「あったかギャラリー」建設中!

 今、社会に不足しているものは「アート」だと日々感じています。「えっ!それは違うんじゃない?どこを見ても様々なデザインがあふれているよ!」違うんです。一人ひとりの人生や経済社会の根幹に「アート」が足りないんです。
 私立探偵フィリップ・マーロウに代弁していただきます。

 「人も企業も強くなければ生きていけない。アートがなければ生きている資格がない」


アートのめざすもの

 アートのめざすものは「美しいものやこと」です。

 「美しいものやこと」は「生命にとって善きものやこと」です。

 これは人間、いや、社会にとって究極の「目的」ではないでしょうか?

 さらに「アート」はすべてが「独創」です。

 私たち、いやあらゆる存在が、一人ひとり、一つひとつの「独創」であるように。

人々が問いかけたもの

 社会に「アートの魂」が充満していたら、人々は「リーマン」や「原発」にこう問うたことでしょう。

 「それは美しいこと?」「それは善きこと?」

 残念ながら私たちの問いかけは違っていました。

 「それは儲かること?」「それは楽できること?」

 しかも、そのための「犠牲」については考えることもなく。

 そして今、これだけの災害が発生しても、人々の多くがそのような「問いかけ」をまだ続けています。

アーティストの問いかけ

 しかし周りをよく見ると、それとは違った方々もいます。

 報道が規制された中でも私たちに見える「アーティスト」たちの問いかけと行動。

 世界中のアーティストたち。日本でも多くのミュージシャンや俳優や作家たち。宮崎駿さん、沢田研二さん、坂本龍一さん、大江健三郎さん、山田洋次さん、吉永小百合さん。。。

 私たちの精神形成に意識的、無意識的問わず大きな影響を与えてくれた人々。

 彼ら「アーティスト」をはじめ「アートに携わる人々」「アートを愛する人々」のほとんどは本来の問いかけをしています。

 「それは美しいこと?」「それは善きこと?」と。

「ネットの美術館」構想へ

 私は「アート」を大事にしていきたいと強く思っています。

 自分の人生にも、自分がいる会社にも、自分の関係する社会にも。

 そして今、その一歩を進めようとしています。

 それが、ネットの美術館「あったかギャラリー」です。
 
 「アートへの想い」を共有する友人デザイナーたちと今試行錯誤しながら建設中です。

 そして館内を飾るべき最初の「アーティスト」たちを真剣に探しています。

「あったかギャラリー」って何?

 「あったかギャラリー」とはこのようなものです。

 日本国内はじめ、世界中のプロ、アマ問わず真摯なアーティストの良質な作品をネットを通して発見し紹介していきます。

 ジャンルはできるだけ広くしていきたいと思います。

 作家と意思疎通を図り、それぞれのアーティストに喜んでいただけるような(サイバー)空間のつくり、閲覧の仕方を多様に工夫していきます。

 ここはだれでもが観覧できるネット・ギャラリーです。

 ネットならではの特性を活かし、様々な企画展を数多く行っていきます。

「ショップ」は心をつなぐ

 ギャラリーには「ショップ」もあります。

 「あったかギャラリー」は作品展示が主体ですが、アーティストの希望により作品を仲介することもできます。

 アーティストが譲渡してもよいという作品があれば、それを紹介し仲介するしくみです。

 ここでは「お金」の新しい使い方を実験したいと思っています。

 作品の移動に関わったお金は三方に別れます。

 5割が「アーティストへの御礼」へ。1割が「事務局運営費」へ。4割が買い主名義で「セキュリテ被災地ファンドへの出資」へと。

 「アート」が関係したお金は、ひとりでに「善きこと」に使われていくようにしたいと思っているのです。

 しかし、「あったかギャラリー」は基本的に「美術館」であり、「利益」を目的にしてはおりませんので、誤解なきようにお願いします。

私が「アート」を大事と思うわけ

 私が「アート」を大事と思うのはこんなことからです。

 良質な「アート」に出会ったとき、人は心の奥に眠っている感性が目を覚まします。

 「oh!」という感嘆や、背中がゾクゾクする感覚とともに。
 
 そして気づきます。心の「原風景」に。

 「原風景」は様々な感動を引き起こします。

 「愛おしさ」「切なさ」「郷愁」「慈愛」「爽快」「野生の輝き」「弾けるいのち」「雄々しさ」。。。

 「感動」は人を変えます。

 それは「善き出発点」をはっきりさせ、考えや行動を変えるきっかけとなるからです。

 言葉が言葉自体の迷路にはまり、「効率」がすべてを席巻し、暴走していると私が思うこの社会。

 すべての人々が取りもどす必要があるものとは、言葉の母胎である「感性」です。

 それを「アート」は再び与えてくれるのです。