせ、ほとんど小学生以下かそのママパパです。今日は映画「カーズ2」を観てきました。なにせ畏敬するあのスティーブ・ジョブスが開拓したピクサーの芸術作品ですからね。
 スティーブ・ジョブスがアップルの最高経営責任者を引退するというニュースが出たのはつい数日前のことです。あ〜これですばらしき一時代も終わりだ、と私はがっかりしました。

 彼なきアップルは数年の後に間違いなく肥大化し、そして衰退していくことでしょう。なぜなら後継者として選ばれていく人たちは間違いなく「優秀」な人たちだけ、だからです。

 これが私たちの理性の限界なんですね。まちがってもとんでもない変人や異才をトップに選ぶことはできない。だからアップルのような会社は偶然というか、突然変異のような会社だと思うんです。

 それはジョブスという変異遺伝子によるものですが、その形質を継ごうとしてもたぶん一代限りのものにしかならないと思うんです。だってゴッホだってゴーギャンだって芸術家はそれぞれ一代限りでしょう。

 アップルというかジョブスは「芸術家」であったと思うんです。もちろん金の計算とかもあったと思いますが、根本的には「芸術家」であった。だから凡百の金銭計算機しかいない経済界にあって、ほとんど唯一「芸術的経済活動」を行えた希有の天才だと思うんです。

 私は2年前にi-phoneを使い始めて以来、遅ればせながらようやく価値観がまともになってきたように思えます。つまりヒトには「左脳」だけじゃなく同じくらいの容量で「右脳」もあるんだということを悟ったのです。

 「左脳」は理屈とか計算。「右脳」は感性や創造。この二つがバランスとれてはじめて「善いもの」が生まれるんだと確信したのです。

 この観点からすれば世の中の様々なものは一体どう見えるでしょう。それをアニメで教えてくれたのがこの「カーズ2」です。車が全部ヒトの顔をしているのです。

 じっさいに存在する車にそれぞれ似合う顔をつけて人格化しているのです。そうすると実にいろんなことが直感的にわかります。ヒトのいい顔。かっこつけの顔、偉そうな顔、嫌らしい顔、あらゆる機械に実は顔がありえるんですね。

 だから、構造物とか巨大な設備にもそれに似合う顔を付けるというか顔の形で建造すれば面白いなと思うんです。そうしたら原発はどんな顔になるんでしょう。

 恐いのは、実際ににそうなんですが、原発に子ども向けの牧歌的な風景というかイラストを描いたものがあるんですね。それは本当の顔ではありません。真実を見つめずにヒトの感情を操ろうとして描いた虚偽です。

 人間は人間であるために、人間の真実や人間の喜びとは何かを考え、追求し、芸術を創造してきました。ですからあらゆる生産活動には芸術的要素がなければそれは人間にとって価値が少なく、あまりにその要素を無視すれば自らを損なうことになると思うんです。

 「芸術的経済活動」を実践し、それが十分経済的メリットも生むのだということを証明し、私たちにその効用を体感させたジョブスの引退を私はこのような意味で残念に思うのです。

 アメリカ嫌いの私が唯一尊敬していたのは「芸術創業家」ジョブスだけでした。