くさる家に住む。

 これは本のタイトルなんです。「くさる家」とはいったい何ぞや?衝撃的な表現に惹かれて注文しました。
 そして今、このブログを書き始める30分ほど前にこの本『くさる家に住む。』が届きました。

 ちょうど毎朝恒例の仕事ミーティングも終わったところでしたので、さっそく開いてみました。

 とってもおもしろい! 

 写真が豊富なので夢中になって読み、あっという間に読み終わりました。

 そして、何かこの本と「共感覚」が生じてきました。

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 「今の時代の豊かさって何だろう?」

 4人の建築女子が見つけた答えは「くさる家」だった。

 なぜ「くさる家」なんでしょう?

 そこには、この言葉から直接は思い浮かばない深い思想がありました。

 この本のエピローグを引用します。

 「くさる」という言葉にはネガティブなイメージがつきまといます。でも、「発酵」もくさることの一種。微生物と時間を味方につければ、元の素材以上に深い味わいになってくれます。「朽ちる」も、「くさる」の進化形ということができます。朽ちることで未来に種を残したり、腐葉土のように他の生き物の肥やしになります。

 そう考えると、「くさる」とは、それで終わりの状態ではなく、プロセスといえそうです。そして、美しくくさっていくプロセスは「熟成」と言い換えられるかもしれません。家は暮らす人によって魂を吹き込まれると言われます。人もまた、家と向き合い、丁寧に手を入れながら暮らすことで自らも成熟していくのでしょう。本書で取材したのは、時間とともに熟成していった10軒の住まいです。

 味噌や酒の味がつくり手によって違うように、本書で紹介した家の熟成のしかたも実に多様です。

 このようなコンセプトに基づく暮らしは田舎でしかできないのでしょうか?

 決してそうではないようです。

 ビルをまるで都市部の人口里山のようにして暮らしている人も紹介しています。

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 ・・・現代の住宅は、断熱気密性能の高さが価値基準となっています。でも、いくら家の性能を高めても、窓を閉ざして町と無関係に暮らすことは、人にとっても町にとっても幸せといえるでしょうか。

 建築家のフランク・ロイド・ライトは、生涯にわたって「有機的建築」を唱えました。建築を有機体=生き物と捉え、周囲の環境や自然との調和を重んじたのです。本書に登場する家も、人と家、家と環境との関係を大切にした有機的建築といえるでしょう。

 また、かつてのような経済成長が見込めない時代に、高額のローンを組み、それに縛られて不本意な働き方をすることに疑問を持つ人が増えています。収入の多い少ないで労働の価値が決まるのでほなく、自分たちの暮らしをつくっていく中に充足を感じることが、これからの豊かさに通じるはずです。

 2章では、自給自足の暮らしで家を自力建設した家族をご紹介しました。ここまで徹底した生き方は誰にでもできることではないかもしれません。しかし、自分の手を動かして必要なものをつくることができる力を養い、食べるものに気を配って暮らすことから自立した生活は始まります。最初の一歩を踏み出したくてもなかなかできない人に、このような暮らしに向かう勇気を持っていただければと思います。

 今の時代、食に関しては実に多くの人が高い関心をもって健康や環境に良いものを見極めようとしています。グルメ、食育、食文化など、発信される情報量もスピードも膨大です。それも手伝って、日本では食に関する文化の成熟度は高いように思います。

 それに比べると、日本の住宅においては、材料にしても美意識にしても、まだまだ経済効率や利便性ばかりが追い求められています。

 4章は集まって住むことを選んだ住まい手たちです。支え合って暮らす前提が自立した個人であることを、各人の暮らし方が物語っています。

 今の時代の豊かさは、とても一言で言い表せるものではありません。また、個人の価値観によって受け止め方も違うでしょう。それでも、本書で取り上げた10の人と住まいは、「あなたにとっての豊かさとは」と、考えるきっかけを投げかけるはずです。

 都会で、長屋や路地を復活して暮らしている人も紹介しています。

 もしかしたら現代は家が養鶏場みたいになってしまったので、私たちも知らぬ間に「家畜のほうが楽だ」という潜在意識が染みついてきたのかもしれません。

 孟母三遷の教えじゃありませんが、人は自分で個性をつくっていると思っていても、実は環境に左右されているというのが本当ですからね。。。