「贈与」って大金持ちが行う自己満足でしょう、いや罪滅ぼしでしょう?ところが江戸時代は庶民の間で日常的に行われており、それで格安コストの社会が維持できたようです。
石川英輔さんの『大江戸省エネ事情』をパラパラめくっていたら、こんな文章に出会いました。
今も昔も日本人は、いや人間は「旅行」好き。
江戸時代は金持ちも貧乏な人も「お伊勢参り」に行ったようです。行けたようです。
それができたのは、「施行(せぎょう)」という名の「庶民社会贈与システム」とでもいうべき習慣のおかげでした。
六人に一人が伊勢参り?
中でも、伊勢参り、つまり伊勢神宮に参詣するための旅をする人が多かった。20年に一度の遷宮の時は特に多く、文政十三年(1830)には、「おかげ参り」といって486万人が伊勢に参ったという説がある。これが正しければ、総人口が3000万人程度の時代に日本人のほぼ6人に1人が、北は陸奥、南は九州から伊勢を目指して旅をしたことになる。生産力が低く、経済的にも貧しかった時代に、これほど大勢の人が長距離旅行をした背景には、日本独特の二つの習慣があった。
第一に、多くの日本人が、できることなら一生に一度は伊勢参宮をするべきだと思っていて、不文律のようにさえなっていたから、伊勢参りをするといえば親も反対しない、できない雰囲気があった。
第二に、貧乏な人は、お金を持たずに出ても旅ができた。無銭旅行をする人は、背中にむしろを背負い、手には柄杓を持って歩いた。むしろは、休憩の時や、橋や寺社の床下などで泊まる時の敷き物にし、柄杓は喜捨による<施行(せぎょう)>つまり無料サービスの銭や品物を受け取るのに使う習慣だった。
伊勢参りの旅人が多い道沿いには、自分が無料で旅人にしてあげられることを紙に書いて貼ってある店や家があったそうで、それを見て、無銭旅行の人は無料宿泊や、金、米、餅、手拭いなどの施行を受けながら旅を続けた。今でも、四国の人がお遍路さんにしてあげている「お摂待」を、もっと大規模にやっていたのだ。
無料サービスの資金源は、普通に金を払っている大部分の旅行者だった。無銭旅行者の比率は低いため、沿道の人々は旅人の金で豊かになる。今のわれわれの頭は近代化しているから、所得の多い人から税金を取ってクニが社会保障の形で還元すればいいと思うが、制度を作れば制度を維持するだけのために莫大な経費がかかる。
手厚い社会保障を実行しようとした社会主義諸国は、軒並み制度の維持ができなくなって国家そのものが倒産してしまったほどだから、江戸時代のように生産力が低かった時代に余計なことをすれば、肝心の貧しい人に回す金がなくなってしまう。昔の人は社会主義の理論など知らなかったから、余裕のある人がない人に施行の形で直接還元したのだ。
今私たちは、過去を「旧いもの」「劣っているもの」としか考えないので、さまざまな誤解をしています。
たとえば、過去は社会福祉などない野蛮な社会だったろうとか、貧しくてひもじい(今よりも)不幸な時代であったろうとか。
しかしこの文章を読むと、昔は現代よりももっとレベルの高いしくみが(それなりに)回っていたんだな〜ということに気づかされます。
なぜレベルが高い?
「他人任せ」ではなかったからです。
一人一人が無意識的であるにせよ、社会の大事なしくみを担っていたからです。
そのしくみは「公平さ」や「生きやすさ」を維持していくものでした。
ひるがえってわが現代を見れば、1億2千万総クレーマーのような日本。
日々肥大化する行政組織、年々増え続ける税金。。。
「財政改革」よりも「国民意識改革」が必要では?
私がジャパン大統領になったら「大江戸生活省」を創りましょう!
参考(江戸時代関連)
2050年は江戸時代
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