硬いパンと堅い話

 とてもおいしいフランス田舎風パンと出会いました!女房も「美味い、旨い」と食べました。ところが、娘や孫におすそ分けしたら戻ってきました。。。

 なんと!「硬くておいしくない」と言うんですよ。特に孫たちが。。。

 全粒粉で天然酵母、表面はカビのような酵母でおおわれ、こげめもいっぱい。

 買った種類はみっつ。ひとつは塩だけ。ふたつめはナッツやくるみ入り。みっつめはいちじくとオレンジピール入り。

 どれも噛むのは疲れますが、他に何もほしくないすばらしいパンです。

 それが「おいしくない」とは?

 あれこれ考えさせられました。

 今や世の中は柔らかいもの、ゆるいもの全盛。

 それ自体はなにも悪いことではないでしょう。

 しかしその反動が、あまりよろしくないことにつながっている気がします。

味覚への反動

 その1「あごが未発達となり、硬い物が食べられない。味わえない」

 その2「柔らかくて甘い物だけ食べて育ったので、甘み以外の味覚が退化している」

 その3「化学調味料や濃い味付けに慣れ、材料本来の味や淡泊な味を物足りなく思う」

 考えはもっと拡がります。

 食べ物と同じ傾向が、私たちの思考にも顕れてきているのでは、と。

思考への反動

 その1「読みやすい文章しか読まない。読めない」

 その2「短い文書しか読まない。読む気がしない」

 その3「刺激がないものはつまらない。刺激だけあればよい」

 これらは子供たちに限ったことではないようです。

 今や、facebookだ、ブログだ、メールだと毎日かなりの時間ネットに翻弄されています。

 そこでは、あらゆる種類の、あらゆるレベルの情報がいっしょくたにやりとりされています。

 そんな情報ジャングルの中で、私たち大人にも全く同じ傾向が生じてきています。

 長い文章など書いたら最後、軽蔑されることだってあります。

 「忙しい私にこんな長いもん読ませやがって!」みたいな意識が知らず知らず堆積しているような気がします。

 結果、どうでもいいような「ちょっと気を引くそぶり」の文章やコンテンツだらけの世界に日々翻弄される私たち。。。

 知識の源、読書はどう変わってきているでしょう

読書への反動

 その1「ノウハウ本しか読まない。すぐ解答がほしい」

 その2「古典は読めない。古典のことは知らない」

 その3「自分の周囲に関したテーマにしか関心がない。深く考えるのはしんどい」

 結果、タイトルだけが気を引くうすっぺらな本だらけ。。。

 ろくなことは何も書かれていない。

 体験上、そんな本を読むと10分もあれば読み終わります。ガッカリもいいところです。

 怖いのは、そういう本しか読まない人は、薄っぺらさをさほど感じないであろう、ということです。

 化学調味料だらけの食事をしている人が、その味を変だと思わないように。

 もしかしたら、エリート政治家やエリート官僚たちがひそかに画策しているのかもしれません。

 『国民総家畜化計画』という「Xファイル」で。

参考
 「硬い」の反対語は「柔らかい」
 「堅い」の反対語は「もろい」(固いを用いても可)
 「固い」の反対語は「ゆるい」
  ・・・らしいです。