三丁目の夕日と「今」

 すごい人気!行列の途中でチケット完売です。「三丁目の夕日64」が全国の映画館で上映中です。私もさっそく観ました。もう〜〜あの〜、昭和の風景だけでイッテ!しまいます。映画のネタばらしはしませんからご安心を。

 推定平均年齢65歳くらいの初老の男女でいっぱいです。びっくりするくらいの人気です。

 「三丁目の夕日」は今回三作目。

 昭和39年、東京オリンピックの年が舞台です。私はこの時小学5年生。

 このシリーズ、好きな人は多いですが、中にはいろいろ言いたい人もいるでしょう。

 でも、私はどうしようもないです。。。あの昭和三十年代の詳細に再現されたあの商店街、家、家具、服装、車、食べ物、人の交わり・・・

 それを見るだけで、もうジワ〜〜です。私らこの時代の子どもたちは。

 映画を見て思い切りびっくりしたことがあります。

 あの、小さかった。。。一平と淳之介が、もうしっかりした顔と身体の高校生になっていたんです!

 他の出演者は前作からそんなに風貌が変わっていないだけ、子役のあまりの成長にショックです。前作はつい最近の映画と思っていたのに・・・。

 わが5歳と2歳の孫も、あっというまにあんな風に大きくなるのか、と想像して、なんともいえぬ(すこし寂しい)思いがしました。

 だれでもがさまざまな可能性を信じ、だれでもが同じように自由闊達であった、少年少女時代・・・。

 その黄金時代は、この昭和のよき時代と同じように、瞬く間に過ぎてしまうのか、という感慨です。

 さて、映画を見ているの方々の多くは、まさに一平と淳之介の世代。(もう白髪頭か坊さん頭ですが)

 日々、発展の希望に満ちていたあの頃の日本。

 そして今映画館で、あの時代のノスタルジアに涙を流す私たち。

 いったい、その後の「三丁目の夕日」はどうなっていったんだろうと考えてしまいます。

 この7年後にニクソンショックがやってきました。

 一平と淳之介はその頃23歳、私はその頃18歳。

 このときから、お金が交換の道具からお金自体が商品となる時代へと変わっていきました。

 そこから生じたバブルとグローバリゼーション、それが弾けて。。。ところがまたも同じくリーマンショック。

 三丁目はと見渡せば、映画の主要な舞台「鈴木オート」の付近は舗装され、ビルが林立し、人の付き合いはほとんどなくなり。。。

 でも当時よりよっぽど旨いモノ食べてられる世の中になっています。鮨なんて当時は年一回食えるかどうか。今じゃ回転鮨はファーストフード。

 田舎じゃみんな一人づつ、ピカピカの戦車のような車に乗っています。

 いったいどこが不況で、だれが不幸なのか?わからなくなってしまう光景ばかりではありますが。。。

 でも、みんな幸福とは感じていない。不安ばかりで。

 金持ちだってそう。いくら金があってもあっても安心できない人だらけ。やくざな人任せの投資だけ。ましな使い途など考えつかない人だらけ。

 これが「三丁目の夕日」の時代に思い描いた未来だったのでしょうか?

 一平と淳之介、その親たちが希望した未来だったのでしょうか?

 いったい、いつから三丁目はなくなってしまったのでしょうか?

 三丁目の夕日はもうありません。ビルのすき間から一瞬きらめくまぶしい残照だけが名残をとどめる世界になりました。

 誰の責任でもなく「三丁目の夕日」は消え失せてしまいました。

 一平と淳之介、そして日本は、この後、経済街道を駅伝のようにひた走りました。

 沿道では「進歩」「繁栄」「成長」「競争」「効率」・・・これらの旗をみんなで打ち振って。。

 走ったり、旗を振ったりしているうちにいつのまにか失われてしまったものが数多くありました。

 私がブログを書いているのも、きっと、本当の三丁目の夕日がずっと頭に残っていて、それと現代との違和感に突き動かされているからなのでしょう。

 いったい私たちは、これからも、同じ旗を振って走り続けていくのでしょうか?

 最後になります。ひとつ大きな希望を感じました。

 それは、この映画の監督は三丁目の夕日を知らない世代。それなのに私たちその世代を生きた者よりも、よっぽどその時代の生き生きとしたありさま、大事な価値観を表現してくれたということです。(山崎貴監督は奇しくもこの映画の年1964年生まれです)

 私が感じる希望とは、若者は自らの体験がなくても、失われた価値をきっと再創造していけるだろう、という可能性のことです。

 ということで、私は、貴重ですばらしい映画を見ました。ありがとうございます。