本嫌いだった宮崎駿さん

 宮崎駿さんは本嫌いでした。というより大人の小説が苦手でした。それは「読まなきゃいけない」という強迫観念があったから。でも児童文学だけは好きだったんです。気質に合っていたそうです。

 「大切な本が一冊あればいい」「宮崎駿さんが語る<児童文学>への熱い思い」という帯の岩波新書『本へのとびら』を読みました。というのか鑑賞しました。紹介されている本の挿絵があまりに魅力的なので。

 たぶん、宮崎監督が児童文学を好きだったわけのひとつは、本にある挿絵が好きだったんだろうな〜、と私は思いました。

 さて、監督が児童文学の扉を開けた話から。

「読まなきゃいけない」

 本は読まなければいけないとは思っていました。面白いからではなく、「読まなきゃいけない」と思い込んでいたんです。

 本を読むことをあんまり「楽しむ」と思っていなかったんです。漫画家になりたい、そういうふうなものにならなければ、と思っていたんですけど、何も知らないから勉強しなきゃいけないと思っていました。

 学生時代はずっと、そういう強迫観念のなかにいました。修行時代である、っていうね。・・・

「児童文学が気質に合う」

 児童文学は「やり直しがきく話」なんです。・・・(ロバートウェストールのことを書きながら)・・・彼もこの世はむごいが、それでも生きるに値することがあると書いています。

 そういう児童文学のほうが、自分の脆弱な精神には合ったんですね。そう思うしかない。それで、もう本当に小説は読まなくなりました。

 なにがベストセラーになろうが、小説ははじめから忌避する感じで読まなかったです。本屋へ行っても、社会学、民俗学だとか、植物学、技術史とか考古学、古代史の謎などのところをうろうろして・・・。

 ・・・僕はビートルズの時代にビートルズを全然聴いていないんです。部屋にラジオを置くこともしませんでした。テレビはもちろんのこと、ありません。何もないんです。

 児童文学は、そういう流行とは関係のない隅っこのところにあるということでしょうね。

 監督が好きな作品から挿絵が魅力的なものをピックアップしてご紹介します。(クリックで拡大できます)


子どもたちへの工−ル

 要するに児童文学というのは、「どうにもならない、これが人間という存在だ」という、人間の存在に対する厳格で批判的な文学とはちがって、「生まれてきてよかったんだ」というものなんです。

 生きててよかったんだ、生きていいんだ、というふうなことを、子どもたちにエールとして送ろうというのが、児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います。

 『小公子』を書いたバーネット、『若草物語』を書いたオルコット、『ハンス・プリンカー』のドッジも、『赤い鳥』を始めた鈴木三重吉も、彼にすすめられて『杜子春』を書いた芥川龍之介も源のところは同じです。

 「子どもにむかって絶望を説くな」ということなんです。子どもの問題になったときに、僕らはそうならざるを得ません。ふだんどんなにニヒリズムとデカダンにあふれたことを口走っていても、目の前の子どもの存在を見たときに、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」という気持ちが強く働くんです。

 子どもが周りにいないと、そういう気持ちをすぐ忘れてしまうんですが、僕の場合は隣に保育園があるから、ずっとそう思ってなきゃいけない(笑)。この時期に隣に保育園があってよかつた、とほんとうに思います。子どもたちが正気にしてくれるんです。

参考
 ファンタジーの力
 寅さんとスウェーデン
 ケストナーと美智子様 
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